第16話 トーアンセクト3
私とヨアニスは草原を軽く駆けながら流れる景色や爽やかな風を楽しんでいた。こうしているとさっきのあれは最悪な白昼夢でも見てしまっただけなんじゃないかと思えてくる。
「あったあった、ここだ」彼が止まった場所にはカモミールみたいな花が固まって咲いていた。
「ユリはこいつを一束分摘んでおいてくれ。俺は別の依頼を片付けてくるから」そう言って馬から降りて(ついでに私が降りるのを手伝ってから)、すたすたと歩いていってしまった。
一束ってどのくらいだろう。花でいいのよね?取り残された私はちょっともたつきながら腰のベルトからナイフを取り出して、咲いている白い花を掴んで根本から切り取ってみた。途端にみずみずしい香りがふわりと漂う。すごくいい匂い。香水にでも使うのかな。
アプリとコットも花が気に入ったみたいで、ふんふんと鼻ズラを近づけてもぐもぐやりはじめた。
花束がそれなりの量になった頃にヨアニスが帰って来た。片手にまだ僅かに血が滴っている状態のやけに手足の長いウサギを持っている。しかしよく見るとそのウサギの顔は潰れた深海魚のように醜く、小さな体にはどう見ても不釣り合いな長い牙が生えていた。
「よし。あとは幼虫だな」
「え?今なんて?」
「虫だよ。その辺の石を手当たり次第ひっくりかえしてみてくれ」
「やだっ!幼虫って虫の幼虫なの?」
彼は不思議そうに首を傾げた。「そりゃそうだろ。受付の話じゃ草が生えてるあたりならどこにでもいるって言うからさ。簡単な依頼を選んだんだけど、もしかして虫が嫌なのか?」
「嫌に決まってるじゃない!」
ヨアニスは困ったように眉を下げた。「わかったよ。でもさ、石をひっくり返すぐらいはしてくれよな」
やれやれと首を振って腰を屈める彼を見てちょっぴり自分を恥じた。ウサギを殺せって言われても私にはできない。それを代わりにやってくれたっていうのに、虫なんか何よ。
私も彼に習っておずおずとしゃがみ込んで近くの石をひっくり返して回った。すると座るのに良さそうな大きめの石を苦労して動かした時、考えていたよりもずっと大きくて不気味な薄青い足が大量に生えている芋虫が姿を現した。芋虫は影に隠れようと必死で蠢いている。
声にならない悲鳴をあげた私の元にヨアニスが駆けつけてきた。
「おっと!見つけたじゃないか、えらいぞ」言いながらまるまる太った握り拳ぐらいあるその芋虫を素手で摘み上げて、腰の皮袋から大きな麻袋を取り出してポイっと放り込んだ。うええ。
彼は笑顔で言った。「よし、あと29匹だ」
私は今度こそ声をあげて叫んだ。「嘘でしょ!?そんなに何に使うってのよ!」
「知らないよ。薬にでもするんじゃないか?」
結局、簡単に思えた芋虫とりは思いがけず難航して、そこらじゅうの石をひっくり返しまくるという地味に過酷で精神を削る作業は日が傾くまで続いたのだった。
暗くなる前になんとか30匹の芋虫を集め終え、できる限りの大急ぎで馬を駆けて街の門が閉まるギリギリでなんとか滑り込むことができた。
その足でハンター協会に向う。早くあの芋虫を手放したい。
ヨアニスがハンター協会の入り口横の壁際に座り込んでいる少年に声をかけて小銅貨を数枚渡すと、少年は満面の笑みを見せて「おまかせを!」と薄い胸を叩いた。
通り過ぎる時にチラリと見たら、少年は水飲み場が付いている馬留めにアプリとコットを繋ぐと、何やら嬉しそうに馬に話かけていた。
男の子って乗り物が好きよね。車とか飛行機とか。それがこの世界だと馬になるんだわ。なんとなく男心の真理を見た気がした。
協会には朝と同じように大勢のハンターたちがいて、やっぱりうろんな表情を向けてくる。しかし今朝とはどこか違っていた。なんとなく私たちを襲いにきたごろつきの最後を知っているんじゃないかって気がして嫌な予感が胸をよぎる。
それでもヨアニスが平気な顔で私の肩に腕を回してきたので、一瞬のうちに頭に浮かんだ不穏な可能性はどこかに飛んでいってしまった。
ヨアニスは私を連れて今朝とは違う広々としたカウンターに今日の成果である花束と凍ったうさぎの死骸と、それにもぞもぞ蠢く悪夢のような袋を置いて、少し離れたところにいるやけにごついお兄さんに声をかけた。
そのマッチョはカウンターにチラリと目をやると、脇に隠れていた下働きっぽい子供に指示を出した。
子供はせっせと花束や袋の中の芋虫の数を確認してウサギを回収し、「状態を確認してお呼びします」とやや緊張した面持ちでヨアニスに番号が書いてある黒い札を手渡した。
きっと見習いなんだわ。私と同じね。
ヨアニスは私を誰もいない柱の影に連れていった。
そして声を潜めてピシャリと言う。「他の連中を見るんじゃないぞ。絡まれると面倒だからな」
そこまで危険なのかと驚愕してヨアニスの胸元をだけをただひたすらに睨んでいたら、さっきの男の子に名前を呼ばれた。
見習いの少年は、背後の経理っぽい年配の女性からお金を受け取って、それをカウンターの木の皿の上に慎重な手つきで一枚づつ乗せていった。大銅貨1枚と小銅貨2枚。
一日中苦労してこれだけかぁ。働くって大変ね、なんて思っていたら、ヨアニスはその銅貨を私にくれた。これっぽっちと思っていたのに、手のひらにのせてみればこの世界で初めて稼いだお金はずっしりと重く感じたのだった。
少年は私を見てやけに吃りながら「あ、あの、新規の方ですよね?でしたらこの札を窓口に提出してください」と早口で捲し立てた。生まれて初めて女の子を見たって感じ。
もしかして私ってかなり可愛いんだろうか。いまだに自分の容姿をきちんと確認できていないせいでイマイチ確信が持てないけど、彼の反応を見るとつい自惚れてしまう。
一年前に造られたばかりのこの体は、しみひとつない滑らかな肌と輝く髪を持っている。それになぜか毎日厳しい日差しに晒されているというのにまったく日焼けをしていなかった。
これって『状態異常耐性』のせい?ブロンズ色の健康的な肌に焼きたくなった時はどうしたらいいんだろう。
ボケっとしてる私を見かねたのか、ヨアニスが肩を掴んで強引に一般受付の方に連れていった。
受付の窓口は混んでいた。少しの間順番待ちをして、私たちの番になるとヨアニスは窓口のカウンターに私の仮のハンター証と少年が渡してくれた灰色の札を置いた。
今朝の人とは違って愛想がいいそのおじさんはすぐに了解したようで、「はいはい、初依頼完了ですね。ご苦労様!」と大きく頷いて笑顔を見せてくれた。
明らかなズルなんだけど、特に指摘されることはなかった。おじさんは慣れた様子で札2枚を回収して手元の透明な板を指で操作し、私の前に黒光りする謎の石板を置いた。たぶん魔導具なんだろう。
「こちらに手を置いて。そう。えー、少し時間がかかりますが、手を離さずにいて下だ……あれ?終わった様ですね」おじさんは意外そうな顔をした。機器を覗き込んでうまく作動したのかどうか確かめている。
壊しちゃったんじゃないかと不安になってヨアニスを見上げたら、彼は笑いを堪えていて、冗談めかして肩をすくめた。
職員のおじさんは狐につままれた様な顔をしたまま残りの手続き(また今朝と同じような質問)を終わらせた。
最後に渡されたハンター証はやっぱり木製だった。中央に石板と同じ黒い石がはまっていて、その石の横には銀色の線が一本掘り込まれている。
「はい、この線は通称『星』です。依頼を重ねハンター協会の信頼を得ると線が増えるんですな。線が増えていけばやがて星になる」そして皮肉げに笑った。「まぁ、そこまでいけるハンターなんて滅多にお目にかかれませんがね」
なるほど。簡単な文字や数字さえ読めない人のためにマークで熟練レベルを表しているのね。
それから新米ハンターの為の任意の講習があると言われたけど、それは断った。今のところ本気でハンターを目指してるわけじゃないし。
帰り道にゆっくりと歩くコットの背に揺られながらヨアニスが教えてくれた。
黒い石の素材は水晶で、やっぱり魔導具だった。ハンター証に限らず、市民証などの公的な証明にも使われている技術なんだそう。ある程度大きな町ならば大陸中どこでも普及しているらしく、なんと遠距離通信が可能だというのだ。
はっきり言ってこの文明には似合わない。オーバーテクノロジーがすぎると思うのだけど、ヨアニスを含め大陸に暮らしている人々は特に不思議とも思わず使っているみたい。
仕組みはヨアニスにもわからないそうだけど、まことしやかに噂されている情報によれば、そのシステムの運営にはミドラ正教会が関係していて、影から大陸を自在に操っていると言われている。ただの都市伝説ではあるけれど、すごくありそうな話でもあった。
黒水晶は記憶媒体なんだと思う。そうなると地球のインターネットのような大規模ネットワークが大陸に存在している事になる。ならばそれを管理する団体がどこかにいるはずだもの。
宿に着いた頃にはもうだいぶ暗くなっていた。それでも厩を覗くと馬番のおじいさんが待っていてくれて、「ずいぶん遠くに行きなさったんだねぇ」と顔をくしゃくしゃにして破顔した。
きっと心配してくれていたんだわ。彼から見れば私もヨアニスもほんの子供に見えるんだろうから。
ニムオン大陸で今も一人ぼっちで暮らしているだろうヘンレンスさんを思う。彼もきっと私を案じているはず。切なくなって胸を抑えた。
だけどヨアニスの方はなんの感慨も湧かないようで、ぶっきらぼうにおじいさんにチップを渡すとアプリとコットを押し付けるように引き渡した。なんていうか、失礼なやつ。
部屋に帰って急いでお風呂に入って、いそいそと食堂に向かう。お待ちかねのディナータイム。なにしろ芋虫のおかげでお昼を食いっぱぐれたのだ。もうお腹と背中がくっつきそうになってる。
席に着くと、ヨアニスはすっ飛んできた女の子には目も合わせずに「エールと赤ワイン」とだけ言った。
彼女はこの後大いに悩むことになるはず。ほんの少しでも彼が自分を好いてくれるかもしれない可能性がさらに目減りしたせいで今夜は枕を涙で濡らすかもしれない。可哀想なほどしょんぼり肩を落として厨房へ去っていった。
運ばれてきた料理のメインはラム肉のステーキだった。それに具沢山の野菜スープと白いパンがついている。ステーキは骨付きでかなりの重量があって、焼きすぎてはいるけれどそれなりに柔くジューシーだった。一口食べるごとに幸せを感じる。
ふと顔を上げると、ヨアニスが頬杖をつきながら私を見つめて幸せそうに微笑んでいた。
テーブルに設置されたランプのほのかなオレンジの灯りに照らされて、少年と青年のさかいにいる者特有の神々しくもあやしい美が食堂の薄闇の中に浮かび上がっている。
……な、何?
慌てふためく私の様子をじっくり眺めまわしてから彼はようやく口を開いた。「ここは砂漠地帯との境目にある街だ」
私はごくりと唾を飲み込んだ。「あ、ああ、そうなの?」ちょっぴり声がうわずっていた。
「うん。これからは大きな街道に沿って進むつもりだ。今まではできるだけ人目につかないように移動してきたけど、こっちは人も多いしその分盗賊も出る。街道沿いなら巡回兵が見回ってるようだからさ、その方が良さそうなんだよ」
「私もそれでいいと思うわ」
「でさ、俺もこの先がどうなってるのか知らないんだ。噂にも聞いたことないんだよな」
「そっか、不安なのね」
「………」彼は気分を害したようにジロリと私を睨みつけた。「不安なのはユリのことだ。さっきのあれだよ」
「………さっきとは?」本当にわからない。眉間に皺を寄せて考えても何にも思いつかなかった。虫が怖かったこと?
ヨアニスはさっきまでの穏やかな表情からいっぺんして、すっかり不貞腐れていた。さっそくついていけない。
「だから、あの小僧を見つめてたろ」乱暴な口調。私は目をぱちぱちさせた。あの新米の男の子のどこにこんなに不機嫌にさせる要素があったっていうの?
「あの、何か誤解があるようだけど……」
「誤解じゃない。お前は分かってないんだ。ずっと砂漠にいたんだろ?あんな風に男を見つめるんじゃない。あいつ馬鹿みたいに舞い上がってたじゃないか」
信じられない。私は唖然として穴が開くほど彼を見つめた。もしかしてこの人、ヤキモチ妬いてるの?
どうしよう。なんて答えればいいんだろう。返答の微妙な匙加減で恋愛モードに突入してしまいそう。百合子お願い、力を貸してちょうだい。しかし必死の祈りも虚しく望んでいた知恵は降りてこなかった。
仕方なく曖昧に微笑む。どうか察してちょうだいと念じながら。
薄々気づいてはいたけれど、彼は幼い。
魔族への差別があるというこの社会で本当の自分を隠しながら生きていくのは辛いだろう。たいして親しい友人もいなそうだし、ヘンレンスさんを含めあらゆる人に恨みがましい感情を抱いている。
そんな彼が、常識を知らないゆえに偏見も持たない年頃の女の子に出会って運命的なロマンスを期待してしまったとしても不思議はなかった。
だけど私、中身大人だし。正確には大人だった記憶を持っている。
そりゃ彼は極めて美しい容姿と純真な魂を持っているし、いいところもたくさん知ってる。だからと言ってそんな彼に手を出すのは大人が子供を弄ぶようなものだ。
だいたい、子供なんて好みじゃない。
私は純真な彼をなるべく傷つけずに済むように優しく語りかけた。
「わかったわ。私たちはこの旅を無事に終わらせること、それだけが大事なのよね。もちろん協力は惜しまない。あなたがトラブルを招くというなら助言に従うわ」そうよ、お互いビジネスライクな関係でいましょうね。
私の予想通り彼の求めていた返事ではなかったみたい。一瞬いつも他人に向けるあの冷たい目で私を見て、ただ頷いた。
胸がずきりと痛んだ。でもこれでいいのよ。
私たちは互いに目を合わせずに黙々と食事を平らげた。
私がゴブレットに残った最後のワインを飲み干すと、ヨアニスは席を立って「明日この街を出るよ」と呟くように言った。意外にも優しい口調だった。それでも瞳は悲しげに揺らいでいる気がして、私はただ小さく「わかったわ」とだけ言った。
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