第26話 魔術師の卵たち2
ガーレンは冬が長いみたい。夏も短かったけれど秋はもっと早く終わった。北風が吹いたと思ったら突然気温が下がって、次の日には雪がちらつくようになった。そして授業内容も少しだけ変わった。
減ったのは本の朗読で、増えたのは魔力制御に関わる授業。
ヨガっぽい体操を含んだ瞑想だとか、各種属性のついた特殊な石(見た目はただの小石)をひたすら見つめ続ける授業だとか。
集中力をつける為なんだろう。ほとんど遊びのようなものだし、単位も出席していればもらえるからこの手の授業は生徒に大人気だった。
昔は音楽を利用した楽しい授業もあったらしいけれど、残念ながら今は教える人がいないという。
ピアノなら子供の頃習っていた事がある。この世界にピアノのような高等な楽器があるとはとても思えないけれど。
使われなくなった音楽室は今では怪談の舞台として生徒たちに親しまれていた。
夜中に廊下を通ると誰もいないはずの教室から楽器の音が聞こえてくるらしい。失恋を苦に自殺した音楽教師がいたとかいないとか。
よくある怪談だけど、本当に幽霊がいるのなら聞きつけたミドラの司祭がさっさと昇天させてしまうだろう。それか学院のネクロマンサーが捕まえて実験材料にしてしまうか。この学院ならこっちの方がずっとありえる。
良くも悪くも魔術師というものはひどく現実的で、不可思議な事象を白日の元に晒すことを命題としている。地球で言えば研究者や科学者のポジション。
教会と仲が悪いのもそのあたりが原因みたい。教会には知られなくない秘密がたくさんあって、魔術師たちが勝手しないよう外から圧力をかけてくるらしい。もちろん私には遠い世界の話だし、そんなに興味もないけれど。
雪が積もるようになるとガーレンの冬の厳しさを痛感するようなった。
教室には暖炉があるのに、牢獄のような寮の部屋には暖房設備がない。学生たちは大急ぎでウールの下着や分厚い毛布を買い込み、許される範囲で防寒に努めるのだった。
裕福な家の子は学院から禁止されているはずの魔導具を持ち込んで暖をとっているみたいだけど、そうでない子はこの時期に出回る『ホットストーン』という魔導具の石を大量に買い求めることになる。
上級生になると自分で作れるようになるらしく、こっそり凍えている小等部の学生に売ってはお小遣い稼ぎをしているのだ。
握るとほんのり暖かい魔力のこもった小石。ハンカチに包んでポケットやフードに忍ばせばナッツが安心して眠れる寝床になる。
石を抱きしめて眠る姿はとても可愛いくて、殺伐とした授業の合間に私の心をそっと癒してくれるのだった。
過酷な冬の生活も長く続くと変わり映えしない単調な日々となる。時間の感覚が曖昧になっていき、気付けば春が、いや、その前に試験シーズンが目前に迫っていた。
と言っても進学試験はまだ先のことなので、とりあえずは心配することもない。もっと学年が上の生徒たちは切羽詰まった表情をして歩いているけれど、一年目の私たちはまだ他人事でいられたし、恐れていたテストもそれほど難しくはなかった。
周りからはひどく脅されていたものの、この年に留年する生徒は一人もいなかったから、別に私が特別優秀だったってわけじゃない。
ガーレンの学生としての毎日を過ごすうちに、百合子の記憶が少しづつ薄れていくのを感じていた。既に別人の感覚がある。彼女の人生は半ば他人事のようで、目覚めてすぐに思い出す夢の残滓のように淡いものになっていた。
そのうち春になって、冬よりはよほど好きになれる季節がやってきた。
ただし雪の代わりに降り出したのは雨だった。春の降雨量はどの季節よりも多く、ほとんど毎日降っていた。ガーレンは常に湿っているものらしい。
何百年も変わらず続いてきたであろう学院の伝統的な暮らしは決して楽ではなかったけれど、暖房もない狭い部屋や厳格な教師たちによる情け容赦ない指導にも次第に慣れていった。
落ち込んだり助かったと安堵したり、週末のヨアニスとの楽しいひととき、冬の終わりにやってくるテストシーズンが、打ち寄せる波のように終わることなく繰り返された。
そうして瞬く間に3年が過ぎた。
私やエルフのパルマとは違って、ヒューマンのファーシは日に日に成長する。あんなに小さかったのに、体のあちこちが伸び出してだんだん女の子っぽくなってきた。
ふわふわした雰囲気の可愛らしい少女に成長した彼女は、見た目を武器にするようになった。ファーシに上目遣いで目をパチパチされた男の子は途端に舞い上がって彼女を優遇するようになる。10歳にしてこの実力。末恐ろしい。
潔癖なパルマは怒っていたけど、ヒューマンの女の子は成長が早いのだ。学習能力が高く、なんだろうと力になると思えばすぐに取り入れる。子供らしくそこにモラルが入り込む余地はない。危ういけれど、そんな時代を経て誰もが大人になっていく。
そんなある日のことだった。ついに周りにヨアニスの存在がバレてしまった。いつかはそんな日が来るだろうとわかっていたけど、まったく鬱陶しい。
私とヨアニスが仲良く街を歩いている姿を他の学生が目撃して、そいつが噂を広めたのだ。
すぐにファーシが聞きつけてきて、ものすごく悔しがった。彼女はいつだって彼氏募集中。なんとか年齢が合いそうな少し上の男の子たちもいるにはいるけど、まだ恋愛云々には早過ぎた。友達と一緒にいたずらでもしていた方がずっと楽しい頃だもの。
ファーシのヒステリー気味の要求に耐えかねて仕方なく二人をヨアニスに会わせることになってしまった。
約束の週末、ファーシはいつもの噴水広場のベンチに座っている彼を見つけて悲鳴に近い歓声をあげた。だけどパルマの方は彼を見るなり眉を顰めた。どちらの反応にも慣れっこのヨアニスは丁寧に挨拶をして平然と微笑んでみせた。
ファーシが先導して父親が共同経営をしているカフェ(喫茶店は基本的に裕福層向け)に無理やりつれていき、強引にヨアニスの奢りにしてしまった。彼女に言わせれば彼氏がデート中に恋人に奢ってあげるのはあたり前のことらしい。
後で謝って3人分の代金を渡そうとしたけれど彼は頑なに受け取らなかった。
パルマもパルマで完全におかしかった。ひどく匂う汚物を前にしたかのように鼻に皺を寄せたまま、できる限り上品な白い椅子を丸テーブルから遠ざけてそっぽを向いていた。とてつもなく失礼。彼はすごくいい香りがするのに。
いつもの優しい彼女はどこに行ってしまったんだろう。ことあるごとにキャーキャー騒ぐファーシを嗜め、ヨアニスから庇うような仕草まで見せた。
もうこの二人を彼に会わせるのはやめようと思い、「ごめんね」と目だけで伝えて早々にファーシを引っ張って学院に連れ帰った。
学院の寮に帰ってファーシを部屋に押し込めてから「あれはどういうつもりなの」とパルマを問い詰めた。
重苦しい表情を浮かべたパルマは、「あの人なんなの?」と逆に聞いてきた。私は冷ややかに返した。「何って私の友達だけど?」
「ヒューマンじゃないわね。聞くまでもないけど。ねぇ、ユリ。あなた知ってたの?『アレ』はかなり危険なタイプの闇の種族だわ。エルフにはわかるのよ。感覚が鋭いから。もしかしたらあなたも騙されていたんじゃない?だからファーシに会わせても平気だったのね」
「待って。危険かどうかなんてあなたにわかるはずないでしょ。さっき初めて会って1時間おしゃべりしただけなんだから。それとも何?夜中にヨアニスが追いかけてきてあの子を八つ裂きにするとでも思ってるわけ?」
「……そこまでは思わないけど、でも、わからないわ。もしかしたらありえるかも知れない。あの種の美しさには理由があるの」
パルマはファーシの代わりに両手で自分の肩を抱きしめた。本気でそう思ってるみたい。頭にきてつい声を張り上げてしまった。
「あのねぇ!内心でどう思ってようとかまわない。問題は、彼が礼儀正しく接してくれている間中失礼な態度を取り続けてたってことよ!モンスターはどっちよ!」
「ユリ、怒るのは当然よね。あなたは友人だと思ってるんだもの。だけど私、あの人に謝るつもりはないわ。いいこと、世の中には踏み込んではならない領域があるの。彼もその一人」
「いいかげんにして。ヨアニスのこと何も知らないくせに、よくそこまで言えるわね!」
「しっ。ファーシに聞こえる。ユリ、彼は危険よ。あなたを狙ってる。もっと大人だと思ってたけど、これからはあなたのことも見ていてあげないといけないわね」
「馬鹿馬鹿しい!あなただってエルフじゃない。ヒューマンの中には嫌がる人もいるよね。危険だって。そう言われてどう思う?何もしてないのに!」
「……これだけは言わせて。あなたがよそを向いている時、彼がどんな目であなたを見てるか知らないでしょう?」
「もう結構!二度とヨアニスの話をしないで。ファーシにも会わせない。それでいいでしょ」
彼女はため息をついた。「ごめんなさいね、でも……」
私は踵を返して部屋を出ると怒りに任せてドアを叩きつけた。
自分の部屋に帰ってベッドに寝転がる。先に帰っていたナッツが慌てて毛布から飛び出し、キーキー不満の声をあげてからまた毛布に潜り込んだ。
古ぼけた天井を睨みつける。パルマはいつも年上ぶってるけど、本当は何もわかってないんだわ。ファーシのことだって単に甘やかしてるだけ。子供好きみたいだけど、ファーシの人生に責任を感じてるわけじゃない。可愛がるだけ可愛がって、あとは知らんぷりのくせに。
次の日には私には幼じみの婚約者がいることになっていて、さらにその翌週には身分違いの恋を成就させるべく、駆け落ち同然で故郷を飛び出したとかいうひどい尾鰭もついてしまった。ファーシめ。
ただし、そのおかげで度々どうでもいい用事で声をかけてくる男子の数がグッと減ったことだけは感謝してもいい。元々好奇の目を向けられていたんだもの。今更よね。
結局はパルマも私との友情を選んだみたい。それからは彼女の口からヨアニスの酷すぎる批評を聞くことはなかったけど、ファーシが彼の話題を持ち出すたびに神妙な顔付きで話を逸らそうとするのだった。
その頃から私の学生生活にほんの少しづつ暗雲が立ち込めるようになっていった。
パルマと私の間にはなんとなくよそよそしい空気が流れ、魔導具を分解して元に戻す授業でペアを組んでいる男の子からは何故か度々恨みがましい視線を向けられるようになった。
ある日の魔力操作の授業でのことだった。
簡単な迷路を使って水晶の玉を動かしゴールを目指すという、本来なら楽しいはずの課題。額の一点に集中して自分の魔力を操作すればまんまるの水晶玉がスイスイ動く。
この頃にはもう不意に魔導具を壊してしまうようなこともなくなっていたから、魔力操作は唯一の得意分野のはずだった。張り切りすぎたのだと思う。
床に膝をついて迷路の中の細い木の道を睨んでいた時、突然トランス状態に陥った。
体から抜け出た意識はいつの間にか学院の奥深く、小等部の学生は立ち入り禁止になっている区画に違いない場所にいた。
目の前にかなり古い、遺跡のような丸い建物があった。二階建の物置小屋ぐらいの大きさで、上部は崩れている。もしかしたら何百年か前は塔だったのかも。苔むした壁を背の高い雑草が覆っている。
入り口のドアには分厚いかんぬきが掛かっていて、さらに複雑な魔術陣による厳重な封印が施されていた。見るからに絶対近づいちゃいけない場所だった。
困惑していると次の瞬間には中に入っていた。
床中に古びて茶色くなった本のページが散乱し、魔術による破壊の跡だとわかるような激しい傷跡が所々に残っている。それぞれの紙片からうっすら何かの力を感じた。神がかっているけれどギリギリ人間の技に思える。
やがて床を中心にじわじわと濃密な魔力が滲み出してきて、次第に渦を巻きはじめた。小さなハリケーンが破れて散らばったページを舞い上げる。これは夢?そうに違いない。
圧倒的な魔力のうねり。誰かの意思が私に向かって凄まじい圧力をかけていた。追い出そうとしているのか殺そうとしているのかのどっちか。
この下に何かあるんだ。それとも、何かがいる?
同級生の甲高い笑い声で目が覚めた。迷路はいつの間にかゴールに到達していた。
手が震えて汗をびっしょりかいていた。何度も瞬きして夢の残像を消そうとしたけど、あれがただの夢じゃないことは分かりきっていた。
授業終了の鐘がなる。私はフラフラと立ち上がり、不思議な夢を見ただけだと自分に言い聞かせた。その日はそれ以上何も起こらなかったけど、それからも度々同じような白昼夢を見るようになった。
時には本棚の本が整然と並んでいる状態で、時には何もかもがすっかり朽ちている状態で。手に取るとボロボロに崩れることもある。その感触は生々しく、いつまでも手に残った。
書かれている文字は下手な手書きの古代語が多いけど、数百年前の古めかしい言葉のものもある。
どの夢にも誰かの強い意思を感じた。地下に閉じ込められている何かが「ここから出せ」と獰猛な唸り声をあげ、巨大な爪を天井に突き立てている。そんな妄想に駆られて震え上がった。
悪夢を見るせいで夜もあまり眠れなくなった。目の下にクマができて、いつもフラフラしていた。時々パルマが耳元で何か叫んでいたけど、頭が重くてよく聞き取れなかった。たぶん心配されてる。
木々が明るく紅葉した頃、いつもと違う夢を見た。
朝の支度を終えて部屋を出ようとドアノブに手をかけた時、目の前にあったのは自室の細長いドアでなく、あの遺跡の入り口だった。大扉は開いていた。
現実ならかなり叱られるだろうけど、どうせ夢だもの。入ってみることにした。
そこはとても暗かった。しかもひどく狭いうえに下へ続く急なカーブを描いている。手探りで壁を伝い、ぐるぐる回っているとやがて底が見えた。
深い暗闇の向こうから眩しい光が漏れている。その光に誘われるように急いでスロープを駆け降りた。
急に明るい場所に出たものだから眩しくて目を閉じてしまった。誰かいた。ゆっくり瞼を持ち上げると、どこかで見た人物だった。
この人、たしか学院長だわ。くすんだ金髪の痩せた男性。絵でしか見たことないけど、名前はゼイン学院長って言ったかな。
向こうも驚きを隠せない様子で私を見ていた。背中に冷や汗が流れた。
え、これって夢じゃないの?どうしよう、現実だったら……
ぎゅっと目をつむった。どうか早く目覚めますように。
男性の声がした。穏やかで優しさを含んだ大人の低い声。
「落ち着きなさい。君は今霊体になっている。私の声が聞こえるかな?精神が肉体から離れて分離している状態なのだ。ゆっくり深呼吸をして、体が今どこにあるのかを思い出すんだ」
深呼吸ですって?体がないのに。そう思ったけど、次に目を開けた時には医務室のベッドの中だった。
極めて清潔な匂いがした。すぐに白衣を着た男性が駆けつけてきて、「気分はどうだね」と言いながら私の瞼を強引に捲りあげて覗き込み、額に手を当ててからようやく納得すると「寝不足による貧血だな」と決めつけた。
それだけじゃない。だけど何日も続けて幻覚を見ていたなんて言ったら、精神異常を疑われて退学になるかも。
「戻ります」とつぶやいて起き上がろうとしたけど、先生は首を振って「午前中は休みなさい」と言いつけた。
「成長期の混乱だろう。急激に魔力が上がったせいだ。よくあることだ。体が慣れるまではしばらく続くだろうから、軽い睡眠薬を処方しておく。眠る前に飲みなさい。寮に届けておこう。寮母から受け取るといい」
「もう大丈夫だから」と抵抗しても無駄だった。先生は茶色い小瓶を傾けて濁った色の液体をスプーンに乗せると強引に私の口に突っ込んだ。漢方薬の匂いと甘ったるい味。
先生に睨まれて仕方なく横になって目を瞑る。そして少し待ってから部屋に誰もいなくなったのを確認して医務室から逃げ出した。
二時限目は木片や金属片へんを使っての魔力浸透率を測る授業だったはず。急いで実験室に向かうとどうにか教師が入る前に教室に滑り込むことができた。
すぐにファーシとパルマがやってきて少しでも異常がないかと私の全身を眺め回しては心配して騒いだ。部屋の前で倒れていた私をファーシが発見してくれたらしい。
クラス中の生徒が私を見ている。何度も「大丈夫だから」を繰り返してげんなりしながらいつもの席に座った。
薬のおかげか、その夜は久しぶりに真夜中に汗をかいて飛び起きたりせずに朝を迎えることができた。
たっぷり眠れたせいか顔色もいいみたいで、心配してくれていたパルマもファーシもようやく安心したみたい。会話も弾んで気分よく朝ごはんを食べていたら、珍しいことに小等部の教師長が食堂にやってきた。
(どの先生もそうだけど)厳しい顔つきをしている教師長は早足で滑るように歩き、まっすぐ私の席までくると逃さないとばかりに肩を掴んだ。びくりと飛び上がった。両隣のパルマとファーシが驚愕の眼差しを向ける。
恐る恐る腰を捻って顔を上げると教師長が忌々しげに私を睨みつけていて、吐き捨てるように言った。「話がある。ついて来なさい」冷酷そのものの声だった。
皆が何事かとざわめく中、私は連行された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます