第46話 こうして、舞台は整えられた。

 遡ること半刻――

 羽月は不明瞭な視界の中、目を覚ました。


「っ!!」


 彼の後頭部を鈍痛が襲う。

 羽月が軋む関節を折り曲げて後頭部へ手を伸ばすと、指先に生温かな滑りが少量ついた。


(俺は……)


 未だ覚醒しきらない意識の中、羽月は自身に起きた出来事を順に思い出す。

 志々雄の嘲るような笑み、滑るように下った非常階段、半開きのコンテナ――そして、膝を抱えるようにコンテナの中に倒れていたのは見知った人物だった。


(そうだ、彼女は!?)


 羽月は痛む身体を無視して、探るようにコンテナの中で手を伸ばす。

 下は段ボールや紙の端材のようで、軽く乾いた中に時たまざらつく感触が混ざる。

 コンテナ自体は彼が襲われた時に覗き込んでいたものと同様なのか、人間を一人二人は飲み込めそうな程度に広いものの、足先などは壁に当たり、金属特有の冷たく堅い感触が返ってくる。

 彼の腹部の付近に若干光が漏れている部分はあるものの、子供の拳大で大人の手が出る大きさでもない。

 楽に逃げられる代物でないのを察し、羽月は嘆息する。


(あのまま、投げ込まれたのか……)


 ともあれ、まずは彼女の無事を確かめたいと彼は身体を半身ひっくり返し別方向へ手を伸ばす。

 その時、女性特有の柔らかくきめ細やかな肌の感触とぬくもりが彼の指先に触れた。

 咄嗟に彼は相手の名前を呼ぶ。


『鳩麦っ!オイ!鳩麦!』


 そう、羽月がコンテナで見つけた相手は羽里ではなく公子だった。

 志々雄の語り口調で羽里のことかとおもっていただけに、羽月は彼女を発見した時は困惑してしまった。

 何故、彼女が襲われているのかと。何故、羽里と同じ髪色に染めているのかと。

 結果として、その隙を志々雄の手の者に襲われてしまった形となるが、今の彼にはそこまで考える余裕はない。

 繰り返し公子の名前を呼び、彼女の肩であろう部分をゆする。

 何度目かという時、ようやっと相手から反応が返ってくる。


「うっ…ん…。硝子ちゃん――?」


 羽月が会わない間に、羽里の呼び名が公子の中で変わっていたことに少し驚きつつも、羽月は寝ぼけ眼の彼女を覚醒させる。

 寝ざめた公子の表情は闇のせいで判然としなかったが、記憶が鮮明になるにつれて、おおよそ自身と同じ流れをたどったのを羽月は感じた。


「鳩麦さん、無事か?」

「は、はい。でも、なんでこんなことに?」

「おそらく、恰好が入れ替わっていたからだろうな……」

「つまり、私は硝子ちゃんと間違われて?」


 公子の口から出た言葉に、羽月は肯定を戸惑う。

 事実、そうなのだろうことは彼自身わかっていたが、肯定した時点で自身の策が思いもよらない結果を招いたことを認めてしまうからだ。

 羽月は当初、公子と羽里を入れ替えることで、志々雄の混乱を招いて時間を稼ぐ気でいた。

 その間に来場した来賓達に公子の立場を伝えようとおもっていたのだ。

 しかし、現実は想定を凌駕する。

 志々雄は彼が思う以上に攻撃的に排除しに来ていたのだから。

 だからこそ、自身の間違えを認めることに、羽月は気が迷うが、葛藤は一瞬だった。

 彼は強く、一言つぶやいた。


「ああ――そうだ。俺が考慮しきれていなかった、すまん。」


 顔が見えなくても内心が伝わるほど、彼の声音は落ちていたが、公子は責めることはしなかった。


「そうですよね……襲われるのが、私で良かった。」

「えっ?」

「だって、お兄ちゃんに誰かが傷つけられるのを見るのは辛いから……」


 彼は頭を殴られたかのような衝撃を覚える。

 勿論、物理的な衝撃ではない。心理的な動揺は、彼に現状を思い出させる。

 何を落ち込んでいるのかと。お前がするべきことは現状から抜け出すことなんだと。


「そう、だよな。俺がしっかりしないとな。」


 誰にでもなく、彼は呟く。

 顔が見えない公子から困惑の空気が返ってくるが、彼は意に介さずに思考を巡らせる。


(どう、抜け出したものか……)


 何度か光が漏れている辺りを蹴ってみるが、蓋部分なのか若干浮き上がりはするものの、開くには至らない。

 足からジンジンとした痛みを感じつつ、羽月が次の策を考えていると、公子とは別の微かな音が彼の鼻先へ近づいてくる。


「ブモッ……」

『ハ、ハム蔵!?』


 羽月と公子の声が重なり、コンテナ内に反響する。

 一方、問題のハムスターことハム蔵は、その豊満ともいえる身体を揺らしながら小首をかしげる。

 ただ、二人にとっては予想外の出来事で、とりわけ公子は驚きの声をあげる。


「ハム蔵、なんでここにいるの!?」

「ブモモッ。」

「もう!前もいったでしょ!ポケットはだめだって!」

「ブーモモッ!」


 公子とハム蔵のわかるようでわからないやり取りを聞きながら、羽月はハム蔵が人語を理解する小動物なのは本当らしいと思った。


(しかし、大人の男でも開かないのだし、ハムスターが一匹増えたところで――

 待てよ?)


 諦観にも似た感覚を抱き始めた矢先、羽月は一か所だけ光が漏れる場所があったのを思い出す。

 子供の拳大の大きさの穴だ。ぎりぎりではあるが、ハムスターにならば通れるだろう。

 羽月は、ダメ元で公子に相談をもちかけることにした。


「鳩麦さん、ハム蔵は人語を理解するんだったね?」

「は、はい。でもまだ私以外と話せるところまではできてなくて……理解するまでなら、できますよ?」

「なら、大丈夫か。ハム蔵!」


 羽月が名前を呼ぶと、ハム蔵は目の前にやってくる。


「そこの穴から出て、止め金具か何かを外してくれないか?」

「……ブモッ。」


 理解しているのか、理解していないのか。

 ハム蔵は羽月が言うや否や、のそりのそりと尻をふりながら穴から外へと出ていく。

 そして、5分後、ゴトリッという重苦しい音が箱の外から響いた。

 羽月が恐る恐るコンテナの蓋と思われる位置を押し上げると、外気が中に入ってくる。

 金属特有の重みはあるものの、二人を閉じ込めていたコンテナの蓋は抵抗なく開くのだった。

 羽月が外を見ると、どうやら場所は資材置き場のままらしい。

 先に彼が出て、次いで公子を連れ出す。二人で無事だったことに安堵していると、一足先に出ていたハム蔵がのそのそと彼の前にやってきた。


「ブモ!」


 どこか誇らしげな姿に、思わず羽月の顔がほころぶ。


「ありがとうな、お前はホント凄い奴だよ。」

「ハム蔵、頑張ったね!今度、一杯フルーツ食べようね。」


 二人でねぎらうと、ハム蔵は公子の服を登っていく。

 今日の彼女の服装は、羽里と入れ替えた関係で黒のだぼだぼとしたフードパーカー姿だ。

 フードパーカーのポケット部分に行きつくと、ハム蔵は「ここが俺の占有席だい!」とでもいうかのようにすっぽりと収まるのだった。

 それを見届けた後、羽月と公子は互いに目線を合わせる。

 二人とも考えることは一緒のようだ。


「行こう。まだ時間はあるはずだ。」

「はい。これからが本番、ですよね――」


 それから二人は非常階段ではなく、あえて建物の出入り口から戻ることにした。

 理由は二つ。

 一つは非常階段から戻ったら志々雄に直接遭遇する可能性があり、状況によっては羽月の計画に支障が出るからだ。

 もう一つは時間的な猶予だった。

 小走りになりながら、羽月は通路に据え付けられた時計を確認する。

 時間は来賓が来場する時間の20分前にまで迫っていた。


(急がないと――)


 そう羽月が思った瞬間、聞き覚えのある女性の声が彼の耳に入る。


「羽月君!!やっと見つけたわ!来賓の皆様を放置して、どこに行って――」

「鵜飼係長。」

「何?そんな顔をして。」


 最初は怒気を孕んでいた鵜飼の声も、羽月のただならぬ雰囲気に圧されて消沈する。

 そして、彼の瞳は彼女のみでなく、彼女の後ろに連なる人々にも向けられた。


「大切な話があります。」

「それは、どうしても今必要なことなの?」

「はい。彼女の――いえ、作家、清水志々雄の今後についてです。」


 俄かに活気立つ来賓の気配を感じながら、鵜飼は静かに呟いた。


「いいでしょう。普段の貴方を信用して、時間を割こうじゃない。」


 こうして、舞台は整えられた。

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