第24話 火照りが静まるまで

 日曜日の朝、羽月は久方ぶりに愛車に乗っていた。

 愛車――とは言っても、彼が特別に大切にしているものというわけではない。

 羽月が大学生の頃、中古で買ってからというもの、買い替える理由もないため乗り続けてきたものだ。

 一人暮らしであり、休日にもなれば家で寝転がっていることが多い彼にとっては、費用対効果の面で微妙となりつつある愛車だが、年数が経つと変な愛着もでてくる。

 乗りもしないというのに、たまの休日に思いついたように洗車する程度には、彼にとって相棒になっていた。

 そんな愛車を羽月が運転する理由は、何も乗り心地を確かめたいからではない。

 鶴舞と約束した本日の買い出しで、買った食器類を積み込むためだ。

 昨晩、鶴舞に連絡したところ、それなりの量がありそうとのことで、二人で相談した結果だった。

 途中まで普段の通勤路をなぞるように車で走っていたが、車は途中から別の道へと入っていく。

 それは、ここ最近また顔を出すことが増えてきた『助六屋』へと至る道だった。


「~♪」


 澄み渡る青空の下、好きなバンドのメロディを口ずさみながら彼はハンドルを操作する。

 もう一週間もすれば、日差しは夏の近づきを感じさせるものへと変わるだろう。

 やがて、車体は何処か平成初期の雰囲気を残す店構えの『助六屋』の前で停まる。

 羽月が車内の電子時計で時刻を確認すると、「9:45」を示していた。

 鶴舞との約束時刻より15分ほど早めに着いていたため、店先には未だ彼女の姿はない。

 羽月はハザードランプを点けた後、少し早めに着いた旨を鶴舞に伝えるためにスマホを取り出すのだった。

 スマホのアクセサリーに興味がなかった羽月だったが、昨日までとは異なり今朝がたの無骨な彼のスマホには小さく揺れるものがあった。

 キーホルダを見やり、昨日の羽里とのやり取りをぼんやりと彼は思い出す。


(結局、あの後硝子からは連絡がこなかったけど……大丈夫だろうか?)


 そんなことを羽月が思いながら、スマホのロック画面へ指を這わせようとした時、軽く固い音が車内に響く。


 コンコン… コンコン…


「――?」


 気無しに羽月が音のした助手席側へと視線を向かわせると、そこには向日葵があった。

 黄色い向日葵が印象的な小さな麦わら帽子をかぶった悪戯っぽい微笑みが、彼へと投げかけられる。

 真夏の太陽を思わせる鮮やかな琥珀色の瞳を持つ女性――鶴舞遊がそこにいた。

 一瞬、羽月は息を飲んでしまう。一方、鶴舞はいつもの調子で話しかけてくるのだった。


「よっす!羽月さん!来るの早いね!待たせちゃったかな?」

「……」

「あれっ?羽月さん?」

「あ、すまん。いつもと印象が違ったから、少し驚いた。」

「えー、それどういう意味よ!とりあえず、入れてくれる?」


 乞われるままに羽月が助手席のロックを解除すると、鶴舞は少しかがみながら乗車してくる。

 不躾と思いつつ、助手席で乗車準備を整える彼女の姿を羽月の目線が上から下へと沿ってしまう。


(馬子にも衣装とはいうが…驚いたな…)


 口には出さぬものの、彼は内心驚いていた。

 本当に、今目の前にいるのが居酒屋で自身の背中を加減も知らずに叩いていた女性なのかと。

 先ほどは麦わら帽子に目が言ってしまった羽月であったが、全身を見てみると改めて普段の彼女とのギャップが意識させられる。

 白地に青いラインが流れるように入ったワンピースは夏風を連想させる。

 それに合わせるように若干ヒールの入ったシンプルなサンダルは、この季節には若干早めにも思えたが、ワンピースを引き立てるという意味なら最適解だろ。

 加えて、小さな麦わら帽子と添えられた向日葵が、彼女の雰囲気を良い意味で強調していた。

 元々、女性の中では若干長身に分類される鶴舞のために用意されたかのようなコーデだった。

 まじまじと羽月が見ていると、準備が整った鶴舞が頬を掻く。


「私がこんな格好したら変かな?」

「いや、変ではないが――」

「変ではないけど?」

「――とりあえず、車、出すぞ。」

「えっ、ちょっ!」


 なんだか素直に答えるのが恥ずかしく感じ、羽月は車を走らせてしまう。

 二人の間に妙な沈黙が流れ、どことなく気まずい雰囲気が出来上がる。

 最初は若干不服そうにしていた鶴舞だが、信号で停まると溜息を一つ吐いて話を始める。


「今日は羽月さん、お休みなのに時間作ってくれてありがとね。」

「別にいいよ。どーせ、普段の土日は暇だしな。」

「昨日も暇だったの?」

「ああっ、そうだな――」


 特に理由もないはずだが、羽月は咄嗟に嘘を吐く。

 意識の端でスマホで揺れるキーホルダーが浮かぶが、わざわざ鶴舞に伝えることでもないと思い直す。


(そもそも、話されても鶴舞は困るだろうしな……)


 そのまま、二人は取り留めもない話をする。

 仕事のこと、最近の流行・ニュースについてや思い出話などだ。

 とりわけ、若干年齢差のある二人が盛り上がったのは、『助六屋』についてだった。

 羽月がバイトを辞めた頃にちょうどバイトを始めた鶴舞にとっては、店の昔話が思いのほか興味深かったらしい。

 二人の目的地である家具・インテリアショップが近づく頃には、すっかり鶴舞の機嫌も直っていた。

 けれど、時たま彼女は窓の外へ視線を向ける。

 それが話に飽きたわけではないことは、羽月にもなんとなくわかっていた。

 今は彼女すらいない彼ではあるが、昔にはいたこともある。

 女性がおしゃれをしてきた時に言う事くらいは分かるというものだ。

 けれど、やはり先日三十路を過ぎた彼にとっては素直に感想を伝えるのは気恥ずかしく思えた。

 だから、ぶっきらぼうな話題の振り方をしてしまう。


「そういえばさ、今日会った時は驚いたよ。」


 ピクリッと鶴舞の肩が揺れる。

 今、彼女は外の景色を眺めていた。そのため、顔色は羽月から確認はできない。

 むしろ、羽月にとってはそのほうが都合が良かった。彼の頬は柄にもなくほのかな朱色になっているのだから。


「なんていえばいいのか、いつもと雰囲気が違って驚いた。」

「そっか――」

「そうだぞ。向日葵を思い出した。」

「何よ、それ。」

「思ったのを、言ったまでだ。」

「色々、下手すぎでしょ。でも、まあ――今はそれで、いいや。」


 窓を見つめる鶴舞の表情は羽月にはわからない。

 けれど、今はそれでいいと彼女は思った。


(だって、こんな顔、見せられないもん……)


 急に上がった体温を下げるため、鶴舞は窓を羽月に気づかれない程度にほんの少し、空ける。

 火照りが静まるまでつかないでほしいと、彼女は願ったのだった――

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