第54話 小さな火4
あれから学院に戻った私は、しばらくの間、『ダンジョンコア』への焼き付くような好奇心と、いや、もっとしっかり考えて行動すべきだと訴える理性の間で揺れていた。
形のないモヤモヤした不安が絶えず胸の中で渦巻いている。
このまま考えなしに事を進めてしまえば、今の私にはとても想像もつかないような、何かものすごくひどい事態が待っているのではないか。
なにせ、『アレ』の正体さえ本人の申告でしかなく、確認する唯一の方法といえば、言われるままに『ダンジョン』造りを進めていくしかないときてるんだから。
超文明の知識と技術を持つ、現代において飛び抜けた存在である『ケラーキ』は、災厄の大火になり得る存在だ。あらゆる可能性を考慮して、どれほどの対策を講じたとしてもぜんぜ足りない。
これほどまでに高次元の技術力を持っていたはずの古代の人々が、いったいどういう理由で滅ぶに至ったのか、今では誰にもわからないんだから。
正直なところ、もうすでに私の手にはあまりまくっている。
本当は学院の誰か、教師や研究者といった優れた知識人たちの意見を聞くことができれば一番いいんだけど、長い間この学院にいると、世間一般の魔術師のイメージ(倫理観の抜け落ちた危険なマッドサイエンティスト)が、それほど的を外しているわけではないということがわかっているもんだから、誰にも相談できずにいるのだった。
何より、学院が『ダンジョンコア』の存在を知ったなら、まずは私から取り上げるところからはじめるはず。それだけは阻止したい。
依然としてあの『ダンジョンコア』が私の唯一の命綱であることに変わりない。その上タイムリミットが迫ってる。卒業まであと2年ちょっとしかない。
現代のヒューマンが扱えない多くのアーティファクトを使える(んじゃないかと思われている)私を学院がほっとくはずがないし、厄介なのは、その学院さえ問題の一つに過ぎないってところ。
『神人』は存在自体にある種の権威を持つ、『超』がつくほどの希少種で、神話によればヒューマンの祖先にあたるという。
そのせいか現代でも保有魔力量や扱える属性の数がステータスの一つになっていて、鬱陶しいことに、学院でも家柄自慢の男子生徒たちから有力な結婚相手だと思われていたりする。
ただの見栄に過ぎないのに、そんな連中が山ほどいるのだ。
さらにさらに、教会(元を辿ればあの霧の世界で私を『神人』にしたのは、まさしく『神』なんじゃないの?)や、魔力たっぷりの美味しい血が欲しい吸血鬼まで揃ってる。
今は生徒として学院に守られているけれど、卒業した後までこんな辛気臭いとこに残る気なんかさらさらないって知られたら、はたしてどうなるだろう……。
学院に入る前の暢気な私は、『神人』という種族の人生がどんなものか、まったく理解していなかった。
楽しかったあの頃が恋しいけれど、あのまま無防備にヨアニスと暮らしていたら、きっと二人にとって最悪な未来が待っていたことだろう。
今思えば、ヘンレンスさんが私を学院に入れたのは、世間から守るという意味と、私自身に最低でも13年という長い準備期間を与えたかったからなんじゃないだろうか。
さぁ、恩人に報いるためにも、どうにかして人生を切り開いていかなくちゃ。
そしてまさしく、『ダンジョンコア』はこれ以上ないチャンスだ。使い方次第で望みの(少なくとも妥協の連続ではない)人生が手に入る。
もちろん不安はあるけれど、それだけで巣からはぐれた迷子の子うさぎみたいに震えているわけにはいかない。
ふいに、窓の扉がガタガタ鳴ってドキリとした。隙間から冷たい夜風が忍び込んできてぶるり震える。私はベットに寝転がったまま、きつくブランケットを体に巻きつけた。
考え事をしているうちにすっかり夜が更けてしまったみたい。
連日の寝不足で体は疲れていたけれど、まだまだ眠る気になれなくて、魔術の光球に照らされた天井をぼんやり眺めながら、私を助けてくれるはずの『ダンジョンコア』に思いを巡らす。
とにかく、身を隠そう。できれば私のことを誰も思い出さなくなる日まで。
いくら『ダンジョン』のポテンシャルがすごいといっても、大陸中の人間と戦うわけにはいかないから、まずは逃げて、とにかく隠れることに使った方がいい。
腕ききハンターのヨアニスや学院のベテラン魔術師たちだって、人のいない山中に引きこもってまったく出てこないでいれば探しようもないはず。
うん、悪くない計画だわ。まずはこの路線で行こう。
いったん決めてしまうと、ほっとすると同時になんだかちょっと楽しくなってきた。
もう次の週末までなんてとても待っていられない。
だけど先生たちは規則に厳しいから、おサボりなんか絶対にゆるさないわね……。
そこで、なんとかして時間を絞り出せないかとブランケットを跳ね除けて、ベッドから転げるように立ち上がり、机の上のカバンのポケットからスケジュール表を引っ張り出して睨みつけた。
授業が終わってから学院の門が閉まるまでのわずかな時間と、ヨアニスのアパートに行って帰ってくるまでの時間を計算して、あれこれ考えて、やがて学院の馬車を使えばなんとかなりそうだと突き止めると、満面の笑みを浮かべてスケジュール表を閉じた。
『ダンジョン』のことは誰にも秘密だから、かなり慎重に動かないといけない。
けれど、やたら足繁くヨアニスのアパートに通うようになったからって、そこまで不審には思われないだろう。
もし私の行動を誰かが監視していたとしても、ほんの少しの間でも恋人(都合のいいことに、今でもヨアニスは周りからそんな相手だと思われている)に会いたがる、いじらしい年頃の少女の行動として見られるんじゃないかしら。
私の見た目年齢の女の子なら、まぁありがちだもの。
そうしてじりじりと計画の日を待ち、ようやくその日がやってきて、午後の最後の講義が終わるのをイライラしながら待ち、ついに終わりを知らせる素晴らしい鐘の音が響くと、私はかばんを引っ掴んで勢いよく立ち上った。
早足で寮にとって返し、クローゼットにしまい込んでいた『青雷』の制服を引っ張り出す。
この制服の鮮やかなブルーはとても目立つ。
派手な色合いとは別に、単純に『青』を作る染料が高いために日常ではあんまり見ない色だから(そんな服を着ている人がいたら一般市民にとっての危険人物、貴族や富豪と思われる)、とにかく人目について恥ずかしいのだけど、着ていれば何かと便利なのも確かだった。
特に質問もされずに平日に馬車を借りることができるし、御者や門番にもある程度の融通がきく。
学院内の明確なヒエラルキーによって、学生に対してはそれなりの態度を取れる従業員たちも、『青雷』のメンバーには逆らえないものなのだ。
私は平身低頭の御者のおじさんに目的地を告げてヨアニスのアパートまで乗せてもらうと、多めにチップを渡して、そのまま待機しているようにと命じてから馬車を降りた。
うん、悪くない気分だわ。なんかエリートって感じ。
私はちょっと気どりながらアパートの階段を駆け上がり(この相性の良くない取り合わせのせいで三度も転びそうになった)、合鍵を差し込んで勢いよく扉を開けた。
家の中はしんと静まり返っていた。
誰もいないのかしら。
じっと集中して魔力を探知してみても何も引っかからない。どうやら住人はナッツも含めて不在のようだ。
ならば好都合。私は満足して頷くと、玄関からすぐのキッチンに行き、湯を沸かして、時間をかけて丁寧にお茶の準備をしながら、戸棚に常備されているおしゃれなクッキー壺を取り出した。
たっぷりのお砂糖と胡桃が入った分厚い一枚(間違いなく高級品のはずだけど、ヨアニスの懐具合は大丈夫なんだろうか)を口に咥え、暗くてひんやりした廊下を通って『研究所』に入る。
木窓の扉を開けると薄暗い室内がパッと明るくなって、気持ちのいい新鮮な空気が流れ込んできた。
その工程は神聖な儀式でもあった。それでもまだどこか夢を見ているようで、現実感がまったく湧いてこないのは、『ダンジョンコア』があまりにも現実離れしているからだろう。
私は慎重に机の上の宝石箱の蓋を開けた。するといつもの『水晶』が挨拶をするようにキラリと輝く。
この状態でも『ケラーキ』は私を見ているんだろうか。
淡い虹色の光を纏う水晶を眺めながら思う。こんなちっぽけな『水晶』が『ダンジョンコア』だなんて、まだ信じられない、と。
私ってなんて幸運なんだろう。まるで『運命』に選ばれたかのようだわ。
それとも、私を『神人』にしたように、これも『誰か』の計画のうちなのかしら。
私は『水晶』に向かって、(ケラーキの賢い提案のおかげで)あらかじめ用意しておいた『形』に念じると、先日の『馬車騒ぎ』よりはるかに慎ましい輝きとともに水晶は形を変え、瞬く間に長方形の木の板になった。
黒い鉄の金具のついた大きな板は、両手で持っていてもかなり重い。私は速やかにそれを床に置いた。そうすると、いかにも地下のちょっとした貯蔵庫か何かに通じていそうな跳ね上げ板に見える。
もちろん見えるだけじゃなく、ちゃんと真ん中の板を持ち上げれば、下へ続く階段が現れるのだ。
本来この床に階段なんてあるわけないし、あったとしても階下に住んでいる人の部屋があるだけのはず。なのに、実際に降りてみると、不思議なことにまったく別の部屋につながっているのだった。
——— 空間が捻じ曲げられている?
私はぼんやりと階下へと続く薄暗い階段を眺めた。
まったく、どれだけの科学力があればこんなことが出来るようになるんだろう。さすが、『神人』と呼ばれるだけはある。
凄すぎていまいち現実感がないまま、私は慎重に階段を降りていった。
階段はそれほど長くなく、すぐにグレーの壁に囲まれたごく簡素な狭い空間について、その真ん中には問題の人物、『ケラーキ』が一人静かに佇んでいた。
彼は微笑みを浮かべて私を見つめている。今顔を向けたのではなく、階段を降りる私をずっと『見て』いたみたい。
ほんのわずかに首や腕を動かす些細な動作がやけに人間っぽくて、逆に不気味な感じがする。だって彼は、人間どころか生物ですらないんだから。
しかも、最後に会った時とそっくり同じ体勢のままで立っている。
ずっとこのまま待っていたんだろうか。
疲れることはないし、感情だって本当はないんだとわかってはいても、こんな立ちっぱなしの状態で今日までいさせたことになんとなく罪の意識があって、そんな矛盾を振り切るように私はわざと明るく声をかけた。
「こんにちは!ケラーキ」
するとケラーキはにっこり笑って、「こんにちは、マスターユリ」と丁寧に返した。
なかなか爽やかじゃない?
穏やかな表情の、細身の青年の姿。彼を別の、もっと可愛い、犬や猫とかに変えることも考えたのだけど、数年先に待っている潜伏生活を考えれば、彼の容姿、どこにでもいそうな茶色い髪の、なんら特徴のないあっさりした顔立ちは人の記憶に残りにくく(それでいて感じがいい)、意外と悪くないと思えた。
それに、男性型という点もいい。女一人じゃないと思われるだけで妙な考えを起こす輩がだいぶ減るするはずだから。
一時期、記者としてあちこち飛び回っていた百合子の経験によると、『魔が差す』瞬間というのは、自身に一切の害が及ばないと確信した場合にだけ起こる。
人間は狡猾な生き物で、大抵はひどく臆病なものだ。そう簡単にリスクを犯したりはしない。
私は少しの間、ケラーキと向かい合って、まずどうしようかと考えた。
そして、ダンジョン製作の相談をするにあたって、実験がてら、とりあえずなんの変哲もない椅子を頭の中で思い描いてみる。そしてケラーキに尋ねた。
「今私が考えていることがわかる?」
「はいユリ。椅子を作るのですね?」
「そう」
考えを読まれるという居心地の悪さを噛み締めながら頷くと、ほぼ同時に想像していた通りの粗末な椅子が現れた。
ああ、嘘でしょ。
……こんなことが現実に起こるものなの?
あまりにも長い夢を見続けているみたいよ。
現実だという感覚が欲しくて、出現したばかりの椅子の背もたれを掴むと、先日の馬車と同じく、それは感触も重さも間違いなく、本当にただの素朴な木製の椅子そのものだった。
「……じゃあ、次はもう少し難しいやつにするわ。……これよ」
出来る限り鮮明なイメージを思い浮かべる。
すると間髪おかず、木の椅子と向かい合うように、全体にわたがたっぷり詰まった一人用のソファが現れた。
今度こそと、目を凝らして現れる瞬間をよく見ていたのに、今度も何も捉えることはできなかった。
音も振動も何もなく、私の勘違いで、本当は元からずっとそこにあったかのように存在している。
深い紺色のベルベット生地のソファ。私には見慣れた、しかしこの世界のどこにも存在しないはずのソファ。
座ってみると、百合子の記憶の通り、しっとりと滑らかな生地が柔らかく私を包み込む。
懐かしい心地だった。
どこにも負担を感じない、適度に柔らかなソファの背もたれに体を預けて、そっと瞼を閉じる。
壁に囲まれた狭いダンジョンの小部屋は静まり返っていて、自分の心臓の音まで聞こえてきそうだ。
そんな静寂の安らぎの中、この世界に来てからずっと押し込めて見ぬふりをしてきた熱い感情が、心の底からじわじわ込み上げてきて、ふいに小さな嗚咽が漏れた。
……どんなに焦がれていたか。
私、帰りたかったんだわ。ずっと。
しばらくそうしていた。
それから、名残惜し気に深呼吸を一つして冷たく澄んだ心地よさをたっぷり吸い込んでから、全身の筋肉に喝を入れ、瞼をこじ開けた。
まだすべてから解放されたわけじゃない。
今日だって、あと少ししたら馬車に乗り込まないと門限に間に合わなくなってしまう。
さぁ、現実逃避はそのぐらいにして、しっかりするのよ。
自身を奮い立たせて立ち上がり、振り切るように階段をかけ上がると、お茶の入った陶器のカップを持って再び『地下』へと戻ってきた。
それから、カップを木の椅子の上に置き、また階段を上がる。
今日は簡単な実験をするために来たのだ。
「ケラーキ、聞こえる?」
「はい聞こえます」
上半身だけ部屋に出ている状態で、彼が階段に姿を現した。登ってきたのではなく、さきほどの椅子と同じように突然現れた。
おそらく、(彼はダンジョンそのものなわけだから)目に見える形として現れることにそれほどの意味はなく、単に人間とコミュニケーションを円滑に行うための決まり事の一つにすぎないんだろう。
「じゃ、この『ダンジョン』を『水晶』に戻して」
「はい、マスター」
次の瞬間、地下へ続く『跳ね上げ板』は消えて、代わりに床にひかれた厚手のラグの上に(ヨアニスは割と高級志向だと思う)、見慣れた水晶とダンジョンの中に置いてきたはずのお茶の入ったカップが几帳面に並べて置かれてあった。
試しにお茶を飲んでみたら、まだほのかに温かかった。
「なるほど。破壊されるわけじゃないのね」
私は再び水晶を『跳ね上げ板』に変化させて地下に降りていった。
その間、私にとって最適な答えは何かと考える。
ダンジョンを『馬車』の形にしたのは正解だったかも。
まずは移動に使えるし、(ヨアニスに見られてしまったのは失敗だったけれども)どこにでもありそうなボロボロの荷馬車が人の目を引くことはまずないから、どこの街にだってすんなり入れるはずだ。
まだまだ工夫は必要だけど、基本はこれでいいと思う。
あとは、肝心の中身だけど……。
欲しいものは全て揃っていて、快適で、それでいて人に見られてもいいように不自然でないようにしたい。
それと、ダンジョン内に家畜を飼える環境を整えないと。野菜を育てる畑もいる。長期間の潜伏を考えるなら自給自足は絶対だもの。
農家に転職なんて考えてもいなかったけれど、ケラーキがいればなんとかなるだろう。
そうだ。馬車の中に隠し階段をつくろうかしら。
それなら見た目だけはただの馬車でいられる。うん、いいアイディアだわ。
それから、『馬車』はいいとしても、安心して過ごすためにはなるべく人の目を避けられる別の『形』も用意しておきたい。
名だたる世界のダンジョンの中には、湖の底に沈んでいたり、蜃気楼の中に隠れていたりする神秘的なダンジョンがいくつか存在している。
しかし、粗末な椅子に腰掛けて(座るよう指示した)私のロマンあふれる要望を微笑みを浮かべて我慢強く聞いた後に、ケラーキは軽く首を振って私の希望を打ち砕いたのだった。
「そうした特殊な加工を施すにはオプションの追加購入が必要です」と、早速おなじみとなったセリフが返ってきたうえに、もっとありふれたシンプルなデザインを薦められてしまった。
それでもつらつらと要望を並べているうちに、(何度も否定された後で)だんだんと現段階で作れそうな『ダンジョン』のビジョンが見えてくる。そしてその運営方法も。
初心者のためのレクチャーを開始したケラーキは、入学したばかりの生徒たちを受け持つ小等部の教師のように、わかりやすく丁寧に説明してくれる。もちろんちょっとぐらい理解が遅いからって嫌な顔一つしない。
「まずは資源です。何事もリソースがなければはじまりません。そこで、効率よく資源を取り込む方法として、土の中に埋めるという方法があります。そうすることで地中からより多くの養分や資源を得られやすくなるのです」
……え。埋めるの??
私の中では『馬車』の形でほぼ決定していたっていうのに、初っ端ダンジョン造りの専門家に地面に埋めろと言われてテンションが下がる。
逃亡者としては、敵地(ガーレン)からできるだけ早く離れたいんですけど……。
山奥とかに隠れた後も、念には念を入れて不定期に移動を繰り返すつもりでいるし。
「それはわかるけど、一箇所にはとどまれない訳があるのよ。いずれ落ち着くこともあるだろうけど、それはずいぶん先になると思うの」
「それでは、『ダンジョン』の一部をどこかに接触させていて下さい。接触面積が多いほど得られる資源も多くなります」
「うん?それって、動いてもいいってこと?馬車の車輪は地面の上をいくわけだから、一瞬とはいえ触れ続けてはいるけど、それでどう?」
「それでかまいません。常に移動させることで、より多くの環境に触れることができ、一箇所にとどまるよりも多様な物質を取り入れることができるでしょう。ただし、その方法ですと、巨大な建造物を造れるようになるには長い年月が必要になります」
私は納得して頷いた。
「なるほどね。一長一短があるわけだ。じゃ、移動は馬車で、じっとしている時は他の形にして土に埋めましょう」
「良いアイディアです」ケラーキは頷くと、なんだか神妙な顔付きで次のレッスンに移った。
「では次に、ダンジョン内で繁殖させる動物についてです。マスターユリが家畜を必要としているならば、まずはその家畜が飼育されている環境と接触するべきです。育成可能な環境を整えることができますから」
「それって、あなたを直接その場所に連れて行くってことよね?」
「はい」
ふむ。
なんとなくだけど、生物関連の話になると妙に力が入っているような気がする。ダンジョン育成のキーはこのあたりにあるってことだろうか。
ケラーキは聞いてないのに答えた。
「はい。お勧めしています。私の成長にもつながります」
「……そうなんだ」
なんだろう。ちょっと嬉しそう?
初めてこのAIから『欲』を感じた。成長したいんだろうか。
もちろんそうプログラムされているだけなんだろうけど、まるで人間の子供のよう。「大人になったら大きなダンジョンになるんだ」と息巻いているように見えておかしかった。
「それじゃ今度、馬車の姿で一緒にどこかの鶏小屋でも見に行きましょうか」
ケラーキは笑顔を見せた。「素晴らしい。知識だけでは私は成長できません。鶏に接触したい」
「えっ。触りたいってこと?」
「はい、マスター。生き物を飼育するには、まずは直に触れて、その生態をよく知る必要があります」
「はぁ、そうなの。別にいいけど。それなら市場に食用のが売ってるから、生きてるのを1羽買ってきましょう」
「良い考えです」にこにこしている。本当に嬉しそうに見える笑顔で。
この人、感情ないのよね?
本当にないよね?
どう見てもペットを飼えることになった子供の態度にしか見えないんですけど。
ともかくも、彼と話をするうちにだんだんわかってきた。
私たち現代人が享受している『ダンジョン』の多くは、巨大な『ビオトープ』であるらしい。
数多くの生物をダンジョン内で生かすことによって無駄なく資源を巡回させ、うまくバランスを保つことでエネルギーを生み出し続けるのだ。
さらにその生物が魔物であるならば特殊な恩恵も得られる。
大量の魔力だったり、宝物を作るための材料だったり、また、スリルや財宝を求めてやってくるお客さん(人間)だったり……。
古代人は『ダンジョン』を使って遊んでいたんだわ。
ケラーキもこの『ビオトープ型』を勧めてくる。
というか、オプションを購入できない私が短期間で『ダンジョン』を成長させるにはそれしか方法がないみたい。
今後、追手を振り切るために今のうちから出来る限り豊かなダンジョンをつくっておくべきだ。
快適な生活のためだけでなく、不測の事態を考えれば、ダンジョンはそれ自体が要塞で、罠となってくれるはずだから。
当然、ダンジョンらしいダンジョンを作るには途方もない資源が必要になってくる。そのためのビオトープ化なんだけど……。
一言で『ビオトープ』といっても、実際にやろうとすると相当難しいんじゃないだろうか。
もっとも単純な『ビオトープ』の作り方なら私も知っている。
水を入れた水槽に小魚と水草を入れる。すると小魚の排泄物等の自然の栄養によって、植物や微生物が育ち、植物は酸素を供給、微生物は魚の餌となる。
単純で完璧な循環システム。
もちろん小魚と水草程度では『ダンジョン』は大きくなれないので、もっと大型の生物を取り入れる必要がある。
そうなると生態系はより複雑になって、植物と動物と微生物、それらをうまく循環させるためには家畜だけでは足りなくなる。
つまり、増やした家畜、あるいは草食動物を捕食して大地へと返してくれる肉食動物が必要になるんだけど。
……あれ?
ちょっと待って。それ、本当に『ダンジョン』じゃない。
安心して暮らせなくなるのでは?
悩んでいると、私の不安を正確に読み取ったケラーキがアドバイスをくれた。
「ダンジョン内の動物があなたに危害を加えることはありません。私がいますから。しかし不安であれば、『海』にしてはいかがでしょう」
「海って、海?」
「はい、海です。ちょうどマスターユリの記憶の中に再現可能な鮮明なイメージを見つけました。海ならば容易に野生動物と生活環境を分けることができますし、海水の元となる水とミネラルならば用意されています。今でも十分な量をつくれるでしょう」
「まぁ!良さそうじゃない。島を作って、私は安全な陸地で生活していればいいんだわ。それでいきましょう!」
素晴らしいアイディアが出たところで、そろそろ帰ったほうがいいと思い出し、機嫌よく階段をかけ上がった。
『ダンジョン』を水晶に戻して部屋を出て、そこでギョッとして立ち止まる。部屋の前にヨアニスがいた。
え。偶然?……よね。
まさか、私が出てくるのを廊下でずっと待っていたんじゃないよね。
……不気味なんですけど。
彼は平然と、むしろ機嫌良さそうに「もう帰るのか?」と自然な感じで聞いてくる。しかも馴れ馴れしい。
「そうだけど、何か用?」
なんだか不貞腐れたような口調になってしまった。すると彼は薄く笑って、しょうがないなって顔で首を傾げた。
「うーん。まだ怒ってるんだな。そろそろ機嫌直してくれよ。まともに話もできないじゃないか」
……あん?
なんなの、この態度。こいつ、まったくわかってない。
今までの愁傷な態度は全部演技だったわけね。そりゃ知ってたけど、こうも堂々と言われるとことさらに腹が立つ。
「あんたねぇ、許すも何も、今だって学院と繋がってるんでしょ。私の監視員として雇われてるくせに!」
彼は戸惑ったように目を見開いた。「そんなっ。今は違うよ!」
「嘘つき!前々から言おうと思ってたんだけど、ファーシとも仲がいいらしいじゃない。悩みを相談してるんですってね。私のプライバシーをあれこれ吹聴して回ってる人なんて信用出来ないし、許すなんてもっての外よ!いい加減にしてちょうだい!」
ヨアニスは突然キレた私の勢いにたじろぎ、首を振りながら後退った。
「おいおいなんだよ、ファーシだって?挨拶ぐらいならされたことあるけど、それ以上は世間話もしてないよ。完全に誤解だ」
「あのね。この前、腕組んで歩いてたでしょ。さすがにその言い訳は無理があるんじゃない?それに、彼女とどうなろうと知った事じゃないの。私の話をするなって言ってるのよ!」
するとヨアニスは子供のように無邪気に笑った。軽く手を上げて宥めるように言う。
「あれはファーシから腕を絡ませてきたんだよ。君が見えたから、嫌がらせのつもりなんだろ。被害者は俺だよ。君たちの争いに巻き込まれたんだから」
「ふんっ。どうでもいいわ。あなたを信用できないことに変わりないもの。前にも言ったけど、『ダンジョン』の事、誰かに話したら後悔させるから!魔術師を甘くみない事ね!」
できるだけ恐ろしく見えるようぐっと睨みをきかせたというのに、ヨアニスは相変わらずの余裕綽々の態度で、嫌なニヤニヤ笑いをするのだった。責められているのに嬉しそうにこっちをちらちら見て言う。
「はいはい。もしかしてさ、妬いてるの?」
なんてやつ!!!
「このゲス野郎!!まったく反省してないじゃないの!」
最低だわ。私は怒り心頭で持っていたカバンを振り回して彼に叩きつけ、踵を返すと全速力で家を飛び出した。
そのまま荒々しくアパートの階段を駆け降りる。逃げ出したとも言う。
のんびりとパイプをくゆらせて待っていた御者のおじさんに出発を命じ、学院の馬車に飛び乗った。
あれ狂う感情の波。流れる街の景色を睨みつけながら、ぶつぶつとヨアニスへの罵詈雑言を吐き出す。
なのに、心は浮き立って踊り出したい気分だった。
こんな気持ち、認めたくない。
ヨアニスとファーシが親密な間柄じゃなかったからって、私にはなんの関係もないんだから。
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