第29話 学院からの風景1

寮へ帰った後、昼休憩になるのを待って一階の談話室に降りていった。思ったとおり心配した友人たちが私を待っていてくれた。


私の姿を見るやいなや、ファーシが急いで立ち上がって声を張り上げた。

「まさかユリ!ついに退学になっちゃったの!?」談話室中の視線が私を貫く。恥ずかしくて耳まで熱くなった。

「最近は補習続きだったもの。無理もないわ」とパルマ。

「違うわよ。私にも何が何だかわからないけど……ちょっと話をしただけ」

「やっぱり叱られてたんだ〜。お説教、長かったね」

ファーシは本気で同情してくれたけど、パルマは可哀想な子を見る目で私を見ていた。


永遠に思えた小等部も残すところあと2年半。授業はますます難しくなっていく。これからは一時も気が抜けない。留年だってあり得る。それは私だけじゃなくて、パルマもファーシも同じことだった。


唯一の得意科目だった遊びみたいな瞑想の授業はなくなり、朝から晩まで魔術書を読むのに必要ないくつかの古代語や、一生使わなそうな無駄な知識(世界中に散らばった小さな国々の歴史や人名や彼らにまつわる小話、または植物や鉱物の名前や効能)という頭が痛くなるカリキュラムで埋まるようになった。学生全員が爆発寸前だった。


今すぐにでも学院から逃げ出してしまいそうな私を引き留めていたのは、ファーシとパルマの二人の友人だった。一人また一人と脱落していく同期。二人は人数が減るたびにちょっと過剰なほど熱心に励ましてくれる。

ヨアニスも私を信じない一人だった。会うと必ずハンターの心得的な話をし、退学になったところで何も問題はないと信じ込ませようとした。


腹が立つけれど、誰よりも私自身が現実をわかっている。このガーレン魔術学院は一部の天才だけが中等部に上がる資格を得られる。今まで何とか試験を乗り越えてきたけど、もう限界だった。


同期の顔見知りもどんどん去っていく。学院を離れていく子は奨学金を取れなくなった子がほとんどで、クラスの3分の1が減ったところでクラスが一つに統合された。

不幸中の幸いというか、お金の心配だけはしなくていい私は(赤点と補習の常連ではあったけど)ギリギリのところで残っていられた。


そんな私の周りに、ちょくちょく嫌味を言っては去っていく小さき生き物、テンくん12歳がちょっかいをかけてくるようになった。

彼はファーシのように幼くして入学してきて、(彼がいうには)初歩的な学習しかしない最初の3年を無駄な時間と嘲笑い、生意気な言葉だけでなく実際に飛び級を果たして私たちのクラスへやってきたのだ。


はっきりいって誰もが彼を遠ざけたがった。しかしテンくん自身は友達がいなくても気にしていないようだった。

独りよがりな自慢話と嫌味は特に私に集中していた。ライバルのはずのファーシのこともだいぶ気にかけてはいるけれど、(今や悪い意味で噂にのぼりがちな)『神人』の私を目の仇にしているらしい。

『明らかに劣っているあの神人もどきがいまだに残っていられるのは先生に贔屓にされているから』という悪意満載の噂を信じているのかも。


ただし本当にただの噂ではないかもしれない。

教師は躍起になってできる限り私を教室に残そうとする。もちろん私だけじゃなく、ついていけてない他の生徒も一緒だったけど、特別に目をかけているらしいことは嫌でも伝わってきた。

学院は貴重な人材である『神人』を学院に取り込みたがっているらしい。悔しいけれどそれは事実だった。


チョロチョロと周りをうろついては何か言って去っていく、小動物のようなテンくん。顔も可愛らしいし12歳にしては体も小さい。リスか何かだと思えば可愛げもある。

いつも一人で行動して周りを見下すような態度をとるけれど、本当は寂しいんじゃないかと思う。友達もいないし、理解してくれる家族とは遠く離れている。彼が安心して皆と一緒に悪口が言える相手、それが私だった。

しかし同年代のファーシは彼に対して非常に辛辣だった。テンくんの小さな背中に向かって聞こえよがしに舌打ちし、「あいつ本当に鬱陶しい」と吐き捨てるように言うのだった。


似たもの同士といったら怒るだろうけど、ファーシとテンくんは天才同士お似合いだと思う。口が悪いところもそっくり。歳も近いし、分かち合えることもあるんじゃないだろうか。私がそんなことを考えている知ったら二人とも激怒しそうだけど。


試験の日が近くなると教師の熱も上がる。週末も図書館に篭らなきゃいけなくなって、なかなかヨアニスにも会えない。それでもストレスが溜まりに溜まって爆発寸前まで追い込まれて、強引にスケジュールをやりくりした。


久しぶりの彼のアパート。いつも突然押しかけてしまうけど、そのことでヨアニスが不平を漏らすことはなかった。

今日もドアノッカーに指が触れる前にさっと開いて、ここ最近はずっと会っていなかったにも関わらず、事前に約束でもしていたかのように満面の笑顔で出迎えてくれた。だけどすぐに気遣わしげに眉を寄せる。


「ひどい顔色じゃないか。眠れてないのか?」

「勉強がきつすぎて。……なんか甘い匂いがする」

彼はにっこり笑った。「さすが食いしん坊だな。菓子を買ってあるんだ。座れよ」軽く首を傾けて私を招き入れた。


いつもの定位置、(ここだけ丸いクッションが取り付けてある)リビングの椅子に座ると、ヨアニスはお茶を沸かしながらキッチンの棚から陶器のツボを取り出してきて、誇らしげにテーブルの上に置いた。

春の野原をうつした花柄の、彼にはちょっと可愛らしすぎるツヤツヤした高価そうな丸い壺。勧められるまま蓋を開けると、とたん香ばしくて甘い香りがただよってきた。誘惑するように私の鼻をくすぐる。

ヨアニスはそっぽを向いて照れながら言った。「ほら、前にクッキーを食べたって自慢してたろ。だからさ」


思いがけない思いやりに涙が滲んだ。同期からの嘲笑も教師の叱咤にも耐えられる。だけど優しくされると弱かった。涙は私の意思に反してこぼれ落ち、堰を切ったように流れ続けた。

ヨアニスは何も聞かずに突然泣き出した私の背中をひどく丁寧にさすってくれた。だけどその温かな黒い瞳は「学院なんてやめちまえよ」と言っている。


優しいヨアニス。彼なら使い物にならない足手まといの私でさえ受け入れてくるだろう。だからこそもう少しだけ頑張ろうと思える。今辞めてしまったら今までの苦労が台無しになるもの。せめて小等部だけでも卒業したい。そうすれば就職に有利になるし、他の魔術学校に移ることだってできる。

そんな子はたくさんいるもの。恥ずかしいことじゃない。後2年、頑張ればいいだけ。鼻を啜りながらちょっとしょっぱくなったクッキーを頬張り、決意を新たにした。


ヨアニスは私が落ち着いたのを見計らってから立ち上がると、濃いめのお茶を入れてくれた。そして反対側の椅子に座って、少し言いにくそうに大ニュースを伝えた。


なんと、これまでのハンターとしての実績が認められてガーレン魔術学院から指名依頼が来たらしい。それってすごいことだった。この地にやって来てからというもの、着実に重ねていった依頼主からの高評価がついに街の最高権威の目に止まったのだ。


正直なところ少なからず私の影響があるんじゃないかともチラリと思ったけれど、彼が優れたハンターで、かつ信用に値する人物である事には変わりはない。


学院からの依頼はいつもの狩場よりずっと奥に生息している珍しい魔物を探し出して、生きたまま捕獲してくるというものだった。見せてくれたリストには聞いたこともない名前がずらりと並んでいる。どれも人に危害を加える危険な魔物ではなく、森の生態調査の一環らしい。それでもかなり困難な仕事だということは私にもわかる。


ヨアニスは私のために気を遣いながら話してくれたけれど、嬉しさを隠せずに瞳を輝かせて曖昧に微笑んだ。

「指名依頼もいいけどさ、もっといいのは獣人の縄張りの奥まで入る許可書をもらえるってところなんだ。ガーレンでも一部のハンターにしか認められない特権なんだよ。森の奥深くにいる魔物は買取価格もとびきり高い」

「それって…ねぇ、危険じゃないの?」

「獣人のことか?大丈夫。エルフと違って気のいい奴らさ。正当な理由があるとわかればそうそう襲ってこない」

「でも、森の中でばったりあった獣人が腹を立てていたら?」

彼は笑った。「そんときは戦うしかないな」私の顔色を見て言い直した。「大丈夫だって。連中にとっては遊びみたいなもんなのさ」


それでも笑えなかった。野蛮な森の獣人が偶然見つけたヒューマンに何をするか耳にしていたから。ヨアニスが魔族だと知ったら学院からの許可証なんて見もせずに八つ裂きにするかも。


ヨアニスは血の気が引いている私をさらに安心させようと(あんまり言いたくなかったみたいだけど)「一人じゃない」と言って立ち上がり、窓まで行って中庭を指さした。


私も立ち上がって窓の真下を覗き込むと、武装した大柄な男が中庭の井戸の淵に座っていた。暇そうに鼻の頭を掻いている。ヨアニスの二倍はありそうな体格。身体中の筋肉が盛り上がってる。筋トレを唯一の趣味にしているようなタイプ。

ヨアニスが窓に身を乗り出して名前を呼ぶと、まだ若いらしいその男は意外と気持ちのいい笑顔でこちらに手を振ってくれた。


ヨアニスはしょうがないなって顔で肩をすくめて告白した。「実はさ、試されてるのは俺だけじゃないんだ。やつと組んでいけってさ」

「へぇ。ペアを組むんだ。ねぇ、もしかしてこれから行くつもりだった?」

「ああ、まぁな。でもいいさ。本格的な狩は夜からだし、長期の依頼だからさ。別に今日じゃなくてもいいんだ」

「でも、待っててくれてるんでしょ?私もう行くわ」

「ごめん。クッキー持ってってくれ。俺いらないから」

「ありがとう。頑張ってね」

「ああ」ヨアニスはクッキーのツボを抱えて立ち上がった私の額に軽くキスをした。


突然の不意打ち。冷たくて、すごく柔らかかった。

一呼吸おいてからようやく何が起こったのか理解して、急激に顔が熱くなった。火が出そうなほど発熱してる。私は息も絶え絶えになって逃げるように彼の部屋を飛び出した。

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