第47話 パステル色のカラフルな天使

 志々雄は羽月と公子を交互に見た後、二人の後方に控える来賓達へと目を向ける。

 どの顔も彼にとっては一度と言わず何度も見たことあるものだが、一つとして内心が伺えない。

 だからこそ、志々雄は常識人面を続けなければならなくなってしまう。


「やぁ、羽月さん。連絡が取れなかったようで心配しましたよ。

 僕の“妹”と一緒ということは、入口の辺りで出会ったのかな?」


(あくまで知らない体裁で、とりあえず様子見をするしかない――)


 にじみ出る手汗を隠すように後ろ手を組み、志々雄はあくまでクライアントとして接する。

 対する羽月は、彼の予想とは反して普段通りの調子で話に乗ってくる。


「はい――そうなんですよ。いやはや、ちょっとしたトラブルで来賓の方のお迎えにお時間がかかってしまい、志々雄さまにもご心配をおかけしました。

 しかし、ご安心ください。“予定通り”作者の公子さまを皆様に紹介したので。」


(コイツッ――!!)


 志々雄は思わず、他人には聞こえない程度の舌打ちをする。


(あえて僕が知っている前提で話すことで、主導権を握ろうとしているのか!

 だが、どこまで話した?いや、何処まで信用してもらえたというのか――)


 余裕を浮かべた表情のまま、彼は静かに脳内でそろばんを叩く。

「鳩麦家の次期当主がDVを妹にしていた」などとほざいたところで、どれほど信じる人間がいるのかと。

 まして本日の来賓は少なからず鳩麦家に繋がりのある者たちだ。

 いくら真実であろうが、今日会ったばかりの顔も知らない男の言い分より、志々雄の言が優先されるのは言うまでもない事だろう。


(いや、だからこそか――)


 やがて、彼の脳内で叩かれていたそろばんが答えを導きだす。

 おそらく、話せていたのは公子の持病と作者であること程度なのだろうと。

 話した内容がそれ以上でも以下でも、羽月は来賓の信用を得ることは難しいはずだと。


(だからこそ、あの男は手詰まりなんだろう。

 きっと、僕が墓穴を掘るのを待っているに違いない。それにかこつけて一気に主導権を握りたいのだろう?)


 志々雄は自身に冷静さが戻ってくるのを感じた。

 彼は鳩麦家の長男として、跡取りとして、様々な苦境を切り抜けてきた。

 大衆の前で失敗なく事を運ぶなど、もはやルーチンワークのようなものであった。

 だからこそ、志々雄も羽月のシナリオに同乗する。


「そうか、それは良かった。いつかは彼女自身が表舞台に立つべきと思っていたからね。

 なら、残すところは作品の紹介といったところかな?」

「ええ、そうですね。是非、志々雄さまにお願いできればと。」

「勿論だとも。皆さま、お待たせしました。私が“直”にご紹介しましょう。

 何せ、妹の公子は未だ人見知りまでは治っておりませんので。」


 来賓の列を羽月から志々雄が引き継ぐ。

 当初、説明は羽月たちスタッフが行う予定であり、志々雄は同行する程度の予定だったが、主導権を羽月に渡さないためと志々雄がシナリオを変えたのだ。

 だが、その程度の変更であれば問題ないのか、鵜飼も雉鳥も文句は言わない。

 唯一、羽月だけが一瞬もの言いたげな顔をするが、志々雄は気づかぬ素振りで話を進めていく。


(渡さないさ。ここを乗り切れば、いかようにでもしようはあるのだからね――)


 ほくそ笑みながら志々雄は歌うように一つ一つの作品について説明をしていく。

 どれも細に入り微を打つもので、作品のテーマなどについて説明しつつも、見る者に味わう時間を与える。

 まさしく作品について理解しているからこそできる芸当であり、彼がいかに公子の作品を見つめ続けていたのかが言外に伝わる。

 来賓の者たちの顔も満足に満ちていて、このままいけば無事に案内が終わるだろう。

 志々雄は説明の合間に羽月と公子の顔を伺う。

 二人とも顔に余裕の色はない。むしろ、彼の流暢な説明に焦りを覚えているのか、雉鳥を捕まえて何か耳打ちしていた。


(今更何をしたところで遅い。公子、お前は僕のものだよ――)


 粘つく欲望の波を瞳にたたえながら、志々雄は会場の最奥の絵画へと至る。

 それは最新作にして、彼が傑作と信じて疑わないものだ。

 来賓の者たちの中には息を飲むものや、あるいは感嘆の息を漏らす者が数多くいた。

 地獄を描いたかという絵には救いなどない。

 声にならない痛みが、嘆きが、視覚を通して内心を揺さぶるものだ。

 志々雄が公子の目を見れば、彼女の瞳は揺れていた。

 それだけ辛かったのだろう。痛かったのだろう。絶望したのだろう。

 だからこそ、志々雄の気持ちは最高潮に達した。


「さあ、皆さん!これが最新作です!

 どうですか?今まで腐り果てようとしていた卵から生まれ出でたのは、何なのか?嘆きでしょうか?悲しみでしょうか?

 いえ、違いますね。見ての通り――地獄です。

 この作品にて、彼女の中の心象風景が完成したのだと、私は思うのです。

 なんと美しいのでしょう!なんと救いがなく、愛おしいのでしょ――」

「待ってくれ。」


 滑らかに流れる口上を静かな声が止めた。

 志々雄は無粋なことをされたと、不快げに視線を声の主――羽月へと向ける。

 彼は、公子を連れてすっと前に出てくる。

 志々雄は眉尻を険しくし、羽月へ厳しい言葉を投げつける。


「なんだい?君の出る幕ではないだろう?それとも今回の個展の邪魔をしたいのか?

 なら、僕も君を排除せざるをえな――」

「この作品はまだ完成してないんです。そうですよね?公子さま」

「は、はいっ!」


 コクリをうなづく公子の手にはいつの間にか大きなハサミが握られていた。

 そして、そのまま彼女はゆっくりと、しっかりとした足取りで絵画へと近づいていく。

 何処か不穏な空気を感じさせる行動に、志々雄は止めようと動こうとする。

 しかし、二人の間に遮る影があった。


「お前たちはっ!!」

「よう、変態シスコンDV男。」

「公子ちゃんが頑張ろうとしているんだから、止めないであげてほしいかなって。」


 羽里と鶴舞が志々雄の前に立ちはだかる。


(このためか!このために、こいつらを招き入れたのか!!羽月ぃいいいい!)


「えぇい、誰か公子を止めろ!その絵は傑作なんだぞ!?今後、彼女の代名詞にもなりえるにちがいな――」

「まあまあ、落ち着いてほしいっす。」

「雉鳥といったか!?公子を止めてくれ!君も知っているだろ!当初、こんな予定は――」

「ええ、志々雄さま――ああ、言いにくいから呼び捨てで良いっすかね?志々雄、アンタはしらなかったっすよね。でもね、予定はしてたんっすよ。ねぇ、先輩?」

「ああ、そうさ。どんなに凄かろうが、これは彼女の本当の絵じゃない。

 そうだよな?公子さん――いや、公子。」


 困惑する来賓と、叫び声をあげる志々雄に公子は振り向く。

 黒曜石を思わせる瞳には決意の輝きを宿していた。


「はい――私の本当に描きたかったのは、これなのっ!!」


 ビリィイイイイイイイイ!!

「あ、あぁああぁあああああぁ!」


 布が引き裂かれるような音と共に、志々雄の叫びとも雄たけびともつかない嗚咽が響く。

 それは無理からぬことだった。

 公子が自身の絵を挟みで縦から真っ二つに裂いたのだ。

 絵画はゆっくりと左右に分かれていく。

 そして、その裏から“もう一つの絵”をあらわにする。

 それは昨日、急遽雉鳥によって持ち込まれた1枚の絵画。

 今まであった絵を地獄とするならば――


「天使……?」


 誰とでもなく、口にする。

 そう、それはどうしようもない地獄の卵から生まれた一対の羽をもつ天使だった。

 パステル色のカラフルな天使は、油絵であることが嘘かのように柔らかく軽々としたタッチで描かれている。

 一方で水彩画とは異なり絵には確かな厚みが存在する。

 それはまるで苦しみを、痛みを、乗り越えた末に生まれた希望のように会場全体で浮き上がる。

 暗く重い色彩にあふれた個展会場で沈んでしまった心を洗うかのように、“天使”は一際強く輝く。

 やがて、作者の少女は柔らかな笑みで呟く。


「これが――本当の私です。」


 描かれた天使が彼女の背中にちょうど隠れ、翼が彼女の背に重なる。

 そこには兄に怯える少女の姿はなかった。

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