第9話 少し年上のように感じた
あれから数日後、羽月はまた遅くなってしまった。
しかし、今回は悪い意味で遅くなったわけではない。
ミスをしてしまった書類だが、あの後晴れて女上司に認められてHRに使われた。
結果、クライアントが思いのほか気に入ったらしく、結果的に他の資料も頼まれることとなったのだ。
とはいえ、彼自身としては認められて嬉しい反面、帰る時間が遅くなってしまうのは辛いところ。
羽月が帰り支度を整え、事務所を出る頃には二十時を過ぎていた。
ロビーを抜けて、会社の出口に向かうと、建物の柱から覗くものがある。
茶色と白の毛布にも見えるものがチラリチラリと出ては引っ込む。
何事かと柱から距離を取って遠巻きに通り過ぎようとすると、風鈴のような声がした。
「あ、あのっ!おひさし、ぶりです……」
羽月の中で茶色と白、風鈴のような声音が合わさり、正体に気が付く。
振り向くと、視線の先にはやはりというべきかハムスターを思わせる銀髪の美少女、鳩麦公子が立っていた。
あれから学んだのか、今日は頭上にハム蔵なるハムスターの姿はない。
何故ここにいるのかと羽月が疑問を口にしようかとすると、鳩麦は羽鳥の名刺を差し出す。
「えっと。改めてお礼をしようかと思って、今日は来ました。」
「ああ、なるほど。そんな気にしなくてもいいのに。ハム蔵は元気にしてる?」
「はいっ!あっ、でもお兄ちゃんに『連れて歩くから迷子にさせるんだ』って取り上げられちゃって……」
「あはは、それはまた――」
(流石に、何度も起こすわけにもいかないもんな)
口には出さず、顔を知らない鳩麦の兄に心の中で感謝した羽月だった。
暫し、二人の間に静寂が流れる。
(これ、俺から何か言わなきゃいけないやつか?)
どう、次の言葉を選んだものかと羽月が悩みだしたころ、鳩麦が後ろ手に持っていた袋を差し出してくる。
「あの!これ!この前のお礼です!」
袋はなんとも高級感のあるもので、中には布にくるまれた長方形の何かが入っている。
羽月が受け取ると、お菓子か何かだと思っていた手前、思いのほか重いことに驚く。
中身がなにか聞き返そうかとすると、鳩麦のほうが先に口にする。
「あの時はありがとうございました!本当にあの時は心細くて。」
照れ隠しのように笑う彼女の笑顔に、年甲斐もなく一瞬羽月の鼓動が早くなる。
好意とは違うが、綺麗に整えられたロビーで微笑む彼女がどこか絵になり、彼自身が居てもいいのかと思えてしまったのだ。
だからだろう、普段の彼なら考えつかないひねくれた受け答えをしてしまったのは。
「こちらこそ差し出がましい事してしまって、なんだかごめんね。」
それに対し、彼女は黒曜石を思わせる透き通った漆黒の瞳で羽月を射抜き、小首をかしげて答えるのだった。
「何故、謝るんですか?」
「そう、だね。確かにそうだ。」
なんだか少し可笑しくて、二人とも笑ってしまう。
一回りも歳の差があるのに、この時は少しそれが縮まったような気が羽月はした。
やがて、静かに、しかし心にしみわたる声で鳩麦は呟く。
「もし、何か気にしているならですが……
どんな経緯であっても、差し出した手の温もりは相手の心に届きますよ」
この時の羽月には、彼女のほうが少し年上のように感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます