第12話 呪いの集落2

本来呪術に使う生贄は呪術者より弱い存在しか扱えない。小さいやつでも相手は魔物。それを呪物の対象にした時点ですでに破綻していたのだ。

それでもこの小さな貧しい村にしがみつく為に、魔物とはいえ他者を犠牲にしてきた人間の浅ましさが恐ろしい。


ヨアニスの突き刺さるような視線を受けて老婆は項垂れた。

「見せたいものがある」

村長は私を見上げて「ついてきてほしい」と懇願した。これ以上関わりたくはないけど、切迫した問題を抱えている老人の頼み事は断りづらい。何より『呪術』というものに興味があった。何かわからないけど、見るだけならいいんじゃない?

ヨアニスに目だけで合図を送ると彼は呆れたように空を仰いだ。


村長に連れられて行った先は、この村の命綱である水源だった。

畑の奥の村の背面に聳える岩山のヒビの割れ目から、僅かな水が染み出していて、その下に木の桶が置いてある。雫が木の桶に落ちるたびにぽたりぽたりと湿った音を響かせていた。


川や沼には到底なりようもない貧相な水源だけど、こんな礫砂漠のど真ん中ならこれでも貴重なんだろう。私は地面の砂を僅かに濡らしながら乾いた地面に吸い込まれていく湿り気を見つめた。


しかし桶の中をよく見ると、水にはなんだか黒っぽい色がついている。それに濡れている岩の一部にヘドロみたいな汚れが付着していた。ううん、汚い。

村長は言った。「地下水は村の井戸にも繋がっております。それでもわしらはこの水に頼るしかないんだ」

それを聞いて硬直した。お茶、飲まなくて良かったぁ。


この水も元は澄んだ清水だったという。異変が多く現れるようになってからこうして泥が混じるようになったらしい。村長の推測では、畑の呪物の不浄が地下水と繋がって水を汚染しているのではないかという事だった。

水を扱える魔術師ならば汚染を止める手がかりが掴めるのではないか。藁にもすがる思いで私を引き止めたんだそうだ。


「無理だわ」私はキッパリ言い切った。「水や氷を出現させる魔術っていうのは、周囲の空気中の水分を集めて利用しているだけなの。呪いをなんとかできるような術ではないわ。とりあえず、病気に関してはお医者様を呼んでみたらどう?」


病気や怪我を治療するヒーラーにもいくつかあって、費用が高い順に効果も上がる。

奇跡を起こせる聖職者、魔術師でもある薬剤師やアルケミスト、それに民間療法を含めて比較的安い賃金で医療行為を行う医者もいる。


老婆は項垂れた。「しかし、医者を呼べるような金も無いのだよ」

私は「ならどうやってお礼をしようとしてたのよ」と言うかわりにため息を吐き出した。


少し考えてみる。お金は無い。村の水源は強力な呪物に汚染されている。教会に知られるとひどい制裁が待っているかもしれない。村を出て行くにしても受け入れ先は無い。

八方塞がりだった。


「そうだ!魔術で水だけを抽出したらどう?」

「ずっと村にいてくれるのかね?」

「……….」


そこでふと閃いた。「じゃあ、この水売ったら?」

何気なく口をついた言葉に自分でも驚いた。後ろで黙って聞いていたヨアニスが「それこそ犯罪だろ」とつっこむ。

「……てことは売れるの?」

ヨアニスは「はぁ」と力なくため息をついた。「呪物の取引は正教会主導で取り締まってるんだよ」

「でもねぇ、そもそも教会にバレたら粛清されちゃうんでしょ。なら今更じゃないの」

「おまえね」

「だってお金があれば水や食料も買えるし、お医者も呼べる。呪いのかかった水が本当に売れるんなら、闇商人かなんかが見つからないようにうまいこと行商してくれるんじゃない?おばあさん、本職なんだし伝手はないの?」


呪術に詳しくはないけれど、『水』はいろんな物質に親和性があると聞いた事がある。かなり重宝されるんじゃないだろうか。長い間伝統のように続けられてきた呪いの怨念パワーはものすごく強力そうだもの。

現に人が死んでる。すでに毒としても作用しているんだし、飲食物に混ぜるだけで効果があるんだから買いたいって人もいるんじゃないかしら。村の命綱はやっぱりこの水なんだわ。


「う、む。………しかし」村長の心が揺れている。よし、もうひと押し。

「とりあえず商店のおじいさんに相談してみようよ。ものは試しだわ。うまくいかなかったら次の手を考えればいいじゃない?」


悩む村長の背中をぐいぐい押して村唯一の小さな商店に行った。店主にアイデアを話して販売出来そうか聞いてみる。人に知られずに、かつ買ってくれる犯罪者を見つ出すにはどうするか。

「かなり危険な橋を渡ることになるだろうが、やる価値はある」と店主は力強く頷いた。


相談は長くなりそうだった。私とヨアニスは戸惑うようにただ立ち尽くしてる老人たちの輪をくぐり抜けて、そっと商店を離れた。ここからは村で力を合わせてなんとかするしかない。


また相談されても面倒なので早足で村を出て、馬車に乗るとすぐに走り出した。

十分に遠ざかってからヨアニスはフンと鼻を鳴らした。

「こんな悪あがき無駄さ。すぐに教会に見つかって大ごとになるぞ。罪が重くなるだけだ。殺したのが魔物だけなら重い罪にはならないかも知れないが、あんなやばい呪物を売ったとなればそれだけで重罪だ」

「まあね。だけど他にどうしようもないよ。教会に見つかって調査されれば水源の汚染もなんとかしてくれるだろうし、助かる人もいるかもよ。それに買った相手も捕まるんでしょ。悪いやつなんだから。全体的に見れば良い方向に向かうんじゃない?」

「はぁ?お前誰の味方してんの?」

私はちょっと考えてから答えた。「村の人たちじゃないことは確かよね」

ヨアニスは見たこともないほど不気味な生物に遭遇してしまったかのようにひどく顔を顰めた。


村人たちは本当に限界だった。若者に見捨てられ、地面に座り込んでただ死を待つだけだった老人たち。

哀れにも犯した罪に苦しみ、心身ともにくたびれ果てていたのに、長年そうやって生きてきたために自首する踏ん切りが付かなかったんだろう。


「本当は全てを話して少しでも楽になりたかっただけなんじゃないかしら。そうでもなければこんな子供にしか見えない旅人に話す内容じゃないわよ」

だけどヨアニスは呆れたみたい。ジロリと私を睨んだ。

「やつらのどこにそんな殊勝な要素あったよ?あいつらはな、お前を生贄にするつもりだったの!欲の皮の突っ張ったジジィどもは、安直に魔物がダメなら次は子供をと思っていたのさ。そこにやたら魔力のでかいお前がやって来たんで、俺と引き剥がして畑まで連れて行ったんだよ。毛皮の枚数がさっきと違うとかなんとか言われてさ、俺も騙されちまったけど、間に合って良かったよ」

「ええ!?そうなの?」

「そうだよ、バカだな。いかにも扱いやすそうなおまえを新たな呪物にして、その力で畑に溜まった怨念をコントロール出来ると思っていたんだろうが、うまく行くわけがない。呪いに呪いを重ねた魔物の怨念に子供の力で勝てるわけがないんだ。あの手慣れた様子じゃ、もしかしたら既に何人か試しているかもな」


唖然としてヨアニスを見つめた。衝撃の真相。見た目だけでなく本当にやばい人たちだったなんて。

「呪いの力に頼りきって、とっくの昔に自分たちが呪われてイカレちまってる事にも気付いていない。奴らはグールさ。まあこれ以上被害が出る前に、次の街に着いたら教会に通報だな」

「……うわぁ」


私は首を伸ばして悍ましい村を振り返った。遠ざかっていく、滅びゆく陽炎のような小さな村。

「悪事って、いつか自分に返ってくるものなのね」

「お前に関わったのが運のつきだな」ヨアニスは大袈裟に言って肩をすくめた。

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