第29話 羽月は曖昧な笑みを浮かべる

「羽月君、このセッティングだと中間地点で来場者の蟠りができないかしら?」

「そうですか?ではこのように――」


 一枚の紙面を挟み、女上司である鵜飼と羽月は顔を突き合わせていた。

 女性らしい上品なラベンダーの匂いが彼の鼻腔をくすぐるが、意にも返さず羽月は紙に描かれた枠のうえで四角い型紙を別の位置へと動かす。

 先ほどは中央にあったのに対し、今度の位置は中ほどの線沿いだ。

 それを見やりつつ、鵜飼は唸る。

 今、二人は俗に言う企画会議のようなものをしていた。

 大企業であれば専用の会議室で行うような内容ではあろうが、悲しくも中小企業である羽月の会社では、行われるのは上司の机上だ。

 下打ち合わせ程度の内容でもあり、パワーポイントやCADのような手間のかかる物は用意していないが、二人の視線は真面目なものだ。

 とりわけ、羽月は先ほど型紙の置いた位置で鵜飼が考えている間も、脳内で型紙を上下左右へと動かしている。

 きっと大企業なら鼻で笑われるような泥臭い仕事のやり方だろうが、往々にして物資と人材、時間が限られる中小企業では未だに見られる景色だ。

 むしろ、直接上司とやりとりをしながら決められる彼の会社は、実利主義で風通しが良いと言えるだろう。

 やがて、考えがまとまったのか鵜飼は型紙を枠の手前側中央へと置く。

 予期せずして、羽月が至った答えと同一のものだった。

 どちらともなく、二人の視線は混じる。先に口を開いたのは鵜飼のほうだった。


「やはり、今回のクライアントの性質上、ここがメインの絵画の置き位置でしょう。」

「そうですね、一番の入り口で来場者の興味を引き付けるのがベストだと思います。」


 企画会議の正体、それは二人が担当している青年クライアントの絵画展についてだ。

 二人が勤める会社はイベント企画会社で、大企業ほどではないが、いくつかの部署に分かれて企画から実行までを担う。

 デスクの島単位の人数は4~6人程度、それぞれに係長がいる程度の規模だが、鵜飼係長が率いる羽月の部署は企画に当たる。

 最もクライアントに近く、内装から区画割まで決める重要な部署だ。

 クライアントの意図を汲んで、社内外の動きの先駆けにならないといけないのだ。

 だからこそ、二人は真剣に取り組み、ある程度の折衷案に行きつく頃には一時間程度経っていた。

 雉鳥がお盆に乗せて三人分のコーヒーを運んでくる。


「二人とも、小休憩とったらどうっすか?」

「雉鳥君、毎回言うけど、もう少し語尾を――」

「まあまあ、鵜飼係長。せっかくコーヒーを持ってきてくれたんですし。」

「わかってるわ。ありがとうね、雉鳥君。」

「いえいえ。それで、進捗はどうなんです?」


 雉鳥は二人にコーヒーを手渡した後、自分の分に口を付けつつ紙面へ視線を移す。

 入社して数年経った彼だが、後輩がいないために未だに社内では新人扱いだった。

 それでも、実務に携わり相応の年数を経た彼から見ると――


「なんだか、変わったレイアウトっすね。」


 素直な感想が雉鳥の口からこぼれた。

 実際、彼にとっては見たことがあまりないレイアウトなのだ。

 まず、会場入り口の真正面に代表作の大きな絵画が陣取り、それから右回りの順路で旧作から新作へと並ぶ。

 そして、会場の一番奥のとりわけ広いスペースには最新作が飾られる予定なのだ。

 彼の経験上、代表作はむしろ一番奥か、あるいは中間地点に配置するのが理想だった。

 至極当然の疑問だというように、鵜飼はコーヒーへクリームを追加しつつ答える。


「ええ、でも今回はクライアントの性質に合わせるわ。彼は最近名前が売れ出したところ。

 つまり――」

「つまり、代表作がまだ世間に知られてない、ですよね?」


 羽月が言葉を継ぐと、鵜飼はコーヒーを一口嚥下した。


「まあ、そういうこと。最近認められだしたのであれば、大衆受けするであろう代表作をむしろ手前に設置したほうがいいと思うわ。

 加えて、代表作の印象が薄らぐ中間地点で最新の絵画を展示して鮮やかさを印象付ける。

 こうすれば、クライアントの名前を売るにはベストでしょう。」

「へぇ、係長も先輩もしっかり依頼主のこと考えてるんっすね。」

「雉鳥もそういう目線で仕事をするといいぞ?」

「あはは、俺――僕にはまだまだ早そうっす。むしろ来る依頼こなすのが精いっぱいで、そんなこと考えられない日々っすよ。」


 お道化るように雉鳥は言うが、普段は羽月も彼と似たようなものだ。

 鵜飼についても、それは変わらない。

 強いて普段と違うことをあげるとすれば、今回のクライアントが青年というわりにはしっかりしていることだろうか。

 そういう相手が仕事相手だと、襟元を正そうという気持ちになるし、少しばかり腰を据えて物事に当たろうとなる。

 仕事とは、理屈抜きでそういう部分があると、羽月と鵜飼は思っていた。

 そんな二人であるから、本質的な部分では気が合う。仕事に限った話ではあるが。

 暫し、三人がコーヒーの苦みに舌鼓を打っていると、雉鳥が思い出したように話し出す。


「そういえば、今回のクライアントって、たまに綺麗な女の子と会ってますよね。」


 意図せずして羽月の肩が若干震える。幸い、鵜飼と雉鳥は気づくことなく、会話が続く。


「言われてみれば、そうね。たまにロビーのへんで迎えに来てるわよね。」

「案外、彼女かもっすよ~。」

「下世話なこと言わないの。」

「えぇ~、噂ぐらいいいじゃないっすか~。先輩はどう思います?」


 ここ数日忘れていた、あの光景が羽月の脳内に流れる。

 二人がどういう関係なのだろうかと、気にしている自分がいた。

 あの純粋そうな銀髪の少女がクライアントとどのような日常を過ごしているのだろうと、言葉にできない感情が心を揺さぶる。


(俺には、関係ない話じゃないか――)


 そう、羽月は自分に言い聞かせる。

 あの日、彼女との間に感じた距離は物理的なものではないはずだ。

 なのに、何故か彼にはチラつく。彼女からもらった、自分の絵画が。


(俺は、どうしたいんだろうな――)


 羽月が気が付くと、雉鳥が不思議そうな顔で見ていた。

 自分が話に置いていかれていたことに気づき、羽月は曖昧な笑みを浮かべる。


「さあ――。でも、俺たちの仕事には関係ないからな。」

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