第46話 クリスタルの謎1
不安と期待、人生が変わるという、不思議な予感。
この一週間、なんとか平静を保とうと努力したけれど、それも無駄だったと思う。
いつも以上に挙動不審な私を周囲がどう思っていたのかは(友達がいないおかげで)知る由もないけれど、『人嫌い』の悪評に『変人』が追加されたのは間違いない。
週末がやってくるのをじりじりと待ち、ようやくその日が来ると、校門が開く時間に合わせて寮を飛び出した。
突き動かされるように坂道を駆け降り、かつて親友だった裏切り者、ヨアニスのアパートへと急ぐ。
さっさと終わらせよう。奴が何を言おうと相手にせず、ただ目的の『水晶』だけを手に入れる。じゃないとこれから先いつまでも付き纏われることになりそうだもの。弱みを見せるわけにはいかない。
もう騙されないわ。
ヨアニスはたびたび私に好意をよせているような態度を取ってくるけど、結局はヘライケルと同じ。私というより、『神人』の体に流れる『血』が目当てなんだわ。
だから非情な真似もできるし、平気で嘘もつける。純真なふりをして、心の中では私がどんなに傷つこうとどうでもいいと思っているからこそできたことだもの。
私は気を引き締めて見慣れたドアをノックした。
その途端、スッと扉が開く。相変わらず待つのは得意みたい。時間を告げずに早朝に押しかけたにもかかわらず、彼は完璧に身嗜みを整え、とろけるような微笑みを浮かべて私を出迎えた。
佇む姿にはどこぞの貴族の出だと言われてもそのまま信じてしまいそうな品がある。
『捨て犬作戦』で哀れを誘うのはもうやめたらしい。この急激な態度の変化が不気味だってわからないのかな。ハーフヴァンパイアだから、心がないから理解できないのかも。きっといつも相手に合わせてそれらしいふりをしているだけなんだわ。
ヨアニスは私を愛しげに見つめて甘く囁いた。「早かったね。待ちきれなくて一晩中起きてたよ」
知るもんか。私は返事のかわりにきつく睨みつけた。
「私が来たのは、渡したものを返してもらうためよ。あなたに預けた荷物、あの『水晶』、まだ持ってる?」
彼は「ああ」と、思い出したように頷いた。「水晶か。あるよ」それから探るように私を見る。
……しまった。あんまりにもダイレクトに核心をつきすぎてしまったかも。心の中で盛大に舌打ちした。
もう少し何気なく聞けないの?馬鹿なんだから、もう!
内心焦りながら手を出す。「さっさと返して」
そんな私を見たヨアニスは夜空に輝く月のようにひっそりと微笑んだ。
まずい、と思った時にはもう遅い。思わず口内に溜まった唾をごくりと飲み込む私。我が意を得たりと笑みを深くするヨアニス。彼は余裕たっぷりにゆっくりと首を傾げて言った。
「ふうん。そんなに必死になるなんて珍しいな。あれはそれほど貴重な物だったのか。……ユリは可愛いね。駆け引きの一つもできないんだから」
腹の立つやつ!私はムキになって叫んだ。「いいから早く返してよ!」
「もちろん返してあげるよ。……学院に知らせる前にね」
「ちょっと!脅すつもり!?」
「そうとも」罪悪感のかけらもなくあっさり認めると、私に背を向けて棚まで歩いていき、引き出しを開けて何かを取り出すと戻ってきた。
手のひらの上の小さな包み。彼は焦らすようにゆっくりと布を開いて、小指ほどの大きさの六角柱の『水晶』をわざとらしく見せつけた。
記憶のままだった。
素朴な輝き放つ無垢の水晶。ちっぽけなそれは、魔術師として訓練を積んできた今の私の目には無限の可能性を秘めた超文明の遺物として映る。
薄っすらと白濁した結晶の内部に複雑な立体構造の魔術式がはっきりと見える。なのにわずかな魔力の気配すら感じさせない。それは驚異的なことだった。
「取引をしよう」
はっとして我に返った。「……馬鹿にしないで。あんたと取引なんてごめんよ。さっさと返してちょうだい!」
ヨアニスは人を惑わす薔薇の花弁のような唇に人差し指をあてて可笑そうにくすりと笑った。「ユリさぁ、これを持ってどこに行こうとしてるんだ?」
「どこって……」言いかけて、絶句した。
そういえば、考えてなかった。
学院に持って行ったら気付かれてしまうかもしれない。内に秘めた『水晶』の魔力は完全に遮断されているように見えるけど、それでも敷地内には特殊な結界が張ってあるし、世界有数の魔導具士や研究者たちが集っている場所だ。彼らの目を絶対に誤魔化せるという自信はない。
それに、わかっているだけでもう2回も部屋に侵入されている。なにしろ寮の部屋には鍵さえかかってないんだから。
学院に持ち込むのは危険すぎる。あの魔術師たちに知られてしまったら一巻の終わり。絶対に奪われるだろうし、そうなれば二度と取り戻せないだろう。
けど、他にどうしたらいいの?銀行の貸金庫みたいなシステムでもあればいいけど、そんなの聞いたことないし、そもそも銀行自体存在しない。
そうなるとどこかに隠すしかないけど……もうすでにヨアニスには知られちゃったし、今更隠しても無駄な気もする。そもそも学院に報告されたら終わりだし。
考え込んでいる間、ヨアニスはじっと私を見つめていた。冷たい瞳が恐ろしく冷静に私を観察している。
どこまで知ってるんだろう。彼はダンジョンの隠し通路には入れないはずだし、メイシスが『ダンジョンコア』の話題を彼にするとは思えない。何も知らないはず。
なのに、この自信は何?もしかして心が読めるとか?そうなの?ヴァンパイアって心が読めるの!?
私は動揺を隠そうと必死になって馬鹿みたいに声を張り上げた。
「どうにかするわよ!だいたいそんな事あなたに関係ないでしょ!」
もちろん人の心を持たないヨアニスは怒鳴られたぐらいでは怯まない。「取引だって言っただろ。部屋を貸してあげるよ。週末にここに来て、好きなだけこれをいじればいい」
目眩がした。同時に頭に血が昇る。
これからもここに来いっていうの?私に?あれだけのことをしておいて、よくもまぁ言えるものだわ。しかし沸騰寸前の脳みその端っこにわずかに残っていた理性が「他に方法はない」と冷酷に告げる。
「……このクソ吸血鬼野郎!!」
ヨアニスは勝利を確信してニンマリ笑った。「下品だぞ」
おのれ。勝ち誇って楽しそうに笑うあの顔を思いっきり蹴っ飛ばしてやりたい。
つい最近雨に濡れそぼってうずくまっていたのが嘘みたい。しかし彼はすぐに真顔に戻って、慎重に、幼い子供にでも言い聞かせるように言葉を続けた。
「前にも言ったけど、俺には君が必要なんだ。失うわけにはいかないんだよ。こんな時に告白したくなかったけど」真剣な目で私を見つめる。「ユリ、愛してるんだ」
私は目を瞬かせた。今度はなんなの?もうやめてよ。
彼は手を伸ばし、あろうことか私の手を握ろうとしてきた。当然ピシャリと引っ叩く。「他をあたって!」
彼はまじめくさって言う。「他にはいない。俺には君だけなんだ」
「探せばどっかにはいるわよ。長生きなんでしょ?『神人』だって珍しいってだけで、今後も私一人ってわけじゃないんだから」
彼は目を見開き、ショックを受けた顔をして後ずさった。
一瞬にして表情が変わる。底の見えない暗い眼差し。私を捉えてはいるけれど、本当は違うものを見ているのではないかと思わせる何かがあった。
目の前の人の形をした怪物が、喉の奥から絞り出すように低く唸る。
「……愛してるんだよ」
恨みがましい、はっきりと怒りが滲む低い声。真っ暗な瞳をぎらつかせながら一歩前に出る。獲物を追い詰めるように、静かに確実な足取りで迫ってくる。
本気で怒らせてしまったことに気づいて息を呑んだ。握りしめた手に汗が滲む。それでも恐怖より怒りの感情の方が優勢だった。
なんでここで怒るのよ?理不尽すぎる。
負けてなるものか。私は腹に力を入れて踏ん張った。この際きっぱり言ってやろう。
「あなたがどう思っていようと関係ないの。今更なんなの?いいかげんくだらない演技はやめにしてちょうだい!」
するとヨアニスは額に手を当て、苦しげに顔を歪めて首を振った。妙に幼く感じる仕草で。
「違うんだっ!……分かってない。言っただろ?俺のものなんだよっ。君は俺のだ!俺は君のなんだ!ああ、どうして変わらないんだ。こんなはずじゃないのに、どうして!」
「……はぁ?」
もしかしてこの人、完全にイカレてるのでは?『心の病』。そんな言葉が脳裏によぎる。
だいぶおかしいところがあるのは知っていたけど、根本的なところで何かが食い違っている。
『君は俺のもの』
前にも思ったけど、かなり奇妙なセリフだ。私とヨアニスの関係は良好だった時でさえ友人の域を出ていなかった。少なくともこんな言葉を口にされるほどの仲じゃない。
いつの間にか彼の中で私は婚約者か何かになってるんだろうか。妄想癖があるのか、それとも精神の仕組み自体が私と違うのか。
そして今更ながらに気付いてしまった。どう考えても危ない奴の家に一人でのこのこやって来てしまった……。
この状況はかなりまずい。私は慌てて集中した。
ここは木造アパート。火は使えない。雷の矢ならいいかしら。それなら、たとえ丈夫な魔族のヨアニスを昏倒させられなかったとしても、足止めぐらいにはなるだろう。
私はいつでも魔術を放てるように目の前に攻撃的な魔術式を編み上げた。
するとまたもヨアニスの態度が変わった。今度は皮肉げに片方の唇をあげてせせら笑っている。別人のよう。目まぐるしい変化についていけない。
「おっと、やめとけよ。ここまで距離を詰められた魔術師が俺に勝てるわけないだろ」いたぶるように喉の奥でくつくつ笑う。
ずいぶんな余裕だ。しかし私だって負けてられない。これでも『ガーレンの魔術師』なんだから。
「そうかしら?こっちは無詠唱よ。一瞬で魔術を使えるの。お望みなら灰にしてあげるけど」
「ははっ。そうか?現実を教えてやろうか」ヨアニスが一歩前に出る。
思わず後ずさった。この迫力、勝てる気がしない。
そもそも彼と戦うなんて、本当に私にできる?
ううん、無理。色々あったけど、大嫌いだけど、心から憎んでるわけじゃない。彼に向かって魔術を放つなんてとてもできない。もう一歩下がった。
ヨアニスは満足気に笑い、私を壁際に追い詰めながらやけに優しい猫撫で声を出した。
「ごめん、冗談だよ。勘違いしないでくれ。何も脅して言うことを聞かせようって言うんじゃないんだ。君の為にもなるし、側にいて貰えたら嬉しいんだ。それだけだよ」
「嘘!脅してるじゃないの!」
「まさか。本当に脅してるんならもっと要求するよ」ヨアニスは何かを想像してニヤリと笑った。目にドロリとした欲が灯る。
「最低!!」
ついに追い詰められた。背中に壁のひんやりした感触が伝わったその時、外の廊下の方から男性の声がした。
「おーい。大丈夫か?」すぐ近くにいる。気楽な口調だけど、明らかに異変に気づいているような声だった。
きっと隣の人が騒ぎを聞きつけたんだわ。あのマッチョかも。ヨアニスのことを知っているし、私の顔も知ってる。以前激しく言い合いをしていたのを聞いていたのかも。
安堵のあまり溜め込んでいた息が漏れた。すぐに助けを求めて声を出そうとしたけど、先にヨアニスが口を開いた。
「あれ?……いいの?」キラキラと静かに輝くクリスタルを摘んで、私の顔面で振ってみせる。
今まさに出ようとしていた声は喉の奥で急ブレーキがかかって止まり、「うぐっ」と変な声だけが漏れた。
この水晶ががもし本当に『ダンジョンコア』なら、私の命綱になるかもしれない。失うわけにはいかない。……なんとしても。
ヨアニスはにっこり笑った。
「だよね。観念しなよ」
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