第51話 小さな火1
部屋を暗くして座禅を組み、目を閉じて、体内を巡る魔力の流れに意識を集中させる。
明日の授業の予習をするための準備運動、『瞑想』は、朝のストレッチ同様、魔術師の大事な日課の一つ。できれば誰にも邪魔されたくない静謐のひととき。
なんだけど、隣室のパルマが私を訪ねてきたのはそんな時間だった。
せっかくの穏やかなひと時を邪魔された苛立ちもあって、ノックの返答さえ待たずに平然とドアを開けて入ってくるパルマへ挨拶がわりの嫌味を放つ。
「あら。今日はあの子はいないのね」
「うっ……ごめんなさい。気を悪くさせるつもりはなかったのよ。でもね、ファーシがあなたにしたことを謝りたいって言うから、チャンスだと思ったの」
「へぇ、そうなの?それにしては彼女、準備が足りてなかったみたいだけど」
こんなにもはっきり嫌悪を示しているというのに、いつも私のことなどお構いなしのパルマは、今日も私の感情を逆撫でしてきた。
深刻そうに俯いて重いため息を吐き、「ねぇ、お願い。あなたからも歩み寄ってあげて欲しいの。私たち、仲の良い友達だったでしょう。助けてちょうだい」と詰め寄る。
私は天井を仰ぎみた。またこれか。定期的に来るのよね、これ。
パルマってまるでお母さんだわ。おままごとを楽しむにはあの子はもう大きくなり過ぎてしまったんだって、そろそろ理解するべきなのに。
もうこの二人のことは諦めているけれど、友達だったよしみで最後にせめて忠告ぐらいはしてやろうとジロリと睨む。
「ねぇパルマ、あなたファーシにかまい過ぎなのよ。子供っぽくて可愛いのはわかるけど、いいかげん自立させてあげれば?大体、あの子に攻撃されているのはこの私なのよ。そんなんじゃあの子の為に何かしてあげようなんてとても思えない。わかるでしょ」
が、パルマは相変わらず私の話を聞いていなかった。それどころか都合のいい部分だけを抜粋して、濁りのない澄んだブルーの瞳に涙を溜めつつ顎をぐっと上げたのだった。
「そうよ。あの子は幼い。だから周りが支えてあげないといけないの」
だめだこりゃ。完全に酔ってる。私はげんなりしてもう一度天井を見上げた。
「やめてったらもう。そんな歳じゃないの、あの子は。ヒューマンなんだから。もう大人なのよ。そろそろ結婚したっておかしくない年齢よ。だいたい、パルマこそバカにしすぎなのよ。結局一番見下してるのはあなたじゃないの。エルフってばみんなこうなわけ?あのおバカだって、本当はそこまでひどくないのよ。あんたが甘やかしさえしなければ!」
今までも同じような内容の抗議はしたことがあった。いつもなら右耳から左耳へと華麗に流してしまうパルマだけど、どうしたことか、今日に限ってはわずかながら『聞く耳』の持ちあわせがあったみたい。
相当焦っているのか、それともようやく私の本気が伝わったんだろうか。まったく珍しいことだけど、まるで後悔でもしているかのように眉の間をぎゅっとやって、薄い下唇を噛むのだった。
エルフは性格が悪い事で有名。ひどく排他的で、とにかく他種族を見下しがちなのだ。
森の縄張りに入り込んだ他種族を言い訳も聞かずにあっさり殺してしまうぐらい冷徹な殺し屋でもある。
何年にもわたって、まったく態度を崩さない私を悲しげに見続けてきたこの気長なエルフは、本当にたった十数年しか生きていないヒューマンのファーシを同等の友達だと思っているんだろうか。
まずあり得ない。もちろんパルマは優しい人。だけど、その一方で慈愛を向ける理由というのが、『ヒューマンは幼稚な種族』だと思い込んでいるところにあるのだから、まったくいただけない。
パルマは、甘えん坊のファーシがいつまでも子供のままでいる事を望んでいる。
そんなものは愛情じゃない。もちろん友情でもない。
おそらくファーシも気付いてる。本当に関係を修復するべきなのはパルマとファーシの二人であって、私はただの都合のいい八つ当たり先に過ぎない。
……もう、私には関係ないことだけど。
私は立ち上がって、いまだに懇願の眼差しを向けているパルマを真正面から見据え、きっぱりと言いきった。
「話は終わり。私、もうあの子に関わるつもりはないの。あんたともね。さ、出ていって」
パルマは一瞬たじろいだ様子を見せたものの、それでも考えを改める気にはなれなかったみたい。なおもドラマチックに髪を振り乱して食い下がってきた。
「ねぇ、お願い!一度でいいからファーシの気持ちを考えてあげて!あの子はあなたを……あなたを、本当は……」
私はため息混じりに手を振ってパルマの話を遮った。
本当にしつこい人たちだわ。自分のしていることを棚に上げてよくやるもんだわ。私の堪忍袋の緒は割と丈夫な方だと思うけど、流石にそろそろ切れそうよ。
私は『さよなら』の気持ちを込めて冷ややかに言い返した。
「あなたこそ私の気持ち、一度でも考えてくれた事あったっけ?」
パルマは目を見開いて私を見つめた。その姿は本人がどう思っていようと、ひどく演技くさく映る。
わかったら早く出ていってほしい。そして二度と話しかけないで。
「ユリ……!そうね、そうだったのね。……ごめんなさい、私ったら、あの子ばかり気にかけて……寂しかったわね」
私はギョッとして慌てて首を振った。「いやそれはいい。そうじゃない」
勘弁してよ。こっちにまでパルマの強烈保護欲を向けられてはたまらない。
「私はただほっといて欲しいだけ!私があの子を助けないのは、助ける理由がないからよ。ひとっつもね。わかったらもう友達面しないでちょうだい。あと、勝手に部屋に入ってこないで。いいわね!」
パルマは今日一番のショックを受けたようだった。よろりと一歩後退り、信じられないとばかりに顔を歪める。
「……そんな、ひどい!あなた変わってしまったわ。前はそんなこと言う子じゃなかった。ああ、どうしてうまくいかないの……そうね、あなたの言うとおりなんだわ。もっとちゃんと見ていてあげるべきだった。私が悪いのね」
「だからそれやめてってば!」
これはまずい展開かも。ロックオンされかけてる。これ以上厄介極まりないこの『母性の塊』を刺激してはいけない。
身の危険を感じた私は素早く戦略を変更し、強硬手段に切り替えた。勢いを付けて飛びかかって、半分タックルするように強引にパルマの体を押しやり、そのままドアを開けて廊下に押し出す。
パルマはよろめいて壁に背中を打っていたけど、この場合は仕方ないと思う。この女には過剰なぐらいはっきりと拒絶を示す必要がある。
ドアをおもいっきり閉めてやる間際、未練たらしいバンシーのような叫び声か聞こえてきた。
「ユリ、もう一度話をしましょう!ね、今度こそちゃんとあなたの話を聞くから!」
「結構よ!」
ドア越しにはっきりお断りを入れたら、(少しの間立ち尽くしていたようだけど)さすがのパルマも引き下がったみたい。そのまま耳を澄ましていると、やがて隣室のドアを開け閉めする微かな音が聞こえた。
あんなに綺麗でまともそうな見た目をしているのに、実は癖が強いのよね、パルマって。
エルフ特有の偏屈が変な方向に突き抜けているというか。あれで将来実の子が出来たらどうなっちゃうんだろう。
くわばらくわばら。
ある意味怪物のパルマを何とか部屋から追い出せたことにホッとして絨毯の上に戻った。
今起きたことは悪い夢だと思って忘れよう。
さぁ、瞑想の続きをしないと。
私は坐禅を組んで座ると深く息を吸い込んだ。
しかしどうしたことか、広く静かな部屋に一人きりになると、袂を分けたはずの『元』友達たちとの楽しかった日々の思い出が次々と心のなかに浮び上がってくるのだった。
あの頃は、私もファーシも無邪気だったな(パルマの心のうちはどうだかわからないけど)。
3人でいればなにもかもが楽しくて、嫌なことがあってもお喋りして吐き出してしまえば小さな憂いなどあっという間に吹き飛んだものだった。
なのに、今はこんなにもひどく拗れてしまった。もつれた長い糸のよう。複雑にこんがらがって、もう誰にも解けない。
私はため息と共に苦しみを吐き出した。子供の頃の友人と大人になってもそのままの関係を続けていられる人なんてそうはいない。
彼女たちとはそういうこと。それだけのこと。大したことないわ。『友人』との決別には慣れているもの。
……思えばずっとそうだったな。
『百合子』だった時も長く続いた友情なんて一つもなかったし、そもそも重要ではなかった。
いや、友人どころか、私を一人で育ててくれた母親でさえ距離を置き、最後まで共に生きるのだろうと思っていた夫とも結局は別れることになった。
それでもたいして寂しいとは思わない。一人が心地いいのだ。生まれつき、そういう人間だった。
今だってそう。なぜか、私にはわからない理由で、親しかったはずの『友人』たちがいつの間にか敵に回っている。
ヨアニスのことも、屈辱的な理由であれほど腹を立てていたっていうのに、いまだに一緒にいられるのだって(かなり仕方なくではあるけれど)、正直なところそこまでの関心がわかないからじゃないかと思う。
なのに、私は今傷ついている。はっきりと『悲しい』と感じている。
『友人』をあっさり切り捨てる私と、それを嘆く私。まるで二人の人物がせめぎ合っているみたい。
改めて考えてみると、この世界に来てからというもの、感情に振り回されてばかりいる。新しい体がそうさせるんだろうか。この体の中にいる、もう一人の誰かの性質を受け継いでしまったのか。とにかく、ずいぶんと弱くなった。
何か辛いことがあるたびに、なんの憂いもなかったあの頃に戻りたいなんて願ってしまうのだから、まったく馬鹿らしい。
ふいに、出会ったばかりの頃のヨアニスの姿が頭に浮かんだ。
ダーナスの眩しい日差しを浴びながら、カッコつけてちょっぴりニヒルな笑みを浮かべる浅黒い肌の男の子。
あの旅を思い出す。うんざりするほど長くて苦しくて、それでも楽しかったあの旅のこと。
蘇る、遮るもののない荒野を巡る風の熱と、2頭の馬が大地を蹴る逞しい足音。
そうだった。アプリとコット。あの、背が高くてガッチリした体格と、魔物が近づいてもまったく動じない強い精神を持つ砂漠の馬。それでいて穏やかでのんびり屋だったっけ。
どこかにナッツもいたのよね。信じられないことだけど。それにしてもどこにいたのかしら?荷台の裏にでも張り付いてたのかな。
そうそう、あの馬車!ひどく揺れて、毎日お尻が痛くて堪らなかったっけ。
馬車を覆う幌が布でできてるもんだから、昼は暑くて夜は寒くて、本当にひどい生活だった。
日本育ちの私によく耐えられたと思う。
なのに、どうしてこんなにも輝いて見えるんだろう。あの頃の思い出が眩しすぎて直視できない。
砂まみれの馬車の中で過ごす日々は過酷で、死にそうなほど退屈だった。けれども、同時に刺激に満ち溢れてもいた。
なぜだか熱い涙が込み上げてきて、頬を伝ってポタリと落ちた。
心にとどまり続ける思い出は、美しい幽霊のよう。手を伸ばしても届かないのに、消えてはくれない。
もうこれ以上続けられない。私は早々に瞑想を諦め、そのままベットによじ登ってあたたかいウールの毛布の中に潜り込んだ。
お仰向けに寝転んで、目を閉じる。
どうかこのまま朝が来てくれますように。
ところが案の定というか、魔力の明かりが消えて暗闇が私を包みこんでも、望んだ安らぎはなかなか訪れてくれなかった。
暗いはずの瞼の裏で、永遠に消えることのない灼熱の太陽が燃え盛っている。
私は固く目を瞑りながら祈った。
お願いだから消えてちょうだい。あの輝く日々はもう二度と戻って来ないんだから。
しかしダーナスの明るい空や砂を巻き上げながら吹き渡る熱風は、恨みがましい亡者となってその日から私の心に居座り続けた。
教室の壇上で『阻害魔術』の重要性を説く教師の真剣な顔を眺めながら、早くも終わろうとしている夏の気配が漂う渡り廊下を通り抜けながら、心だけがあの頃に戻ってしまったかのように思い出の中を彷徨い続けるのだった。
何日も上の空の、ろくに眠れない日々が続く。
わざわざ精神分析をするまでもない。理由はわかりきってる。この環境が嫌なのよね。冷たい石に囲まれて、自由を奪われて、親しかった友人にまで攻撃されてる。
だけどあとちょっとなのよ。あと、ほんの2年ちょっと我慢すれば、すべてが報われるんだから。
それに今はずっと良くなってるじゃない?好きに外に出られるし、ダンジョンにも行ける。授業だって悪くない。友達なんかいくらいたって煩わしいだけよ。
しかし、どんよりと重くなった心をどんなに慰めても、症状はいっこうにおさまらなかった。そのうちとうとう限界がきて、くたくたの重い体を引きずって歩くようになった。
私にできることといえば、あとはもっと別の、現実的な何かに真剣に取り組むぐらいしか思いつかない。
昼も夜も夢中になれるような何か。例えば、古代遺跡や謎の水晶型アーティファクトのことを。ふとした隙間から余計な思い出が入り込まないように、厳重に思考を管理する必要があった。
そうだ、ダンジョンのことを考えよう。
せっかく待望の鍵師が加わったというのに、いまだにダンジョンに入っていないのは、ジェンツが潜るのをためらっているからだ。危険だとかなんとか、潜る前に可能な限り入念に準備をすべきだと言い張って。
今はメイヤとヨアニスが必要な物資を集めてくれている。なら私の方はこれまで人に聞いたり図書館で資料を漁ったりして集めてきた情報をまとめておこう。
ジェンツはおそらく、知識人としての私を期待してるんだろうから。
私は、このガーレンの街を古くから支えてきた遺跡ダンジョンの正体を探るべく、さらに具体的な情報を求めて学院が誇る大図書館に向かった。
神と並ぶほどのテクノロジーを有した、古代種族が造ったされる偉大なる『ダンジョン』。
その内部は最初、いかにもな『ダンジョン風』だけど、4階層と5階層には『夜の公園』が広がっている。
『青雷』の先輩方が語るところによると、さらに下層にはもっと様々な趣向の違う階層が用意されているという。
バラエティ豊かな大アトラクション。ちょっと下品なぐらいあれこれ取り揃えられている。
なんとも奇妙だわ。
高価な景品に、無限に湧き出る魔物たち。頻繁に変更される迷路や罠。それらを維持するには膨大なエネルギーが必要なはずだけど、そこら辺はどうなっているんだろう。
水晶は魔力のバッテリーがわりに使われることも多い石。もしかしたら、私の持っているあのちっぽけな結晶が、実は膨大なエネルギーもたらす永久機関だったとしたら……いや、流石に夢を見過ぎかしら。
控えめながらも無限の可能性を秘める無垢な『水晶』のきらめきを思って微笑んだ。
あの『水晶』には、見る者に「きっと何かすごい秘密がある」と思わせる、そんな不思議な魅力が備わっている。
せめて正体がわかればな。
『鑑定』に出してプロに見てもらえば早いんだけど、それはそれでつまらないし、万が一本当にダンジョンに関係する物だった場合にまずいことになる。
存在を知られて権力者に奪われるぐらいなら、まだ謎のままでいた方がマシというもの。
私は外れた思考を元に戻すと、読書コーナーの端に座って、あちこちの本棚から集めてきた参考資料を片っ端から読み耽った。
そのうち、連日の寝不足が祟ったのか、いつの間にかうとうとしてしまったらしい。
ヨアニスの家の『研究室』の、小さな窓から差し込むわずかな光を受けてキラキラと輝く謎めいた『水晶』。ぼんやりと、これは夢だと意識する。
私と『水晶』の間に決定的に足りていないもの。それは明確な『意志』。
多くの魔導具は、必要な量の魔力を込めつつはっきりと指示を伝えないと動かない仕様になっている。そしてそれは、神人の創造物であるアーティファクトでも同じこと。
曖昧な微睡の中での思考はとどまることなく、もっと雑多な、巨大ダンジョンを動かすエネルギーの考察を経て、冒険の景品として得られる『宝物』へと移っていく。
熟練の鍵師であるメイヤによると、ダンジョンは探索者の心を読むらしい。
例えば、生活に困窮しているような場合には『金貨』や『宝石』が出やすくなり、力を求める剣士には『魔剣』などの武器が出る割合が高くなるんだとか。
実際、メイヤもダンジョンで不可思議な現象に遭遇した経験があるそうで、危機的な状況に陥ったとき、奇跡的に『ダンジョン』から『提供』されたある品物のおかげで窮地を脱したのだという。
しかもその品物は、限られた状況の鍵師にとって必要なもので、決して一般的な道具ではなかったそうだ。
もちろん偶然だとは思う。ただの都市伝説の類にすぎないだろう。悪魔じゃあるまいし、欲望を具現化させる力なんてあるはずがない。
とはいえ、夢のある話ではある。
やがて夢はうつろい、結局いつもの思い出に行き着いてしまう。
ぼんやりする頭で漠然と考える。私が欲しいのは、あの懐かしいボロボロの幌馬車に欲しかったのは、クッションやゴムのタイヤやサスペンション。
明るい荒野の陽射し、乾いた風。なんの気兼ねもなく笑い合っていたあの頃の私とヨアニス。
唐突に真っ白な、眩い光が私を襲った。慌てて飛び起きて首を巡らすと、なんてことはなく、衝立のむこうの隣の机に座った男子学生が魔導ランプの明かりをつけたところだった。
「なんだ」と心の中で呟きながら目をぱちぱちさせる。
眩しい。この眩しさ、どこか懐かしい気がして記憶をめぐらせた。瞬間、頭の中に強烈な光がフラッシュバックして思わず両目をきつく閉じた。
目が潰れそうなほどの光量。すべてを焼き尽くさんとする莫大なエネルギー、静寂。
これは……この記憶は…何?
驚異的な光の断片はすぐに消えた。恐る恐るまぶたを開けると、薄暗いテーブルの上で山積みになった本が、現実が目に映った。
よかった、ここは間違いなくいつもの図書館だわ。
それにしても今の光は何だったんだろう。起きたまま夢の続きを見ちゃったのかしら。でも何となく、何となくだけど、あの光の中で誰かが笑ったような……。
激しく胸を打つ鼓動を両手で抑えて息を整え、顔を上げると、いつの間にか読書コーナーが満員になっていた。
夕食前のひと時を読書で過ごそうとする勤勉な学生たちでいっぱい。貴重な本を枕にして堂々と寝こけてる奴なんて私ぐらい。
途端に恥ずかしくなって慌てて立ち上がった。
そして無駄にたくさん持ってきてしまった本や巻物を集めようと躍起になるあまり、そのうちの一冊を取りこぼして床に落としてしまった。
重量のある分厚い革表紙が静まり返った図書館にかなり大きな音を響かせる。
やっちゃった。
私はなるべく周囲からの非難の眼差しを見ないようにしゃがみ込んで、本を拾おうと腕を伸ばした。
その時、落ちた衝撃で開いたページの挿絵が目に入った。遺跡ダンジョンに出てくる魔物の生態が描かれているページ。隣の机から漏れる光が、スポットライトのようにくっきりとそのイラストを浮かび上がらせている。
これ、確か『ウーズ』だわ。人に擬態するとか何とか。普段は水っぽいスライムのような形をしていて、水辺の草むらや落ち葉の下に隠れて生活しているらしく、挿絵では徐々に人型に変わっていく様子が描かれていた。
「あ、そっか」とつぶやく。
優れた魔導具やアーティファクトの中には形を変える魔導具もある。あの『水晶』もそういうタイプかもしれない。
次にヨアニスのアパートに行く時は、色々な物の形のイメージをのせて念じてみよう。手当たり次第には違いないけど、やってみる価値はある。
——— 『欲望を具現化する力』。
ふいに、そんな言葉が頭に浮かんだ。背筋がぞわりとした。それからすぐに「いやいや、そんな」と頭をふる。
変形するタイプの魔導具は数あれど、その全てはあらかじめ設定された形に変わるだけのもの。
私は転がった本を拾い上げると、机に残っている残りもすべてかき集めて両手で抱え込み、隣の男子生徒の迷惑そうな視線から逃げるようにして読書コーナーを後にした。
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