第39話 青春の翳り2
食堂の空いている一画で一人で昼食を食べている時、すぐ後ろから陰口が聞こえた。わざと私に聞こえるように喋ってる。
別にそれ自体は珍しいことじゃない。『神人』という未知の生物を受け入れられない人は多いし、そもそも距離をおきたがったのは私も同じ。
ただ今回はそれが、ファーシといつも一緒にいる女子グループの一人の声(えらく甲高い)だったから、思わず耳を澄ませてしまった。……いる。ファーシが。
「ねぇ、ユリってすっごい馬鹿なくせに、先生たちに贔屓されてるって有名だったらしいよ。進学試験だって本当は落ちたのに、特別に上げてもらったんだって。ずるいよね」
「そ。本当の話。あたし近くで見てたから知ってるんだ」
「ヤダァ、サイテーじゃん」
なんだ、その噂か。拍子抜けするのと同時に、ファーシの声が混ざっていて気が沈んだ。
間違いなく今のはファーシ。ほんの数年前までそんな根も葉もない悪意満載の噂から私を励まして守ってくれていたあの子。それが今やこれだ。
大したことじゃない、そう思いたくても心は揺れる。
その日の授業は散々だった。『歩法』のクラスでは派手に転び、『結界術』ではペアを組んだ相手に軽い火傷を負わせてしまったし、先生には集中力が足りないと散々叱られた。
その夜、自室の机に足を乗せて禁断の魔術書(都市の中心にマグマを発生させるといういかれた魔術だけど、真偽は不明)をペラペラめくりながら悶々と過ごしていると、珍しく誰かが部屋にやってきた。
控えめなノック音とドアの軋んだ蝶番の音で気付き、足を下ろして振り返ったら、パルマだった。
スラリとのびた体、クセのない金髪、長細い耳。もう懐かしい。数ヶ月前の記憶よりも少しだけやつれていて、目の下にはクマをこしらえていた。
高等部生でこんなにものんびり過ごしているのは私ぐらい。最近はパルマもテンも勉強が忙しようでなかなか会えない。だからこうやって自分の時間を削ってまで私に会いにきてくれたことを嬉しく思う反面、訝しく思った。
私の返事を待たずに部屋に入ってきたパルマは、芝居のかかった仕草でふぅとため息をつきながら後ろ手にドアを閉めた。
「お邪魔しても構わないかしら」
「ダメって言ったら帰ってくれるの?」
パルマはそれを無視して説教するようにきっぱり言った。「あの子のことよ」
「ああ」やっぱりねと頷く。「私の悪口を吹聴して回ってるやつ?それなら気にしないわ。みんなもう私の実力は知ってるんだし、あんなのただの嫌がらせだもの」
「ええ、いえ、そうじゃないの。あなたじゃなくて、問題はファーシよ」
「知ってますけど?」
冷ややかな受け答えにさすがのパルマも少しだけ躊躇っていた。しかし彼女の信念はいつだってファーシのためにある。母性がやたら強い彼女はだいぶ年下のファーシが可愛くて仕方ないのだ。
妹というより、娘。宝物のファーシのために無理やりに微笑みを浮かべて、ほっそりとした優美な体を半分に折ってベッドに座った。
あーあ。話が済むまではぜったい帰らないぞってことね。
「あの子は今、とても大変な時期にいるの。わかってあげて欲しいのよ」
「はぁ?」
「ヒューマンはね、寿命が短いの。だから幼いまま大人になるわ。心が整っていないのに、体だけが先に大人になってしまう」悲しげに、でもどこか嬉しそうにため息をつく。
パルマはどう説明すれば理解してもらえるかと考えながら話しているようだった。
理ずくめで私が落ちると思ったら大間違いなんだけど、理性的なパルマには理解できないだろう。
私はうんざりして漆喰で塗られた天井を見上げた。
「そんなの誰だって同じでしょ。種族は関係ないと思う。情緒不安定なのは成長ホルモンが暴走してるせいよ」
「何?あなたってたまに変なこと言うわね」
「変じゃない。あれは思春期の黒歴史ってやつ。だからって人を、自分の代わりに友達だった人を攻撃するなんて、クソのやることよ。ファーシなんて庇う価値のないただのヒューマン」
パルマは目を見開いた。私の言い草に衝撃を受けたようだけど、どこまで演技かわからない。だいぶ母親業に酔ってるみたいだから。
「ユリ!ひどいわ。あなた勉強が出来なくて大変だったでしょ。ファーシはずっとそんなあなたを支えてあげなくちゃって……だけど最近は、立場が逆転して、それで……」
「それで?」
「中等部に上がってから少しづつ成績を落としていって、進学してからは……授業についていけなくなったの。実習室にこもって一人で泣いていることもあるのよ」
「あっそう」
わざわざ実習室で泣いてるところをパルマに見せるあたり二人の蜜月関係は終わってないみたい。
私いったい今、何に巻き込まれてるの?
パルマは顔を手で覆いながら自分のことのように苦しんでみせた。
「あの子、本当は魔術師になんてなりたくなかったの。だけど両親に期待されて頑張りすぎてしまったのよ。あなたの前ではそんな素振り見せなかったでしょ。今まではあなたを心配する事でバランスを取っていたから。ああかわいそうに、もう限界なの」
「ふんっ。それってあくまで本人の問題じゃない。私に八つ当たりするのはやめて欲しいわ」
「もうっ。どうしてそんなに冷たいの?ファーシはまだ子供なのよ」
「私も体は若いわよ。長く生きてるけど」
「違うわ。ファーシはあなたとは違うの。強くないの。そうね、学院向きじゃないわね。だから皆でフォローしてあげないと」
「そう言ってやればいいじゃない。中等部は卒業したんだし、頑張った方じゃない?」
「ばか!あのね、あの子はあなたが羨ましいの!だけど本当に羨んでいるのはあなたの魔術師としての才能じゃない。ヨアニスよ」
私は面食らって慄いた。「やだ。ファーシってヨアニスのこと好きなの?」
「そういうのとは違うわ。側にいて支えてくれる人が欲しいのよ。ファーシの夢は『お嫁さん』なの。好きな人に大事にされて、子供をたくさん産んで、幸せな家庭を築く。それだけを望んでいるのに、うまくいかなくて焦っているのよ」
「……お嫁さんて」
生まれ育った村や恋人を振り切って学院に来たガーレン女子のパルマ。さすがに少し呆れ顔だった。と思ったけど、その『夢』に共感する部分もあるみたい。
まぁ、そんなに変でもないか。この世界の文明はかなり未熟で女性の扱いも低いから、成人しても夫がいないと一人前の扱いをされない。それどころか家族さえも白い目で見るような世の中だもの。家庭環境のいいファーシが『女の幸せは家庭にある』と刷り込まれていてもおかしくない。
私なんてせっかく魔術師になれたのにもったいないとしか思わないけど、子供が欲しい気持ちは私よりパルマの方がわかってやれるんだろう。
しかしなぁ。パルマとはそういう話ししてたのね。ちょっと傷つく。
「あなたとヨアニスはあの子の理想なのよ。お互いなくてはならない存在でしょう?ずっと憧れていたのよ。そんな相手と家庭を築く、それがあの子の夢」
「なら辞めちゃえばいいじゃない」
「そんな簡単にはいかないからこんなことになってるのよ、まったく。困ってるの。あの子、最近あんまりたちの良くない男の子と仲良くなってるみたい。もう私の言うことも聞かないし、どうしたらいいのか」
「ボーイフレンドでしょ。そんなの自由じゃないの。誰と付き合おうとファーシの勝手。たちが良くないってのもあなたの主観でしょうが」
「違うのよ!本当に、犯罪に関わっていてもおかしくないような相手なの。街で見かけた時はもう、心臓が止まるかと思った!」
「チンピラってこと?……ま、そういう趣味なんじゃない?ほっとけば」
そろそろ出ていってくれないかなという気持ちを込めて適当に言うと、パルマは前のめりになってブンブン首を振って叫んだ。
「だから違うの!あの子、彼氏を取っ替え引っ替えしてるのよ!それもろくでもないのばかり!」
想像してちょっと笑った。「……あらまぁ!ファーシもやるじゃない」
「……はぁ。どうしてそうなの。心配じゃないの?ねぇ、ファーシのことなのよ?あの子なりのやり方で理想の恋人を探してるんでしょうけど……運が悪ければ取り返しのつかないことになる。何もわかってないのよ」
「もう、ちょっと落ち着いてよ」
いつもは賢いパルマだけど、可愛いファーシのこととなると途端に過保護になるんだから。母性って知性の反対語だっけ?すっかり脳みそがとろけちゃってるわ。
私が思うにファーシはただ、(運命の相手探しは一旦おいて)とにかくうさを晴らせる相手と遊んでるだけだと思う。
良くない方向へ進んでるのは確かだろうけど、それで落ちるとこまで落ちるならそれがファーシという人物に相応しい人生だったってだけのこと。
パルマからこんなおせっかいを受けなくとも、ファーシはもう自分で判断できる年頃だ。前世でヒューマンだったから分かる。甘えているだけ。
ちょっと壁にぶつかってうまくいかないからって、安易に荒れて見せている。赤ん坊のように泣き喚く代わりに、「こんなに傷ついてるのよ」って誰かに訴えているのだ。自暴自棄とは違う。自分を傷つけていることもちゃんと分かってやっている。
「ねぇ、ユリ。あの子を励ましてあげて。あなたの言うことなら耳を貸すから」
「それはない」
「せめて話だけでもしてよ。友達でしょう?」
「正確には『友達だった』だわ。で、パルマは被害にあっている私に、許してやれって言いにきたのね?そりゃあちょっとは恩があるのは認めるけど、全力で何かしてやろうと思うほどじゃない」
「ユリ……」
ほんと、冗談じゃない。パルマは自分の物語に私の役を用意してくれたみたいだけど、舞台に上がるかどうかを決めるのは私自身よ。私は姿勢を正してパルマに向き直った。
「ねぇパルマ、はっきり言わせて。私はファーシの甘えに付き合うつもりはないの。彼女が謝るなら別だけど。そんなに心配ならそれぐらいさせなさい。話はそれからよ」
パルマはそれでも食い下がってきたけど、私の意思が固いと知ると(散々情に訴えたのちに)諦めて出て行った。
耳を澄ませ、隣のドアが閉まる音を聞いてからようやく大きく息を吐いた。
ああもうっ。立て続けに嫌な事ばかり起こる。傷つけられたのは私の方なのに、あんな子を庇って、ふてぶてしくも被害者である私に『歩み寄れ』と?ふざけないでよ。
私が留年したせいもあってパルマとファーシは常に二人でいた。私はいつも蚊帳の外だった。今だってそれは同じ。結局私を悪者にしていちゃついてるだけじゃないの。
しばらく怒りのまま何もない空中を睨みつけていた。
それも馬鹿馬鹿しくなって部屋に浮かべていた魔術の明かりを消し、ベッドに潜り込む。
眠りたいのに眠れない。パルマの前では強気でいられたけど、こうして一人闇に包まれていると不安で胸が押しつぶされそうになる。闇は心の底にある暗いものをいとも簡単に暴いてしまう。
いらいらしながら何度も寝返りを打っていたら、ついに我慢できなくなったナッツがベッドから這い出て、閉め切っている木窓の前で乱暴に羽ばたいた。
面倒だけど仕方ない。起き上がって窓を開けてやる。「お前まで出て行くのね」と恨みがましく呟きながら。
再び高等部寮の上等なベッドにダイブし、突っ伏したまま目を閉じた。
時間だけが過ぎてゆく。相変わらず考えてもしょうがないことばかり頭によぎって、なかなか落ち着いてくれない。
呪いをかけるように、静かな声で誰かが囁いた。
友達だと思っていた子たちが次々と離れていく。どうしてなの?
私が悪いの?
そう。今までちゃんとファーシやパルマやムイと向き合ってこなかったから、こうなったんじゃない?自業自得だわ。
自業自得か。そうかもね。
思い返せば、前の人生でも友達なんていなかったな。知り合いは多かったけど、それは仕事のためであって、プライベートには一切干渉させなかった。
そもそも友情に夢を見てなかったし、一人が好きで、他人が嫌いだった。
不要と思ったこと、理解出来ない事はきっぱり切り捨てて生きていた。
……賢い生き方だわ。
百合子のやり方を思い出していたらだんだん冷静になってきた。
そもそもファーシやパルマは私を対等と思ってない。問題はそこ。下だと見下していた相手が今やヒエラルキーのトップ(そんなに思い上がってはいないつもり。なにしろ魔術に長けた『神人』が実力を発揮してしまっているんだから)にいるものだから気に入らないだけ。
そんな『友達』、必要?……いらないよね。
ようやくまとまりかけた脳内会議なのに、心の奥に棲んでいる弱い私はしつこかった。闇の中でけたたましい金切り声をあげて抵抗する。
ううん、違う!それ、百合子のやり方でしょう?あなたは百合子じゃない。だから傷ついてるの……!
なら今の私は誰だって言うの?……わからない。
体が違うとここまで変わってしまうものなのかしら。確かに私は百合子ほど強くないし、ずっと感情的で、実力もないくせにわがままで、無駄にプライドが高い。
ああ、これじゃただの思い上がった子供だわ。
だから陰口を叩かれる。みんな私が嫌いだから。
ファーシにとって私は苛立ちをぶつけてもぜんぜん構わない相手。パルマもそう。
ムイは、ああ、可哀想なムイ。助けを求めていたかもしれないのに切り捨ててしまった。だけどあれは、仕方ないでしょ。
テンくんはどうだろう。彼はそもそも私を友達認定しているかどうかさえ怪しい上に、嫌う理由ならたくさんあるかな。
ヨアニスもだわ。ちゃんと話をした事があったかしら。
でも今更なんて言う?都合がいいからパーティーを組んで欲しいけど、恋人にはならないって?
いや、これは言うべきかも。きっと酷く傷ついて去っていくだろうけど、事実だもの。早めにはっきりさせた方がいい。彼のためにも。
要するに、ここで起こっていることはある意味運命に近い。友達とはいえ利害関係を持った他人同士。うまが合わなくなれば別れるのが自然なのだ。
私は固く瞼を瞑った。今度こそ落ち着くところに落ち着いた気がする。
さぁ、形ばかりの『友達』なんていらないわ。ヨアニスのことは、ちょうどいい機会が来たら必ず言う。
よし、これでいい。明日からこの方針で行こう。
6時の鐘が鳴って飛び起きた。
半分開けたままの木窓から光が漏れてる。嘘でしょ。まったく寝た気がしないのに、もう朝が来てしまった。
ナッツは夜の散歩から戻っていて、枕の下のくぼみにちょうどよく収まって気持ちよさそうに眠っている。なんて羨ましい。そっとキルトケットを引き上げてやり、ベッドから飛び降りた。
寝不足ではあったけど、昨夜の決断のおかげで心の中はだいぶスッキリしていた。
急いで顔を洗い、着替えてカバンに必要な文具を詰め込むと朝食をとりに部屋を出る。
学生でいっぱいの食堂で朝食セットを受け取り、できるだけ人のいないエリアを探して座った。すると私の席の斜め前の男子生徒が突然スープ用のスプーンをとり落とした。金属音が朝の食堂に響き渡る。
視界の端で確認すると、青年は哀れなほど顔を赤くして俯いていた。
うんわかる。赤くなってるって意識するとますます恥ずかしいのよね。どうやら彼は『神人』と仲良くしたい派のようだから、話しかけられる前にとジャガイモのポタージュにちぎったパンを突っ込んで口に放り込み、りんごジュースを一気飲みして席を立った。
育ちのいい子はこれだけで引いてくれるから助かる。口に出さなくても態度で察するのが上手いのが貴族階級の良いところ。これが商人の家の子となるとしつこいのよね。
早く食べ終わったおかげで空いた時間を利用して、図書館に昨日借りた本を返しにいく。
勉強漬けの学生が早朝から利用するからここの司書も大変だろう。学生も司書も、みんなどことなく不機嫌そうな顔をしている。
一番暇そうな人に「おはようございます」と声をかけると、カウンターの奥で半分寝ていた老人がゆっくりと顔を上げた。
借りた魔術書を置くと、老人特有のゆっくりとした動作で魔術書を確認し、「おやユリさん。この本はお気に召さなかったかね?私は面白いと思うが」と話しかけてきた。
なんでほとんど読まなかったことわかるんだろう。一晩で返したから?
「だって嘘みたいなことばかり書いてあるのよ」
「嘘の中の真実にこそ価値があるのだよ」老人は魔術書のページをめくってずいっと前に出した。「筆跡をごらん、弟子か歴史家か、複数人が本人を名乗って執筆しているね。ただし、それほど誇張していない最初の数ページだけは、本人のものかもしれんね」
「あらそう?」
「だめだねぇ。そのままではとても『賢者』にはなれんよ」
「『賢者』?そんなの目指してない」
「そうかね」老人は肩をすくめると今度こそ本を回収した。
『賢者』ですって?変な人だわ。
ジリジリと上がっていく眩しい夏の太陽を片手で遮りながら黒ローブの群の中にわけ入る。みんな急足だけど、通り過ぎた何人かは私をもう一度見ようと振り返った。
ほらね、ファーシ。私はもう落ちこぼれじゃないのよ。
学院中の人間が私に期待している。
『神人』の価値や大司教である父のコネクション(そんなものがあるとすれば)をうまく利用してやろうと虎視眈々と狙う奴も多い。なにしろその筆頭がこの学院のトップ、学院長なんだから。
ファーシはもっと意地悪したいのを堪えて私と仲良くし続けるべきだったのよ。
誰もが羨むポジションにいながら、まともな駆け引きさえできない、馬鹿で素直なファーシ……。
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