第40話 光と影1
厄介な『友達』のことを考えずに済む日々は、この学院に入ってはじめてのある種の安らぎをもたらした。
煩わしい人間関係から離れ、魔術の特訓だけに集中する。割り切ってしまえばこれが本来の学院生の在り方なのだとわかる。
例外はテンくんとヨアニス。
テンは私の余裕のある生活を知ると何やら憤慨して自分に課せられていたメイシスの研究室の手伝いに私を引っ張り込んだ。
テンは魔導具士ではないし目指してもいないから研究自体には携わらない。作業は相変わらず雑用でしかなく、それでも彼は忙しい学業の合間を縫ってチームに参加してはゴミ出しや掃除やメッセンジャーボーイとしての役割をあいも変わらず黙々とこなしていた。
私には不思議で仕方ない。そうまでしていまだにメイシスにくっついている理由がわからなかった。
それでもなんとなく例の倉庫のような研究室に連れて行かれて、渋々研究員生の使いっ走りをさせられている間に、もしかしたらテンは『安定』を求めているんじゃないかと思うようになった。
大きなくくりの中にいる安心感、彼が欲しいものはそれだ。
少しだけがっかりした。
テンは、ヨアニスを除けば今や唯一の友達だと思ってる。そんな彼を悪く言いたくないしそのつもりはないんだけど、数年前に仰ぎ見ていた彼は、頭が良くて冷静で辛抱強くてすごくいいやつだった。どんな台風が来てもものともしない大樹だった。
なのに。今はその辺のどこにでもいる優等生が『メイシス』というチャンスにしがみつこうと必死になっているようにしか見えない。
そう言ってみた。
しかしテンは嫌そうに鼻に皺を寄せて「ふんっ」と鼻で笑っただけだった。いつものテンだった。馬鹿みたいだけど、それだけでなんだか安心した。
変わらなくていいものは、変わらないでいてほしい。結局私も『安定』を求めるただの優等生だったわけだ。
つい嬉しくなって「へへへ」と笑うと、テンは気味の悪い生き物を見るような目で一瞥した後、何も言わずに両手のゴミ袋を持ち上げてさっさと研究室を出て行ってしまった。裏手の焼却場に行くんだろう。
少しだけ背が伸びただけのくせに、一丁前に重い物を率先して持ってくれるようになったテンの背中を見守った。まだまだ小さいけれど、確実に広く大きくなっている。
彼ならいつかぜったいいい先生になれるわね。
感慨深く正しく成長しているテンを見送っていると、べっとりした髪を頬に張り付かせた白衣の研究員生がフラフラしながら近づいてきた。
なんか匂う。私は一歩下がってローブの袖を口にあてた。
「なんです?」
「そんな顔しないでよぉ。君さ、ハンターのヨアニス君と仲良いんだってぇ?っていうか、彼氏なんでしょ?」
「それ先輩に関係あります?」
「それがあるんだよねぇ。可愛い彼女からのおねだりは彼も断れないだろぉ?」
「……依頼ですか?なら本人に言ってください」
「出してんだけどさぁ、無視すんだよ。『ヌマフクロ』の喉仏!もう10回は要請出してんだよぉ」
「じゃ、やりたくないんでしょ。『青雷』に頼んでは?」
「ああやつら!くっそ、馬鹿にしやがって。自分でとってこいとか言いやがるんだ」
「へぇ。そんなに嫌な仕事なの?」
「そりゃまぁ、誰だってゴミ処理場の池に入ってヘドロ吐いてくるカエルなんか50匹も捕まえたくはないだろうからな」
「……ヨアニスは売れっ子だもの。そんなの引き受けるわけないわ。自分でやりたくなければ民間に依頼を出せばいいじゃない」
「やだね。研究員生の給料知ってっか?研究室を通せばタダで手に入るってのに、馬鹿高い民間なんかに頼めるか。なぁ、ユリ、頼むよぉ。一度でいいから『お願い♡』してきてくれよぉ」
「気持ち悪い!では交換条件です」
「なんだい?」
「ヨアニスに頼んであげます。受けるかどうかは彼次第ですけど。その代わり、二度と私に話しかけないで」
「ひどいぃ」先輩はふざけて身を捩ると、ケヘケヘ笑ってまたフラフラした足取りで離れていった。
こんな不毛なやり取りを毎週のようにしている。ここの人たちはメイシスが現れる日以外には体を清めない人が多すぎる。
まともな人間は光の神の言いつけを守って常に清潔を心がけているものだけど、神をも恐れぬ魔術師の中にはまともじゃない人が沢山いる。
ヒゲやら髪やら爪やらは伸び放題だし、不潔だし、日頃の不摂生が祟った青白い顔をしている。笑い方も変。特に研究院はそんな奴だらけだ。働いている引きこもりとでも言おうか……。
一応学院の用事だからと今日は貸馬車を使った。ヨアニスのアパートの庭で停めさせ、そのまま待っていてもらう。
どうやら寝てたみたい。ドアをノックしてから返事が聞こえるまで間があったし、出てきた彼は慌ててシャツをズボンに突っ込んで、急遽頭に水をかけて寝癖を整えたって感じだった。
完璧じゃないヨアニスを見れてほっこりする。
「どうした!?何かあったか?」
週末を利用して不意に会いに来るなんて珍しくないはずなのに、なぜかひどく慌てている。しかもそれを隠そうとしてる。まるで『予定になかった』って態度が引っかかった。
とは言えわずかな違和感だけで変に疑うのもなんだし、私は「ごめん。寝てたよね?」と言って様子を伺った。
ただの勘だけど、彼は何か私に言えない秘密を抱えているような気がする。
他所に女がいるとか、実は夜な夜な血を啜れる犠牲者を探しているとかならいいけど(いやよくないか)、もし手に負えない事態に巻き込まれて苦しんでいるならなんとしても助けてあげたい。
この街にもう一人いる悪質なハーフヴァンパイアの件もあるし、ハンター仲間にはガラの良くない連中がごまんといる。何があるかわからないもの。
「なんだよ、どうした?」訝しげなヨアニス。すっかり綺麗に取り繕われて、私を心配する表情以外にはもう不自然な点は見つからない。
「なんでもない。ねぇ、もしもよ、もし困ってることがあるなら、なんでもいいから言ってよね」
ヨアニスは面食らった顔をした。「ないよ。それよりナッツはどうした?どうして連れてないんだよ」
「え、ナッツ?さぁ、散歩じゃないの。いつも一緒にいるわけじゃないから」
「ったくあいつ。すぐサボるんだよな」
「いやだ。あの子は自由よ。好きにさせてあげてよ」
「あのな、あれでも一応魔物なんだよ。いざという時には役に立つはずだ。お守りがわりにいつも連れて歩いてくれ」
「心配しすぎ。それより今日は用事があってきたの。学院のお使いよ」
彼が出してくれた相変わらずまずいお茶を飲みながら研究院の先輩の話をした。
案の定、ヨアニスはすまし顔で断った。曰く、「あれはあいつの個人的な依頼」で、「ハンターなりたての新人だって受けないような仕事ごめんだよ」だそう。
それならと「ならいいの。寝てたんでしょ、すぐ帰るわ」といえば、優しいヨアニスは「もう起きるところだったから」と引き留めてくれた。
悪いとは思ったけど、最近はテン以外の友人と話す機会もそうないからちょっとだけ甘えることにした。
互いの近況をとめどなく話し、ファーシとパルマと疎遠になったことを打ちあけると、彼は一瞬、ほんの一瞬だけすごく嬉しそうに唇を歪めた。ほとんど邪悪と言っていいその表情。凍りついた。今のは何?
すぐに悲しげな顔を作って「そりゃ寂しいよな」なんて慰めようとするけど、ぜったい見間違いじゃない。
この人今、私の不幸を笑った?
今まで考えたこともなかった。ヨアニスが実は私を嫌っている可能性。
ううん、そんなわけない。すぐに否定した。嫌なら他の人たちにするようにつれない態度で遠ざければいいんだから。それだけはありえない。
じゃあなんでこのタイミングで笑うのよ?私の見間違い?
ヨアニスはひどく心配そうに私の目を覗き込んだ。優しい黒い瞳は純粋そのものの輝きを放っている。
「顔色悪いぞ。疲れてるんじゃないか?しばらく授業を休めよ」
疲れてる?私は目をしばたたいた。そっか。対人関係のストレスで疑心暗鬼に駆られているのかも。
私は「授業はぜんぜん。ずっと楽よ。あと2年半だもん、楽勝よ」と胸を張ってみせた。
「そうか?ならいいけど。あんまり無理するなよな。ちょっと入ってみたけど、ダンジョンはそこまで魅力的じゃないよ。暗いだけでさ。もっと下層に潜れば色々あるらしいけど……」
一瞬、時間が止まった。頭が真っ白。もうダンジョンに入った?そう言ったよね。
「待って!ちょっと待って。え?……入ったの?遺跡ダンジョンに?」
「うん?まぁな」あっけらかんと頷く。
信じられない。嘘でしょ?眩暈がした。
貴重な友人を立て続けに失ったことよりずっとキツイ。だって、そのために私ずっと、ずっと頑張ってきたのよ?ヨアニスとダンジョンに入るハンターになって、二人でドキドキしながら初ダンジョンに挑むその日を心待ちにしてきた。
気持ち悪い。吐き気がする。もう嫌だ。もう無理。
限界を感じて、なんとか両手で体を支えながら椅子から立ち上がろうとしたら、強烈な立ちくらみに襲われた。ヨアニスが信じられないほど素早く回り込んで体を支えようとする。
「触らないで!」その金切り声が自分の声だと気づいて呆然とした。
強い拒絶。嫌悪感をむき出しにした激しい言葉。自分の口から出てきたなんて信じられなかった。だけど一度決壊したダムはとどまることを知らない。すぐ横で凍りついているヨアニスに向かって激しく怒鳴った。
「ひどい!なんで先に入っちゃうの!?待っててくれると思ってたのに!!大っ嫌いよ!!本当に嫌い!!」
「ど、どうしたんだよ。落ち着いてくれ。頼むよ!あ、悪かったから」
取ってつけたような謝罪。これは分かってない。
「落ち着け」って言葉も言われてみるとこれ以上腹のたつ言葉もない。怒ってる理由さえ理解してないくせに、わかったような口をきいて!
怒りは沈静化するどころかますます燃え上がって、私はヒステリックに叫んでいた。
「何よ!私のことなんて本当はどうとも思ってないくせに!あんたが欲しいのはこの血でしょ!大っ嫌い!もう嫌!!」
私は逃げるように部屋を飛び出し、階段を駆け降りて、待たせていた馬車に飛び乗った。
御者のおじさんがびっくりして小窓から覗き込んできたもんだからつい八つ当たりして、「学院に行ってちょうだい!」と怒鳴りつけてしまった。
一度も振り返れなかった。切羽詰まっていたのもあるけど、自分がどれほど恥ずかしいことをしてるか自覚があったから。
私、何を言っちゃったっけ。確か、血がどうとか……
ああ、どうしよう。頭が混乱してまともに考えられない。彼のこれまでの友情と献身に唾を吐くようなひどい言葉を投げつけてしまった気がする。
もうだめ。ヨアニスも失ってしまった。なんてことなの。
彼のことだから謝ればきっと許してくれる。だけどそれじゃダメなの。言葉というものは言ってしまったら最後、取り返しがつかない。
不用意な言葉がどれほど人を傷付けるか。そしてたぶん、彼は一生忘れない。そうした不信感は心の深い場所に棲みついて、弱っている時ほど鮮やかに蘇るものだから。
ヨアニスだけは傷つけたくなかった。こんな終わり方望んでなかったのに。
何も考えらないまま寮に帰って、そのままベッドに倒れ込んだ。
開けっぱなしの窓から夜風が入ってきてふと目覚めると、ナッツが恐る恐るといったふうに私の顔を覗き込んでいた。いかにも心配そうに。なんだか人間みたい。ちょっと笑った。
「ごめんね。変よね、私」呟くと涙が溢れた。
なんでこんなに馬鹿なの?何も悪くないヨアニスにあたってしまった。
「初めてダンジョンに挑戦するときは二人で」なんて、そんな約束してないし、それどころかろくに話したことさえないのに。
別に誰と入ろうと彼の勝手だし、突然わけのわからないことでヒステリックに怒鳴られればいい加減愛想も尽きるだろう。
そんないかれた奴、私なら即縁を切って二度と会わないもの。
もうこれでよかったのかも。これを機会に離れるべきだ。私は彼が求めているものをあげられないんだから。
涙はとめどなく流れ続けた。こんな風に泣いて涙と共にストレスを洗い流せるんだから、女って始末がおけない。純粋なヨアニスをあれだけ傷付けておいて、自分だけ楽になろうとしてる。
ナッツが頬を舐めた。思いがけない微かなその感触に驚いて身を起こしたら、反動でナッツがベッドの上を転がった。
「あ、ごめん」
ナッツはそれでも気遣わしげに私を見上げている。小さなぬくもりの優しさにまた涙がこぼれた。
いつも気まぐれで寝てばかりのナッツがこんなふうに人を心配するなんて珍しいことだ。というか、そんな知能がこの子にあるとは思わなかった。
「ほんと、私って最低。ナッツにまで心配かけさせるんだから」
立ち上がってバスタブの横の洗面タライに水を張ると、バシャバシャと顔を洗った。
泣き腫らした顔なんて誰にも見せたくない。明日もいつもと変わらない毎日がやってくる。全てをきちんとこなして、それから考えよう。
翌朝、バッチリ目が覚めた。気合を入れつつ起きて支度をした。ちょっときつめに髪を結い上げてピンで留める。
昨夜は何も食べずに寝てしまったからお腹が空いていた。
いそいそと食堂に行って、カウンターのおばさんに大盛りを要求し、がっついて食べた。たぶん食堂にいた何人かの生徒を失望させただろうけど、もう構わない。
1年生の最重要課題は『結界術』。とにかくこれに集中しよう。
クラスは毎日午前中に2回、午後に3回開かれる。そのうちのどこに参加してもいいし、なんなら全部参加してもいい。
今朝の予定にはなかったけれど、とりあえず朝イチのクラスに入り込んだ。
自分の魔力を人に沿わせるのが嫌で億劫な授業だったけど、もう甘えてる場合じゃない。そんな資格は私にはない。
もはや名物になりつつある、体格のいい男子生徒を使った実技演習は相変わらず不快だったけれど、対象物をあんまり意識しないよう気を逸らせばなんとかなる。
これは人形、ただの傀儡。脂ぎって臭そうだけど、ナマモノじゃないの。そう見えるだけ。
私は気合を入れて魔力を送り込み、素早く練り上げながら対象全体を包み込んだ。
一部の隙もない完璧な仕上がり。
元々自分にやる分には問題なかったんだもの。魔力を張り巡らせて空間を支配する高等魔術も一度コツを掴んでしまえばそう難しくはない。やり方は心得ている。
以前私に火傷させられた男子生徒はほっと胸を撫で下ろし、坐禅を組んで見守っていた教師も立ち上がって拍手した。
「やったな。これならいいだろう」先生は大きく頷くと「私が君に教えられることはもうない」と言い切った。
そんなわけないと思うけど、周りの生徒は疑っていないのか、「おおっ」とどよめきが走った。
先生は続けた。「ま、免許皆伝とは言わんがね。このクラスは卒業だな。君を一年もとどめておくわけにはいかん。次へ行きたまえ」
「次、ですか?」
「うむ」先生はローブのポケットから小さな巻物を取り出した。「さ、これを持って事務所に行きなさい。『総合戦闘術錬成訓練』の先生が待ちかねている」
「は、はぁ」
『錬成訓練』系は基礎をみっちりやった2年生が受ける授業のはずなんだけど。
苦戦する他の生徒を尻目にあっけなく教師の合格をもらった私だけど、さすがにちょっと戸惑う。もういいってこと?いや、自分でもまだまだだって思うんですけど。
一人だけ正規ルートを外れて次の段階に進むなんてあるの?それもこんな中途半端な時期に。
妙だと思いつつも言われた通り授業の後に事務所に行った。利用する学生が少ない時間帯だから空いていた。
私はまっすぐ歩いて学生受付のカウンターの奥でふんぞり返っている中年の事務員を呼んだ。そいつは私を二度見すると転げ落ちそうな勢いで立ち上がり、小走りでやってきた。
カウンター越しに学生証とさっき貰った巻物を渡すと、事務員はさっと中身を確認し、異様なほどの笑顔で「もちろん話は聞いておりますよ。さあさ、お忙しいでしょう、手続きは私に任せて、ユリさんは次のクラスにお急ぎください。学生の方は勉学に集中しなければね。この時間だとちょっと急がないと間に合わないからね」とあからさまなおべっかが返ってくる。
この手のタイプは初めて。鳥肌が立つ。きっと高等部に進学した『神人様』はこの後間違いなく学院とこの街で絶大な権力を振るうことになるだろう、とかなんとか考えているに違いない。
『総合戦闘術錬成訓練』は2年生からのクラス。私の意思でとったわけじゃないから、何を指し示しているのか名前からでは微妙にわからない。
やや警戒しながら指示されたグラウンドへ向かうと、複雑な結界の付与魔術が施された円形の壁で囲まれたスペースがあった。
そこには10人ほどの生徒が談笑していて、私が入った途端ギョッとした顔で一歩下がり、突然危険な珍獣が現れたかのような態度を見せた。
ムッとしたけど、いつものこと。女でありながら戦闘術ばかり学び、いつも周囲から浮いている私は、男子生徒からは恐れられ、女生徒からは馬鹿にされているらしいのだった。
丸く円を描いた中央には、背は低いけれど体格のいい、こんがり日焼けした教師が仁王立ちで立っていた。印象としては、ムキムキの野生のチワワ。
今までの知的な教師たちとは毛色が違う。実戦で鍛えただろう本物の迫力があった。
しかも鋭い視線を私に向けている。それは扱いが難しい『神人』の生徒への警戒の目つきではなく、今まさに対峙している敵への視線だった。
「ほう、いい目だ。やる気か?」
「………はい?」
「よし、こいっ!!貴様が持てるすべてを俺にぶつけてみろっ!!!」
怒鳴られた。
わけがわからずポカンとしていると、周りの生徒たちが億劫そうにしながらも素早く距離をとって壁際に逃れた。
まさか、攻撃魔術を放てというの?いきなり?
助けを求めて離れた場所で見物を決め込んでいる先輩たちを見たけれど、彼らは慣れているらしく、顎やら手やらで「やれよ」と指示してきた。
私は前方に立っている教師をまじまじと見つめた。
誰だろうと突然刃物を持たされて「切りかかってこい」と言われたら、まともな神経の持ち主なら拒絶するだろう。
大抵の学生がそうだと思うけど、今まで人に向かって危険な魔術を放ったことはない。当然禁止されているし、倫理的にも問題がある。
「どうした?怖気づいたか!?」
うるさいな。イラッとしながら教師の周りと円の周辺に張られたバリアを『読んだ』。
見る限りどこにも欠点がない。それどころか複雑すぎて何がどうなってるのかまったくわからないほどの、見事なバリアだった。
しかもご丁寧に『隠匿魔術』ぬきで生徒に見せている。ここは『防御魔術』のクラスではないけれど、魔術師との戦闘となれば必ず必要になる魔術でもある。なるほどね、だから『総合戦闘術錬成訓練』なんだ。
知らずに笑みが溢れていた。
いきなりの無茶だけど、むしろこれこそ私の求めていた魔術学校の姿なんじゃない?
それにずいぶん自信があるみたい。一年生とはいえ私の魔力は一般生徒のそれとは違う。魔力の質も量も桁違い。
研ぎ澄まされた強固なバリアを張っているとはいえ、そんな魔術師相手に好きに魔術を放っていいだなんて、実に度胸のある教師だわ。気に入った。
私は円の中に進み出た。「丸こげにしてやる」つい口から溢れ出てしまった声と共に、私の知る限り最も強烈な炎の魔術の構成を編んだ。
学院で習う魔術じゃない。大図書館の2階で見つけた『禁断のなんたら』いう怪しいやつ。
大昔の魔術師はやたら戦っていたらしく、今でも古い巻物を解けば「これって見せていいの?」と心配になるほど凶悪な魔術書を閲覧できる。そのほとんどが捏造に近い有様だけれど、それでも探せば使えそうな魔術はたくさんあった。
何度か途中までつくってみたことはあるけど、(当たり前だけど)放ったことはない。今まで眠っていた私の中の大量の魔力が喜びの声を上げて解き放たれていくのがわかる。快感だった。
教師が何か言っているけど、もう遅い。やってやる。今までの鬱憤をここで晴らしてやる。この見事な結界なら大丈夫でしょ。たぶん。
教師を中心として一箇所に強烈な火柱が燃え上がった。嘘みたい。本当にできた。感動したのも束の間、突然の衝撃が体を打ち抜き、次の瞬間にはバリアの外に弾き飛ばされていた。
バリアの中は今や膨れ上がった炎が轟々と燃え上がり、高温で真っ赤に染まっていた。
円をぐるりと囲んで見物している生徒たちはあんぐりと口を開けてただ突っ立っていたけれど、次第に騒ぎ出した。
「すげぇー!」「なんだあれ!?」「やったか?」とはじまり、そのうち活発な生徒が中心となって、『ダエン先生が生きているかどうか』について賭けをはじめた。
しかし賭けは成立しなかった。誰もが『生きている』方に賭けたから。この教師、ダエン先生と言ったかな、人望はあるみたい。やたら声がうるさいけど。
それは突然だった。バリアの中で荒れ狂っていた炎がさっと消えた。まるで何も起こらなかったかのように。
あっけに取られていると、髪の先すら焦げていないダエン先生が円の周りにかけたバリアを解いて姿を現した。魔術を打ちこむ前となんら変わらない、腕組みをした格好で。
先生自身もそうだけど、よく見ればどこにも高熱にさらされた形跡がない。
私は目をしばたたかせた。どうやったらこんな芸当ができるの?
私たち生徒に見せているのか、いまだに先生自身を覆うバリアは解いていない。何重にも重ねがけされた魔術が複雑に絡みあっているのはわかる。でもやっぱり難解すぎて読み解けない。
冷や汗が背中を伝った。実戦ではどうにかしてあれを崩さなきゃいけないのよね。つまり、ダエン先生ほどの術者と対峙した場合、私は確実に殺されるってこと。
「うむぅ。お前、そりゃあ『天上火柱』じゃあないか!未完成だが、見事だ!!」
「……どうも」つぶやいた声は驚きのあまり掠れていた。いまだに信じられない思いだった。
ダエン先生は更なる大声で怒鳴った。「しかぁし!!あれでは死ぬのはお前の方だぞ!!何も考えずに魔術を放ったのか!?この大馬鹿者め!!魔術が滅ぼすのは敵だけでない!!実力以上の魔術を使うとき、それはすなわち自爆覚悟の最終奥義!!わかったか、この間抜け!!」
愕然として目を見開いた。何も言えなかった。自分の馬鹿さ加減にショックを受けていた。
確かにそうだわ。言ってることはかなりずれてるけど、的は得ている。ダエン先生が私をバリアの外に弾き飛ばしてくれなかったら今頃死んでいた。あまりにも無茶だった。
放った熱は術者自身をも襲いかかる。そんな単純なことも忘れていた。
魔術を使う時にはダエン先生が見せたように相応のバリアで体を守らないと、今回のように広範囲にわたって被害が出る魔術やそもそも失敗した場合に大怪我、もしくは死者が出てしまう。
その後の授業は『学院でやってはいけないこと』の再確認のレクチャーとなった。
ダエン先生はそれ以上私個人を叱ることはなく、生徒全員に忠告するという形をとった。
「学院では教師から学んだ魔術以外、原則使用禁止だ。が、図書館の魔術書は自由に閲覧できる。使ってみたくなる気持ちもわかるが、ばれれば退学もありうるぞ。何より危険だ。魔術書ってのはいかにも完成しているように見せかけてあるがな、実はその多くは未完のままなのだ。他人が想像で書いただけって場合もある」
生徒の一人が手を挙げた。
「でも先生、今後卒業したら習った以外の魔術を使わなきゃいけない場面も出てくると思いますが」
「いや、俺のような熟練の魔術師でも魔術書の指南通りには使わんぞ。そういう時はな、著者の意図をしっかり読み解き、できる限り理解した上で自分自身で改めて似たような魔術を創り上げるのだ。もちろん危険だが、魔術書通りやるよりゃマシだ」
生徒たちがざわめいた。
自分で魔術を創る?簡単に言うけど、それって、誰でも出来るものなの?
「いいか、教師の教えにしろ魔術書にしろ、そもそも魔術ってのはどれも使う人間によって微妙に差が出るもんなんだ。ユリがやってみせたあの『火柱』も俺がやればまた違う『火柱』が出来上がる。似通っていても、結局は全てがオリジナルなのだと心得よ」
先生は自分を囲んでいる生徒たちを鋭く見回した。
「当然、バリアやシールドも相手に応じて変化させなきゃならん……やれねば死ぬぞ」
ううん。緊迫感は伝わってくるけど、実際戦闘の最中にそんな芸当できるかしら。わかったような、そうでもないような授業だった。
この失敗を経て足りないものを理解した私に(もしかしたら教師たちはわざと私に失敗の経験を積ませたのかも)、ダエン先生は本来は2年生から学ぶはずの『結界術Ⅱ』のクラスの紹介状を持たせてくれた。
これからは『結界術』のクラスにできる限り通って実戦に備えなきゃならない。今の私は『本番』では使えない。このままでは死ぬだけだ。
ダエン先生が見せてくれた『現実』は、ちょっと得意になっていた愚かな私を打ちのめすに十分な破壊力を持っていた。
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