第21話 もう、消えてなくなりたいよ

 結論から言うと、羽里が羽月を連れてきたのは水族館だった。

 中央の大水槽がメインの水族館で、羽月自身も恋人がいた頃は何度かきたことがある。

 何度か来ると、逆に大水槽には慣れてしまっていて、一つ前に来た時は思いのほか充実しているクラゲエリアで、羽月は恋人と笑い合っていた。

 一方、羽里はというと――


「……。」


 何を見ているのか分からない、ぼんやりとした焦点で大水槽を眺めていた。

 彼女の目と鼻の先をアジやマンタ、時にはカメなども通り過ぎるが反応がない。

 連れてこられた側の羽月としては何か声をかけるべきかとも思うが、どこか浮世離れした彼女の雰囲気にはばかられた。

 沈黙が横たわる中、彼女の容姿を改めて眺めてみると、目鼻に大女優である母の面影を感じられた。

 ただ、やはり母が清楚な美女とするならば、彼女からは反対の野性的な魅力を受ける。

 そんな彼女がつけているから、髪留めが浮いて見えた。

 ふと、羽里がつぶやいた。


「おっさん、TVは見るか?」

「前も――」

「ああ、そうだよな。前も訊いたっけな。じゃあ、今朝のTVは見たか?」

「一応はな。」

「なら、知ってるかもしれねぇな。今日が何の日なのか。」


 羽月は今朝のバラエティー番組を思い出す。

『月9の大女優の私生活』と題したバラエティーでは、大女優であり羽里の母でもある羽里瑠璃子が生放送でインタビューに答えていた。

 出てくる前に目にした放送内容が、羽月の頭に流れる――


 ~~~~~~~


『――えー、それでは月9の大女優とも言われる羽里瑠璃子さんなわけですが、今日は誕生日のところ!当番組に駆けつけてくれました!!』

『エー!いいんですか!?』


 俄かに活気だつスタジオに、月9の大女優は清楚な笑顔を浮かべて答える。


『勿論ですわ。私は今回のドラマが名作になると予感していますもの。

 皆さんに御覧頂くためなら、誕生日なんてなんのそのです。』

『わぁ!ありがとうございます!ありがとうございます!でも、家族との時間もお大切に~。』

『心配なさらなくても大丈夫ですよ。実は、皆さんには黙ってたんですけど、ほら……』


 カメラが反転し、客席を映す。

 そこには若干神経質そうだが爽やかな笑みを浮かべる40代の男性と、二人の男子大学生がいた。

 三人で仲良く「お母さん!頑張って!お誕生日おめでとう!」とのメッセージカードを掲げている。

 会場のボルテージは最高潮に達する。

 カメラがスタジオへと戻ると、完璧なタイミングで優しい顔で羽里瑠璃子は言うのだった。


『今日は、家族”全員”が駆けつけてくれたんです。誕生日だからこそ、近くで祝いたいって。』

『家族愛、ですね』

『はい、はい……』


 ホロホロと涙を流しながら、大女優は笑顔で告げる。


『家族に支えられたからこそ最後まで演じ切ることができました。今度の月曜二十一時から始まる『ぽかぽかエブリディ』、ぜひご視聴ください!』

『羽里瑠璃子さん、綺麗におまとめ下さりありがとうございます!では続いてのコーナー――』


 ~~~~~~~


 羽月が何も言えないでいると、羽里は知らないと思ったのか、自嘲気味に笑う。


「今日、母親――”アレ”の誕生日でさ。」


 彼女の目は水槽でなく、床を見ていた。そのせいで羽月からは顔が伺えない。

 しかし、彼女の声音が湿り気を帯びていくことだけは分かった。


「私、おっさんに会った後さ、ガラにもねぇことしてさ。

 “アレ”に似合うだろうって、この髪留めを買ってさ――」


 ポツリ、ポツリと床に雫が落ちる。

 それは、まるで昔の自分のを見ているかのようで、羽月は言葉に詰まった。


「『少し早めのプレゼントだ』って、『誕生日は収録だもんな』って、渡したんだ。

 そしたら”アレ”なんて返したと思う?」


 涙にぬれた顔で羽里は羽月に抱き着いた。

 羽月の服にシミが生まれるが、それでも彼は振りほどく気にはなれず、力なく立ち尽くす。


「『あら、貴方まだ居たの?』だよ。

 プレゼントなんて眼中にないどころか私の声すら届いてなかった。

 それで、子供に言い聞かせるように言うんだよ。

 『その日は大切な日だから、問題なんて起こさないでよね?貴方は偽物なんだから。』だってよ。

 おまけに、今日来る途中にまで念押ししてきやがった。

 私、私はさ――もう、消えてなくなりたいよ――」

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