第二章 ガーレン魔術学院

第22話 魔術都市ガーレン1

濃厚な緑の海の中に巨大な岩山が突き出していた。その岩山は奇妙な形をしていて、歪な凸凹を無理やり削り取っててっぺんに堅牢な巨人の城をくっつけたような姿をしていた。

それもそれほど間違った例えじゃない。実際に街があるのだから。


今日までヨアニスと二人で大陸中を歩き回ってきたけれど、これほどの規模の街にははじめてお目にかかった。

私たちは目的地の魔術都市ガーレンまであと少しというところで、異様なほど濃密に繁った大森林の人気のない街道脇のキャンプ地を見つけて馬を休ませていた。


ここから見えるだけでも、大賢者ガーレンが創ったという巨大都市の威容は大昔の大戦時を思わせる。

街を墓場がわりにしている戦いに明け暮れていた当時の騎士たちの魂が、平和になった今でも眠る事なく訪れる旅人を威嚇し続けているみたい。陰鬱でもの悲しげで、見ているだけで気が滅入ってくる。


分厚いグレーの雲を冠がわりに頭に乗せた古都ガーレンは、岩と街がほとんど同化しているせいでどこまでが岩でどこからが街なのか判別できないほどだった。こんなところで何年も生活していたらさぞかし足腰が強くなるだろうなと心の中でゲンナリする。


魔物がひしめくこの世界では防衛のために丘をうまく利用してつくられた街は数多いけれど、ここまで高低差があるとなると、通りはほぼ坂道か階段で構成されているんじゃないだろうか。

それに、ここ数日はずっと細かい小雨と霧雨が交互に降り続いている。街にたくさんあるであろう、擦り切れてツルツルになった石の階段を想像してうめき声がもれた。この湿気じゃきっとコケも生えてるわ。すごく滑りやすそう。つい、街のてっぺんからずっと下の森の中まで転げ落ちる想像をして吐き気が込み上げてきた。私の運動神経を思えばありえない話じゃない。


気分が落ち込み気味なのは予想以上に陰気な街のせいばかりじゃなかった。ヨアニスとの旅の終点が目前に迫っている。ここまで近づいてしまったら、きっと明日の昼過ぎには到着してしまうだろう。


ヨーラトウ湖の事件で関わった親切な聖騎士の助言の通り、ここまでどの街に入っても長く止まることなく逃げるようにして先を急いできた。

それでもできる限りハンター協会に寄って、魔物の大発生や盗賊の噂、街同士の小競り合いなどの情報を仕入れて慎重に動いた。そのせいでたまには大きく迂回することもあったけれど、特に大きなトラブルに巻き込まれることもなくここまで来てしまった。


ダーナスの街を出たのはもう半年ほど前になるだろうか。もっとかも。大陸は大きくて季節が一定じゃないし、馬車にも便利なカレンダーが置いてあるわけじゃないから、時間の感覚はかなり曖昧だった。

それでも湖からはあっという間だった。終わりが近づいているのを意識しているせいかも。


入学する予定になっている学校は春から初夏の間に新入生を募集しているというから、ちょうど今ぐらいなんだと思う。かなり北へ移動してきたせいで季節感がよくわからないままだけど今は夏真っ盛りって気温じゃないから。


入学後のことはあまり心配していない。

百合子だった時も学生生活ではそれほど困った経験はないし、魔術師としても申し分ない魔力があるはずだし。


お金もある。化け物貝をやっつけた報酬をそっくりもらえたから。

それから真珠。残念ながら、こっちは期待外れだった。

あのあと聖騎士たちの事務所を出た足でハンター協会を尋ねて、期待しながらカウンターで待っていた私の元に置かれたそれは、ネックレスにできるような(他のどの宝飾品にも適さない)どでかい真珠だった。


なんと人の頭ほどもあった。しかも乾いた血の色と打撲の後みたいな悍ましい紫と緑のマダラ模様をしていて、なんとも禍々しいオーラを放っていたのだ。殺された人々の苦痛と無関係だとは到底思えない色。

立ち尽くす私の隣でツボにはまったヨアニスが腹を抱えて笑っていた。酷すぎる。全然綺麗じゃないし、こんなのいらない。


考えてみれば人を殺しまくってきた化け物の中にあった物だもの。身につけるなんて悪趣味すぎたんだわと思い直し、カウンター越しに困った顔をしている初老の職員に売りたいと告げると、私の答えがわかっていたかのようににっこり頷いてすぐさま小金貨6枚の額を提示してくれた。


金貨と言われてもピンとこなかった。ヨアニスが驚いて片眉をあげたところを見ると相当な額なんだと思う。

金貨なんて、一般人だと一生縁のない人もいるぐらいだもの。それが6枚も。


職員は宝石としてではなく学術的な価値としての値段だと言った。もしかしたらもっと大きな街に行ってお金持ちの集うオークションに出せばコレクターがさらに大金を出すかもしれず、その可能性はかなり高いけれど、ハンター協会の手を離れたところではすべて自己責任になると説明を受けた。

なんだかよくわからなかった。たぶん専門的な知識がいる話だろう。今の私たちにそんな伝手はないし、時間もない。そのまま提示された金額で了承することにした。


ここでもヨアニスはうまく立ち回ってくれた。

私たちは協会の建物中の野次馬から注目されていて、誰もが大金のやり取りを注意深く見守っている。彼はこの場では受け取らずにガーレンの街についてからにした方がいいとこっそり私に耳打ちしてその場での受け取りを拒んだ。


金銭のやり取りには色んな方法があるみたい。もちろん彼の勧めてくれた方法を取ることにした。ハンター協会同士は謎のネットワークで繋がっているから、報酬をどの街で受け取っても構わない仕組みになっているらしい。

便利だけど、ATMがわりにはならない。分割では受け取れないし、小さな協会で大金を取り出そうとしても拒まれるかもしれないから。


宿に帰ってからもう少し詳しく聞いたところによると、商業ギルドに登録して手数料を支払えば銀行のような使い方ができるようになるらしい。

ただ手続きにどれほどの時間がかかるかわからないからそれもガーレンに着いてから、ということになった。

たぶん教えてくれたヨアニス自身も商業ギルドに登録した経験なんてないんだろうと思う。すごく不安そうな顔をしていたから。


自由にできるお小遣いの他に、もう一つ嬉しい事があった。私のハンター証の星が二つになったのだ。

そうなると今度はヨアニスのハンター証の星がいくつなのかが気になってくる。軽い調子で聞いたのに彼は思いっきり渋い顔をして話を逸らし、結局教えてはくれなかった。

実はあんまり私と変わらないのかも。ダーナスで狩をしていた時は大物を狙うタイプではなかったんだわ。


それから私たちの成した功績について、『街からの感謝』を受けた。ハンターらしくお金で。

こちらは大銀貨7枚。やっぱりどのぐらいの価値があるのかちょっとよくわからない額だったけれど、ハンター協会の職員やその場にいた他のハンターたちから盛大な拍手をされたのは恥ずかしかった。


卑怯者のヨアニスは、まるで自分は関わっていないとばかりに一歩離れて、他の人たちと一緒になって私に向かって笑顔で拍手して見せた。この裏切りは一生忘れまいと顔を真っ赤にしてカウンターを睨みつけながら固く誓ったのだった。

それだって今となってはいい思い出になっている。


今夜で野営も最後なのだと思うと胸が苦しくなる。

私とヨアニスの間には暗い空気が流れていた。夕食の干し芋を齧っている間中その話題を避け続けるヨアニスに、お礼やお別れを言う隙はなかった。実は結構な寂しがり屋だと気付いていたから、私もあえて無理をしてまで言わなくてもいいかと諦めてしまった。


食事を終えた今も、ずっと無言のままパチパチと気まぐれに踊る焚き火の炎を見つめ続けている。夕方からまた降りはじめた霧雨のせいで緩やかな巻き毛がしっとり湿って額にくっついていた。悲しげな黒い瞳は途方に暮れているように見えた。


重苦しい沈黙に耐えきれなくて先に休ませてもらうことにした。声をかけても聞いているのか聞いていないのか、「ああ」という低いうめき声が返ってきただけだった。


外套の雫を払って馬車に乗り込み、古ぼけた毛布を体に巻き付ける。地面が平らでないせいでちょっと傾いている、ひどく硬い板張りの寝床。うんざりするようなベッドも今夜で最後と思えばちょっとだけ離れ難い気もする。

ぜんぜん冷気を遮断してくれない、狭苦しい丸い布の天井を少しの間見つめながら悶々と考える。


私がいなくなったってすぐに新しい友達が出来るよと言ってあげたかった。しかし正直言ってそれも難しいんじゃないかと思う。彼自身が深く他人に関わろうとしないから。

だいたい、去っていく私に気楽に励まされても嬉しくはないだろうし。


これ以上引き伸ばしてたってお別れはやってくる。私は無理やり目を閉じた。

この後も月明かりは期待できそうにない。焚き火のオレンジの明かりだけが唯一の光源だった。沈んだ気持ちのまま眠りにつくにはぴったりの環境。


ヨアニスは夜が明けるまでずっとそのまま起きていたらしい。

外から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきてはっと目を覚ました。起き上がり、四つん這いになってよろよろと移動し、幌の隙間から顔を出した。

いつも通り黙々と焚き火の後を片付けているヨアニスの背中に恐る恐る「おはよう」と声をかけた。


きっと薄い反応しか返ってこないだろうと思っていたのに、振り返った彼は思いがけず明るい表情をしていた。朝日のように眩しい笑顔で「ああ、おはよう」と返され、戸惑ってしまった。幼い子供みたいに顔をくしゃっとさせる笑顔だった。何か吹っ切れたような、晴れやかな顔。


湿った深緑の間を抜ける道中でも、他の街で聞いた本当かどうかわからないガーレンの噂話にも乗ってきたし、街道に人が増え出すまでずっと楽しげにしていた。


いつも通り過保護なヨアニスに馬車の中に追いやられて、狭苦しい荷物の間で鬱々といじける。

あの態度はなんなの?一晩考えて気持ちに整理がつけられたのかも。あんなに落ち込んでたくせに割とあっさりだったわね、なんてこっちが拗ねてしまいそう。

実際複雑だった。本当に離れたくないと思っていたのは私だけだったんだわ。彼は慣れているのよ。護衛の仕事をするって言ってたじゃないの。


いつの間にか上へ上がる坂道になっていた。こっそり少しだけ幌を開けて後ろから景色を眺める。まだ森の中みたいに見えるけど、ここはもうあの岩山の一部なんだわ。

山をぐるぐると螺旋状に巻いている街道のところどころに畑があった。果樹園も。自分たちで暮らす分だけの農作物が収穫できるのなら食べ物にも期待できそうだ。


街の規模の通り、ガーレンの街は見上げるほど高い塀に囲まれていた。

それに分厚い街の門を守っている守備隊の制服も立派で、みんな引き締まった利口そうな顔付きをしている。素朴な雰囲気は一切ない。


きっと真面目にあれこれ調べるんだろうな、と思っていたのに、ヨアニスが身分証の束を見せて何やら簡単なやり取りをすると、一度馬車の中の私の姿を確認しただけですんなり通してくれた。


これから一人で生活するんだし、もう隠れる必要もないだろうと御者席に這い出るとヨアニスももぞもぞ尻を動かして私の座るスペースをあけてくれた。


外門と繋がっている大通りはたくさんの荷馬車でごった返していた。そのほとんどは商人みたい。大荷物を引いた馬車で軽い渋滞が起こっていて、私たちもスローペースでノロノロ進まなきゃならなかった。


道に沿って建てられている公共の建物はみな巨大な塀と同じ黒っぽい石で出来ていた。

今日は晴れているけれど、昨夜の雨のせいで街はまだどこもかしこも湿っている。石畳のくぼみには水たまりができていた。ここの天気は雨か霧で構成されているらしいから、きっといつもこんなふうなんだろう。雨は嫌いじゃないけれど、寒い季節に降る雨には我慢ならない。


街ゆく人々も同じように不満そうだった。誰もが眉を中央に寄せ、口をひん曲げて歩いている。中にはいかにも魔術師っぽい服装をした人もいた。足元まで覆う黒いローブにネックレスをジャラジャラぶら下げている。注意深く観察すると、そんな人があちこちにいた。

他の街で聞いた噂話、ガーレンの街の住民の半分は魔術師だという話も(かなり誇張されてはいたけれど)それほど間違いじゃないのかも。


そもそも魔術師になるには二通りの道筋しかなくて、そこそこの魔術師に弟子入りするか、魔術学校に入るかになるんだけど、大抵の人は後者を選ぶ。

まず魔術師の母数が少ないから、信頼のおけるちゃんとした魔術師に巡り合って弟子にしてもらえるなんて確率は極めて少ない。そうなると当然だけど、お金がいる。それも大金が。


そんなわけで、大抵の魔術師はいい家柄の出だし、需要のわりに数が少ないから本人も高級取りだしで、他の街にだってどこかにはいるんだろうけど、こんなふうにその辺の道を歩いている姿を見かけたことはなかった。


ガーレンの街は魔術師の割合が桁違いみたい。それだけこの街の人たちは裕福で、魔術学校がたくさんあるってことなんだろう。


それにここは今まで見たどの都市よりも洗練されていて、清潔だった。

通りには綺麗なお店が並び、歩いている人たちもどこか品があって服装もちゃんとしてる。

ピシッとした制服を着込んだ街の兵士も巡回しているし、隅の方でうずくまってる浮浪者や裸足で歩いてる物欲しそうな目つきの子供もいない。不用意に暗がりに迷い込みさえしなければ犯罪に巻き込まれるようなこともそうそうないんじゃないかと思う。


街も街を包む大森林も全体的に湿っていて暗く陰気だけど、それ以外の点ではわりと暮らしやすそうだった。


ヨアニスが選んだ宿は大きな通りに面した木造の綺麗な建物で、素朴でこじんまりとしているけれど、落ち着いた貫禄があった。旅の最後を飾る宿にふさわしい。客室もちょっと狭いけどバスルームが付いていて、何より寝具が清潔だった。


今日は一日休んで明日旅の整理をすることにして、その日は夕食の根菜の煮込みを平らげてしまうと早々に部屋に引き上げた。どちらともなく「お休み」と言ってベッドに潜り込む。

敷布団の布から飛び出した藁がチクチクするけど久しぶりの平らな寝心地のおかげであっという間に寝入ってしまった。


翌日にヨアニスが最初にやったことは、小道具屋に行って売れそうな品物とそうでないガラクタを分けることだった。それから店主の紹介でアプリとコットを売却したこと。

馬業者は馬と一緒に思い出の詰まったボロボロの幌馬車も引き取ってくれた。


ヨアニスは旅の間中熱心に世話を焼いていたアプリとコットの立髪と鼻面を丁寧に撫でてやり、最後に背中を軽く叩くと送り出した。私も堪えようとした涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。


馬も馬車も私の家族が買った、私の財産ということになっているから、私が使わないのなら売却するしかないのだった。譲渡しようにもヨアニスだって荷物運びに使う馬をペット代わりに飼うような余裕なんてない。

わかっていても悲しかった。平気な顔をして馬と馬車を売った代金を私に押し付けた彼だって本当は悲しいはず。私よりずっと。

そんなヨアニスに肩を抱かれながら街外れの馬業者を後にした。


まだ頬の涙が乾いていないうちにガーレンの街のハンター協会へ向かう。

協会の規模はどこよりも大きかった。役所といっても通じそうな石造りの立派な建物で、違うところといえばいかつい門構えにかっこいいドラゴンの彫り物がしてあるぐらいだった。


あまりにもたくさんの人がいるせいか、余所者の私たちをジロジロと見てくる人もいないし、ずらりと並んだ受付は本当にお役所のようで、しかも担当してくれたのは若い女性だった。これは珍しい。荒くれ者って感じのハンターたちを捌く受付には相応の人材が配置されるものだけど、ここではこれが普通みたい。

女性は(ヨアニスの美貌に一瞬ぼうっとしてしまったことを除けば)実に堂々としていたし、とても事務的だった。大金の要求にも眉一つ動かさない。役所というより銀行とかにいそうなタイプ。


なめし革に丁寧に包まれた四角い金貨(思ったよりずっと小さかった)を受け取ってドキドキしながら外へ出る。ヨアニスがさりげなく周囲に気を配りながら言った。

「あの女、鍵師だな」どこか遠くを睨みつけていた。受付の女性の背景にある何かが彼にこんな顔をさせているんだわ。

「どうしたの?」

「手つきを見たか?ほら、ダンジョンだよ。罠があるからさ。ダンジョンに潜るときには必ず一人は必要なんだ。……この街にどでかいダンジョンがあるらしい」

「……へぇ。ダンジョン……」

「興味ないか?」

「そりゃあるわよ。行ってみたい」

「そのうちな」彼は天使の石像そっくりのミステリアスな微笑みを浮かべた。


私はたちまち混乱してしまった。それってどういう意味?『そのうち』って。もしかしてまだ一緒にいてくれるの?学校に入るまでの数日間のことだろうか。それとも……。

瞬きしながら高速で考えた。答えが出ないうちにいつの間にか次の目的の建物に入っていた。


同じような広い空間に同じように受付が並んでいる。一つ一つに仕切りがあって、グレーの制服を着た係員がつまらなそうにやってきた人々を捌いている。

お客の服装がさっきと違う。私たちとも。体にあった綺麗な服。刺繍の入った高価なベストや真っ白なシャツの群れ。この場にいる誰もが裕福そうだった。


と思ったらハンターっぽい人もいた。犬の耳を頭から、尻からはふさふさの尻尾を生やした人たち。

ヨアニスが私の目線に気づいて素早く「見るな」と注意したのですぐに目を逸らしたけど、獣人の何人かはすでこちらをじっと睨んでいた。


ちょっと勇気づけられて空いている受付に滑り込んだ。

年配の男性は挨拶もせず、にこりとも笑わずに淡々と私の登録を済ませてしまうと、私たちにとっては相当な大金である小金貨や銀貨数枚をつまらなそうに見下してさっさと回収してしまった。

最後に分厚いマホガニーのカードを渡して「こちらがあなたのギルド証です」とそっけなく言い捨てる。


何か気分を害するようなことをしてしまったんだろうかと絶句していたら、その受付係は辛辣な目つきのまま片眉を思いっきり吊り上げた。「用がないなら早く行け、田舎者め」と言っている。


私たちは慌てて逃げ出した。商業ギルドの建物を飛び出して新鮮な空気を吸い、二人で顔を見合わせた。自然と笑顔になる。なんだか笑いが止まらなくなって、肩を小突きあいながらその場を離れた。


その日の夕方、宿に帰って早めの夕食をとってから部屋に上がり、ベッドの上にあぐらをかいて売れ残った不用品をなんとなく分けていたら、ヨアニスが私の名前を呼んだ。

緊張した面持ちで木戸を開けっぱなしにした窓際に気だるげにもたれかかって、見上げた私の目をじっと見返し、それから窓の向こうの赤く染まった空を見遣った。


それは告白だった。

茶化してはいけない雰囲気。ふいに窓からコウモリが数匹飛び込んできた。部屋中を忙しなく飛び回って、1匹を残してまた窓から出ていった。目を丸くしていると彼は悲しそうに呟いた。

「ヴァンパイアが使う術だよ。動物や魔物を使役できるんだ。街には大抵あんなコウモリがたくさん住んでるから、新しい街ではこいつで情報を集めていたんだ」

戸惑いながらこたえる。「あ、そうなんだ。テイムってことね」

「ああ。コウモリは簡単に『使い魔』になる。視界や感覚を共有できるんだ」


私は首を傾げた。でもコウモリって、哺乳類ではあるけれども目も耳も人とは作りが違うはずだわ。ものすごく早く飛ぶし、視力は弱くて超音波で物を見てるんじゃなかったっけ。いったいどんな世界なんだろう。


取り残された小さなコウモリは迷うことなくまっすぐ飛んできてヨアニスの腕に張り付いた。

明るいクリーム色の柔らかそうな毛に覆われた体、顔半分を占める大きなお目々と小さな鼻。羽の生えたハムスターにしか見えないけど、確かに耳は大きくとんがっていてコウモリっぽさも残っている。

「こいつは荒野にいたところをつかまえて連れてきた奴なんだ。旅の間、ずっと隠してユリを見張らせていたんだよ」彼は悲しげに囁いた。「とろい奴なんだ。お前みたいだな」ふっと笑いながら余計な一言を付け加える。


見張らせてたなんて言葉は悪いけど、護衛の一環ってことよね。まったく気付かなかった。でもどうして隠すの?

丸っこいコウモリはふんふんと忙しなくヨアニスの腕の匂いを嗅いでいる。いい匂いがするのよね。わかる。


「可愛い」

「ああ、まぁな」なんだか歯切れが悪い。彼は暗くなりはじめた夕暮れの窓辺に佇んで、静かに先を続けた。

「俺はハーフヴァンパイアなんだよ、ユリ。俺たちが恐れられるのは血を吸うからってだけじゃない。相手の精神を支配して操作する事が出来るんだ。昔、権力者を精神支配して非道を極めた奴がいる」

そう言うと彼は悲しげに俯いた。

「俺も使った。相手の好意を引き出す事も出来るし、逆に恐怖を叩き込む事もできる。特にヒューマンはかかりやすい。ユリ、お前にも使った」そしてぽつりと付け加えた。「だから嫌われるんだ」


なんという事。私は唖然と彼を見上げた。なんと言っていいかわからない。私にも使ったって言ったの?いつ?操作された違和感なんて感じたことないのに。


「正直に言うと、会ったばかりの頃は頻繁に使ってたよ。だけど成功した手応えがなかった。神人には通用しないんだな。ヴァンパイアの精神支配はかなり強烈なんだけど……」

真っ黒な目が鋭く輝いた。「ほら、今も」

「……それが精神支配なの?」自分の声とは思えないほど強張っていた。だんだん事態が飲み込めてくる。この人、私のこと操ろうとしてたんだわ。それって、ひどい……最悪だわ。友達だと思っていたのは私だけってこと?

怒りに任せて叫んだ。「なんでそんなこと!」

「ヴァンパイアだからだよ」

「そんなの言い訳にならない!」

「ごめん、俺はそうやって生きてきたから。これまで何のトラブルもなくすんなり街に入れたろ?この能力を使っていたせいなんだ。頭の軽い奴ほど簡単に操れる」

「……そう。あなたってクソ野郎だったのね」


彼が息を呑むのがわかった。私は込み上げる怒りを無理やり抑えつけようと、息を吐き出しながら頭をフル回転させた。

どうにか冷静になって考えてみる。許せる事とそうじゃない事を一つづつリストアップして見比べる。


まず、彼が『いつも通り』私を操ろうとした。それは許せない。だけど最初の頃だけよね。友達になった後はしてないんだったよね?なら許せるのかな。心が傾く。

他の人たち、中にはいかにもガラの悪い兵士もいたわ。そういった人たちをかわす為に使うって言うならわかる。むしろ積極的に使ってもらっていい。


何よりヨアニスとの友情は本物だと思う。歳も近いし、前世ではほとんど友達がいなかった私だけど、彼は親友と言ってもいい間柄のはず。信用してるし、彼も同じように思ているからこその告白なんだわ。

嫌われる覚悟でしなくてもいい打ち明け話を彼はしてくれた。大切な親友。冷え切った心の中にようやく血が巡り出した。


早ければ明日にはお別れかもしれないんだもの。

電話もメールもないこんな世の中で、定住しない相手と連絡を取る術はない。手紙だって不確かだし、届くのに何年もかかる事がある。本当にもう二度と会えないかもしれなかった。だから最後に何もかも曝け出したいと思ったのよね。応えてあげなくては。そう思った。


「私も話したいことがあるの」やった。優しい口調だわ。ヨアニスもホッとしたように少しだけ張り詰めていた顔の筋肉を緩めた。

「信じないと思うけど、聞いて欲しいの」と前置きをした。「私ね、一度死んでるのよ」


ヨアニスは戸惑ったようだけど、それでもベッドの端の私の隣に座って聞く体勢を取ってくれた。

できるだけ簡潔に話した。前世の記憶があること、『ヒューマン』として40過ぎまで生きたこと、死んだ後に行った霧の世界の不思議な体験。その後砂漠の海岸でヘンレンスさんに助けられたこと。


案の定、たくさんの感情が彼の顔の表面を通り過ぎていった。からかっているのかと怒ったり呆れたり、それからぎゅっと眉に皺を寄せて、しまいには諦めたようにため息をついた。

「その話、誰にもするなよ」

「わかってる。だけど本当の話なのよ。私が『来訪者』だって知ってるでしょ」

「うん、まぁな。その『来訪者』ってのは、みんなそうなのか?……死んでるって」

私は笑った。「今はちゃんと生きてるわよ。だから『前世』なの。そんな人たちがたくさんいるのよ。だって見たもの。ものすごい人数だった」

「そっか。わかったよ、信じる」あんまり信じてなさそうな顔だった。

私はわずかに微笑んだ。「ありがと」


そうして私たちの奇妙な『告白』タイムは終わった。

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