第23話 魔術都市ガーレン2
岩山の上に築かれたごく小さな町に、ガーレンという名の高名な賢者が弟子を取って住み着いた。
その弟子が弟子を取り、その弟子が、といったうちにたくさん魔術師が集まる街になった。
そしていつの間にか大きくなった街はやがて『ガーレン』と呼ばれるようになったのだった。
私が入学しようとしている『ガーレン魔術学院』は大賢者ガーレンを創設者としていて、街の一番上の広大な敷地を占領している。遠くから見るとお城みたいに見えるけど、実際にはたくさんの塔や建物が連なっているだけらしい。
もちろん街で一番大きくて権威ある魔術学校であり、この街の事実上の支配者でもあった。
街は有識者が選んだ7人の長老が治めているのだけど、その席のほとんどをガーレン魔術学院の出身者が埋めているのだ。
この街では魔術の素養のある子は誰でも、一度はこの学院の入学試験を受けて腕試しをするという。
記念受験のようでもあるけど、親はかなりの期待を込めて我が子を送り出す。なにしろ卒業しただけで一生『ガーレン卒』を自慢にできるし、将来どこへ就職したとしても高待遇で迎え入れられるから。
泊まっている宿の娘さんも3年前に挑戦したみたい。女将さんは私も自分の娘の一人かのように熱心に教えてくれた。
有名な魔術学校だけあって街の外からの受験者も多いので、この時期の週末はいつでも入学試験を実施しているとの事だった。
早速受験してみることにした私に、ヨアニスは例のコウモリをつけてくれた。
学院は関係者以外立ち入り禁止のはずだけど、服の中に潜り込ませていればばれないんじゃないかと思う。内心心細かったから嬉しい気遣いだった。
腕に這い登ってきたクリーム色の小さなコウモリは羽を広げても手のひらサイズしかなくて、近くで見ると犬っぽい顔つきをしていた。暖かくて柔らかい、繊細な感触。
主人であるヨアニスの命令で仕方ないなっていうふうに腕に張り付いたけれど、ソワソワと落ち着きがなくて、お互い慣れない未知の感触に戸惑っていた。
コウモリはどんどん上に這い上がってきて袖の中に入り込んだ。しばらく身体中を這い回った後、ようやく首から外に出て外套のフードの中に収まってくれた。
糞をしたりしないだろうか。ちょっと気になったけどまぁいい。可愛いし。
特設試験会場の受付は岩山の中間ぐらいにある広場だった。
ここは魔術や技術者の守護神であるへウリス神の教会の敷地内で、教会横に併設された公民館みたいな建物に入って行くと試験官らしき男が無駄のない素早い足取りでやって来た。眉間のやや上あたりに小さな宝石を付けている。変わったオシャレだった。
彼はものすごい顔つきで私を上から下まで睨みあげると、おもむろに私の頭に両手をあてて何かを調べはじめた。他の子はそんなことされてない。試験管はしきりに頷くとぶつぶつ何か呟きながら急足で私を会場の奥の外の広場へと連れて行った。
そこではガーゴイルの像に向かって炎や雷の魔術を放っている子供たちがいた。嫌な予感。「魔術を使えるか?」と聞かれて真っ青になった。ヘンレンスさんは私に瞑想の仕方だけは教えてくれたけど、実践的な魔術は何一つ教えてくれなかった。
完全に場違いだった。ここにくる子たちは少なくとも生活魔術ぐらい使えて当然だったんだわ。吐きそう。
恐る恐る首を横に振った。その試験官は私の目を覗き込んで唸り声を上げている。
早速追い出されるのかと身構えたけれど、私の肩を両手でがっしりと掴むと大勢の受験生が並んでいるテントに連れて行き、他の子たちを押し退けて私を机の前に押し出した。そして驚いて顔を上げた係員に「合格だ!」と叫ぶと私を残してどこかへ走り去ってしまった。
わけがわからずしばらくその係員と見つめあってしまった。これが試験なの?私がやったことといえば首を振ったことぐらいなのに。
半透明の黒いボードを持った係員はしかめ面で頭を一振りすると自分の仕事に取り掛かった。
名前や出身地や親の名前を聞かれてなんとなく答えていく。その間も後ろの受験生が他の人と喋っていて、7日前に行われた筆記試験がいかに難しかったかを熱心に話し込んでいた。狐につままれたような心地だった。
質問リストの最後を答え終わると合格通知として木の札を渡された。これを持って10日以内に学院の事務所まで行くようにと指示を受けた。詳しい説明はその時にされるとの事。
今年の試験はもうすぐ締め切られるのでできるだけ余裕を持って向かうようにと言いつけられた。
あっという間に終わってしまった入学試験。半信半疑のまま市場の屋台で二人分の適当なお昼ご飯を買い、宿屋に戻った。
あまりに早い帰りだったせいでヨアニスにも不合格を疑われてしまった。無理もないけど。
ヨアニスはハンター協会に行っていたみたい。
興奮気味の彼によると、この魔術都市ガーレンは元々は地下の巨大ダンジョンがもたらす恵みを目当てに建てられた街だったんだそうな。
迷路のように入り組んだダンジョン内にはたくさんの魔物が住んでいて、侵入者を狙った凶悪な仕掛けもある。しかし金銀財宝やアーティファクトが見つかる場合もあるという。
もちろん人工物。古代の(おそらく古代神人と呼ばれた人たち)がつくったらしいのだけど、あまりにも古い遺跡のために何の目的で作ったのかは不明のままなんだそう。
遥か地下にある最下層を制覇すればその神秘の謎を解き明かすことができると言われているけれど、このダンジョンを征服することができたのは500年も前の大賢者ガーレンのパーティーだけらしい。
その時の莫大な富を使って造り上げられたのがこの大都市なのだ。
現代でもハンターたちが目の色を変えて命を危険に晒すのも無理はない。一攫千金。それが魔術都市ガーレンのもう一つの顔だった。
「それって誰でも入れるの?」
「ハンター登録をしてればな。でもさ、やっぱり『鍵師』の技能が絶対に必要らしいんだ。『鍵師』ってのはダンジョンの罠を解除する専門家さ。そいつらの助けがないとまず出てこれないいんだってさ」
「出てこれないって?」
彼は肩をすくめた。「わかるだろ」
私は目をぱちくりさせた。そんなに危険なの?そんなものが平和そのもののこの街の地下にあるだなんて、とても信じられない。だけどヨアニスが冗談を言っているようには見えなかった。
私は慎重に訊ねた。「じゃあ、その人たちを雇わなきゃなんないんだ」
「入る気か?」口調は非難めいていたけれど、目は輝いている。
「行ってみたいの」
「俺もだよ。でもさ、実際問題、その『鍵師』がネックなんだよ。奴らは信用ならない相手とはチームを組まない。俺たちみたいな素人じゃ相手にしてくれないんだ」
「あら!だけど誰にだって初めてはあるでしょう?」
彼は困ったように言った。「そりゃあまぁな」
ヨアニスをつついてもう少し詳しい話を聞いた。
遺跡は常識の通じない亜空間なんだそう。狭い空間にも関わらず常に魔物がうようよいるし、すごく暗い。長時間特殊な環境にいられるようになるだけでも大変だという。
さらにダンジョン全体に張り巡らされている罠はどういうわけか解除しても少しの時間で元に戻るか、別の罠に変わるらしい。どんなに腕の立つハンターであろうと、『鍵師』の腕前次第であっさり全滅してしまう。そして先に『鍵師』が死んでしまった場合、残されたパーティーは暗闇の中で途方に暮れるしかないんだとか。
そこまでくるともう冒険というよりホラーに近い。ゾッとした。
「そうね。もうちょっと冷静になって情報を集めた方が良さそうよ」私がいうとヨアニスはあからさまにほっとした顔をして「ユリは魔術学校に入るんだろ」と言った。
「そうだけど」不満そうに言うと彼は笑って「街のハンターの中には有名な魔術師のパーティーがあるらしいんだ」と私を励ました。
「そうなの?じゃ、まずはしっかり勉強して一人前の魔術師を目指すわ」
「それがいいよ。俺は森だな」
「森がどうかした?」
「おいおい、ハンターの仕事は魔物を狩ることだろ。ここの大森林はすごいらしい。珍しい魔物がわんさかいるんだと。奥にはエルフや獣人の集落もあるからあんまり深くは入れないらしいんだけどさ」
私は期待を込めて訊いた。「じゃあヨアニスもまだ街を出ないのね?」
「ああ。ユリが魔術師になるのを待つよ。その間俺がハンターとして名を上げる。そうすりゃ相手してくれる『鍵師』も出てくるだろ」
「すごい!」思わず彼に飛びついた。
「ああ、すごいよ!」ヨアニスも私を抱きしめてくるりと回った。
狭い宿の一室が信じられないほどロマンティックな空間に変わっていた。
ほんの数十分前までの悲しい別れの気配は綺麗さっぱり吹き飛んで、明るい未来の輝きが私たちを照らし出している。
宿が夕食を提供してくれる時間までずっとおしゃべりを続け、食事の間もその後もずっと夢中で語り合っていた。
ヨアニスはダンジョンだけじゃなく森の魔物たちについても興味が尽きないようで、ありとあらゆる毛むくじゃらの怪物がどんなに強くて賢くて美しいかを私相手に熱心に訴えては恋焦がれるようにため息をついた。
本当に魔物が好きなのね。殺しちゃうのに。よくわからない感覚だった。
彼は住む家を見つけてとりあえずは狩専門のハンターとしてここでやっていくつもりでいるみたい。
それならヨアニスとまた一緒にいられる。学院は全寮制みたいだけど、少なくとも同じ街に住むんだから時々は会えるはず。嬉しくて幸せだった。
私たちは度々見つめあっては微笑んだ。彼も同じ気持ちなんだわ。そう思うとさざなみのように幸福が打ち寄せてくる。もはや何の障害もない。
私は魔術師として、彼はハンターとして腕をあげる。その後の未来も約束されてる。
ヨアニスは私たちを隔てている丸いテーブルに身を乗り出して「卒業したら一緒に遺跡に行こう」と強い熱意を込めて約束してくれた。未来はこれ以上ないってぐらい明るかった。
翌日も古代遺跡のダンジョンの話で盛り上がり、二人で手を繋いでハンターを相手にしている武具専門の鍛冶屋や雑貨屋や魔導具のお店を見て回った。
そしてついに魔術学院に向かうという日の朝、ヨアニスはコウモリを私に貸してくれた。お守りがわりにとはにかんで。すごくキュートな笑顔。ついだらしなく頬がゆるんでしまう。
でもペットを連れて行っていいものか悩む。寮部屋は個室じゃないだろうし、他の人の迷惑になるかも。餌やフンの始末はどうしたらいいんだろう。コウモリの飼育方法なんて知らない。
しかしヨアニスは自信満々で太鼓判を押した。
穏やかな性質でヨアニスにベッタリ甘えてくるところを見ると、おそらく家族単位で群れを作る習性があって、コウモリだけど完全には夜行性でなく、昼間でも狩をするという。それ以外は一日中眠っているんだそう。省エネタイプみたい。確かに動物のコウモリとはだいぶ違っていた。
基本人の言うことは聞かないけれど、ヨアニスから精神支配を受けているせいで彼の命令だけはそれなりに聞く。
自分の住処で糞尿をすることはないようで、狩の途中で飛びながらしてるみたい。宿にいる間も時折ふらりと飛んで行くけども、夜には帰ってきて、ヨアニスにピッタリくっついて寄り添うように眠る可愛いやつなのだ。
このコウモリは魔物の一種で、本来はダーナスの荒野にはいない種類らしい。おそらく魔大陸に生息していたコウモリだろうと言う。
船に紛れ込んで港町のダーナスに渡った後、慣れない土地でなんとか生きながらえていたのではないかとヨアニスは推測していた。
彼が愛情を注ぐのもわかる。広大な荒野の片隅で一人ぼっちで生きていたんだわ。
私の手に鼻を擦り付けるようにしてもぐもぐと口を動かしている小さなコウモリ。自分は特別な存在なのだと知っているみたい。
ヨアニスに名前を聞いたけれど、彼は魔物に名前をつけるなんて思いもよらなかったという顔をしたので、彼に許可を得て『ナッツ』と名付けることにした。薄いベージュの色合いや小さくてまるまるした体から木の実を連想したから。
可愛らしいこの子にぴったりの名前だと思うんだけど、ヨアニスは「また食い物か」と苦笑いした。
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