第44話 古代遺跡ダンジョン2

星の瞬く美しい階層は広く開けている。その為、明かりを灯すと遠くにいる魔物(虫)もすぐに餌の存在に気付いて一斉に寄って来るという。

おかげで夜空からの僅かな星明かりだけを頼りに進まなければならなかった。


闇に目を凝らしながらそうしてしばらく進んでいると、ついに灯りを消すよう厳しく注意していた理由がわかってしまった。

この階層には遮るものがない。つまり、四方八方から魔物が襲ってくるのだ。魔物は匂いや振動でも獲物を感知するのか、魔術の明かりは消したはずなのにざわざわと気持ちの悪い音を立てて大群がやってきた。


『青雷』の戦士たちはすぐさま魔力で描いた円形の陣を張り、慌てふためく新人の私たちを真ん中に押し込んだ。

暗くてよく見えないのだけが救い。それでも先輩らの頭上で鉄線に似た太い触覚が蠢いているのを見た時は失神しそうになった。どんな種類の昆虫かなんて知りたくない。

目の前が暗くなったけど、倒れなかっただけ私はまだマシな方。恐慌をきたして逃げ出そうとした新人の一人が体格のいい先輩に襟首を掴まれて引き戻された。


魔術の光線や爆発音に紛れて耳障りな「キーキーチキチキ」といった音が聞こえてくる。

それでも地獄のような戦闘は長く続かなかった。獲物が手強いことに気付いた虫たちは、新鮮な肉というご馳走を諦めてあっさり引き返していく。ゾッとするような足音が潮が引くように遠のいていった。


「進め!」という号令のもと、夜空の薄明かりの下で陣形をとりながら悍ましい残骸を慎重に避けつつ、素早くその場を離れた。


上の階層と同じく『夜の公園』も相当な広さがあるようで、ずいぶん歩いたと思うのに景色は一向に変わらない。

時折思い出したようにモザイクをかけるべき気持ち悪い虫が長い触覚をゆらゆら揺らしながら襲ってくる以外はなんの変化もなく、一種の無限回廊なのではと思うところだった。

それらの巨大昆虫も時間が経つにつれ実力の差が浸透していったのか、姿を表したとしても芝生の向こうからじっと遠巻きに眺めているだけで襲ってくることもなくなった。


やがて道中に何度も見かけたものと同じデザインの、黄色の壁に赤い屋根の派手な売店風の小屋の一つに近づき、裏手に回った。先頭の誰かが手慣れた様子で金属のシャッターを引き上げる。


コンクリート製に見える階段があった。地下へと続いている。

これを降りればついに目的地である5階層に到着するはず。もう気力も体力もほとんど残ってない。足は鉛のように重く、もはや痛みも感じないほどに疲れ切っていた。


誰かが灯したかすかな光を頼りに降りていく。ここの階段は狭かった。それに擦れたような汚れが目立っている。ちょうど日本の繁華街の裏路地のビルにでもありそうな階段で、大荷物を担いでいるせいもあって人一人通るのが精一杯程度の幅しかない。


もうすぐ下に着くというとき、突然隊列の動きが止まった。思わず足を踏み外しそうになった。

何事かと耳を澄ますと、下の方から大量のカサカサ音が聞こえてきた。嫌な予感。

下からリューゼフの野太い声がした。「おい、足元を照らせ」

極限まで光量を絞った『ライト』の灯りがほんのりと見える。誰かが舌打ちした。「こりゃずいぶんいるなぁ。集まってきてる」さらに誰かが言った。「春だからなぁ」「やけに飢えてるぞ。こりゃ『プレゼント』か」


また知らない単語。私は真後ろにいるタスロン先輩を振り返って聞いてみた。

どういう仕掛けなのか、ダンジョンは時に、浅い階層であってもハンターの実力に合わせて魔物を寄こすことがあるという。

「どうも魔力の保有量や錬成具合を見てるっぽいんだよね。俺たち魔術師の集団には特に厳しいよ。古代神人が強力な魔術師だったって説は正しいかもね。一般のハンターにはここまで群がってきたりしないし、サイズもせいぜい1メートル止まりさ」

「じゃあそれって、誰かが監視カメ…どこからか見てて調整してるってことですか?ダンジョンを作った人たちって例の古代人よね」

「まさか!さすがにこの時代まで生き残ってるってことはないでしょ。とっくの昔に滅んでるんだから。いや、滅んだんじゃなくて、俺たちのご先祖様なのかな」


下の方から野太い号令がかかり、何人かが階段を駆け降りる音が聞こえた。次の瞬間、凄まじい閃光が階段全体を照らし、連続で爆裂音がこだました。衝撃で足元が震えている。

階段を降りた先では、授業で使うとダエン先生に怒られるような大規模破壊をもたらす攻撃魔術を使っているようだった。

ぜひ見学したいけど階段は詰まっている。今回もやっぱり諦めるしかないみたい。私はがっかりして投げやりに会話の続きをはじめた。


「でも彼らが生きてたのはたった5000年前のことなんでしょう?いるかもしれないわ」

「たったって。いや、聞いたことないよ。それに5000年ってのも最低でもそのぐらいは前だってだけで、一万年前かもしれないんだぞ」

「どちらにせよ古代人は不老だって聞いたもの。ここみたいなダンジョンが残ってるのなら古代人だって生きてる可能性は十分にあると思うけど」

「うーん、まぁそうかもね。俺の知り合いのエルフがいうには、森の奥にはものすごい長寿のエルフがいるらしいから、どこかにはいるのかもね」


隊列が動いた。いつの間にか静かになっていた。会話は終わり、また無言でゾロゾロと降りていく。


階段下には凄まじいい数の虫がひっくり返って焦げていた。まるこげでも気持ち悪い。しかも嫌に香ばしい匂いの煙が方々から上がっている。私はローブの裾で口元を覆いながら、なるべく足元を見ないように、それでも絶対に踏まないように注意しながら歩いた。


ようやく焦げ臭さがなくなった頃、星が一瞬途切れた。気のせいかと夜空をしげしげと眺めても何ら変わらない満点の星空が見えるだけ。

先頭のリューゼフが声を張り上げた。「ここから先はウーズの生息域だ。虫どもの死骸を求めて大量に集まって来てるはずだ。気を引き締めろよ」


後ろからタスロン先輩がそっと耳打ちした。

「ウーズはでかいスライムみたいなやつで、人に化ける種類もいる厄介な魔物だ。絶対に近づかないように。酸を飛ばしてくるぞ」

「バリア使っちゃダメなの?」

「ごめんね。決まりなんだ。君は使えるだろうけど、ほら、他の新人くんたちはもう魔術を使えるような体力は残ってないからさ」

そう言われては仕方ない。きっとパニックを起こして暴走されてはかなわないと思ってるんだろう。

酸で溶かされたら死ぬほど痛いだろうなと想像しながら黙って歩いた。


最初の一匹がいた。枝葉を広げた大木の下にひっそりと佇んでいる。

遠目から見ると人間に見える。ちゃんと髪や目鼻立ちもあって、獲物に擬態して待ち構えているらしいけど、全体がゆっくり揺れているせいで遠くからでも偽物だとわかる。ここにウーズがいると知っていて騙されるハンターはまずいないだろうって程度の出来だった。


「やれ」リーダーの一声で先頭の魔術師数名が一斉に火炎魔術を放った。

屋外に見えるけど、ここは地下。さっきから火を使いまくっているけど酸欠で倒れたりしないんだろうか。


多くの生物同様、ウーズも火が弱点のようで、人型がぐにゃりと崩れたかと思えば次の瞬間弾けて溶けた。その酸も先輩たちの強固なバリアに阻まれてこちらまでは届かない。

しかしウーズたちは懲りなかった。元々あんまり知能がないのかも。何十匹ものウーズがナメクジの幽霊のようにゆっくりと闇の奥から現れては、次々に焼かれていく。


それにしてもこの階層、魔術を使えないハンターたちはどうしてるんだろう。3階を過ぎたあたりからめっきり人を見かけなくなったけど、もしかしてここまで来れないのかしら。

ウーズ退治中、暇なのか疲れたのか、こっそりキラ先輩があくびを噛み殺していたので質問してみた。

「ここにくるハンターはあれをどうしてるんですか?」

「へぇ?……あれって、ウーズのこと?無視してるんじゃないの。あいつら遅いでしょ」

「あ、そうなんだ」

「普段はこんなにいないしさぁ、ここ、ウーズか虫ばっかで財宝も出てこないし、この下もずっとこんな調子なの。だから走って通り抜けちゃえばいいのよ。虫除け薬も市販されてるし」

「なるほど」


いつの間にかウーズは全滅していた。皆すでに移動のための隊列を組み直している。

するとまだ喋っていた私たちの元へ意地悪そうに目を細めた副リーダーのテニリがやってきて、「おいユリ、ずいぶん余裕じゃないか。おしゃべりとはね」

「説明してたのよ」キラ先輩の文句は無視して「そんな君にはペナルティが必要だ。ほらよ」と革袋を渡してきた。

紐を解いて中を覗き込むと、尖った石ころのような物がたくさん入っている。つまみ出すと菱形にカットされた半透明の水晶だった。

テニリは言った。「そいつに魔力を注ぎ込め」

「何ですか、これ?」

「知らないのか?『魔晶石』だよ。魔力を溜め込んで取り出せるんだ」

「今やるの?」

「できるだろ」

するとキラが私の代わりに怒ってくれた。

「ちょっとちょっと!酷くない?この子だって疲れてんのに!あ、もしかして戦闘続きで魔力足りなくなっちゃんたんじゃないのぉ?だっさ!」

「うるせっ。俺じゃない。この調子で出てこられると余裕がない奴も出るから、一応だ」

「ふぅん?怪しいんだ。ユリ、やらなくていいよ。魔力抜かれるとめっちゃ疲れるんだから」

「おいテニリ、そりゃないだろ」今度はタスロン先輩がやってきて抗議してくれた。「それ備品倉庫にあったやつじゃないか?わざわざこんなとこに持ってきて、鍛錬にかこつけて新人に補充させようなんて情けないと思わないのか。誰もやりたがらないから学生を雇おうって言ってたやつだろ」

「ちっ。ばれたならしょうがない。入れとけよっ」テニリは私の手に『魔晶石』を残したまま先頭の方へ逃げていってしまった。


キラは「まったく、守銭奴なんだから」と肩をすくめ、タスロンは「ごめん。あいつらいつまでもガキなんだよな。貸して。やっとくよ」と手を伸ばした。

「いいの。これも経験だし、私魔力だけはいつも余ってるから」

「そう?でも無理しないでよ。倒れたあんたを担いで帰るのはタスロンなんだから。まぁ、こいつは喜ぶかもだけどぉ」

「よせばか!」

その時前方から怒号が飛んだ。「お前ら遊んでんじゃねぇ!ここをどこだと思ってんだ!」リューゼフだ。「行くぞ!!」

ことの発端は副リーダーのテニリなのに、本人はリューゼフの隣で澄ましている。嫌なペアだわ。


この階層にもだんだん慣れてきた。魔物が現れてもすぐに先輩が仕留めてしまうし、罠の解除だって手慣れたもの。

致死性の危険な罠があると聞いていたけど、優れた鍵師の技能を持った人がいるのか、発動する前に解除されてしまうのでどんな凶悪な仕掛けなのかもわからない。

もちろん今日はただの体験会なわけだから、私たちはまだお客さん。安全第一ということなんだろう。


景色が変わり、綺麗に整えられた林が現れた。

木々の足元には魔力灯で照らされた鮮やかなカラーリーフが飾られていて、小道に沿って細い川が流れている。

夜風が梢を揺らしサラサラと音をたて、心地よい川のせせらぎが耳をくすぐる。思わず油断してしまいそう。


また星が途切れる不自然な箇所があったのは、木々に囲まれた講堂ぐらいの広さの建物についた時だった。

隊が歩みをとめた。全体にどこかゆるい空気が流れる。

リューゼフが振り返って言った。「ここが今回の目的地だ。中に入るぞ。野営の準備を進めろ」

思わず安堵のため息が漏れた。


建物に扉はなく、大きなアーチ型の出入り口が空いているだけで、中も伽藍としている。ドーム状の天井の下に林を描いたモザイクの床があり、中央に焚き火ができそうな石組みがある。奥には通路が二つ見えた。きっとトイレとかがあるんだろう。


テニリが両手を広げて私たち新人4人を壁際に追いやりながら言った。

「準備はこちらで進める。君たちは休んでいたまえ」


特にやることもない私たちは壁に寄りかかって座り込んだ。誰もが放心状態だった。

学生は剣闘クラブにでも入っていなければほとんど運動なんてしない。まずは体力をつけないと。これで戦えなんて言われたら本当に倒れてしまう。


ぼんやり先輩たちのキャンプ設営を眺めながら、人生初のダンジョンを振り返った。

……うん。よく分からない。


地球の文明をそのまま持ってきたかのようなダンジョンだけど、よく考えてみれば今まで過ごしてきた中で地球産でないものの方が少ないかもしれない。

普段口にしている食べのや文化、自然の木々にさえ見覚えのあるものばかり。

ずっと別の世界なんだと思っていたけれど、あるいはここは地球そのもので、何千年と時が過ぎ去った後の姿なのか。

真実はともかく、地球の影響を受けまくっているのだけは確かだ。


食事が配られた。塩漬けベーコンやら干した野菜やらがあれこれ入ったスープと、クッキーとナッツを砂糖で固めた固形食料。お茶も配られた。学院で好まれているお馴染みのハーブティー。特殊な配合で魔力の巡りをよくしてくれるらしい。


食事が終わるともう就寝。

私たち新人は今夜は交代で見張りにつく予定だ。かなりハードなスケジュールだと思う。しかもテックとペアを組まされてしまった。


毛布を渡されて、先に仮眠を取るように言われた。食事の片付けを終えた他の団員たちも寝る準備をしている。テントもなく、このまま床で寝るらしい。

こんな硬い床で、しかもほとんど知らない男達に囲まれて眠れるもんかと思ったけど、目をつむったと思ったら肩を揺らされた。知らない先輩が口元に指をやって、「しー!起きろ。交代だ」と言い、呆然としながらも起きると、彼は近くの毛布に潜り込んでしまった。


眠い目を擦って仕方なく重い体を持ち上げ、這いずるように中央の焚き火まで移動する。

テックはもう起きていて、体に毛布を巻きつけたままぼんやり炎を見つめていた。


彼は私を見てせせら笑った。「お前、よくこんな所で熟睡出来るよなぁ。入り口の痴話喧嘩といい、大したもんだよ」

こいつ嫌い。なんでつっかかってくるのよ。私は彼をチラリと見て結論を下した。クズだわ。

私を見る目つきには卑屈な嫉妬と女性蔑視、それに若い女への欲望が入り混じっている。どんなに学院で研鑽を積もうと人間の根っこは変わらない。こいつにできることなんて今も未来も社会に害悪をもたらすことぐらい。

話したくもないけれど、一応礼儀として会話らしきものを返した。

「眠れなかったの?小心ね。ハンターに向いてないんじゃない?」

「ふんっ。すぐそこに巨大ムカデだのゼリーの化け物だのがうようよしてるんだぞ。よく平気だな。どんな神経してやがるんだ」

「悪いけど黙ってくれない?あなたとおしゃべりしたくないの」

「くそっ」


それっきり私たちは会話することなくただ焚き火の炎を見つめていた。公園のダンジョンは静まり返っていて、虫の声すらしない。

先輩達は寝たふりをしているだけで本当の見張りは起きているはずだけど、その様子はまるでなかった。


焚き火の周辺以外は真っ暗闇。建物内は安全なんだろうけど、そのかわり星の光が届かないから暗くて不気味だった。

黙って座っているとだんだん妙な閉鎖感を感じるようになった。まるで背後の闇が少しづつ迫ってくるような感覚。すぐ後ろに何かいるような気配までする。

テックが怯えるのもわかる。……怖い。


焚き火のそばにはあらかじめ飲み物が用意されていた。学院特製の謎のお茶。少しづつ口に含んで気を紛らわせることにした。

冷静になろうと現在の環境を分析してみる。ここは安全な野営ポイントで、周りには数十人の歴戦の魔術師。さらには結界まで張ってある。万が一にも危険はない。


それでも耳をすませていると風の音や川のせせらぎに混じって異様な音が聞こえることがあった。結界は建物の外で蠢いている魔物の鳴き声や這いずりまわる音まで遮断してくれない。

するとどうしても不安になってくる。たとえテックみたいなやつでもパートナーがいるというのはありがたい。一人でないだけで安心感がまるで違う。


それにしても、遺跡ダンジョンとは何なんだろう。

元々は古代人が何らかの理由で利用していた施設だってことは間違いない。広大なスペースの中には定期的に休憩所があり、魔物の発生すら作為的。罠だって勝手にもとに戻ってしまう。


日本で暮らしていた私はこういう場所を知っている。

遊園地。もっと言えば、お化け屋敷やジェットコースターだろうか。体験型のアトラクション施設。それらとは比較にならないほど過激で危険ではあるけれど、近いものはある。


集められた多種多様な魔物を次々に狩ることができ、罠を解除する知的な要素もある。うまく隠された秘密の部屋を見つけられれば景品がもらえる。

ここは、古代人の娯楽施設だったのではないか。


スリルを求める行為自体はそうめずらしいものではないし、必要もないのにわざわざ生き物を狩ることに喜びを覚える人間はいる。

百合子が生きていた時代の日本は歴史上稀に見るほど豊かで平和だったにもかかわらず、釣りを趣味にする人はたくさんいたし、命の危険のあるスポーツだって公然と存在していた。


高い知能と不老の肉体を持っていたという彼ら。その長すぎる人生を持て余していたのなら、死生観さえ今とは違っていただろう。

あまりにも退屈で、自分の命をかけてでも生きている実感が欲しかったのかもしれない。

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