第45話 古代遺跡ダンジョン3
疲れ切った体は切実に睡眠を欲していた。それでも相入れない相手と向かい合い、互いに見張り合う形になったおかげで緊張が続き、過酷な長い夜を耐え抜くことができた。
やがて寝たふりをして私たちの様子を密かに観察していたキラが、毛布を跳ね除けて勢いよく立ち上がった。
彼女は茶目っ気たっぷりの、それでも薄く疲労の残る笑顔を浮かべ、「お疲れ」と私たちに囁き、疲れ切った私とテックにもう一度仮眠をとる許可を与えてくれた。
キラが女神様にみえる。
ほっとして空っぽの毛布に潜り込んだ。どうやら『第一回新人研修』の壁は無事に乗り超えられたみたい。
再び肩を揺すられて起きたのは3時間後ぐらいだろうか。完全に熟睡していたところを起こされて、まったく眠れた気がしない。それでも用意されていた冷たいスープを黙って飲み干し、淡々と片付けをはじめた。早く帰りたい。
自分の毛布をくるくる丸め、バックパックについているベルトの留め金を掴んで引き寄せた時、妙に軽くてペシャンコになっていることに気が付いた。
中身を確認すると、金属の食器類数組と予備の携帯食が一包みは入っているだけだった。どうやら私が運んでいた荷物のほとんどが食料だったみたい。体力のない人間のための配慮だろう。
チームも悪くないわ。おかげで帰りは楽ができるもの。
出発の準備がすっかり整ったころ、疲れ切って口数の少ない私たち新人の所へリューゼフがやって来て、得意げに鼻を膨らませながら言った。
「帰る前に、お前らに一つ面白いものを見せてやろう」
その言葉通り休憩所を後にして向かった先は、駅の形をした階段ではなく、謎の扉が隠された秘密の場所だった。
ちょうど休憩所と4階層への階段の中間あたりの、レンガ道の脇にあるちょっとした段差の前で立ち止まると、得意げな顔をしたリューゼフが振り返った。彼はもったいぶって私たち新人の顔を順番に見てニヤリと笑い、鬱蒼と茂った蔓植物を手で払い退けた。
あらわになった石垣のその表面には、学院の敷地内でたまに見かける強固な封印紋が青白く浮かび上がっている。
リューゼフは封印紋に顔を近づけると、何やら呟きながら指を鍵のように突っ込んでぐるりと回した。するとただの岩だったものが、長方形の白っぽい金属の壁に変わった。しかも壁には緑色のプレートが貼り付けてあって、そこにはかなり古い古代語で『非常口』と書かれていた。
「よし、いいぞ。新人ども、前に来い。……さて、この奥には学院が秘匿する秘密の通路がある。当然普段は立ち入り禁止だが、今回だけは特別に見せてやる」
そう言ってリューゼフは金属の板の前に立った。すると音もなく、スッと金属の板が跡形もなく消えてしまった。
一瞬前まで確かに目の前に存在していたはずなのに、どこにもない。不思議だわ。これって一種の自動開閉式のドアなんだろうか。奥には煌々と照らされた異質な通路が見える。
幻術のようには見えなかった。ならこれも古代の技術なんだろうけど……私の知っている地球と同じようでいてだいぶ違う。彼らは不老の体を持つ種族だし、その技術力は比べるべくもない。ここが地球の未来の姿と結論付けるのはまだ早いのかも。
苔むした石垣に突如として現れた通路。リューゼフの次にテニリが入り、戸惑う私たちを手招きした。
「実は恒例なんだけどね。これから我ら『深淵の青雷』が今日まで存在し続ける理由をお見せする。ついといで」
私たちは互いに顔を見合わせ、前を行くリューゼフとテニリの後を追った。
他の団員も後ろからゾロゾロついてくる。彼らにとっては珍しくも何ともない光景のようで、誰も何も言わないけれど、この通路はどう見ても異質だった。
継ぎ目のないつるりとした壁、リノリウムに似た床の柔らかい感触、天井の明かりは埋め込み式で、眩しいほどの強烈な白い光を放っている。
現代の様式にすっかり慣れきった私の目にはひどく無機質に見える、(百合子の世界では)よくあるデパートやテーマパークのバックヤードを思わせる無愛想な空間。
白い壁にはいくつもの扉が並んでいるけれど、リューゼフとテニリはそのすべてを素通りして進んでいく。
テニリが歩きながら振り返った。
「この通路はかの大賢者ガーレンのチームが発見、封印したんだ。扉は他にも見つかっているが、ここ以外はすべて『開かずの扉』だ。記録によれば、最初から『開いていた』そうだが理由はわかっていない」
疑問に思ってつい質問してしまった。
「でも『非常口』でしょ?変だわ。避難用の出入り口なら常に開けられているはずだけど」
テニリは驚いた顔をした。それからスッと目を細め、「おやおや。さすがは神人様。我々でも知らない貴重な情報をお持ちのようだ」とせせら笑う。
こいつ、私が『来訪者』だと知っているんだわ。
「何があったかは知らんね。学者によれば、神人が暮らしていた痕跡はある時点で唐突になくなっているというから、天変地異か、古代神人が対処できないほどの神竜でも現れて慌てて逃げ出したってところだろ。ま、相当な緊急事態が起こったんだな。とにかく、彼らはこのダンジョンを捨てて逃げ出したんだ。その際、ここのような『裏』の施設はすべて閉ざされた。この一箇所を除いてな」
私はどうにもその説明に納得できなくてなおも食い下がった。
「でもやっぱり変よ。だって『非常口』なんだから、緊急事態こそ開いてなきゃおかしいじゃない」
テニリは迷惑そうだ。不機嫌に「ああ?」と唸り、「そんなもん、学者に言ってくれよ」と言い捨てた。それ以上議論を交わすつもりはないらしく、前を向くと後は無言で歩いていってしまった。
それほどかからずに目的の部屋が見えた。一箇所だけ開いている突き当たりの部屋。ここからでも機器類がぎっしり詰まっているのが見える。
リューゼフが振り返った。「ここだ。この部屋以外はどうあっても開かん」
中に入ると、壁一面に真っ暗なガラスの窓のようなパネルがいくつも貼ってあって、その下にもさまざまな機器が嵌め込まれている。しかし一切の動きはなく、起動しているのかどうかはわからなかった。
壁際にも中央にも操作盤らしき大きな機器が並んでいるけれど、そのどれもに奇妙な印象を受ける。
きっとスイッチらしきものが一つもないからだわ。どうやって使うのか皆目見当もつかない。
それらの奇妙なオブジェの奥、真ん中の壁に貼られた特大のガラスの板の向こう、真四角にくり抜かれた小さな部屋に、50センチ程の大きさの水晶が浮かび上がっている。それは淡い輝きを放ちながらゆっくりと回転していた。
主役級に目立っている。直感で分かった。これがダンジョンの心臓なんだわ。
無意識に足が動き、私はフラフラと神秘の水晶に近づいていった。
こうやって顔を寄せてすぐ近くで見れば、水晶の周りに青い光線で立体的な魔術紋が展開されているのがわかる。幾重にも組み合わされた複雑な模様は水晶に寄り添って回りながら、時折ぴくりと跳ねている。生き物の鼓動のよう。
なんだか苦しい。いつの間にか呼吸を止めていたことに気づいて慌てて空気を吸い込んだ。
……私、知ってるわ。これが何か。
テニリが私の横にきて意地悪く囁いた。「さぁて、教会が遣わした聖なる神人様ならこの部屋がなんだかお分かりだろうな?」
私はまじまじと彼の顔を見た。『教会が遣わした』?
そうか。彼は私を教会のスパイだと思ってるのね。一応父親ってことになってるヘンレンスさんは大司教だし、私をガーレンまで連れてきたヨアニスの依頼主は教会だもの。疑われてもおかしくはない。基本的に教会とガーレンは仲が悪いみたいだし。
私は彼の嫌味には触れずにそっけなく答えた。
「『制御室』。そうでしょ?この水晶がダンジョンの核になってるんだわ」
「ふぅん。よくご存知で」
「あなたねぇ。他の『地球人』にも同じこと聞いたんじゃないの?どうしてそう嫌な態度をとるのよ。私が気に入らないならはっきり言うべきだわ。言えないなら黙っていて」
「ふん。学生の分際でいっぱしの口を聞くじゃないか。俺には何のことだかわからないね。しかしあんたの言葉は報告させてもらうぞ」
「どうぞ。学院は『来訪者』を集めてる。珍しくもないくせに」
テニリは嫌なニヤニヤ笑いを貼り付けたままそっと離れると、後ろであんぐり口を開けて部屋中を見渡している新人男子3人に向けて言った。
「壁の水晶を見ろ。こいつは『ダンジョンコア』と呼ばれている。もちろん取り外しは不可能だ。しかし、大賢者ガーレンの残した記録には、崩壊したダンジョン跡からこいつのかけらが発掘されたとある。つまり、この部屋のアーティファクトに何かあれば遺跡の機能が停止する可能性があるんだ。よって学院は厳重に入り口を封じ、立ち入りを禁じているというわけだ」
さらに声を張り上げた。「俺たち『青雷』の役割は『ダンジョンコア』の『解明』。そしてそれ以上に『保存』することにある。知っての通り街はダンジョンでもってる。もしもこの大迷宮が崩壊するようなことがあれば、その時はガーレンの終焉をも意味してるってことだ」
他の新人たちが部屋を見学しながらいくつか質問している間、私はかつて荒野で手に入れた不思議な『水晶』のことを考えていた。
ここにあるやつよりだいぶ小さいけど、あれはここの『水晶』とまったく同じ波動を放っていた。
心臓がばくばくいって、きっと顔は真っ赤か真っ青かのどっちかになってるはず。
動揺がバレるとまずい。私はゆっくり呼吸して心を落ち着かせながらも必死に考えを巡らせた。
……あれ、どこにあるんだっけ。
十数年前この街に来たときには確かに持っていたはずだけど。時々取り出して眺めていたもの。
そして思い至った。
あ、そうだ。ヨアニスが持ってるんだわ。
守ってない人も多いけど、学院は基本的には個人での魔導具の持ち込みを禁止している。
使用には許可が必要で、見つかれば没収されることもあるというから持って入れなかったんだ。
あのころは彼の本性なんて知らなかったし、もうすっかり信用していたから何も考えずに預けてしまったんだった。
まずい。なんとかしてあれを取り戻さないと。
ヨアニスは『水晶』を学院に渡してしまっただろうか。ありうるけど、まだ持っているかも。
帰りは黙って歩いた。頭の中は『ダンジョンコア』かもしれない水晶のことでいっぱい。
絶対に学院にだけは知られたくない。まだダンジョンを生成していない新品の『コア』の存在を知られたら間違いなく奪われるだろう。それどころか口封じに殺されるかもしれない。
あれは私のもの。
私の運命はあの『水晶』を取り戻せるかどうかで大きく変わる。なぜか確信があった。
食料が減った分荷物は軽くなったけど、入った時と同様に長い道のりだった。
寝不足と緊張とそれを上回る興奮で半ば混乱しながらの帰途となった。それでも行きよりずっと早く感じる。
ようやく一階層まで辿り着き、最後の気力を振り絞って長い階段を上り切った。
眩しい陽の光にさらされて思わず目をつむる。神殿風の入り口を出ると、今日は雨模様のようで、実際にはそれほど日差しは強くなかった。
時刻は夕暮れに差し掛かっているらしい。それなりの賑わいを見せている広場の出店も店じまいをはじめている。
ここから馬車のある広場まで雨に濡れながら歩くのかと思うとウンザリするけれど、同時に爽快な開放感も感じる。肌を打つ雨の冷たささえ気持ちいい。
一泊二日のダンジョンツアーは驚きの連続で、人生を変えるかもしれない出来事が起こった。
ヨアニスに会いに行こう。騙してもいいから、どうにか言いくるめて水晶を奪還しなくては。
そう決意しながら目深にフードを被り、降り頻る雨の中一歩を踏み出して、止まった。
ヨアニスがいる。ずぶ濡れのまま段差に腰掛けて、感情の見えない真っ暗な目を私に向けている。
まさかずっとここにいたわけ?昨日から?
もうやだ。濡れそぼった捨犬みたいに座り込んで、見せつけてるみたいじゃない。
すぐ近くにいたテニリが口元を引き上げて私を眺めている。ほんと嫌なやつ。
私は歯を食いしばって言った。「すみません。ちょっとだけ時間を下さい。すぐ終わるから」
テニリは笑いながら鷹揚に頷いた。「いいとも。馬車は予定通り出発するけどな。追いつけるなら走ってこいよ」
腹が立つけど一応許可はもらえたということで、私は隊列を離れて一人彼の元へ急いだ。
しゃがみ込んでいるヨアニスの前に立ち、イライラしながら見下ろした。冷たく言い放つ。「あなた、ここで何してるの?」
ぼんやりと私を見上げる仕草はなんとも悲しげで、つい手を差し伸ばしてしまいそうになるけれど、なんだか演出っぽくもあって、ここまでくるとかなり鬱陶しい。
「昨日からずっといたなんて言わないでよね。っていうか、どうして私がここに来る事知ってたのよ」
彼は力無く囁いた。「ずっと待ってた。……君が来るのを」
クラクラした。だからやめてってば。
同情を誘っているのはわかる。でも、こんなヨアニスは望んでない。
私の知っている彼は誰よりも気高い人だった。恋愛程度のことでプライドを捨てて、こんな風に人前でみっともない姿を晒すような人じゃない。
「立って。ほら早く」彼はノロノロと立ち上がった。「あなたに聞きたい事があるの。次の週末にアパートに行くから、待っていて」
変な期待をされたくなくてなるべく冷たく言い捨てるように言ったつもりだけど、内心では別の感情が溢れ出しそうになっていた。
可哀想な人。今すぐふかふかのタオルに包み込んで暖かい部屋に連れ行ってあげたい、なんて思っちゃうんだから、私ってほんと馬鹿だわ。こんなの演技でしかないのに。
「わ、わかった」弱々しい掠れ声。それでも彼の暗い瞳に人間らしい光が灯るのが見えて、思わず胸を撫で下ろした。と同時にもやもやする。
これ以上感情を揺さぶられたくない。私はさっと踵を返すと彼への思いを振り切るように小走りで隊を追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます