第16話 あの女が大っ嫌いだったよ

 羽月のジョッキが軽さを取り戻す頃、オーダーが一段落したのか鶴舞がお盆で肩を叩きながら横に座る。

 持ち主の許可も取らず、さも当然かのように彼の赤ウインナーをつまみ食いする。

 羽月が口を開きかけると、人差し指で唇を押さえられてしまう。


「そんなにカリカリしないの。羽月さんらしくないよ?」

「っ!!」


(俺らしいって、なんだよ……)


 モヤリとした気持ちになりつつ、羽月は咄嗟に言い返すことはできなかった。

 鶴舞は目尻に弧を浮かべる一方、眉を狭めながらジョッキと下げて、代わりに店長が用意していた頼んでもいないウーロン茶を羽月の目の前に置く。


「今日は少し飲みすぎだよ?大の大人がスネちゃって。」

「ふんっ、何のことだか。俺は単にお礼を言いたかっただけだよ。」

「そういえば、そのお礼って何だったの?」

「あぁ……絵だった。」

「絵、ねぇ――風景画?」

「それが――」


 羽月は先日、家に持ち帰った鳩麦のお礼の品を思い出す。

 質素ながらも丈夫な額縁に入ったA3サイズの水彩画だった。

 描かれていたのは、毎朝目にする自分の顔だ。とはいえ、自身では見たことない表情だった。

 遠くを眺めるようでありつつも緩んだ目元にはじんわりとした温かみが宿っていた。

 絵を眺めていると鳩麦の描いている姿が不思議と思い浮かぶのだ。

 あのハムスターに似た少女が記憶の中の羽月の表情を一つ一つ振り返りながら、どれが良いのかと頭を捻っている。

 何度も描き、その度に消したのだろう。

 いずれも良く写実できているのに、彼女は納得しない。

 やがて、何度目かという描き直しの末、この表情がいいと決めたのだろうと、羽月は自然に思った。

 だから、彼は羽月にお礼を伝えたくなったのだ。そんな彼女の心根が無性に嬉しくて。

 そんな経緯であるから、羽月は出かかっていた言葉を変える。


「とても素敵な物だったよ。」

「なにさ。ニヤニヤしちゃって、おっさんが気持ち悪い。」

「なっ!」

「言っとくけど17歳に手を出したら犯罪だし、相手は彼氏持ちなんだからね?」

「言われるまでもなくわかってるわ!」

「どーだか……」


 呆れるように頬杖をつくと鶴舞は身体を羽月に向ける。

 心なしか、先ほどよりも距離が近い。


「てか、そういえば羽月さんの好みってどんな女性なんだっけ?」

「なんだよ、いきなり。」

「いや、ロリコンになったのかと……」

「んなわきゃない。」

「どうだか!素直になったほうがいいよぉ!」


 鶴舞は羽月の肩をいつものように叩きながら茶化すように言い放つ。

 彼も茶化されたと思って流すが、不思議と二人の間に静寂が流れた。


(これは、真面目に答えないといけないやつか?)


 流石に幼児愛好者に間違われては困ると、羽月は言葉を選びつつ答える。


「普通にありえる年齢なら、さ。あとは、性格が優しければいい。」

「あれま、なんとも模範解答でつまらない。」

「不満か?」


 鶴舞は「不満っていうか――」と暫し思案し、懐かしむように口にする。


「羽月さんの大学時代の恋人、人当たりは良かったもんね。」

「あいつのことは関係ないだろ。」

「関係はあるでしょ?未練たらたらだ。」

「うるさいな。人の勝手だろ?」

「でも、知ってる?」

「なんだよ」

「私、あの女が大っ嫌いだったよ。」

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