第41話 光と影2
半年の間に1年で取れるクラスの半分をクリアし、代わりに2年生のクラスを入れた。もちろん異例の特別処置だ。
最終的にこのスケジュールを決めたのは私だけど、かなりの部分でダエン先生のアドバイスを取り入れている。
私の新しい進路相談係となったダエン先生は、学院に来る前はフリーの傭兵だったそうで、まさに欲しいと思っていた情報の宝庫だった。
ダエン先生は私の目指している道を正確に把握し、魔術師がハンターとなって生き抜くための道を真剣に模索してくれている。
もちろん学院長の息がかかった教師ではあったけれど、数十年前まさしく私と同じ理由でこのガーレンを飛び出したという過去があり、他の教師が眉を吊り上げて否定した私の『夢』の価値、自由への憧れや胸を焦がす未知への渇望といったものを理解してくれる。
せっかく手に入れた第二の人生だもの。誰からも縛られずに人生を謳歌したかった。
そんなダエン先生が「絶対に必要だ」と言ったクラスの数はものすごく多い。
魔術戦には必須の『結界術』はもちろん、『阻害魔術』に『隠匿魔術』、『封印術』に『集約魔術』。3年になればさらにクラスが追加される。
ダエン先生が言うには、これらの知識を使って自在に組み合わせられるようにならないと実戦では使えないし、旅人としての日常生活(主な敵は人間)さえ生き抜けないと言うのだ。
途方もなかった。実技重視のクラスをこれだけ取っている学生は私ぐらい。いくら魔力量が多いといっても、一日中高度な魔術を使いまくっていれば『神人』の私だってヘロヘロになる。しかし卒業まで時間がない。のんびり構えていられる余裕などなかった。
私は『総合戦闘術錬成訓練』で知り会った、問屋の子だという生徒から砂糖菓子を横流し(購買で買うとべらぼうに高い)してもらい、教室から教室へと移動する間に何個も口に放り込んで歩いた。
お気に入りは飴よりも溶けやすい伝統的なコンフェイト。ほとんど金平糖なんだけど、見た目に反してお値段は可愛くない。
私は新たな決意を胸に『結界術Ⅱ』の教室を目指して木々が生い茂る林の小道を歩いていった。
ガーレン特有の冷たく湿った風が梢を揺らす。秋は短い。すぐに極寒の冬がやって来る。もうファーシのマフラーは使えないから、街で見つけた分厚いウールのマフラーを適当に縫い合わせてスヌードを作った。
何度教室に通ってもどうしても『結界術』への苦手意識は拭えない。だけどクラス自体は好きだった。
教室はメインの建物から離れた静かな一角にある林の中。瞑想系の授業でよく使われるこの広い東屋は、日の当たる風通しのいい空間で息をするだけでリフレッシュできた。ちょっと寒いけど。
ここでは長い白髭を生やしたおじいちゃん先生が教えてくれる。
とても穏やかな人柄で、生徒からは親しみと敬意を込めて『仙人』というあだ名をつけられていた。その名に違わず防護術の達人なのだそう。
生徒はそれぞれ距離を開けあぐらをかいて座り、体の周りに結界術を纏わせ、ひたすら自身の魔術と向き合い続ける。その間先生は極力邪魔することなく、ゆっくりと生徒たち間を歩いて穏やかに指導して回る。
学期の途中で参加した私にはちょっと難しい内容だったけれども、今ではなんとか先生の指導についていけるようになっていた。
秋が深まり、そろそろ試験の話題がではじめる頃のことだった。
『総合戦闘術錬成訓練』のクラスで、一対一の模擬戦闘(本当に戦うわけじゃなく、お互い展開した魔術を崩しあう練習)を終えたばかりの私の元に客が訪れた。
グラウンドの端からダエン先生に大声で呼ばれて振り向くと、先生の隣に学院の多くの教師たちとは明らかに違う、ものすごく体格のいい男性がいた。ローブの上からでも全身が硬い筋肉に覆われているのがわかるほどだった。
それでも魔術師には違いない。自然に空気中へと発散される魔力はごくわずかで、意識して体内の魔力を温存しているらしかった。
男の服装には覚えがある。ハンターだ。
丈の短いくすんだ青いローブを金具がたくさんついた幅の広いベルトで締め、丈夫な綿のズボンとゴツいブーツを履いている。
ダエン先生は、猛禽類のような鋭い目つきで容赦なく私を見据えるその男に、いつもの朗らかな笑顔で笑いかけた。
「おうユリ。お前に紹介したい奴がいるんだ。こちらはリューゼフ。学院の遺跡調査団『深淵の青雷』のリーダー様だ。お前をスカウトしたいそうだぞ。わかっていると思うが、大変名誉な事だ。一応な」
その男はダエン先生と仲がいいみたいで、ようやく私から視線を逸らすと、先生の若干茶化した紹介に「おいよせ」と眉を顰めた。
いきなりなんだと思ったけど、もちろん私だって礼儀ぐらい心得ている。ダエン先生の顔を潰さないよう、「光栄です」と言って学院で習った礼をとった。
男は厳しい眼差しを緩めないまま私を見下ろして言った。
「俺は団のリーダーを務めるリューゼフだ。ダエンの結界を脅かす魔術を撃つそうだな。経験を積ませてやってくれと頼まれた。やる気はあるか?」
ダエン先生ったら、何してくれてんの?非難を込めてちらっと見れば、太陽のような笑顔が返ってきた。
街でも超有名な学院発の魔術師ハンター軍団、『深淵の青雷』の噂は私も耳にしている。
遺跡調査団『深淵の青雷』は、賢者ガーレンの時代まで遡る由緒正しい戦う魔術師軍団。この街のトップパーティーの一つで、長い歴史の中で唯一遺跡ダンジョンを制覇した特別なパーティーでもある。
名前はちょっとダサいけど、ハンターパーティーなんてどこもこんなものらしい。
『雷』は魔術師を表す古い表現だし、『深淵』はダンジョンの深部のことなんだろう。
ガーレンの街に生まれた男の子なら一度は憧れるハンタークランで、このクラスでも目指してる学生がいる。
先生の言うとおり、このお誘いはかなり名誉なことなんだろうと思う。学生(しかもまだ高等部1年)で『青雷』に入るなんて聞いたことないもの。
しかしこの人がリーダーか。内心でため息をついた。私、威圧的な人間は嫌いなのよね。
それに、本職のハンターに実力が認められたっていうなら手放しで喜べるところだけど、どうもそうじゃないみたいだし。
ダエン先生個人の紹介というより派閥うんちゃらの関係なのかな、と思う。とすると『青雷』のリーダーだと言うこの男は学院長派なんだ。
ダエン先生はあんまり嬉しそうじゃない私を見て、「今すぐ決めろってことじゃないぞ。地下遺跡に潜るんだ、命懸けだからなぁ。しかしいい経験になるはずだ。卒業前にハンターのノウハウを直接学べるんだぞ」と励ますように勧めた。
それは私もそう思うけど。
私は少なくとも自分より20センチは背の高い相手を見上げた。
リーダーは顰めっ面のまま。「本当はお前なんか誘いたくないだよ」って顔に書いてある。ますます顔をこわばらせ、聞き取れないぐらい低い声でボソボソ言った。
「正式な入団はまだ先だ。まずは遺跡に入ってもらう。それからだ」
なんだかな。立場上断れないのはお互い様なんですけどね。
すかさずダエン先生がフォローした。「あそこは特殊な環境だからな。馴染めない者も多いんだ。適性を見るんだよ」
「……そうですか」
善意で仲介役を引き受けてくれたダエン先生には悪いけど、このリーダーとはどうもソリが合いそうにない。学院長に命じられて嫌々誘ってるんだって丸わかりなんだもの。
どうにもよくない空気を察したのか、ダエン先生はやけに朗らかに私とリーダーに笑いかけ、説明のたらない部分を補足してくれた。
まずは5階層まで入って、そこでキャンプを張るという。
一晩新人のみで見張りをして様子を見る。しばらくはこの繰り返し。お試し期間があるのは嬉しいけど、どうせ学院長派の末端である私に選択権なんてないんでしょ。
我慢ならないって顔を隠そうともしないリューゼフ団長は、私の全身を不快そうに一瞥すると、「出発は来年の春だ。それまでに走り込みをさせろ。動きが悪い」と吐き捨ててグラウンドから去っていった。最後まで嫌なやつ。
それでもダエン先生は「あいつは誤解されやすい損な性格をしてるんだよ。一種の対人恐怖症なんじゃないかね。いや、あれで根はいいやつなんだ」なんてフォローしたけど、ここまで感情が態度に出ちゃう時点でリーダーには相応しくないと思う。
それにしてもまだまだ先の話なのね。
来年か。その前に進級テストがある。今年受けた授業の数を考えると悠長にはしてられないし、私を悩ませる問題は他にもあった。
ヨアニスのアパートを飛び出してからもう2ヶ月が経過している。いいかげんこっちもはっきりさせないといけない。
胃が締め付けられる思いだけど、自分でやらかした事だし、彼だって待ってるはず。どうなるかわからないけど、とにかく謝ろう。そしてもう会うのはやめる。
と思いつつもなかなか会いに行くきっかけが掴めなくて、またも無為な日々が過ぎていった。
もたもたしていたら雪が降り出してしまう。その前に勇気を搾り出して会いに行かなきゃ。でもどんな用事で?何ヶ月もほったらかして、今更なんだって思われないかな。
ランチタイムを利用して図書館へ向う間中、鬱々と歩きながら何度も同じことを考えていた。
不意にヨアニスの声がした。私を呼んでる。ついに幻聴が聞こえるようになったかと顔を上げると、今年最後の晴れやかな秋晴れの下で天使が微笑んでいた。
まさか、幻覚まで?私は目をぱちぱちさせた。でも幻覚は消えないまま。
久しぶりに目にしたヨアニス。相変わらず頭のてっぺんから靴の先まで残らずかっこいい。っていうか、美しい。
少年から青年に移行したばかりの輝くばかりの生命力は、開きはじめたのバラのよう。
黒いシャツに黒い袖付きベスト、おまけに黒いズボンを履いていた。黒が好きなのね。闇の民だから?黒い薔薇がこの世に存在するのなら、まさしくこんな感じだろうか。
同じ黒ずくめでも学院のヒョロリとやせほそった魔術師たちとはぜんぜん違う。アリンコと天使ぐらい違う。
「おーい、ユリ。聞こえてるか?」
「え?」
目の前の天使がすごく心配そうに私の顔を覗き込んだ。「よっぽど疲れてるんだな」
「え、あ。その、予定が詰まってて」
「そっか。あのさ、お前『青雷』に入んの?」
「……なんで知ってるの?」これ幻覚、よね?違うの?なら白昼夢かしら。
「そりゃこんだけ噂になってればな」
「嫌だ。まだ返事してないのに」
「で、どうすんの?」
「どうって、そうするしかないかも。学生のうちは逆らえないよ。経験にもなるし、入ると思う」
「まぁそうだな。でもさ、約束してくれよ。卒業したら『青雷』を出て俺と組むって。そう言ってくれたろ?」
あ、これ、現実だわ。
信じられないけど、信じられないほど優しいことを本物のヨアニスが言ってる。
ポカンと口を開けて彼の顔を見上げた。相手もきょとんとしてる。まるであの日起きた恥ずかしい出来事も2ヶ月の空白さえ何もかもなかったみたいに。
気をつかってくれてるんだ。その優しさに胸が詰まった。小さく「うん」と呟く。
とろけるような笑顔を見せたヨアニスは、私の手を取って図書館前のベンチに座らせてくれた。少しの間、二人で道ゆく人々をぼんやり眺めていた。
私は「ごめんね」と小さく囁いた。彼は首を傾げて私の頭のてっぺんに自分の頭をのせ、「いいさ」と言った。
「あのさ、俺、ユリがそこまで俺とダンジョンに入るのを楽しみにしてたなんて知らなかったんだ。俺の方こそ謝るよ、ごめんな。……ユリを連れていく前にある程度把握しておきたかったんだ。かなり危険だって話だったから。嫌いにならないでくれ」
「もちろんよ。あれは私が悪いの。変なこと言って、その……」
「いいって。俺さ、嬉しかったんだ。ユリはガーレンの偉い魔術師になっちゃっただろ。そのうち俺なんかとは会ってくれなくなるかもって、心配だったから」
驚いてヨアニスを見上げた。「まさか!」そんなこと心配してたなんて。嬉しいのに、同時にその通りだということも思い出した。だって私は彼の望みを叶えてあげられない。今なら浅い傷で済む。だから……。
「あ、その……」
「何?なんでも言ってよ」キラキラした瞳。本物の天使みたい。……とても言えない。
「その、来年の話なんだけどね、『青雷』の入団テストがあるの」
「ああ」
「それがね、遺跡ダンジョンに入るんだって」
「……断れないんだろ?しょうがないさ。まぁ、浅い階層ならそう危険でもないし、あの『雷青』のメンバーが一緒ってなら安全か」
「そうね。5階層までしか行かないみたい。そこでキャンプして戻ってくるの」
するとヨアニスは急に立ち上がって叫んだ。「……なんだって!5階層!?」そのまま私をまじまじと見つめた後、ため息と共にベンチの背もたれに倒れ込んだ。
完璧な微笑みを浮かべる天使は引っ込み、ずっとヨアニスらしく感じる拗ねた子供の顔で私を睨む。
「おまえさぁ、俺の事は責めておいて自分は行くのかよ。5階層ってかなり深いぞ。俺は2階層で引き返したんだから。その下はもっと腕のいいパーティーを揃えなきゃ無理だってさ」
「あら。ヨアニスだって腕利きじゃない」
「5階層を潜るようなハンターは臨時なんて雇ったりしないよ。あーあ。先を越されたな」彼はがっくり肩を落とした。
「……5階って、深いの?」
高層ビルに慣れた日本人の百合子の記憶があるせいかどうもピンと来ない。
この世界の建物はどこも高くても3階建てぐらいだから、もし5階建の建物をみたらすごく高く感じるんだろうけど、地下となると想像もつかない。
彼は呆れた顔をした。「そりゃ深いだろ。1階層だけでも相当な広さがあるんだぞ。俺が思うに、ガーレンの岩場よりずっと広いな」
「……」
「いや本当に。あれは人間が作ったんじゃない。古代神人の遺物だってさ。ダンジョン自体がアーティファクトなんだ。なんでもありさ」
「……へぇ?」
「潜ってみればわかる。自然じゃありえないから。あそこの魔物は妙なんだ。現れ方が不自然だったからさ、足跡を辿ってみたんだ。それが突然現れたとしか思えないんだよ。地面は硬いし横穴もないのにさ」
ヨアニスは首を傾げ、それから思いついたように年相応の表情で澄んだ青空を見上げた。機嫌がコロコロ変わる。
「一般のハンターは大体3階層ぐらいまでを狩場にしてる。それ以上深いと致死性の罠があるから絶対に鍵師がいるんだ。わざわざそんな危険を冒してまで潜るハンターは稀だよ」
「じゃ、3階までなら鍵師がいなくてもいけるんだ?」
「いや、罠はあるんだよ。死にはしないってだけで」
「なんだ。……とりあえず、私も一度くらいは行ってみる。紹介してくれた先生の顔も立てなきゃだし」私はベンチから立ち上がった。そろそろ昼休憩が終わる。
ヨアニスは深いため息をついた。「……ああ」今度は暗い顔になって、「もう少し深く潜れるパーティーを探してみる」とかなんとかもぞもぞ言った。
ああ、そっかと思った。男が見栄の生き物だって忘れてた。
私にいいとこ見せたかったのね。迷わず地下迷宮を進んで見せて、すんなり魔物を倒して、あたふたする私をうまくフォローして。そんなことがしたかったんだ。まったく、デートの下見じゃあるまいし。
私は驚きも恐怖も喜びも、すべての初めてをあなたと一緒に経験したかったのよ。
ヨアニスとの仲直りは不思議なほどの平穏をもたらした。
疲れは感じるけれど翌朝目覚めればすっきり回復している。そんな毎日を順調にこなし、冬の終わりに迎えた進級テストでは教師たちに絶賛されながらすべての教科をクリアすることができた。
高等部の審査はますます厳しくなっていたけれど期間は長く取られているので、頭と魔力を振り絞ってこなしてきた毎日よりもテスト期間中の方がずっと楽に過ごせたのだった。
そうして無事2年生への進級が決まった春、朝のトイレを済ませて部屋に戻ると、ベッドの上に洗いたての衣服が入った袋が置かれていて、隣に見慣れない青いローブとベルトがたたんで置いてあった。
これ、『青雷』の制服だわ。支給されたんだ。
ローブを広げてみた。くすんでいると思っていた青色も新品は鮮やかなサファイアブルーだった。
手に取ると微かに魔力が流れ込んでいくのを感じる。学院支給の黒ローブよりはっきり伝わるこの感じ、相当な高級品だわ。おそらく術者をサポートする機能や防具としての強化が施されているんだろう。
地下迷宮に潜るのは春だって言ってたっけ。一度『青雷』の事務所に行って、詳しい日時とか必要な持ち物なんかを確認しておかなくちゃ。
あの団長の顔を思い出してげんなりしながら階段を降りていくと、寮母が私を見上げて満面の笑顔を見せた。片手に持っていた雑巾を水の入った桶に放り込み、大きく両手を広げる。
ハグは嫌い。私は気付かないふりをして階段を降りきった。
「おはようございます」
「聞きましたよ。すばらしわ、ユリ。凛々しいお顔をして、すっかり『青雷』の戦士だわね!これから事務所へ行くんでしょう?先輩方の言うことをちゃんと聞いてしっかり従うんですよ。そうすれば安全ですからね。あら?制服はどうしたの?着てきなさいな。みなさんお喜びになるわよ!」
捲し立てられてギョッとした。この指示はなんなの?あんな目立つ服着て学院を歩き回るなんてごめんよ。
しかし「大丈夫です」と断ったら、腰に手を当ててお説教ポーズを取られた。わざとらしいこの感じ、相手も仕事なんだろうけど、会うたびに頼りになる母親代わりを演じられるのは鬱陶しいことこの上ない。
「いいえ!ダメダメ。ほら、サイズが違うようなことでもあったら早く直さなきゃでしょ。魔導具のお洋服って繊細なのよ。あちらにも都合というものがあるんですからね。さぁさぁ、着替えておいでなさい」
はいはい、わかってるわよ。周知を兼ねてるってことね。なんだか疲れた。ぐったりしながら大人しく引き返す。
馬鹿みたいだけど、こうしたパフォーマンスが必要な場合もある。特に裏でガチガチに派閥争いを繰り広げてるような時には。
私は真新しいローブを羽織り、幅の広いハンター用のベルトをしめた姿で明るい太陽の下へ出た。
『青雷』の事務所は大図書館などがある人通りの多いエリアの裏側にある。
高等部寮からはかなり離れていて、歩いている間に多くの学生とすれ違った。その誰もが「やった!新しいネタを仕入れたぞ!」って顔をしていた。
こんな時には決まって会いたくない人たちに会ってしまうもの。やはりというか、ちょうど図書館から出てきたパルマとテンと出くわしてしまった。
半ば諦めの気持ちで声をかける。「おはよ」
二人は私を見て目を丸くした。テンが大声を上げた。
「すごい!入団するって本当だったんだな!」興奮のあまり白い顔を真っ赤に染めて私のローブに顔を近づけた。「これ見ろよ。すごいぞ。この精緻な刺繍!ずいぶん強固な付与魔術だなぁ。しかしなんだろう?読み解けないぞ。青い染料にも意味がありそうだけど……」
そんなテンの言葉をかき消すようにしてパルマも甲高い声を上げた。
「まぁ、ユリったら、信じられないわ!ねぇ、本当によく考えたの?だって……危険でしょう?せめて相談して欲しかった。『青雷』って、ハンターなのよ?」
ああもう、やめてほしい。通行人まで気付いてこっち見てるじゃないの。もう今更だけど。
私はため息をこらえ、「知ってる。ごめん、急いでるから」とだけ言って早足に立ち去った。
その背中に向かってテンがダメ押しのように叫ぶ。「後で話を聞かせてくれよ!」
順調に進級、進学を進め、高等部3年となった今でも『優等生』であり続けるパルマとテンは、来年の進路を研究院に定めていた。
テンは教師を目指し、パルマは薬学系の専攻を選んで研究員を目指している。
だけどファーシは。おそらく学院を諦めることになるだろう。ほんの2年前までこの二人と共にいたはずの彼女の姿がないことに、わずかに胸にチクリと痛みが走った。
努力したところでどうにもならない、『才能』という壁がガーレン魔術学院にはある。
パルマとテンとはこんなふうにたまに会って話すこともあるけれど、ファーシとは会わないままだった。
別に会いたいわけじゃない。でもパルマによれば今年も留年したそうで、今もどこかで相当に落ち込んでるはずだった。
しかもますます荒れて素行が悪くなっているらしい。パルマからではなく、噂で聞いた。
図書館の横を通って人気のない近道を急ぐ。
『深淵の青雷』のメンバーは現在100名近くいるそうだけど、実働しているのはそのうちの半分もいないそうだ。事務所は思ったより大きな建物だったけど、中の人はまばらだった。
私が入っていくと、机が並ぶ広い事務室の全員が振り向き、こちらを凝視した。敵か味方か見定めているような、警戒の視線。ライバルだと思われている?それとも……。
そのうちの一人が立ち上がって拍手したので見やると、さらさらした金髪の若い男性が人のいい笑顔を浮かべて近づいてきた。
可愛らしいとさえ言える顔面と柔和な雰囲気。ヨアニスとは違うタイプの正統派天使。見る限り相当練り上げた魔力を纏っている。
学生のように若く見えるけど、その逆でもある。年齢不詳。優れた魔術師であれば体内に流れる魔力の精度によって一般人より健康を保てるし、その分老化も遅くなる。
「やぁ、君、ユリだろ。来てくれて嬉しいよ。制服も似合ってる」
「どうも。着てくるように言われたの」モゴモゴ言い訳を口にしても男が気する様子はまったくなく、「俺はタスロン。君の指導員だよ」と優しげに微笑み、「あ、そうだ。来週の説明会を兼ねた親睦会があるんだけど、来るよね?」と唐突に確認してきた。
「ええ、まぁ」
本当は嫌だったけど、『説明会』なら出ておいた方がいいよね。嫌だけど。
彼は限りなく無邪気を装った、いかにも嬉しそうな笑顔を見せる。ここまでくると胡散臭い。
「よかったよ!じゃ、奥にリーダーいるから顔見せてきなよ……あ、嫌?」
タスロン先輩は「仕方ないな」って感じで軽く笑い声をあげ、「そうだよね。何があったかは察するよ。止めたんだけどさ、勝手に勧誘に行っちゃって。嫌な思いしたろ。ま、あれでも相当君に期待してるんだ」
「期待と言われても、まだ学生ですから」
「うんうん、いいんだよ。じゃ、立ち話もなんだからこっちおいで」
先輩は並んでる個室には行かず、壁際の衝立の奥に私を招き寄せた。女性ということもあって気を使ってくれたんだろう。
異様に人当たりのいいタスロン先輩は、決して深く踏み込まないギリギリのラインで好意があるような雰囲気を醸し出しつつ、馴れ馴れしすぎないけれど事務的でもない絶妙な距離感で今後の説明をしてくれた。
寝袋やランタンなどは『青雷』で準備してくれるらしい。むしろ決められたバックパックを渡されるから荷物は極力少なくした方がいいそうで、改めて用意しておくものは森に入る用のブーツだけ。再来週までにできるだけ履き慣らしておくことをおすすめされた。
この後ハンターが使う店を紹介してくれると言われたのですぐに断ると、さっと引き下がって「あそっか、彼氏ハンターだもんね」とくすくす笑う。
すごいこなれ感。10回ぐらい同じ人生を繰り返してそう。私は警戒レベルを引き上げた。初対面で妙に愛想のいい人間は要注意。
彼の任務は私を『青雷』に引き留めておくことなんだろう。
学院は珍しい『神人』を手放したくないと思っているはず。しかし私の卒業後の進路についてはあちらも苦心したと思う。そこまでの頭がないから教師や研究員には向かないもの。
おそらく形ばかり『青雷』に入れて、適当な役職を与えた上で危険な任務から遠ざけ、学院の広告塔か何かとして都合よく使うつもりなんだわ。
その通りだった。
渋々『説明会兼親睦会』とやらに参加してみれば、場所は裕福層向けの豪華なホテルの会場で、どう見ても現役じゃないおじさん連中が多くいた。OBだそうだけど、みな裕福な身なりをしていて、むしろスポンサーっぽかった。
他のメンバーも戸惑っていたから今年だけのことみたい。
苦虫を噛み潰したような団長リューゼフの挨拶と副団長からの簡単な説明の後は会食に移行した。
幸い立食ではなく席も決まっていた。私の両隣には女性の団員とタスロン先輩が陣取り、ニヤつきながら盛んに話しかけてくる気持ち悪いおっさんたちからさりげなく守ってくれた。しつこい奴もいたけれど、その度に他の団員がフォローに入った。
スポンサーの意向には逆らえないけれど、私にも逃げ出されないようにしなくちゃいけないってとこ。
『青雷』の立場で出来る限りのことをしてくれているのはわかる。それでもとても新人を歓迎するような雰囲気じゃなかった。
かの名高き『深淵の青雷』がここまで落ちていたとは。お金って怖い。
学院に残れば一生飼い殺しにされてこんな目にあわされ続けるんだわ。
卒業証書をもらったら即逃げよう。改めて心に決めた。
そんな苦行もなんとか終わりに近づき、ようやく帰れそうな雰囲気になった時、隣に座っていた女性のキラ先輩がにっこり笑って団長の席を指差した。
リューゼフがこっちを見てる。太い顎を斜めに上げて「こっちこい」の仕草をした。
仕方なく行くと、私の顔を見るなり相変わらずの顰めっ面で「今後、団の活動にその使い魔を連れてくることは許さん。ハンターヨアニスの件は聞いているが、とても許容できん」と言い放った。
使い魔とはコウモリの魔獣のナッツのことだろう。学院でも本当はペットを連れきちゃいけない決まりだし、彼の言わんとしてることはわかる。でも『青雷』は魔術師軍団。中にはテイマー技能を持った団員だっていそうだけど。
「理由を伺っても?この子は特に邪魔にならないし、無害です。ダメだというなら部屋に置いて来ますけど」
リューゼフは汚らわしいものでも見るような顔でナッツのいるフードの方を睨みつけた。気配だけでも敵意があるかどうかわかるんだろう。ナッツは私の背中で居心地悪そうにもそもそした。かわいそうに、何もしてないのにね。
たまに、魔物だというだけで生理的嫌悪を抱く人もいるから仕方ないことなんだろうけど、姿さえ見せないこんな小さな子にまでイジワルしなくたっていいじゃない?
「お前とヨアニスの関係に口を出すつもりはない。メイシスからも話は聞いている。しかし俺の『青雷』に学院長の監視を置くなど、不快だ」
「え?」嫌な予感がした。背筋に悪寒が走る。
「監視?なぜ学院長が出てくるの?それにこの子は魔物だけどただのペットで……」
「ふん。知らんのか」リューゼフは厳しい視線の中に蔑みを滲ませた。僅かに憐れみさえ伺える。
「……黙ってろと言われたが、俺の性に合わん。俺は奴の部下ではないからな」
フューゼフはとても信じられない話をした。
「そいつはヴァンパイアの使い魔だ。得た情報を学院長が受け取っている。わかるか?学院長の息のかかったスパイを『青雷』に持ち込むんじゃねぇ」
「な、何を言ってるんですか?この子はスパイじゃないわ。ただのペットで……ヨアニスに借りた……お守りだって……」私が学院で寂しくないようにって……。
リューゼフは吐き捨てた。「くそが。魔族を信用しやがって、馬鹿が。……行って話してこい」
どうやって帰ったか覚えてない。気付いたら寮のベッドに腰掛けていて、フードにいたはずのナッツは姿を消していた。
こんなの、とても信じられない。
ナッツはずっと、入学当時からずっと一緒に暮らしてきた相棒で、ちょっとお馬鹿で寝てばかりいて、それでも私が悲しい時は彼なりに気遣ってくれる、かけがえのない友達だった。
ずっと一緒に寝ていたし、生活のすべてを共にしていた。誰にも見られたくない時、恥ずかしいほど泣いた時も、感情をむき出しにして怒った時も……着替えも入浴も体を拭く時もずっと側に、いた。
ごくりと生唾を飲み込んだ。使い魔?感覚を共有してるのよね、『主人』と。
感情が頭に追いついてこないのに、ヨアニスを信じたいのに、理解したくないと抵抗する私を理性が力尽くで押さえつける。
ナッツはコウモリだけど優れた視覚を持っていて、大きなつぶらな瞳は人間以上に機能している。
……嘘でしょう!?
心臓が激しく胸を打つ。呼吸が苦しい。
もしそれが本当なら、今までずっと覗き見されてたってことになる。
そりゃあナッツがヨアニスの使い魔だった事は知ってたけど、渡された時には……だって、そうでしょ?つながりはあっても、ヨアニスとナッツの感覚はもう共有してない、そうよね?
だけどそれならヨアニスの今までの不可解な言動にも説明がつく。
アパートに行けばドアをノックする前に出てくるし、知らないはずの私の情報を知っているかのような態度をとったこともある。そういえば必ずナッツを連れ歩くよう念をおされたっけ。
いやまさか!
でも待って。彼、私のこと本当に好きなの?そう言える?むしろ本当は嫌ってるんじゃない?
少年らしい純粋な面のある可愛いヨアニス。私に好意があるようなそぶりをよく見せていたけど、その反面、私が苦しい立場に置かれていた時に一瞬だけ垣間見せたあの嬉しそうな顔は……。
じゃあ、ずっと私を騙してたってこと?
違うと信じたい。なのにそう考えた方がしっくりくるのはなんでなのよ。あまりのことに目の前が真っ暗になった。
そうだとしたら、いつから学院と繋がってたんだろう。彼を紹介したのはビターナ司祭だけど、学院を勧めたのはヘンレンスさんだわ。
頭がパンクして息も満足に出来なかった。震えが止まらない。それなのに頭はフル回転してる。
誰も彼もに疑えるだけの要素がある。
ヘンレンスさんと娘のビターナ。教会と学院。それはいい。二人とももう離れた人間だし、今後も会わないもの。綺麗な思い出だけをとじ込めて、心の底にそっとしまっておける。
涙がこぼれた。だけどヨアニスは。
ああ、これがハーフヴァンパイアってやつなんだ。
知り合って十数年、ずっと忠実な友を装ってきた。そんなことできるもの?人間じゃない。長い間あの魅惑的な笑顔の裏で冷徹な判断を下してきたんだ。とても信じられない。
ああ、彼は荒野でナッツを拾って、旅の間中私を監視させてたと言ってた。……今でもそうなんだわ。
街についたばかりの時、夕暮れの宿の部屋で悲しい告白をしたヨアニス。手の内を晒したのも仕事の一環で、同情させ、信用させてこれからも私を監視する為だった。
私のプライバシーを侵す事になんの抵抗もなかったの?友達になった後も?
いや、最初から友達なんかではなかった。
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