第50話 深淵の青雷 第8支部3
些細なことに目をつむれば、最近は何もかもうまくいっている。
今のところ(得意な分野だけを詰め込んだおかけで)高等部の難解な授業にもついていけているし、山のように与えられる課題もなんとかこなしている。
面倒な『青雷』から離れて自分のパーティーを組むこともできた。ダンジョン探索に不可欠だという『鍵師』はまだだけど、じっくり時間をかけて探せば、そのうち一人ぐらい誰かまともな『鍵師』に会えるだろう。
午後の授業を終え、暖かな日差しを浴びながら機嫌よく渡り廊下を歩いていたら、太い柱の影に隠れるようにして立っているパルマとファーシを見つけてしまった。ばれていないつもりなのか、こちらをチラチラ盗み見ている。
どうも私が来るのを待ち構えていたみたい。しかも、「うげっ」と思った拍子に思わず足を止めてしまった。これではもう気付かなかったふりもできない。
この機を逃すものかとばかりに私の前に素早く立ち塞がったパルマが、流れるような優美な仕草で片手を上げ、なんともわざとらしい朗らかな笑顔を作って声をかけてきた。
「久しぶりね、ユリ。たまには一緒に昼食をどう?」やけに軽快な口調。途端に胃の中に鉛が出現してずしんと重くなった。
いやだ。パルマとファーシとですって?そんなまずいお昼ご飯食べたくない。
が、ただ逃げるのも性にあわない。私は瞬時に受けてたつ方を選び、不機嫌さを全面に出して応えた。
「いいけど、目的は何よ」
パルマはそれには答えず、さらに笑みを深くして私の背に手を置き、微かに力を込めた。「まあとにかく、食堂に行きましょうよ」どうあっても逃すつもりはないみたい。
チラリと見やると、どうやらファーシの方も私と同じくパルマの提案に不満があるようで、全身から澱んだ空気を放っていた。それでもむっつり黙ったまま私たちの後について来る。
賑わう食堂の中から運よく空いているテーブルを見つけて確保し、好きな料理を受け取って席に着いた。
テーブルを挟んだ3人の間にはピリピリした空気が張り詰め、早くも三つ巴の様相を呈している。
私は緊急時に備えて食事だけは終わらせてしまおうと急いでスープの中の肉団子を口に詰め込んだ。この後何を言われてもさっさと逃げ出せるように準備だけはしておこう。
パルマは頬を引き攣らせながら私とファーシを交互に見た。
「私たち、最近はあんまり一緒にいないでしょ。変よね、ユリなんて隣同士の部屋なのにね」それは私が避けているから。パルマだってわかっているくせに白々しいんだから。「だからね、たまには良いかなと思って、あなたを待ってたのよ」
テーブルの下でパルマがファーシをつつくのが見えた。ファーシは何を言われて来たのか、唇を噛んで俯き、それから挑戦的な目つきで私を睨み上げる。
「……ヨアニスと喧嘩してるんだって?遺跡の前ですごい修羅場だったって『青雷』の皆さん、笑ってたよ」
突然なにを言い出すかと思えば。私は目をぱちぱちさせ、次に鼻で笑った。
「『青雷』の皆さん?それはちょっと盛りすぎなんじゃない?どうせテックあたりにしなだれかかって教えてもらったんでしょ。相変わらずなのね、汚らわしい」
空気が凍りついた。ファーシは怒りのあまり立ち上がりかけ、その拍子にテーブルの端におもいっきり膝をぶつけてしまった。苦悶の表情でうっすら涙を浮かべている。痛そうだけど、私のせいじゃない。
「あんた!いわせておけば……」
「ゴホン!」パルマが遮った。1ラウンド目、終了。
次の先制は私。とりあえず話を進めたい。
「それで、なんの用があって私を誘ったの?できれば手短に説明してもらいたいんだけど」
ファーシはふっくらしたほっぺを真っ赤にして私を睨んでいる。憎らしいけど、こんな表情でも可愛いく見えるんだから得よね。パルマも手放せないはずだわ。
ファーシのターン。なんとか体裁を整えて座り直した彼女は、ふんぞり返って足を組み、フフンと勝ち誇った笑みを浮かべてみせた。
ただし、あんまり様になってない。どうやら不良なだけでこの子にに悪女の素質はないみたい。
「私、時々ヨアニスと会ってるのよ。あなたの事で相談に乗ってるの。ユリって我儘でお高く止まってて、ほんとイラつくってさ」
まだヨアニスの名を出すか。しつこいな。
恋愛脳のファーシの目から見れば、私とヨアニスは学院に入る前からの同郷の恋人同士。しかし現在は大喧嘩中で別れる間際にいる。
彼女の中の常識では、今私は毎晩枕に顔をうずめて泣きながら夜を過ごすぐらい傷付いているはずで、『ヨアニス』は絶対に突かれたくない『弱み』に見えるんだろう。
思春期の女の子らしい偏った思考。なんだか微笑ましくてつい頬を緩めてしまう。
「……本当かしら。あなたの妄想じゃないの。ろくに知りもしないのに勝手にヨアニスを使わないでちょうだい。彼はいまだにあなたが私の友人だと思っているし、あんまり幼ない振る舞いをするもんだから無碍に出来ないだけよ。そろそろ気づいたら。いちいち男に頼ろうとするの、はたから見てるとかなり痛いわよ」
ファーシは一瞬たじろいだ様子を見せたけどすぐに持ち直した。どうやら自分の作戦に絶対の自信があるらしい。
「この前図書館広場で二人を見かけたけど、随分冷めてるみたいじゃない?彼もあんたのその高慢な態度に我慢ならないの。皆んなを見下してさ。ああやだ!『神人様』がそんなに偉いわけ?あんたの方こそ気付くべきじゃない!彼だって本当は別れたいと思ってるの!」
あーあ、この話題続けないとだめなの?めんどくさいな。
そりゃあヨアニスの話なんかしたくないけど、私はファーシが考えているほどピュアじゃない。ヨアニスもね。
それでも一生懸命攻めてくるファーシを眺めているとちょっぴり楽しくなってきて、もう少し煽ってやろうとわざと諭す口調で悪口を言い放った。
「あのね、あなたの色ボケた頭で事実を脚色しないでくれる?ヨアニスとは昔からの友人なの。何度も言ったはずだけど。それに今でも協力しあってるわ。あなたには関係ない事だけど」
さらにわざとらしくため息をついてみせる。これはムカつくだろう。ファーシは眉をピクピクさせているけれど、それでも負けを認めなかった。ギリギリで平静を保ち、果敢に切り返してくる。
「じゃあなんの問題もないよね。彼はあんたの仕打ちにすごく傷ついてるんだから。今なら落とせるわ。男なんて簡単だもん」育ちすぎの胸を張って強調してみせた。
さすがに顔を顰める。なんて浅はかで下品な行動だろう。これは随分と程度の低い男たちを相手にしているようだ。昔の可愛らしいファーシはどこへ行ってしまったのか。
純真で賢く、愛らしかった頃のファーシの姿が一瞬脳裏をよぎって内心狼狽えてしまう。
後ろ髪は惹かれる。パルマがなんとか修正しようとする気持ちもわかる。けれど、この有様だって彼女自身の行動の結果なのだ。
私はあっさり元友人を切り捨てる選択をし、軽蔑を込めて目を細めた。ちゃんと見下していることがわかるように。
「いやらしい。食事中にやめてくれる?吐きそうよ。このまま落ちる所まで落ちる前に、ちゃんとパルマの忠告を聞くのね」そう言い放って立ち上がった。
パルマはテーブルに突っ伏している。どうやら私とファーシを仲直りさせたかったみたいだけど、そういうわけにはいかない。必要ないし。
「それじゃ、おもてなしをありがとう。とても不快だったわ。それから、私とヨアニスは『青雷』の支部で一緒に遺跡調査をしてるのよ。随分彼の事を気にかけてくれているようだけど、いくらなんでもあなたみたいな汚らわしい女を相手にはしないわよ。じゃあね」
よし。言いたいことは全部言ってやった。
中途半端な情報一つで私に挑んでしまった愚かな自分を恨むがいい。…これぐらいで勘弁してあげよう。すっきりしたし。
ファーシはここまで正面きってはっきり言われた事がなかったようで、目に涙を溜めて恨みがましく睨んでる。本当は自分でも痛いほどわかっていることを『ライバル』の私に指摘されてさぞ悔しいことだろう。
その悔しさをどう使うかは今後のファーシ次第。人生は自分の意思で切り開くものだから。
この世の地獄は深い。そろそろ他人に甘えきって堕落しつつある自分自身を見つめ直さないと、どこまでも暗い谷底へと落ちていってしまう。
パルマや彼女の両親のような心ある人たちがどれほど側で尽くしたところで、当人に踏ん張る力がないのならどうにもならない。
ファーシとはこれで終わりにしよう。私はくるりと踵を返すと食堂を後にした。
昼食でのちょっとした戦いの熱はなかなか冷めやらず、妙に興奮していたせいか午後の授業にまで響いてしまった。
対象の魔力に自分の魔力をなじませる高テクニック、『浸透法』の授業で貸し出された学院の備品(必要以上に不気味な人形)を破壊してしまったのだ。
この人形には魔力を発する特殊な魔結晶が仕込まれている。
主に遠距離での魔術戦の際に誤った標的となるよう作られた身代わり人形なんだけど、未熟な魔術師の練習台としても有用なので学院がアルバイトの学生に作らせているのだ。
そのせいかちょっとふざけた見た目をしていて、私に配られた人形なんて、口の端に赤黒いシミが滲んでいる上に今にも片目が飛び出しそうになっている。
今日から習う『防御魔術』は、『浸透法』を使った応用編。なんとなく感覚をつかんだだけの素人(生徒)たちは、教師の監視の中、皆不安そうに手元の人形に魔力を送りつつ慎重に魔術の構成を編み上げていく。
『浸透術』。それはとにかく繊細な技術を持っておこなわれる高度魔術。
『魔力』は大気や食べ物から摂取するほか、体の中でも作られているのだけど、その反面、体温のように常にほんのりと体から漏れ出てもいて、これを使って自分の魔力を対象者の体内に浸透させるのだ。
なんでわざわざこんな面倒なやり方をするのかといえば、魔術には『燃料』がいるから。
例えば長時間『付与魔術』を維持させるには、熟練度にもよるけれど、かなりの魔力を込める必要がある。
しかし、私のような魔力馬鹿はともかく、一般的には一度に使える魔力には限りがあるもので、ならば対象者の魔力を電池がわりに利用すれば2倍の魔力が使えるじゃないか、という発想からきているらしい。
『神人』という稀有な種族特性もあって魔力操作には自信がある私。理屈はいまいちわからないけど、なんとなくコツは掴んだ、気がするんだけど、その先がなかな進まない。
イメージとしては、粘性のある液体がじんわりと相手のミクロの魔力の一粒一粒を隙間なく包み込んでいく感じ。
……ううん!ゾワゾワする。
細かいことを大の苦手とする性分のせいだろうか。なんというか、我慢できない。この、探り探りちょっとずつ攻めていく感じが……。
体の中からむず痒くなるというか、吐きそうになるというか。
せっかくの種族特性が台無しなのだった。
もちろん苦手なりに努力して習得しようとしてはいるけれど、今日もやっぱり失敗し、私の相方である哀れな人形は失敗作の魔術に耐えきれず、甲高い断末魔の悲鳴をあげて血飛沫と共に胸を破裂させたのだった。ついでに目玉も飛び出た。
……遊び心がすぎると思う。
飛び散った血糊を浴びて呆然とする私を叱責しようといそいそと駆けつけてきた教師によると、この手の魔術は失敗すると肉体の内部まで干渉してしまう、つまり対象者に重大なケガを負わせる可能性があるという。
潰れたトマトと化した人形は、近い未来のヨアニスやジェンツなのだった。
授業で教えてもらえるのは味方を守る『バリア』や2年生で解禁される『身体強化術』まで。
だけどよく考えてみれば、悪意を持った敵にこれを使われてしまったら、もうどうにもならないんじゃないだろうか。
魔力を支配された魔術師に抵抗する術なんてない。
『浸透法』の正体とは、相手の魔力に自分の魔力を混ぜ合わせて敵の体内を侵食し、内側から食い破る、なんとも恐ろしい魔術なのだった。
学院がやたら『バリア』ばかり教えるのはこういうやばい魔術を使われないようにするためなのね。魔術戦の極意は『バリア』にあるんだわ。
……魔術って怖い。
※
最近はいっそう気を引き詰めつつ魔術の練習に勤しみ、暇ができるたびにヨアニスのアパートに行っては『水晶』の研究を続けるという日々を送っている。
ハンター協会でのメンバー募集はいったん時間をおいた方がいいということになり、とりあえず私は研究、ヨアニスはいつも通りソロのハンターとして活動し、ジェンツは所属していた聖騎士団から武具を借りられないか交渉しつつ、彼らの訓練にも参加しているようだった。
ジェンツは聖騎士団の騎士たちと今もなお友好的な関係を保っているらしいんだけど、現在彼の武具は団の所有になっており、流石に高価な備品を団以外の人間に貸し出すにはもっと偉い人、正教会の本部の許可がいるんだそうな。
それでもジェンツの表情は明るかった。
彼専用に作られた特注の武具は他人では扱いづらい為、団を辞しているとはいえいまだ聖騎士であるジェンツ本人のものという共通認識があるらしく、正式な書類が届き次第貸し出される手筈になっている。
ジェンツはまだ兵舎で暮らしているのだけど、今後は寮を出てヨアニスのアパートに引っ越してくるつもりらしい。
それを聞いたヨアニスの顔が激しく歪んだけれど、これから仲間になるんだし少しは仲良くしてもらいたい。
ちょっとかわいそうだけど、ジェンツの存在は魔族の彼にとっても利になる。
パーティ内に聖職者がいることで周りから否定的な誤解を受けずに済むだろうし、以前のように聖騎士軍団に捕まるような事態が起こってもジェンツがいればなんとかしてくれるだろう。
それに、ジェンツが時折堂々と口にする差別発言だって、私からみれば陰湿な類のものではなく、現在のサノリテ大陸の常識をそのまま話しているだけで本人に悪意はなさそうだった。
……もう少し相手の気持ちを慮るべきだとは思うけど。
二人の中は依然としてよくない。気にしすぎるヨアニスとまったく気にしていないらしいジェンツ。水と油というか、陰と陽というか。
同じ空間にいながらにしてまったく違う世界で生きているこの二人、もしかしたら一生心を許しあうことはないのかも。それでも掴みかかって喧嘩するような事態は想像できないし、ちゃんと仕事をしてくれるならビジネスライクな関係だって悪くはないと思う。
それよりも今は目の前の『水晶』の方が問題だ。もう小一時間近くもテーブルの上に転がるなんら変化のない小さな『水晶』と睨めっこを続けている。
実は、どうにも埒があかないと思いきや、何かしら強く念じればほんの僅かだけど、確かに反応が見られるのだった。
どうやら多くの魔導具と同様、『思念』に反応するらしい。
しかし具体的な指示を出す為にはこのクリスタルの役割が分からないとどうにもならない。
学院の資料をいくら漁っても手掛かりは出てこないし、手当たり次第命令してみても今のところ当たりがない。
闇の中で手探りをしているようなもの。私はげんなりしてため息をついた。
開けっぱなしの窓から見える景色はどんよりと暗く、おまけにわずかに小雨が吹き込んでくる。仕方なく立ち上がって木戸を閉め、魔術の明かりを灯す。暗くなった室内にぼんやりとした光球が3つ、ふわふわと浮かび上がった。
いいかげん飽きがきたところだし、今日はもう帰ろうとベッドの上に放り投げていたカバンに手を伸ばした時、廊下の方が騒がしくなった。
ヨアニスの力ない抵抗の声と、ジェンツの無駄な大声(彼にとっては普通の声量)が聞こえてくる。
ジェンツは人の心がわからないくせに人が好きらしく、交流も苦にならないようで、たびたび彼を毛嫌いしているヨアニスの元にも押しかけてきている。
他人事だとちょっとほっこりする。このまま強引に仲良くなってしまえばいいのに。
廊下に出て居間に入ると、光り輝く聖騎士の重厚な全身鎧を着込んだジェンツがいた。しかも背には巨大なロングソードを背負っている。長身も相まって頭の立派なツノ飾りが天井に擦れそうだ。
なにも着てこなくてもいいのに。私はため息を噛み殺して曖昧な笑みを浮かべた。
「鎧、返してもらえたのね」
「うむ。フル装備はしばらくぶりだからな。これからは日常的に装備して出来るだけ早く勘を取り戻さねばならん」
思わず顔を顰めた。
日常的に着る?何十キロもありそうなその鎧を?脳筋め。
私は生理的な気持ち悪さを振り切るように首を振っただけだったけど、ヨアニスは遠慮なく顔を歪めて吐き出すように呟いた。「うえっ……嘘だろ」
しかしジェンツはまったく意に返さず、ゆっくりとヨアニスの方に顔を向けると、やたら誇らしげに胸を張った。
「ヨアニスよ。戦士たるもの、いついかなる時も鍛錬を怠ってはいかんぞ。危機とは突然にやってくるもの。そのような時にこそ日々の鍛錬がものをいうのだ。常日頃から……」長くなりそう。私は強引に話を遮った。「で?まさか説教しにきた訳じゃないんでしょ?」
それでもなんにも感じないらしいジェンツは朗らかに笑って答える。
「武具を取り戻したことだし、三人で森に狩りにでも行かないか?私も魔術師と組んだ経験は少ない。慣れておくべきだろう。集団の戦闘では連携が肝になるからな。ヨアニスにも聖騎士の戦い方を知っておいてもらいたい」
なるほど。一風変わった懇親会ってわけね。どうやら嫌われている自覚はあったらしい。っていうか、森に入るのにその装備で行くの?
私は渋い表情を隠せないまま断った。
「訓練はまぁいいけど、今からだと門限が間に合わないわ」
「ふむそうか。ならば親睦を深めるために酒でも飲むか」
「一人で飲め」すかさずヨアニスが吐き捨てたけれど、これはこれでいい機会だと思う。
「そうね。じゃ、外に出ましょうか。この時間だとお店もすいてるんじゃないかな」
ハンター相手の酒場はたいていは夕方から。それでも一軒だけ中途半端な時間からやってる店を知っている。
ぐだぐだとごね続けるヨアニスをせき立て、私たちはアパートを出て以前進学パーティーでお世話になった酒場を目指した。
外に出るといつの間にか雨は上がっていて、夏の陽気の中で水を吸った木の葉がキラキラと輝いていた。
水蒸気のせいでちょっとだけ蒸し暑いけど、曇っているよりは日差しがある方が気分もいい。
反対に酒場の中はカラッとしていて薄暗かった。
客層はお世辞にも上品とはいえないけれどまばらで、場違いな黒ローブの女の子が入ってきても気に留める者はいなかった。もしかしたら不機嫌そうな剣士とガタイのいい聖騎士が一緒にいたせいかもしれないけど。
適当な場所に座り、ジェンツの鎧を見て目を丸くした給仕の少年が早足でやってきたので、アルコールなしのメニューを聞いてから、無難に果実水を注文した。
ヨアニスの方を見ると彼は黙って首を振った。まだむんつけているみたい。
ジェンツが「私も同じものをもらおう」と頷いたので、遠慮しているのかと「飲んでもいいわよ、別に」と声をかけたら、「私は酒は飲まない」と言われてしまった。
「ならなんで『飲もう』なんて言ったのよ」
「君らは飲むかと思ったのだ。聖騎士団でも禁止されているわけではないが、これまで正体を失うほど飲んでみっともない姿を晒す者には厳しく諭してきたからな。その私が飲むわけにはいかん」
「あ、そう」
神に仕える者は自らに制約を課す事で修行とするそうだけど、だったら酒場じゃなくてもよかったのに、と思う。
給仕の少年も「なんだこいつら」と言いたげな目をして去っていった。
私たち3人はとても仲良しとは言えない間柄。
ジェンツは無表情のまま動かないし、ヨアニスなんてそれ以上は危険なんじゃないかと心配になるぐらい限界まで首をねじ曲げてそっぽを向いている。彼はいまだに聖騎士のジェンツと、ジェンツを勝手に入れた私を許していないし、私としてもヨアニスを許すつもりはない。
会話のない無駄な時間が過ぎていく。……『懇親会』ってなんだっけ。
そんな私たちの元に、ニヤニヤ笑いを浮かべたクマっぽい体格のおっさん、酒場の亭主がやって来て、慣れた様子で絡み出した。
「よぅ。さっそく解散か?」数多のパーティーを見てきた亭主は不穏な空気を察して適当にあたりをつけたみたい。
私はやれやれと首を振って「いいえ。これから組むとこよ」と答えた。
「ははっ。それはそれは。ところであんたら、『鍵士』を探してるって?」
私は驚いて改めておっさんの赤らんだ顔を見つめた。
「なんで知ってるの?」
「そりゃああれだけ大騒ぎしてりゃな」
「………」騒いだつもりはないんですけど。
おっさんはニヤケ笑いを嘲笑に変えて「ふんっ」とせせら笑った。ハンター関係の人って基本的にガラが悪いのよね。
「どうせ碌な連中が集まらなかったんだろ?そりゃそうだろうぜ。いいか、お嬢ちゃん、よく聞きな。ハンターにはハンターの流儀ってもんがあるんだ。それを協会なんぞで『青雷』の名を使って大っぴらに募集すりゃ、集まるのは詐欺師ぐらいのもんだぜ。偉そうなインテリどもから旨い汁を吸ってやれってな」
「……あらでも、ハンター協会の協力で集めてもらったのよ?」
「それこそバカだぜ。あいつらこそ詐欺師だ。末端はともかく、上の連中のご尊顔を見てみろよ。貴族崩れが金に群がって作ったのが今のハンター協会の正体なのさ」
「…へぇ」
今は大きなお腹を揺らしているけど、昔はハンターだったみたい。顔にも目立つ傷が残っているし、何より有無を言わせない迫力がある。
よくわからないけど、協会になにかしら思うところでもあるんだろうか。
私たちは亭主のふてぶてしい態度にいがみ合うのも忘れて顔を見合わせた。
この人、何しに来たんだろう?
するとクマの亭主は何故か、両手に持っていたエールを4つ、私たちのテーブルにどんと置いた。
注文してないのになんなのと、まじまじとエールの入った巨大な金属のゴブレットを眺めていたら、苦笑いの亭主が奥のカウンターの方を指さして言った。
「紹介したい奴がいる。話だけでも聞いてやってくれ」そう言って私たちの返答を待たずに去って行ってしまった。入れ替わりにカウンターの方からハンターっぽい服装をした女性がやってきた。
薄暗い店内でも30に届くかどうかという年齢の女性だとわかる。若いけれど、柔らかな物腰には隙がなく、微笑みを浮かべながらも如才なく私たちの表情を確かめている。
さっきまでそっぽを向いていたヨアニスが前を向いて鋭い視線を向けていることからも、相手は腕利のハンターに違いない。
彼女は柔和な笑みを浮かべた。「私はメイヤ。よかったら一度試してみない?これでもソロのハンターだったの」
やっぱりハンターだった。それにしても羨ましいスタイルだわ。
スラリと伸びた長身(いいなぁ!)、引っ込むところは引っ込み、出るとこは出ている体型(私だってそのうち…!)、遠慮なく日焼けしている健康的な色気(どんなに日差しを浴びても死人のような顔色のままの私とは大違い)。
豊かに波打つ赤みの強い髪を顎あたりまで短くしているし、無骨な装備を身につけているというのに、どことなく濃厚な女らしさが漂う、まさに『大人の女』の見本のような女性だった。
「もちろん、お探しの『鍵師』よ。どう?」
彼女はちゃめっ気たっぷりのチャーミングな笑顔で腰のポーチをポンと叩いた。
よくわからないけど、おそらく『鍵師』の道具が入っているらしいその革の鞄はだいぶ年季が入っているように見える。
やりにくいだろうに、いまだ無言の私たちに苦笑いしつつも、彼女、メイヤはアピールを続けた。
「私、ずっと鍵士の父とハンターをしてたの。父が死んじゃってからはずっとソロ。でもさ、女一人だと色々ね。わかるでしょ」私に向かってウィンクした。「最近は限界を感じて仲間に入れてくれるパーティーを探してたってわけ。『青雷』の支部なんだってね。あんたらなら大丈夫そうだからって紹介してもらったのよ」
しなやかで無駄のない動き。ちょっとした仕草にもハンターとしての力量を感じる。
感じが良さそうだし、私たちが飲まないエールにも目もくれない。しっかりした親に育てられた人特有の余裕と品性を持っている。話し方にも筋が通っていて知性を感じさせた。
「自己紹介をどうも。聞いていい?」
「もちろん」
「ここの亭主との関係は?」
「父の知り合い。そんなに親しくないけどね。自分で言うのもなんだけど、酒場の人間の紹介に間違いはないもんよ」
「はぁ、そういうものなの」
酒場が人材派遣業を兼ねてるなんて知らなかった。ヨアニスをジロリと睨むとサッと目を逸らした。さてはこいつ、知ってたな。
どうせ最初から一緒に探すつもりなんてなかったんだわ。きっと、わざと私に失敗させてから、自分の気にいった人間を見繕ってくる予定だったのね。嫌なやつ。
なんとこの初対面の状況で素早くアレコレを察したらしいメイヤは、無理のない程度の感じの良い明るい笑い声をあげて、「やり方は人によるから」とフォローを入れた。
悪くないんじゃないだろうか?
話が本当なら遺跡ダンジョンにも慣れてるようだし、でこぼこチームの潤滑油にもなってくれそう。何より貴重な同性のハンター。謹厳実直の脳筋と何をするかわからない吸血鬼とでパーティーを組むためには最適な人材だと言える。
「私はいいと思う。皆は?」
ジェンツは重々しく頷き、ヨアニスはまたもそっぽを向いた。
「私たちのパーティーはあなたを入れてもたったの4人なの。これで全員。しかもダンジョン探索は素人よ。それともう一つ、そこの彼は魔族なの。ハーフヴァンパイア。かまわない?」
「ええ大丈夫。知ってるわ」
知ってるんだ。すごい度胸だわ。噛みつかれたらどうしようって思わないのかな。
メイヤは朗らかに笑った。
「父の友人には色んな人がいたの。中には魔族もね。大抵はヒューマンより礼儀正しいもんよ。問題を起こせる環境じゃあないんだから。……そうでなけりゃ聖騎士サマが一緒にいるわけない。そうでしょ?あんた」
ヨアニスは向こうを向いたまま目だけをギョロリと動かして睨みつけた。彼の態度は最悪なのに、すべてを許容するようにメイヤは頷く。
「じゃ、詳しい雇用内容と今後の計画を話し合いましょう。座ってちょうだい」
すると嬉しそうにジェンツの隣に座ったメイヤは、先ほどまでの『できる女』仕様はどこへやら、途端に舌なめずりして誰も手をつけないエールをガン見し、遠慮なく要求してきた。
「ねぇそれ、飲まないならあたしにちょうだいよ!」
「……」
まさか、アルコール中毒じゃないでしょうね。
メイヤは採用されたことより目の前に並んだエールの方が嬉しいみたいで、私の説明を「わかったわかった」という顔で聞き流し、一杯目は一気飲み、二杯目はぐいぐい飲んで、三杯目でようやく落ち着いた。
こんな水で薄めたぬるいエールの何が美味しいんだろう。
しかしさすがというか、飲みながらもそれぞれにうまく対応する人だ。
難しいヨアニス相手にもつかず離れずの距離感がうまく、「急激に酒をあおってはいかん」と注意する小うるさいジェンツのことも適当に流している。
健全な『鍵師』なんてこの世に存在しないらしいし、これで腕が確かなら大歓迎だわ。(仕事中に手が震えていたら即クビにしよう)
解散し、外に出るともう夕方だった。
赤く染まった上り坂をヨアニスと一緒に歩く。(彼は私を学院まで送ると言ってきかなかった)
黙っているのも変だし、「『鍵師』見つかってよかったね」と話しかけると、ヨアニスは肩をすくめて無言で答えた。
まだ怒ってるのかな。無理もないか。流石にちょっと強引すぎたかも。
ジェンツには日頃から迷惑かけられてるみたいだし、せめて雇う前に一言言うべきだったんだわ。
校門が見えてきたあたりでヨアニスがポツリと呟いた。
「ユリが笑うの、久しぶりに見たよ」
……誰のせいだ。
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