第36話 強く一歩を踏み出した

 翌週、羽月は会社にて会議机を複数人で囲んでいた。

 面子としては、羽月たち企画部署に加えて資材発注、広報といった面々だ。

 それほど広くはない職場とはいえ、普段は島違いやフロア違いで業務を行っている都合上、集まるとそれなりの圧がある。

 各人、表情は普段より固く、雉鳥に至ってはいつもの軽口も控えめに席で大人しくしている。


(ついにこの日が来たか……)


 羽月は自部署の資料を読み返しつつ、他部署のバック資料も軽く目を通す。

 本日、なぜこれほど多くの人員が一つの会議室に集まっているのかというと、全ては顧客である志々雄のためだ。

 窓口的な対応で駆り出されていた羽月たち企画部署だったが、実行まで一か月を切った今、当日前の最終HRを迎えた形だ。

 HRとはいうものの、実際は決定事項の確認がメインであり、ここでの変更は納期にも直結していく。

 特に資材部署などはレイアウトなどの影響をダイレクトに受けるため、発注の都合を加味すると2・3週間は最低限必要だ。

 そのため、今日切り抜けられるかどうかが羽月たちの会社にとって、デスマーチになる部署がでるかどうかの分水嶺だ。

 志々雄は定刻5分前に会議室に着いた。彼は悠然と座ると静かに呟いた。


「待たせてしまってすまない。さあ、僕らの個展について話し合おう。」


 良くいえば誠実、悪くいえば抜け目のない視線で彼は呟いた。


『であることから、今回は――』

『チラシについてですが、会場の広さや認知度を踏まえ――』


 会議は滞ることなる過ぎていく。

 やがて一番最後、会場レイアウトの話となった。

 レイアウトについては羽月と鵜飼、加えて資材部署まで含めて調整し、志々雄の意見もすでに取り入れている。

 基本的には変更が出るものではないため、広報などの担当者は若干肩の荷が下りたような顔で話を聞いている。

 羽月はそつなく、図面に沿ってどの作品をどこにどのような意味合いで設置するのかを挙げていく。

 来場者が作品に対してどういう心象を持ち帰るかの重要な部分だ。

 それだけに彼の声音も固くなるが、長年のプレゼンテーション経験がそれを覆い隠す。

 しかし、会場の最深部の説明へと至った時だ。

 スクリーンに映し出したパワーポイントの上で、差し棒が停止する。

 最深部は入口との対比で印象付けるために最新作の最も大きい一枚絵が飾られる予定だ。

 だが、羽月は知っている。その一枚絵が先週には完成していなかったことを。


(あれから、どうなったのだろうか……)


 彼の内心で不安の種が芽を出すが、今はそれどころではないと、自分へ言い聞かす。


「えー、そして一番奥には今回のメインである――」


 羽月は一通り説明を終え、自席へと戻りながら顧客である鳩麦志々雄の顔を見やる。

 彼は先日のやりとりなどないように、あるいは心配することなどないように、足を組み替えながら手元のコーヒーに口を付けていた。

 そして、一口飲むと呟く。


「皆さん、ありがとうございました。

 先ほど話題にでた最新作ですが、今週末には完成しますので、当日には問題なく設置できるでしょう。」


 彼の心強い話を聞き、資材部署と企画部署の面々は肩の力を抜く。羽月以外ではあるが。

 一方、羽月は異様に余裕のある彼の姿が気にかかっていた。

 少なくても先日の様子からは完成できているとは思いにくい。

 羽月の内心で嫌な風が吹くのだった。


 ~~~~~~~


 無事にHRが終わり、志々雄が退出後に各部署の面々が会議室から退出していく。

 羽月もそそくさと自分の手持ち資料をまとめていると、雉鳥が彼の肩を叩いた。


「先輩!いやぁ、お疲れ様っす!無事に済んでよかったぁ。」

「ああ、雉鳥。お疲れ様、クライアントから急な変更が出なくて安心したよ。」

「そうっすよねぇ。ここで変更とかマジでデスマーチルートっす。係長もお疲れ様っす!」

「二人ともお疲れ様。なんだか、やっと肩の荷が落ちた気がするわ」


 鵜飼は普段は見せない笑みを綻ばせると、二人の前を歩きだす。

 羽月と雉鳥がその後に続く。

 雉鳥は鵜飼に見えないことをいいことに、肩の運動で鈍い音を出しながら、羽月に話しかけてくる。


「あー、それにしてもこれで俺らの仕事はひと段落っすねー。」

「まあ、あとは当日だけだしな。」


 彼の言う通り、羽月達の企画部門はレイアウトなどにも手を出しはするものの、最終固まってしまえばすることはほとんどない。

 ここまで進めば普段は別の企画について動き出すのが常であり、あとはせいぜい開催初日に様子を見に行く程度だ。

 だが、今回は少し異なる。

 彼らの会社にしては規模が大きい案件であったため、社長名で開催初日までは専念するようにお達しが出ている。

 そのため、羽月ら企画部署としては、以降は他部署の補助に回るのがベターなのだろう。

 とはいえ、雉鳥の言う通り肩の荷が下りたことに変わりはなく、二人で談笑に花を咲かせる。

 やがて、雉鳥が思いついたように口にする。


「折角ですし、今夜にでも三人で飲みに行きます?俺いい店みつけたんっすよー。」

「雉鳥君?まだ就業中よ。それに私、今夜は用事があるの。」

「ちぇ、係長はお堅いや。先輩はどうです?可愛い後輩とこう、キュッと。」


 羽月は先日、雉鳥とランチに話していた内容を思い出す。

 確かに久々に時間があるなら、後輩と親交を深めるのも悪くはない。

 しかし、羽月の口から出たのは別のことだった。


「悪いな、俺も用事があるんだ。」

「えー、何すか先輩!彼女っすか!」

「違うけどな、ちょっとした用事さ。」

「ふーん、そっすか。まあ、それじゃあ今日は一人寂しく一杯キメてきますよ。」

「悪いな、ほんと。」

「いいっすいいっす!先輩こそ用事、うまくいくといっすね。」


 疑うことなく彼のことを気遣う雉鳥に、羽月は頭の下がる思いがした。

 それと同時に、羽月は改めて会議で見た志々雄の顔を思い出す。


(何も、なければいいんだけどな……)


 羽月は胸騒ぎを抑えるように、強く一歩を踏み出した。

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