第27話 賢者の後悔1

ナッツが私の緊張を察して服の中できつく腕に張り付いた。腕を掻くふりをして小さな背中を人差し指のはらでそっと撫でてやる。


陰気な暗い廊下の壁にかけられた金のプレートによると、連行された先は学院長室だった。

そうじゃないかと思っていた。やっぱりあれは夢じゃなかったんだわ。教師長は私をそっけないけど一目で最高級だとわかる家具の中に放り込むと、自分はさっと一礼して素早く出ていった。


その間、学院長は磨き抜かれた巨大なウォールナットの重厚な机の奥で頬杖をついて、じっくりと観察するように私を見ていた。

手招きされてオスオズと歩み寄り、机の前で項垂れる。どんなおさたが下されるのか想像して吐き気が込み上げてきた。あんなやばそうな禁止区域に立ち入ったんだもの。退学なんだわ。


ヨアニスはどう思うかな。皮肉気な顔をして本当は誰よりも優しく無垢なあの人なら、きっと責めたりしない。励まして、いまだに魔術らしきものの一つも使えない足手まといの私をアパートに向かい入れてくれるだろう。しばらくはそのまま泊めてくれるだろうし、落ち着いたら何かしら仕事を探してお金を貯めて、それからもっとイージーな学校を探そう。


学院長は首を傾げて私の顔を覗き込んでいた。何を考えているのか探っているみたい。

おもむろに立ち上がると「まぁ楽にしなさい」と言って、何気ないのにどことなく優雅な仕草で応接セットの方に手のひらを向けた。

低いテーブルの上には目立つ大きな本が一冊置かれていたけど、それは私には関係ないだろう。


入れたばかりのお茶と甘そうなお菓子も用意されている。もしかして退学にする生徒にはいつもこんな風に優しいのかな。だって自分の手を離れるどうでもいい生徒なんだもの。最後ぐらい説教なしで追い出してもいいかと思ってるのかも。のろのろと歩いて言われるままに革張りの長椅子に座った。


学院長はにこやかに微笑むと自分も向かいの椅子に腰を下ろした。

「さて、昨日の事は覚えているね。……ああ、お菓子をどうぞ。事務長が言うにはガーレンで最高の焼き菓子を売る店の一番人気だそうだよ」

私は訝しげに学院長の表情を伺った。砂糖自体が高価だから甘いお菓子だってそれなりに高いはず。なんのつもりなんだろう。


花柄の陶器の皿の上に綺麗に並べられたお菓子は赤いジャムを挟んだ可愛らしいクッキーだった。ごくりと喉がなる。こんなお菓子を口にするのは、いや目にするのはいつ以来かしら。

このチャンスを逃したらもう一生食べる機会には恵まれないかもしれない。「ただの社交辞令で勧めただけだ」と言われる前にさっと手を伸ばして齧り付いた。

ドライフルーツとは種類の違う甘さが口の中にじんわりと浸透してよだれが溢れた。懐かしい砂糖の甘さ。痛いほど甘い。涙が出そうになった。


美味しいけれど、食べている間中見つめられていたので居心地は最悪だった。

このクッキー、毒でも入ってるのかな。それなら納得する。不要になった学生がどんなふうにのたうち回って死ぬのか観察してるんじゃないの。


食べ終わってものすごくいい香りのする紅茶を啜ると、ポットを持ち上げて学院長自らおかわりを注いでくれた。薬物入りクッキーが確実に体内に入るようにと考えているんじゃなければ、かなり丁寧な扱いをされている。


この学院長は生徒からも人気があった。特に何をするわけでもないのに。この学院にそぐわない柔らかな物腰がキツイ印象の教師たちの中で浮いて見えるせいだろうか。

おませのファーシ情報によると、どこかの貴族の名家出身でいまだに独身らしい。


「君はいくつかな。ああ、前世を入れてね」

つい驚いて顔を上げた。けど、この世界には私の同胞がたくさんいるらしいから、世界中の知識が集まるこのガーレン魔術学院の学長が知らないわけないのだった。でも誰に聞いたのかしら。


「えーと、……46かな、たぶん。時間の感覚が曖昧で。砂漠にいた後こっちに来たんです」

彼はふむと頷くと「『神人』だそうだね。見たところ間違いはなさそうだが、審査を受けたことはあるかい?」と聞いてきた。

「いいえ。審査って?」

顎を親指と人差し指で挟んで考え込むように少し上を見上げる。「うん、まぁいい。『神人』の『来訪者』か。なるほどねぇ。私の代で予言の時が来るとは思わなかったよ」


なにを言っているのかわからない。話が噛み合っていないように感じた。学院長は2本の指で机の上の赤茶色の本をこちらに押しやった。年代物に見えるけど、目立った傷もなく綺麗だった。


「立ち入り禁止の区画に僅かな振動が観測されたんだ。あれは特に重要な建物でね。行ってみると封印されていたはずの扉が開いていた。調査隊を派遣して内部を調べさせたが、ごく最近高度な魔術が発動した形跡があって、地下にはこの本だけが残されていた。『本』の存在は代々の学院長に口伝で伝えられてはいたのだが、本当に存在していたとは、驚きだ」


目だけで催促されて、恐る恐る本の表紙の端っこを指で摘んで開いた。油でも使われいるのか、最初のページ同士が表紙に張り付いていて、しまいには両手を使って引き離さなきゃならなかった。


まだ十分に製紙技術が発達していないせいで本はものすごく高い。貴族が財産の一部として購入するイメージがある。破かないよう慎重に最初のページを捲ると、黒に近い濃い緑色の文字が浮かび上がってきた。

白い紙自体からインクが染み出している。透明人間がたった今ペンを走らせているかのように文字が綴られていく。

魔術書だわ。となるととんでもなく高価なはず。


「うーん。これではっきりしたな。君は賢者ガーレンの待ち人だ」

「え?」

「ガーレンは君の出現を待ち望んでいたが寿命がつきたんだ。以後は我々に役目が託された。『来訪者』の保護を名目に探し続けたわけだ。『神人』の君を教会が手放したのは、君が『来訪者』だったからなんだな。そういう契約だから」

「えっとその、お言葉ですけど、父は……私を保護してくれた大司教様は、私の希望を聞いて魔術師学校に入れてくれたんです」

「そうなのかい?本当かな」

ちょっとムッとした。「そう思いますけど」

「ユリ、君は『予言の古代人』なのだ。世間でいう『神人』ではなく、『古代神人』そのもの。そうだろう?」

息を飲んだ。「賢者ガーレンも『来訪者』だったんですか?でもどうして……」

「さてね。もしかしたら」学院長は本に目を落とした。「その謎が解けるかもしれない」


私は目をしばたたいた。大賢者ガーレンは『霧の世界』でリストの種族の項目に載った【古代人】を見ていて、それを選択した人間が現れるのを待っていたってことになる。

でもなぜ?何をして欲しいの?その答えがこの本の中で見つけられるかもしれないという。学院長の顔をチラリと見てから改めて本を引き寄せ、ページをめくった。


中身はガーレンの回顧録だった。あんまり綺麗な字じゃないし、かなり時代が古いせいで正確には読み取れないけど、書いてあることはなんとなく理解できる。


最初の方のページを覗き込んでサッと読んでみた。

予想通り賢者ガーレンは『来訪者』だったみたい。しかも驚くことに、『霧の世界』で一度だけ会ったことのあるゲーマーっぽい少年がガーレンその人だった。本の中には弁護士の女性も登場していた。


引き寄せて夢中で読み耽った。読み進めていくうちに彼らの人生が平穏とは無縁だったことがわかって胸が締め付けられた。

あの人の良さそうな苦労性の弁護士の人は早いうちに殺されていた。ゾッとする。あのチームにそのままいたら、私も戦乱の世に叩き込まれていたんだわ。


後に大賢者と呼ばれる彼は、『霧の世界』で【ウィザード】を選択してこの世界にやってきた。

彼らの肉体が構築された場所は森の中で、メンバーを確かめたところ、いない人がいる事に気付いてしばらく捜索した事も書かれていた。……なんだか申し訳ない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る