第5話 いつもより明るかったように
「羽月さん、ないわー!マジないわー!」
若干薄暗い居酒屋の店内に、明るい女性の声が響く。
一方、名を呼ばれた羽月はというと、ビールジョッキ片手に項垂れていた。
壮年に入り若干猫背気味になった彼の背中を、手でバシンバシンと叩く女が一人。
この店の看板娘を自称する鶴舞遊(23)である。
本人が看板娘を自称するだけあり、容姿は整っている。
切れ長な瞳は光の加減によっては琥珀色にも見える茶色であり、すらりと伸びた鼻筋とやや色黒な地肌が相まってアジア系の美女といった感じ。
そこに精彩な性格もあるため、年齢を問わず友人が多いのが彼女の特徴だ。
唯一彼女の難点をあげるとすれば――
「あっ、ごめんごめん!零れちゃったね!店長、お手拭き!」
羽月のビールが零れる程度には叩く力が強いことと、注意力に欠ける点だろう。
今も店長に投げ渡されたお手拭きをジョッキにぶつけて、幾分かビールを机に吸わせてしまう。
店の活気はもっぱら彼女が生み出していると言っても過言でないだろう。
(やっぱこの店、来るんじゃなかったかなぁ……)
内心ため息交じりに羽月は目減りしたグラスに口を付ける。
若干生ぬるくなったとはいえ、ビールののど越しと爽やかな苦み、確かなアルコール感が彼の心を多少慰める。
たこわさびを少しばかり箸でつまみ、口に運んでいると鶴舞が黄色くなったお手拭きを店長に手渡して話を続ける。
「それで?結局迷いハムは見つかったん?」
(ああ、そういえばそんな話だったか……)
「キッチンカーにさ、いたよ」
「はっ?」
「だから、女の子にジュース奢ってもらったキッチンカーにいたんだよ」
「あー、なるほど。だから奢ってもらった話したわけね」
「当たり前じゃないか。いくら俺だって、一回り違う女の子に奢ってもらった話を自慢なんかするか!」
「そんな怒らないでよー。いや、私も悪気はなくてさぁ。ただ、まさか未だにタピオカが若い子に人気とか思ってると思わなくてウケちゃってさぁ」
「えっ、ちがうの?」
(一年前に見たTVじゃタピオカ特集してたじゃん!マトッツォといい、若い子のブームってわかんねぇ……)
呆然とする羽月をよそに、気の毒にでも思ったのか店長がミックスナッツをサービスする。
もっとも、店員であるはずの鶴舞が横からつまみ食いしているが。
「羽月さんは知らないかもだけど、若い子のブームは早いんだよー。半年持てばいいほう。もっと若い子と話したほうがいいんじゃない?」
「そんなこと言ったってなぁ。俺にそんな知り合いいると思うか?」
「いたら面白いな、とは思うわ。」
「こいつっ!」
カラカラと笑うと、ちゃっかり鶴舞は羽月の空いたジョッキを取り換える。
一応は店員という自覚はあるらしい。
「まあ、怒らない怒らない。私で良ければ色々教えてあげよっか?」
「どーせ嘘だろー。それに仮に聞いても使う先がない。」
「シクシク…久々に顔出した常連さんへの看板娘の気遣いを無駄にするだなんて…。
そんなんだから独り身なんだよー?」
「うるせぇ!」
「ひゃぁ、怖い♪店長、か弱い私を助けて♪」
鶴舞は跳ねるように羽月の横からカウンターへとひっこみ店長の後ろに隠れる。
店長は厳めしい顔面に似合わず、眉を弱弱しく曲げた。
「鶴舞、あんまりはしゃぎすぎるとバイト代減らすぞ?奥のお客さん注文あるみたいだから取ってきてくれ。」
「はぁ~い」
鼻歌を歌いながら、鶴舞は仕事へ戻る。
彼女が遠ざかるのを見送っていると、店長が既に注文が入っていたらしいハイボールを作りながら、話を始めた。
「あいつも久々にお前の顔を見れたから喜んでるのさ。勘弁してやってほしい。」
「ははっ、店長は口がうまいな。」
元々、羽月はだいぶ昔からこの居酒屋を知っていた。
最近は財布の厚みの関係で回数こそ少なくなっていたが、羽月が大学生時代にバイトをしていたくらいなのだから。
だから、店長とは顔見知り以上、友人未満といった関係だ。
実は羽月と鶴舞が知り合ったのはこの店とは別口なのだが、それはまた別の話。
それから羽月と店長はバイト時代の話をポツリ、ポツリと乾いた大地に振る雨のように語り合った。
途中、雨というよりは台風のような鶴舞の乱入などもあったが、羽月が気づけば時計の針は二十一時を回っていた。
頬に火照りと足元に若干の浮遊感を感じつつ、羽月が帰りの準備を始める。
すると、丁度手が空いたらしい鶴舞が近づいてきた。
なんだかんだ彼女のおかげもあり楽しめたなと羽月は思いつつ、会計をお願いする。
つり銭の授受が終わった時、鶴舞の表情がにわかに硬くなった。
「あ、そういえば羽月さんって最近は忙しいの?」
「あ、うん。会社でちょっとしたの担当しててね」
「そっか……じゃ、これ、はい!」
なんの気なしに差し出されたのは割引券。
羽月は昔は常連だったとはいえ、最近は月一で顔を出すかどうかな自分がもらってもいいものかと思いつつ、折角だからともらっておく。
ふと見るとマジックペンで「複数人でお越しの場合」の一文に横線が引いてあった。
視界の外で、鶴舞がいたずらっぽく小声で言う。
「ほら、羽月さんっていつも一人だから、秘密ね?」
「嬉しいような、嬉しくないような……」
「嫌なら取り替えようか?」
羽月はしばし考え、そのままもらっておくことにした。
タダのものに文句をいう主義は彼にはない。
去り際、羽月には鶴舞の笑顔がいつもより明るかったように思えた。
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