第48話 深淵の青雷 第8支部1

『深淵の青雷』の活動は、月に一度だけ新人を連れて行く日があるだけで高等部の学生には本格的に活動する機会は与えられないようだった。


何度か呼び出されてリーダーの執務室に行ったことがあるけど、大抵は暇らしく、机に足を乗せて寝こけているリューゼフを見る羽目になったし、要件も頻繁に行われる会合や食事会の招待というオチで、もちろん断るけど、それもだいぶ面倒に感じている。


毎回断る私に渋面をつくるテニリが言うには、権力者や金持ちを招いての会食は、『青雷』の活動資金や支持を集める為には絶対に必要な事なんだそうな。


なんでそんなにお金が必要なのかわからない。『青雷』も学院の内部組織ではあるのだから、給料だって活動資金だって出ているはずなのに。

ダンジョンの深部に挑む様子はまるでないのに、資金集めばかりしている印象が強くてなんだか好きになれない。


しかも彼らが最深部に到達したのは賢者ガーレンの最盛期の一度だけで、現在は無理をせずに潜れる階層を定期的にまわるだけという体たらく。今や遺跡の調査というより存在し続ける事が目的になっているように見えるのだった。


もちろん相手は腐っても『青雷』。彼らの戦闘における魔術士としての力量や遺跡の知識は数多のガーレンのハンターの中でも最高峰だということはわかっているし、私とは比べるべくもないほどに強力で難しい魔術を平然と使いこなす彼らの技は驚嘆に値する。


それでも学院を卒業したら『青雷』と離れるつもりでいる私にとっては早速在籍する価値が見出せなくなっていた。


月一で連れて行ってもらえるダンジョンだって、初日と対して変わらず、ただ歩き疲れて帰ってくるだけだし。

私の教育係であるタスロンに不満を漏らしたら、『青雷』が持っている技や知識の伝授は卒業後に実力が認められてからだと言われてしまった。

今の私は新人以下の扱い。正式なメンバーでさえない。


ならば逆に今なら「やっぱり合わないみたい」と軽い感じで離れられるんじゃないかしら。

思いついて早速リューゼフに退団を告げに行ったら、獰猛な唸り声を上げられた。

動物みたいに威嚇された挙句、「届けは保留にする」と言われて執務室を追い出されてしまったのだった。


学院に所属している間は私には自由などないということなのね。


どうも急な『退団のお知らせ』が悪かったみたい。その翌日、さっそく面倒なことになった。

授業が終わって部屋にいると、寮母が勝手に入ってきて、「『青雷』で『面談』があるんですってよ。すぐに行ってちょうだい」と追い立てられてしまったのだ。

そして仕方なく事務所へ行くと、長く『青雷』に在籍しているというよく知らないおじさんに長々と説得される羽目に陥った。


事務所の隅の衝立の向こうに座らされ、難しい顔で腕を組んだおじさんにひたすら説教される私。彼は眉根を寄せて聞き分けのない子供に説明するようにゆっくりと話す。

「ユリよ。遺跡調査には乗り気だっただろう。今も随分熱心に情報を集めているらしいじゃないか。若いうちは焦るもんだが、少し落ち着け。卒業すれば正式に我らの一員と認めると言っているんだ。私の話はわかるな?」


意識が飛びかけたけどなんとか踏みとどまり、ふと頭に浮かんだ思い付きを使って抵抗してみることした。言われっぱなしは癪に触る。

「お言葉ですけど、私にも考えがあるんです。実は新たにパーティーを募集して、一から築き上げて行きたいと思っています。既に確立された道順で、強力な魔術を使う先輩方に守られながらではなく。困難乗り越えた先にこそ得られる物があるはず。挑戦したいんです」


もちろん口からの出まかせ。将来はハンターになろうと思っているけどチームはいらない。

しかし、適当に言っただけなんだけど、おじさんは驚いたように私の顔をまじまじと見つめるとおもむろに立ち上がった。そのまま「待っていなさい」と言い残してどこかへいってしまった。


……嫌な予感。

私は粗末な固い椅子の上で体をもじもじさせた。ぜんぜん本気じゃないのに。単に最後に文句言ってから帰りたかっただけなのに。


数分後に戻ったおじさんは、なんとリューゼフを連れていた。

なんだか知らないけど、これじゃ話が長くなってしまう。今度は二人で説教する気かと身構えたけど、意外なことにリューゼフは妙に機嫌が良かった。おじさんを立たせて自分はどかりと目の前の椅子に座り、私と対峙した。


「おい、一からパーティーを組みたいだと?本気だろうな」

「……あ、はい」

「そうか。くくっ。最近の従順なだけの学徒どもにはないバイタリティーがあるな。よろしい!力になってやる。差し当たっては学院の許可が必要だ。ちょっと待ってろ」

私は「なんだこの展開」とおじさんに目で訴えると、彼は笑って、「俺たちも学生時代にクラブを設立したんだよ。もう無くなっちまったがね」

「え、クラブですか?」

「そうそう。年上の俺がリーダーでね、リューゼフが本の虫だったテニリを無理やり引っ張ってきて……懐かしいなぁ。3人でハンター協会に行って登録しようとしたんだが……」


おじさんの思い出話は長かった。

解放された頃には疲れ果てていたけれど、これから何が起こるのかいまいち要領を得ないまま。


その5日後、再び呼び出され、団長の執務室に入った私にリューゼフが無骨な太い腕を突き出して持っている書類をひらひらさせた。

私は目を瞬かせてびっしり書き込まれた細かい字を読もうとした。だけどリューゼフが動かすもんだから読めない。

どうもクラブ申請書ではないようだけど。困っていると、彼はご機嫌で手に持った羊皮紙を私に押し付けた。


手にとって読んでみると、『深淵の青雷の第8支部』として受理されたという内容の書類のようだった。


……何これ?


代表の項目に私の名前がある。さらに、特別顧問にはリューゼフの名前、外部指導員の枠にはなんとヨアニスの名前が記載されている。なんでヨアニスなのよ。


「クラブの設立には現役の教師が必要でな。面倒だから『支部』とした。それなら俺の権限で好きにできるからな。ああ、『支部』ってのは必要に応じて随時設立されるもんでね。過去をひっくり返せば外部委託されていた事だってある。それが『第8』だ。ここならある程度の自由が認められているから、後はお前の好きにやれ」

「あの、『支部』はわかったけど、ヨアニスって……」

「なんだ?」不思議そうな顔。

「だって、あの人学院のハンタークビになったでしょ?そう聞いてるんですけど」

「しらねぇ。俺が言われたのはあいつの名前だ。……切れてねぇんだろ」

「……嘘でしょ」

「ふん。まだ学院を信じてんのか?馬鹿が。それでもな、ここには力がある。お前も使われるだけじゃなく使えるようになれ。話はそれだけだ」

「え、待って。それで、私どうすればいいの?」

「あん?好きにしろよ。俺は忙しいんだよ。メンバーを集うとかなんかあるだろ。問題が起きた時はテニリかタスロンに言え。ああ、『青雷』の名誉だけは汚すなよ。さて、以上だ!出ていけ!」


質問も許されずに無理やり追い出されてしまった。

執務室の扉の前で一度振り返ったら、机に放り出された足が見えた。忙しいはずなのにこれから一眠りする気みたい。


モヤモヤするけど、よく考えてみればこれって解放されたってことよね、たぶん。好きにしていいみたいだし。


ナッツの秘密をあっさり私に暴露したこの人は、学院の他の魔術師とはだいぶ違う匂いがする。『深淵の青雷』団長リューゼフ。変な人だわ。


とりあえず支部の代表になったらしい私は、一応隊員であるヨアニスに会いにいく事にした。


平日だけど今日はもう授業はないし、『青雷』の仕事だと言えば門番も通してくれるはず。

案の定、学生たちの嘘を見抜く事に関してはプロフェッショナルの門番さんも私の学生証ともらったばかりの書類を交互に見て、「これからは『青雷』の制服を着てくださいよ」と言っただけで通してくれた。


ヨアニスは留守だった。

もらった鍵を開けて中に入ると、すぐにナッツが飛んできて腕に張り付いたかと思ったら、そのままポケットに入り込んで丸くなってしまった。


少しの間、居間のいつもの椅子に座ってぼうっとする。

ナッツのために留守でも窓は開けたままにしているらしく、四角い木枠の外には初夏の澄み渡った青空が広がっていた。平和で優しい、乾燥した空気。


こうしているとヨアニスと仲違いしたのが嘘みたい。お日様の匂いに混じって、中庭に咲くライラックに似た紫色の花の甘やかな香りが鼻腔をくすぐる。


不意に泣きたくなった。でも今涙を流したら、ナッツを通じてヨアニスにバレてしまう。ローブの裾でこっそり目元を拭ってテーブルの上に突っ伏した。暖かい日差しが腕に積もる。


いつの間にか寝てしまったみたい。「ユリ」と声をかけられて瞼をこじ開けると、目の前にヨアニスの顔があった。

目をぱちぱちさせて起き上がる。部屋は薄暗く、窓は赤く染まっていた。いつの間にか夕方になっていた。


ヨアニスはハンターの装備、簡単な革鎧を着て腰のベルトに細身の剣やナイフやナタを下げている。たった今戻ったばかりという姿。肥沃な土と草の匂いに混じって微かに男の匂いがする。


「……森に行ってたの?」

「ああ、ちょっとね。寝るなら部屋のベッドで寝ればいいのに」

「長くいるつもりはなかったの。ちょっとだけ待って、戻らなかったらすぐに帰るつもりだったから」

ヨアニスは遠慮がちに訊ねた。「……俺に用事?」

「そ。えーと、書類、どこだっけ。あった。これ見て」


ヨアニスは差し出された書類にさっと目を通した。

彼は教育熱心なミドラ教会の孤児院出身だから、難しい単語や言い回しでなければ、このぐらいの書類ならなんなく読める知識を持っている。


「支部?」

「うん。これで学生の私でもダンジョンに行けることになったの。リューゼフ…団長は私の好きにメンバーを集めていいって言ってた」

彼は目を丸くして言った。「ずいぶん急だな」

「あら、聞いてなかったの?」

「ごめん。俺……」

「知ってるわ。まだメイシスの飼い犬なんでしょ」

「いや、違うよ!それは違う。もう弱みはないし、復帰はしたけど、今は学院と直接契約してるだけなんだ。それだけは信じてくれ」

「あなたのことを信じるなんて不可能よ。でもいいの。私の役に立ってくれるでしょ?」

「もちろんだよ!ユリのためならなんでもするっ」

「結構。じゃ、『鍵師』を見つけなきゃ。ダンジョンに入るの」


ヨアニスはテーブルに手をかけて直接座ると幸せそうに微笑んだ。

「夢みたいだ。ユリと一緒にダンジョンに潜れるんだな」

「……そうね」

だいぶ複雑な関係になっちゃったけどね。


本当は学院とは離れてハンター活動をしたかったんだけど、このガーレンの街は遺跡を含めたすべてが学院の支配下にあるわけで、その権威を利用できるならそれはそれでいいんじゃないかと思う。


実際、ハンター協会や商店は『青雷』の名を出すだけで協力的になる。同業者の荒くれ者どもだって名高い『深淵の青雷』の一員に絡んで面倒事を起こそうとはしない。


それに、ここを活動の拠点としてしまえば、週末を待たなくてもこうやって時間のある時にちょくちょく来れるようになる。それって『水晶』をいじれる時間が増えるってだけじゃない。これからは好きな時に学院の外に出られるってことだ。

牢獄のような長い長い学生生活の中で、どれほどこの時を待ち望んできたか。開放感で胸がいっぱいだった。


学院の門までヨアニスに送ってもらいながら、これからのことを話した。


ダンジョンに入るなら罠や隠し通路を見破る特殊技能を持った専門職、『鍵師』がいる。

秘密も抱えているしできるだけ人数は抑えたい。私としてはあと一人いればいいと思ってる。しかしヨアニスは『鍵師』の他に最低でももう一人必要だと言い出した。


「『鍵師』はもちろんだろ、それと守備専門の戦士がいるな」

「守備?」

「ああ。ハンターと一口に言っても、単純な戦闘要員以外にも結構いるんだよ。『鍵師』や荷物運び専門の『ポーター』、遺跡に詳しい『ガイド』とかな。俺の戦闘スタイルは守りには向いてないんだ。だから俺が戦っている間、ユリを守る戦士が必要だ」


冗談かと思って顔を見たら、至極真面目な顔つきをしていた。思わず舌打ちしそうになった。この人まだ私のことただの女の子だと思ってる。


「……あいにくお守りは必要ないわ。私だって『シールド』や『バリア』の練度は上がってるの。サポートの技術もね。毎日練習してるんだから。もちろん攻撃魔術だって。私は立派な戦闘要員ですから!」

それでも納得していないようで、ヨアニスは誤魔化すように笑って「わかったわかった。じゃ、『鍵師』を守る戦士だ。それでいいだろ」なんて言う。

「だからいらないってば。その『鍵師』も私が守るわよ」

「いいや、だめだ。俺が魔物と対峙している間に何かあったらどうするんだよ。とにかく信用できる人間が必要だ。なぁ、『青雷』でもう一人借りられないか?」

「あのねぇ!」

怒ったふりをしたら拍子抜けするぐらいあっさり引いた。でもやっぱり意見を変えるつもりはないようで、「……わかったよ。じゃ、とりあえず鍵師だな」と肩をすくめた。


色々言いたいことはあるけれど、実力を認めさせるには現場で力を見せつけるより他はない。ここはぐっと我慢して、ヨアニスに次の週末に会う約束だけして校門で別れた。


寮の部屋はいつものように静まり返っていたけれど、もう空虚な感じはしなかった。

暗くなる前に換気をしようと窓を開ける。夕暮れに包まれた外はまだ明るく、夏の気配がした。


なんだかうまくいきすぎてる。だんだん不安になってきた。本当は何もかも夢なんじゃないかしら。それかリューゼフからもらった書類の意味を読み間違えてるとか?でもヨアニスにも見せたし、大丈夫だと思うんだけど……。

突然得た制限付きの自由。なかなか実感がわかなかった。





次の休日、アパートで合流した私とヨアニスは繁華街の大通りにあるハンター協会を訪れていた。必要な『鍵師』を確保するためだ。


ハンターが新しいメンバーを入れる時は、大抵は紹介制なのだと聞いたことがある。

その朧げな知識を頼りにハンター協会の窓口で恐る恐る相談してみたら、対応してくれたいかにもベテランという感じの年配の職員はあっさり頷いて、「ではすぐにメンバー募集をかけますね。ええ、大丈夫。すぐに集まりますよ」と太鼓判を押してくれた。


話に聞いていたのとちょっと違くて面食らってしまった。こんなに簡単なものなの?


ハンターは命懸けの仕事。過酷だからこそ信用し合える仲間は貴重で、長くチームを組んだパーティーメンバーの結束は固く、時には血よりも堅い絆を得るという。


それだけ聞けば『いい話』なのだけど、そもそもの原因は人間同士の争いにある。

多くのハンターは一攫千金を目指して命を張っている。そんな彼らが大金を得る手段として取る方法が正攻法だけとは限らない。血生臭い話はそこらじゅうに転がっているのだ。


協力し合わなければ生きて出られない閉鎖的な環境で、もしパーティーの中に一人でも裏切り者がいたら。きっと容易く全滅してしまうだろう。

ダンジョンで行われた犯罪の物証は一日ですべて消えてしまうから、立証はほぼ不可能だし、協会や街の衛兵に訴えたところで『間抜け』の一言で片付けられてしまう。ダンジョンでは『騙される方が悪い』のだ。


だから新しいメンバーを迎えるときにはかなり神経質になる必要がある、というのが一般的な知識なんだけど……。

隣のヨアニスをチラリと見たけれど、彼は新しい仲間にはさして興味がわかないようで、掲示板に張り出されている数体の魔物の絵をうっとりと眺めているだけだった。


なにもかも彼に頼るわけにはいかないわね。『第八支部』の代表は私なんだもの。

窓口の職員に募集の条件を伝えながら、実務は自分でやろうと決意した。


いくつかのやり取りの後、私のハンター証の再登録のために依頼を受けることになった。忘れてたけど、最後に依頼をこなしてからもう10年以上経っている。

依頼は簡単な魔物の討伐で、食肉になる魔物ならなんでもいいらしい。

実戦で私の魔術が使えるかどうか試すのにちょうどいい機会だった。


協会を出た私たちは、そのまま街を出て森に入った。

ベテランハンターのヨアニスにとって森は庭のようなもの。ヴァンパイアの高精度レーダーによって獲物はあっさり見つかった。

知ってはいたつもりだったけど、彼は思っていた以上に優れたハンターだった。気配を絶って、形跡をたどり、じわじわと獲物に近づいて行く。


私がいると邪魔なのだけど、今日の依頼は前衛のヨアニスを魔術で援護するという練習を兼ねている。


ヨアニスが追っていたのは背中に大量のイボが生えた大きなネズミだった。

ネズミは草の影に身を潜めて夢中で何かを食べているようで、何やらバリバリ音を立てながら地面に向かってもぞもぞやっている。あんまり見た目がいいとはいえないやつだ。


「ねぇ、あんな気持ち悪いの、食べれるの?依頼は食肉になる魔物だったよね」

「しっ。気づかれるだろ。あれは『鎧ネズミ』だよ」

質問に答えてない。私は会話を諦めてヨアニスの体からもれている微かな魔力に添わせるように単純なバリアをつくった。


その途端ヨアニスが飛び上がった。「なんだ!?」

「バリアよ」

「言ってくれよっ」ヨアニスは顔を顰めて目の前のネズミみたいに体をもぞもぞさせた。「……なんか気持ち悪いんだけど」

「あらわかる?刺激はないはずだけど」

「これ光属性の魔術じゃないか。勘弁しろよ、嫌がらせのつもりか?」

「違うけど……もしかして私の魔力が『光』よりだからかしら。悪いけど、こればかりはしょうがないわ。慣れてよ」

「……」


ヨアニスは嫌そうに首を振ったものの、それ以上文句は言わなかった。

たぶん、魔族の彼の魔力が闇属性で、神人の私が強烈な光属性の種族だってところに問題があるみたい。要するに、相性が悪い。


日頃から我慢強いヨアニスのことだから、無駄に限界まで頑張ってしまうかもしれないと、とりあえず謝ることにした。

「ごめんね。ただのシールドのはずが光属性のシールドになっちゃってるみたい。学院の魔術師は光属性のヒューマンばっかりでしょ。だから指摘されたことがなかったのよ。実戦ではとんだ落とし穴があるものなのね」

「……まぁいいよ。たいした問題じゃないさ」

「本当に?」

「俺は砂漠出身のハーフヴァンパイアだぞ。『光』には慣れてる。びっくりしただけさ。大丈夫だよ」

「じゃあお言葉に甘えて。ちょっと試させてね」


ネズミはとっくに姿をくらましている。せっかくなので練習させてもらおう。

授業で習った『シールド』や『バリア』を思いつくままに重ねがけしてみる。魔術に有効なやつ、衝撃に強いやつ、熱や冷気に耐えられるやつ。『身体強化』系の魔術は2年生で習うらしいから、今はこれだけ。


なかなかの出来だ。一人満足していると、ヨアニスが申し訳なさそうに振り向いて言った。

「悪いけどさ。この透明な盾、邪魔だよ」

「え?」

「俺、盾使わないから」

「……」


『シールド』は腕の前面に浮かぶ小さなバリアなんだけど、そういえば彼が盾を使っているところをみたことがなかった。


「わかった。消すわ」

「あのさ、できれば『バリア』も消……」

「さっき大丈夫だって言ったじゃない」

「そうだけど、やっぱ気になるっていうか……」


魔術師のバリアは防御が難しい魔術や炎などを防いでくれるし、常に張った状態でいれば不意の攻撃や突然の罠から身を守ることができる。

戦う魔術師はどこに行っても重宝されるって聞いたのに、ヨアニスにはこのありがたみがわからないみたい。


「そんな事言われたら私の役割がなくなっちゃうじゃない。我慢してちょうだい」

「わかったよ。今のうちに慣れておいた方がいいか。遺跡じゃ森のようにはいかないだろうしな」

「そうよ。そのうちバリアも悪くないって思うはずよ」

「はいはい」


実戦訓練の結果は微妙だったけど、いいところもあった。

ヨアニスのナタに付与魔術の小技、切れ味を高める効果のあるコーティングを施してみたら雑草や枝をスイスイ切れるようになったのだ。ヨアニスも「魔剣みたいだ」と子供のように喜んでくれた。


ただ、彼が持っている短弓の鏃にかけた時は威力と切れ味が良すぎせいか、矢は枝にぶら下がっていた蛇を突き抜けて、吸い込まれるように森の奥へと飛んでいってしまった。

そうなるといちいち探しに行くのも面倒だし、矢の先に万が一誰かがいたりしたら相手を負傷させてしまう。

「皮が硬い魔獣には有効だ」とヨアニスはフォローしてくれたけど、普段はあんまり使えないかも。危険すぎる。


森から出て隣を歩くヨアニスは、口の端を思いっきり上げて笑っていた。

尖った犬歯を隠さない、私の大好きな笑顔。これが演技なわけない。きっと今のヨアニスも他のおかしなヨアニスと同様、彼の性格の一部なんだろうと思う。いや、そう思いたかった。


無邪気に笑う彼を見ているとつい嬉しくなってしまう。

怒りの感情を長続きさせるのって難しい。あんなに許せないと思っていたのに、彼の過ちももはや過去の出来事のように感じているんだから、私って本当にバカだわ。


……現実を思い出したのは、それから数日後のことだった。


学院にいる彼を見た。事務室や図書館がある広場へ向かう道を歩いていて、その横にはずいぶんと親しげな様子のファーシが腕を絡ませている。


彼女がどう関係しているのか知らないけど、ものすごく嫌な気持ちになった。私の知らないヨアニスが、もう一人いる。


思わず立ち止まった私の耳に不愉快な甘ったるい声が届いた。

「じゃあヨアニス。また何かあったらいつでも相談に乗るから」

ファーシは私に気付くと意味ありげに彼を見上げてから、踊るようにくるりと背中を向けて去っていった。いつも思うけど、彼女は人の神経を逆撫でする術に長けている。


「ユリ」

「……何しにきたの?」

「なんだよ、怒ってるのか?俺……何かした?」

「もちろん怒ってるわ。あなた私に何したのかもう忘れたの?」

ヨアニスはギョッとした顔をして私を見つめた。「今日はリューゼフに進捗状況の報告をしに行ったんだ。頼まれたから」

私は鋭く言った。「誰に?」

「いや、だからリューゼフにだよ」

「そんな話聞いてないわ。あなたは『青雷』じゃないし、『代8支部』の代表は私よ。今度はリューゼフの飼い犬ってわけ?節操がないのね」

「いや違うって。俺は『青雷』が嫌がる瑣末な仕事をたまに受けさせられてるだけだ。事務所に呼ばれた時にリューゼフに会ったんだよ。お前が一度も報告に来ないっていうから、依頼ついでに俺がやることになったんだ。ユリの代わりだよ」

「ふんっ。まだチームメンバーさえ見つかってないのに、なんの報告だか。別にいいわ。どうでもいい」


リューゼフはまだわかる。けどファーシとまで繋がっているなんて、信じられない。

私は怒りのまま背を向けた。ヨアニスは嘘の達人。いくら問い詰めたってしらばっくれるに決まってる。

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