第43話 微かな人肌のぬくもり
「羽月君、あなたはこちらから見ていってちょうだい。」
「はい。じゃあ雉鳥は奥から――」
「了解っす、先輩!」
跳ぶように走っていく雉鳥に、鵜飼の眉幅が狭まる。
その様子に嘆息しながら、羽月は自分の担当分の区画へと移動する。
個展当日、羽月たち企画部署は最終チェックにきていた。
本来なら前日までに済ますものだが、資材部署の都合で昨日ぎりぎりに搬入された展示品がでてしまい、当日にズレこんだ形だ。
とはいえ、昨日までに最後の1品以外はレイアウトが完了していたため、企画部署としても仮確認は済んでいる。
今日は前回と差異がないかどうかがメインとなるため、短時間で済む。
羽月は順路の終点から順番に作品名、展示物、位置などを確認していく。
それに合わせて一つ一つの作品が彼の視界に入っていく。
旧作になるにつれて作風は凄みを増し、おどろおどろし気になっていく。
合わせて公子の身の上が彼の脳裏を過ぎり、なんとも重苦しい気持ちが彼の中で横たわる。
(彼女はどれだけ重いものを抱えていたんだろうな……)
やがて、丁度半分を見終わって羽月は鵜飼と合流する。
二人が雉鳥の姿を探すと、彼は部屋の最奥、一際大きく分厚い絵画の前で立ち尽くしていた。
いや、正確には立ちすくんでいた。
今回の個展のメインにして最新作でもある絵画は、一言でいうなら地獄を彷彿とさせた。
他の絵画は自然であれ、街中であれ、日常にある景色の中に鈍色の卵が座するものであった。
だが、最新作はまず日常にあり得ない景色を描き出していた。
牡牛を彷彿とさせる筋肉質な異形が柔らかな人間を引き裂き、卵の上へと投げつけている。
引き裂かれた人間であったモノはどす黒い血色を寒色の卵へ塗りつけていて、滑り落ちた雫は血だまりを下方で産み出す。
血だまりからは牡牛の異形が生まれ、脚を貫かれながら針山を登り、山頂で人間を投げる列へと加わる。
端的にいえば、終わりのない狂いの世界だ。
だが、だからこそ凄みもあり、見る人の心を震え上がらせる。
口を半開きにしたままの雉鳥を鵜飼が資料の束で叩いた。
「いつまで、そうしてるの!私たちは来場者じゃないのよ?」
「そ、それはそうっすけど、係長……」
「私たちは企画を無事に完了させるのが仕事よ。それ以上でも以下でもない。」
「は、はい。そう、すね……」
渋々といった形で雉鳥は残りの確認を済ませていく。
とはいえ、ある程度進んでから止まっていたようで、さほど時間かかからなかった。
最後に三人で集まり、それぞれの結果を報告し合う。
「了解よ。このまま開催してもよさそうね。」
少し安心したように鵜飼は微笑を浮かべる。
だが、羽月の心は浮かなかった。
(本当に、このまま開催していいわけがない。)
彼は知っている。公子の嘆きを、痛みを。作品の持つ意味を。
たとえ、作品がこれで評価されたとしても、それは公子の痛みを認めるだけでしかない。
声にならない一人の叫びを、大衆に晒すのが求められていることなのか。
それはちがうと彼は思っていた。
だからこそ、彼は一歩踏み出す。
「鵜飼係長、実はご相談が――」
「それには及ばないよ。」
羽月の発言はここ一か月、何度と聞いた声に止められる。
彼が振り向くと、日本人離れした長身の男性――鳩麦志々雄が口角をあげる。
「初日だからね、見に来ました。」
(噓だ……)
羽月は志々雄の嘘を咄嗟に嗅ぎつける。
本当に初日だからという理由ならば、志々雄が来るタイミングは重要な来賓の来る少し前だ。
羽月たちスタッフが調整している段階で来たところで出番はない。
しかし、見方を変えれば殊勝なクライアントともとれる。
むしろ、今回の個展について言えば志々雄の行動はまさにそれだ。
羽月とて公子の一件を知らなければ「殊勝なクライアント」で納得していただろう。
当然、それは社内では彼だけが知る事実だ。
だからこそ、上司である鵜飼は丁寧に対応をする。
「これは志々雄さま。本日はよろしくお願いします。お早い現場入りですね。」
「フフッ、やはり自分の個展となると緊張するものでして。お邪魔でなければ暫し見させていただいても?」
「ええ、勿論です!さ、雉鳥君――いや、羽月君、案内しなさい。」
「は、はい……」
半ば押し付けられるように羽月は志々雄の世話を言いつけられる。
警戒しつつ、彼が志々雄を順路に沿って案内していくと、人目がつかない所に至ったところで相手から声をかけてきた。
「それで――公子は元気か?」
「っ!何を言っていらっしゃるのかわかりませんね、志々雄様。」
「誤魔化す必要はないだろ?今は人目もないのだから。
生憎、僕は目と耳が良くてね。何があったのかはおおよそ知っている。」
軽い音を立てて志々雄の手が羽月の肩に置かれる。
しかし、その後――
ギリリッ――
万力のような圧力が羽月の肩を締めあげる。
思わず彼は歯を食いしばるが、相手は知ったことではないという雰囲気で話を続ける。
「まあ、いいさ。
どうせ公子はここに来るのだろう?まあ、それも知ってはいるんだけどね。
ただ、君に忠告がしたくてね。目は良いほうかな?そうなら嬉しいのだけど……」
茶化すように言いながら、志々雄はもう一方の手を開く。
彼の手から見たことのある毛色の髪の毛が一房落ちる。
それは鈍色の瞳が特徴的な少女の髪色に似て――
「お前、無関係な人間に一体何をっ!!」
「無関係ではないだろう?君と一緒に、公子を誑かした張本人じゃないか。」
一際、肩にかかる圧力が強くなり、羽月はその場に跪きそうになる。
しかし、彼は急に肩にかかる圧力から解放されるのだった。
「まあ、僕も鬼じゃない。今から資材置き場に急げば間に合うんじゃないかな?
遅れたら……ゴミと一緒に産業廃棄されるかもしれないけどね。」
「お前っ――!!」
「その顔が見たかったんだ。公子の絵はもっと進化するだろう。
そのために、君は――君たちは犠牲になってくれるだろう?」
地獄へと続く穴のような瞳で粘つく視線を志々雄は羽月に向ける。
羽月は、沸騰する頭を回転させて非常口へと向かう。
資材置き場は廃棄物の出入り口にも活用されているため、建物の手口側に据え付けられた非常口から近いからだ。
無骨な非常階段を滑るように下りながら、彼の足は止まらない。
途中、数段踏み外して転げ落ちそうになるが、ぎりぎりで持ち直し、最後の階段を過ぎ去る。
そして資材置き場に彼が至った時だ。
一つだけ蓋がずれている搬出用コンテナに目が向かい、羽月はへばりつくように中をみる。
そこには鈍色の瞳ではなく――
ゴッ!!
鈍い音と共に羽月の視界が揺らぐ。
暗転していく意識の中、誰かが彼の身体をコンテナの中に押し込んだ。
彼が見上げる中、ゆっくりとコンテナの蓋が閉じていく。
最後に羽月が感じたのは、微かな人肌のぬくもりだった。
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