第52話 小さな火2

正午の鐘の音を聞きながら、ヨアニスのアパートを目指していつもの坂道を下って行く。


アパートの階段を上がり、合鍵を使って入ると、たった今慌てて起きてきたばかりって感じのヨアニスが出迎えにきたけれど、それを避けて薄暗い廊下に出る。

後ろからヨアニスがついてきた。お茶がどうのと言っているけど、それも完全に無視し、廊下に並ぶドアの一つを開けて一人で中に入る。


木窓を開けて暖かい陽の光を入れてから、机の上に鎮座している宝箱をそっと開けた。

見慣れた小さな『水晶』が密やかにきらめく。謎めいた虹色の輝きは、まるで語りかけてくるよう。

『あなたの望みは?』、と。


もしこの小さな『水晶』に、自在に形や性質や質量までを変えることができるなどという、途方もない力が秘められているのだとしたら。

……なんてね。ありえないと微笑む。


それから、何となく頭に浮かんだイメージと共に、水晶に刻み込まれた目には見えない道筋に沿って魔力を流し込む。

冗談めかした、ほんの手始めのつもりだった。

……なのに。


手のひらの水晶は光を放ち、急激に膨れ上がり、内部の青と緑の魔術式をチカチカ点滅させながら、かつてないほど目まぐるしく変形していく。


え?えっ!?

ちょ、ちょっと待って!!


突然の変化に慌てふためき、頭の中で「そんなばかな!」とか「もしかして夢なんじゃ?」とか考えつつも、大急ぎで部屋を飛び出した。

大混乱中の脳の、かろうじて残っている冷静な部分を占めているのは、今イメージした『物』がこの部屋にはまったくそぐわない、物理的におおいに問題のある大きさであるということだった。


確かな力の奔流。水晶の光はどんどん勢いを増していく。

ちょうど廊下にいたヨアニスが、珍しく悲鳴をあげながら近くのドアの向こうに飛び込む。

私は「ひどいよ!」と叫ぶ悲痛な声を背中で聞きながら、このアパートの家の中で一番広い部屋に駆け込んだ。


なんとか間に合った。

安心するのも束の間、小さかった『水晶』は今や私の手のひらより遥かに大きく膨らんでいる。そしてありえない重量を感じた気がして慌ててそれを床に放り投げた。


何かがひしゃげる怪音と共にそれはどんどん巨大化し、大声で「やめて!」と叫んだけれど、『水晶』の暴挙は止まらない。あとは悲鳴をあげながら急いで壁際に避難するだけで精一杯だった。


激しい光は部屋の中央に集まり、ゆっくりと収縮していく。


やっぱり夢なんだわ。だってこんなのありえないもの。ありえるはずがない。

すぐ目の前に、ヨアニスのアパートの見慣れた居間に、あの『馬車』が存在しているだなんて……。


声も出せずに壁にへばり張り付いていることしかできなかった。なのに、我が物顔で居間を占拠する『馬車』は、異様な質量を主張してその場にあり続けている。


限界まで目を見開いて『それ』をただ眺めていると、すぐ近くで割れた皿でも踏みつけたような硬質な音が響き、続いて情けない声が聞こえた。

「うわっ!なんだこれ!ああもう、頼むよほんとに。目が潰れるところだった。光の聖属性には弱いって知ってるだろ。こういうわけのわからない実験は外でやってくれよな」

「ヨ、ヨアニス。これ、夢?そうよね?」

「はぁ。夢ならいいけど、現実だろうな。で、俺の家を破壊したこいつは一体なんなんだ?あーあ、ったく、これだから魔術師ってのは、もう!」


ぶつぶつ言いながら『馬車』を避けてぐるりと回り込んだヨアニスがヒョイと顔を出す。

迷惑そうな表情と、頭の寝癖が「これは現実だ」と言っている。


「おい大丈夫か!?」

ヨアニスはショック状態の私を見つけると素早く目の前に移動し、私の頬を両手で包み込んでどこかに異常はないかと目を覗き込んだ。


「だ、大丈夫よ。……たぶん」

「本当に?」

「うん。その、どうしよう、これ」

「知らないよ。帰るまでには片付けてくれよな」その言いぐさに愕然として彼を見つめ返した。「な、なんで驚かないのよ?」

彼は肩をすくめてそっけなく言う。「そりゃ驚くさ。学院の魔術師どもが妙な真似をするのを初めて見た時はまぁ、腰を抜かしそうになったよ。もう慣れたけど」

「そ、そう?私こんなの初めて見たけど」

彼は「お前が言うのか?」という目つきでジロリと睨んだ。


ヨアニスったら学院で何を見たのかしら。そういえば優れた魔導具士であるメイシスと繋がっていたんだっけ、こいつ。

イラっときたおかげで少し冷静になれた。

そっか、魔導具だもんね。それもアーティファクトだもの。何が起きても不思議はないんだわ。いや、不思議だけど。


私は改めて懐かしい幌馬車の姿に変形してしまった元水晶を見上げた。そして動揺を隠しながらきっぱり告げる。

「先に言っておくわ。このこと、学院の連中やファーシや、他の誰であろうと、ちょっとでも口を滑らせたら許さない。人が感じることのできるすべての痛みを味あわせてから殺してあげるからね」

「おいおい、ずいぶん怖いな」

戯けてかわそうとするヨアニスに私は冷たく言い放った。

「私は魔術師よ。あなたがとても想像できないような残酷なすべを持っているの。気をつけることね。さぁ向こうに行ってて!」


しかし、私の脅しはヨアニスには通じなかった。心臓に毛が生えているに違いない。口を窄めて不服を表す。

「何だよ、もう。わけわからないよ。頼むからこれ以上破壊するのだけはやめてくれ。ここは学院の研究室じゃあないんだぞ。賃貸なんだからな!」

「私だってこんなになっちゃうなんて思わなかったんだもの!」


その時、空いていた窓からナッツが飛び込んできた。キーキー喚きながら部屋を一周する彼をヨアニスが素早く片手で掴み、「落ち着けよ」と優しくなだめる。それから、「なあ、これって、あれか?」と核心をついてきた。

仕方なく「うん、そう」と答える。


居間を占領している幌馬車は、長く使いこまれていてあちこちガタがきている。

思い出深い傷だらけの箱に大きな木の車輪。上に乗っかっている幌は、一部が見窄らしいつぎはぎになっていて、それは遠い昔にダーナスの子らと布の端切れを集めて縫い付けたもの。

御者台なんて、本当にただ板が貼ってあるだけの代物だ。幸いなことに、馬はいなかった。


こうして改めてみると、よくこんな粗末な物に乗って遠いガーレンまで辿り着いたと思う。大陸の端から端、まさに横断の旅だった。


「すごいわ。あのぼろ馬車だわ。ああ、本当に信じられない!」

ヨアニスが呆れて言う。「……俺もだよ」

「もっと驚いてよ。これはね、誰もなしえなかったとてつもない偉業なのよ。本物よね?私の妄想じゃないよね?」

「たぶんな。…っ!ユリっ、下がれ!」突然、ヨアニスは突然私の首根っこを掴むと強引に自分の背後に向けて放り投げた。

なすすべもなく床に転がった私は、背中の痛みを堪えて立ち上がる。「な、何すんのよ!?」

「誰かいるぞ!」

「はぁ?いるわけないでしょ。『水晶』なのよ、これ」

「いいから下がれ」


あるはずもない驚異から私を守ろうとしているヨアニス。じりじりと馬車との間に距離をとりながら、腰のあたりを探って舌打ちした。目当ての剣がなかったんだろう。

私は彼の背から首を伸ばして幌の中を覗き込んだ。


……誰かいる。


薄暗い幌馬車の中に人影が見えた。かつて生活用品やら食料やらを放り込んでいた粗末な木箱、その上に誰かが座っている。


私は驚きと恐怖が入り混じった震え声で囁いた。「誰なの?」

武器を所持していない焦りからか、ヨアニスが苛立たしげに言う。「ユリが知らないなら俺に知るはずもないだろっ」


「あの、どなた?」恐る恐る、馬車の中の人物に声をかけてみた。

まさか、古代人なの?『水晶』の中に閉じ込められていた、とか?


『彼』がこちらを向く。細身の体格の若い男性。なんだけど、不思議と存在感がない。

相手にとっても突然の出会いであるはずなのに、男の方はまったく動揺していなかった。当然のように穏やかな微笑みを浮かべ、「初めまして、マイマスター。私に名前を下さい」と言った。


あ、古代語だわ。そりゃそうよね。私はごほんと咳払いをした。

「あなた、誰なの?」相手の言葉から、通じそうな古代語を選んで問い直す。

「はい、お答えいたします。私はナビゲーターです。使用方法を確認されますか?ただし、その前に名付けを行って下さい」


そこでピンときた。

「あ、あなた、もしかして!……AIか何かなの?ダンジョンの擬人化ということ?」

「お答えできません。使用方法を確認してください」男は柔和な微笑みを浮かべながらもそっけない。


この微妙に通じないやり取りには覚えがある。やっぱりそうなんだわ。ど、どうしよう。狼狽えていると、彼は「名付けを行なってください」と再び繰り返した。


「あの……『名付け』って、名前?ダンジョンの、それともあなたの?」

「はい、名前は『ダンジョン』でよろしいですか?」

「いや待って!違うわっ。とりあえず、命名しないといけないってことなのね?」

「はい、マスター」


ヨアニスが私と男を交互に見ながら遠慮がちに声をかけてきた。

「おい、ユリ、こいつ……」

私はピシャリと言って黙らせた。「ちょっと待ってて」


信じられないわ。私を『マスター』って呼んでる。なんだかわかんないけど、とにかく完全に初期段階なんだわ。これってユーザー登録の一環なのかしら?古代人の文化が謎すぎる。


とにかく名前をつけなきゃはじまらないみたいだけど……。


まずこの『水晶』、いや『水晶だったもの』は、何なのか。

ダンジョンコアなの?違うの?

少なくとも使用者の望んだ形に変化する魔導具だってことはわかった。だけどそれだけならわざわざ人の形を模したロボット(?)なんていらないはず。

きっと相当複雑な魔導具なんだわ。本人も『ナビゲーター』だって言ってるし。


ロボットAI(仮)は使用者である私を安心させるように微笑んでいる。完全なプログラム感。

私、とんでもないことしちゃったんじゃないかしら。こんなアーティファクト、聞いたこともないんですけど。


『会話ができる』アーティファクト。その重要性に慄く。


一般的に、古代人は神々の怒り(あるいは寵愛)に触れて滅んだとされているけれど、もう一つ説がある。

それは、『古代神人』が『神』といわれるほどにまで高めた偉大なテクノロジーを持て余し、扱いを誤って自滅したとされる説。


どちらにしても『滅び』のキーワードとなったのは、あまりにも高度すぎる技術力にあったわけで、その底知れない知識は現代では誰にも解明できない永遠の謎なわけで。


え?喋るAI?当時の知識を持った人工知能?

それって……すごくまずくない?


まるで『プロメテウスの火』だわ。


このAIが持っている『知識』が未熟な現代に突如として現れたら。いったいどんな影響を及ぼしてしまうんだろう。


ギリシャ神話では、神の王であるゼウス神に火を取り上げられた人々を哀んだプロメテウスが、天界の火を盗み出して人類に渡してしまう。そしてその火が文明をつくり人類は栄えたけれど、同時にその火を使って戦争を起こすのだ。


この世界の神々はどうして新たな人類の為に遺跡やアーティファクトを一掃しなかったんだろう。こんなものが出てきてしまったら、絶対に争いが起こる。


思えば、私たち『地球人』をこの世界に呼ぶ理由も謎だ。危険な地球の知識が流出してしまうじゃない。

もしかして、むしろ神は世界が再び炎に包まれる事を望んでいるんじゃ……。


ぞくりとする。

学院の授業でちらっと聞いたけど、現在の文明以前にも、たくさんの高度に発達した文明が存在していたらしい。滅んだ理由は、疫病だとか災害だとか、それなりの理由があるけれど、どれも決定的じゃない。


私は馬車の中で静かに微笑んでいる男から目を逸せずにいた。

『彼』は禁断の火。人類を破滅に導くかもしれない、今はまだほんの小さな火。


私はごくりと唾を飲み込んで囁いた。

「あなたの名前は『ケラーキ』。私の『火』よ」声は掠れていた。


「登録しました。私は『ケラーキ』。あなたのパートナーです」

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