第21話 吸血鬼の憂鬱3
聖騎士ジェンツがあと数日で終わると教えてくれたので、そろそろ旅の準備を進めるべく買い出しに出かけた。
食料に日用品にキャンプ用具。あらかた買い物が終わって、次に貴重な甘味を手に入れるべくドライフルーツの出店を探していた時のことだった。
暗い路地に通じる狭い脇道に差し掛かった時、突然暗がりから手が伸びてきてあっという間に引っ張り込まれた。
路地には知らない男たちが待ち構えていた。布を巻いて顔を隠しているけれど、容赦ない冷酷な目つきで私を睨んでいる。男たちはさらに人の目が届かない場所に私を連れて行こうとした。
非情な腕は大蛇のように顔と上半身に巻き付いて万力のように私を締めあげる。もがいても引っ掻いても少しも緩まない。なんとかして悲鳴をあげようにも、その度に痛いほどの力で口を抑えつけられた。
すぐ近くにヨアニスがいる。彼が私の危機を見逃すはずがない。すぐにでも助けに来てくれるはずなのに、何をしてるんだろう。今日に限って自慢のヴァンパイアレーダーは故障中なの?そんなの笑えない。
男は顔を近づけ、すぐ耳元で声を押し殺して言った。「大人しくしてくれ。聞きたい事があるだけだ」
絶対嘘。こんな方法を選んだんだもの。穏やかな話し合いで済むはずがない。どんなに泣こうが喚こうがお構いなしに好きにできる場所へ私を連れて行こうとしてる。
先導している別の男が早足で歩きながら切羽詰まった様子で振り返った。「血煌貝の真珠を持っているな?」脅すような声色だった。
何?真珠?なんのことかわからない。あれはまだ調査の段階にあって、たぶん今はハンター協会が持っているはず。そう言いたくても口を塞がれているせいで必死に首を振るだけで精一杯だった。
私の行動を拒否と取ったのか男は血走った目をして叫んだ。「嘘をつくな!俺たちは確かに聞いたんだ。さぁ、一緒にきてもらうぞ!」
力の限りもがいたけれど、大人の男相手に力では敵わない。なんとかして腕に噛みついてやろうと機会を伺っていたら、近くにいた一人がくぐもった声をあげて倒れた。それを合図にしたかのように次々と倒れていく。瞬きする間の出来事だった。
きっとヨアニスだわ!嬉しくて涙が出そうだった。一瞬、視界の端に見慣れた黒髪が映った。彼は魔法のように最後に倒れた男の影から姿を現した。
迫力の薄ら笑いを浮かべ、血を滴らせた細身の剣を見せつけるように一振りし、残り一人となった、私を抱き抱えている男を鋭く睨みつける。
「おいきさま、彼女を離せ。今すぐだ。一人は残せと言われたが、俺は殺したくてたまらないんだよ」地獄の底から響いてくるような寒気のする声だった。
「ま、まて!俺たちは宝珠を探しているだけなんだっ!」
ヨアニスは吐き捨てるように言った。「知るか。さっさと離せ。死にたいのか?」最後の質問には歓喜の響きがあった。男も気付いたみたい。喉を鳴らしてわずかに腕を緩めた。
しかしそれでも解放しようとはしなかった。私の顔を掴んでいた手を離して腰のナイフを引き抜いた。動けない私の目の前に冷たい金属の輝きが閃く。
男は悲鳴のように叫んだ。「動くな!毒が塗ってあるんだぞ!」
しかしヨアニスは馬鹿にするように鼻で笑った。「間抜けめ」底知れない怒りの滲む声。私はただ硬直して荒い息を吐いていることしかできなかった。
「その前に腕を切り落としてやる。出来ないと思うか?お前が今も生きていられるのは聖騎士どものおかげだよ」彼は余裕だった。笑ってすらいる。
「聖騎士……?」その声にはありありと絶望が伺えた。よくわからないけど、何かとんでもないミスをやらかしたみたい。ほんの少しナイフの切先が私の顔から離れ、同時に残像が閃いた。何か大きな力が働いて私の体は右側に引っ張られ、次の瞬間にはヨアニスの腕の中に収まっていた。何が起きたのかまったくわからない。
男が絶叫をあげた。腕から夥しい量の血を吹き出している。いつの間にかナイフを持った手は男の体から離れていて、無惨にも足元に転がっていた。非現実的で、何もかもが手品みたい。男もそう思ったろう。
私は驚愕して、ナイフを握りしめたままのついさっきまで人間の体の一部だったものを見つめた。そのタイミングで通路に向かって何人もの重い足音が近づいてくる音がした。ヨアニスが舌打ちする。
「そこまでだ!」よく通る低い声。その声には聞き覚えがあった。
白銀の鎧で身を固めた堂々たる体格の騎士たち雪崩れ込んできた。
彼らは狭い通路にひしめきあって、危険なヨアニスから哀れにも腕を掴んで悲鳴をあげ続けている男を引き離そうと肉の壁を作っていた。
ただただ呆然としていた私の頬を温かい手のひらが包み込んだ。世にも美しい死の天使の顔が目の前に迫る。優しい黒い瞳が揺れている。なぜか悲しげに見えた。
「ユリ、怪我をしていないか?痛いところは?ああ、かわいそうに。怖かったろ」ヨアニスはぜんぶ言い終わらないうちに私を抱きしめて「ごめんな」と囁いた。
私は目をしばたたかせた。「どうしてあなたが謝るの?」私を助けてくれたのに。しかも脅威の早技で。
「すぐに助けられなかった。あいつら」チラリと白銀の騎士たちを睨む。「奴らにつかまって」
「どういうこと?」
「ユリ、お前は囮にされたんだ」
聖騎士によって手際良く捕縛された男にはもうあがらう気力すらないようで、うなだれて引っ張られるままに連行されて行った。彼の人生がいつまで続くかわからないけれど、残りの余生もそう楽しくはないだろう。犯罪者は割とあっさり処刑される世の中だ。
私とヨアニスも連れて行かれた。さっきの男よりはもう少し丁寧だったけど、聖騎士たちは今もヨアニスを警戒していて、彼らの陣地に連れて行く途中も到着した後も憎々しげに睨み続けていた。
今では私にもその理由がわかる。あの強さだもの。ヴァンパイアを相手にしなければならない時(たとえちょっと話を聞きたいだけだとしても)、絶対に油断はできない。出来得る限りの対策を取らなければ次の瞬間には首が飛んでいるかも知れないんだから。
きっと彼らが研修時に受け取る『魔族対応マニュアル』にもそう書かれているに違いない。過去に何度も繰り返し起こってきた悲劇による強い恐怖心が彼らの増悪を掻き立てているのだ。
聖騎士たちの仮設事務所は現場からそう遠くないところ、私たちが宿泊している宿のすぐそばにあった。
私たちは簡素を極めた家具が寂しげにポツポツと置いてあるだけの、積み重ねられた羊皮紙や植物紙が唯一の飾りとなっているような部屋に入れられた。今度は二人一緒にいてもいいらしい。
すぐに医者っぽい目つきの男性(やっぱりたくましい体格をしている)が慣れた手つきで簡単に私を診察した後、異常がないことを確かめて言葉少なく部屋を出ていった。
なんとなく体がぽかぽかする。治療されたような気がしないでもない。
入れ替わるように私たちの担当になっているらしい聖騎士、ジェンツが入ってきた。
「いやすまない、驚いたろう」それが謝罪の言葉みたい。
「そりゃあまぁ。いったい何事なの?」
「本来の計画では囮役はヨアニス君のはずだったのだが、警戒されてしまってね」
ヨアニスを見ると彼は軽く肩をすくめた。
「すでに察しているだろうが、あれが『血の教えの会』の残党だ。非常に凶暴な連中でね。何をしでかすかわからんのだが、普段は一般市民と変わらんのだよ。いやまったく、困ったものだ」ジェンツはフーと息を吐いて首を振った。
「ああそれで、あいつらを捕まえたくてヨアニスに協力してもらってたのね?」
しかし彼は歯切れが悪そうに言葉を濁した。「もちろん君の、君たちの安全は考慮していたのだが」
それでピンときた。「もしかして、ヨアニスにも何も説明せず巻き込んだわけ?」
「彼が我々に協力するとは思えなくてね」そして付け加えた。「我々が魔族に協力を仰ぐことはほぼない。賢い君なら理由がわかるだろう。特に今は時間がなかった」
それでも困ったように太い眉を下げるジェンツにはヨアニスへの悪感情は感じなかった。むしろ率直に事実だけを述べる誠実な態度には好感が持てた。だからこそ私たちの担当に選ばれたんだろう。
私は小さくため息をついた。こんなところで種族差別撤廃のイデオロギーを掲げたってしょうがない。少なくとも目の前の彼は自分にできる範囲で最大限の敬意を払ってくれている。
ジェンツは、これから男に『話を聞いて』潜伏場所や仲間のリストを手にいれられれば一斉摘発に踏み切ることも出来ると言った。そうすればより安全に暮らせる街になるだろうとも。
手に持った書類の束に目を落とした彼は「今はまだ私の憶測に過ぎないが」と前置きをして今回の誘拐未遂事件(それに殺人未遂)の経緯を教えてくれた。
『血の教えの会』の残党は、湖に血煌貝の化け物が現れたと聞いて教祖の伝承を思い出したらしい。
彼らは考えた。『秘宝』が貝に取り込まれたことで化け物が生み出されたのではないか。ならば『秘宝』を御神体として祀れば不思議な力を使って過去の栄光を取り戻せるかもしれない。
彼らも焦っていたんだろう。長い間迫害されたせいで絶滅寸前にまで追いやられていた信者たちはリスクを承知で行動を起こした。
大人しくしていればいいものを、やたら仲間を増やそうとするのは宗教家の習性なんだろうか。彼らも自分たちだけでこっそり信仰を続けるだけでは気が済まなかったようで、なんとか信者を増やそうと努力していたところに巨大な血煌貝の紅真珠の噂を耳にしてしまったのだ。もちろん聖騎士たちの仕込みだろうけど。
奴らが本当に信じていたかどうかはともかく、その真珠を『伝説の宝珠』に仕立て上げれば新たな信者を獲得できると考えて私とヨアニスをつけまわしていたらしい。
滞在中ヨアニスがやたら街を歩き回っていたのも先に自分に接触させて私から連中を遠ざけるためだったみたい。
生き残りの尋問はこれからのはずだけど、聖騎士たちの見解は大きく外れてないと思う。新たな事実が出てきたとしても興味はないし、予定通り今日明日にでもこの街を出ることになるだろう。
それからジェンツはヨアニスを見据えて言った。「教主はハーフヴァンパイアだった可能性がある」それは警告だった。ヨアニスの黒い瞳に増悪の暗い炎がゆらめいた。思わずたじろいだけれど、ジェンツは真正面からその視線を受け止めた。少しの間二人は睨みあい、言葉にならない会話を続けていた。やがてどちらともなく目を離した。
ジェンツは私の方を見た。「私は魔族を哀れだと思っている。しかし本質は変わらんのだ。君も気を付けたまえ」
私は驚いてまじまじと真面目くさったごつい顔を見つめた。本人を目の前にしてそこまで言う?
彼はさっと出口に向かって片手を伸ばし、簡潔に「以上だ。君の容疑は晴れた。街を出る前にハンター協会に寄りなさい。報酬を受け取れるはずだ」と言って私たちを部屋から追い出した。
眩しい太陽の下に出てヨアニスを見上げた。彼はもの悲しげに私を見下ろして微笑むと、そっと囁いた。「俺が怖いか?」
一瞬何を聞かれたのかわからなくて、馬鹿みたいにぼんやりと長い睫毛に縁取られた黒曜石の瞳を見つめ返した。
ああそうか。ヴァパンパイアの獲物は人間だもの。だからあれほど簡単に人を殺せたんだ。人間専門の狩人。生まれながらの殺人鬼。その現場を見せてしまったことで自分の評価がどう変わったか心配なのね。
すると突然表情が変わった。いつも身につけている強気の仮面が溶けるように崩れ、今にも泣き出しそうになっている繊細な少年の顔が現れた。
胸が締め付けられた。意図せず傷つけてしまった。なんとかしないと。私は咄嗟に爪先立ちになって彼の頬にキスをした。
ヨアニスは驚いたように半歩下がって、それから確かめるように私を見つめた。私は勇気づけたくて微笑んだ。
惚けたように立ちすくんだ後、彼はゆっくり瞬きをしてから笑顔を作った。白い牙がキラリと光る、自身を隠さない、私の大好きな笑顔だった。
それからヨアニスは優しく私の肩を引き寄せると、ゆっくりと歩き出した。
甘えているようでもあるし、玄関の入り口に立っている見張りの聖騎士たちに見せつけているようでもある。
これが今の彼にできる精一杯の抵抗なんだわ。私もそっと頭を彼の胸に預け、無言で応えた。
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