第25話 魔術師の卵たち1

学院では学業に必要な文房具はもちろん、衣類や食品、細かな雑貨や化粧品類まで学院内の購買で買うことができる。その他にも大きな図書館やちょっとした散歩にぴったりの林、運動場、洒落た食堂がいくつもあって、街に出る必要がないように作られていた。


ただし小等部の学生には制限がある。広大な敷地のどこかには実験施設や魔術の訓練を行う練習場があるそうだけど、それらには近づくことができない。

立入禁止区域に作務衣姿の学生がうろついていたらすぐに教師や監督生に通報されて、あっという間に追い出されてしまうみたい。黒ローブの集団の中で白っぽい私たちは嫌でも目についてしまうもの。


寮母から授業のカリキュラムを説明された時には心の底からゾッとした。

朝から暗くなるまでみっちり授業があって、50人もの生徒が一斉に同じ授業を受けるらしい。机がある教室は少なくて、基本は先生を囲んで話を聞くだけ。

一応このスタイルでサノリテ語をマスターしたわけだからなんとかついていくことだけはできそうだけど、やっぱり不安。同級生の誰もが私よりずっと利発そうに見える。


小等部では六年かけて教養を学ぶ。実際に魔術を扱うのは中等部に上がってから。

毎日ぎっしり詰め込まれている学習内容の中には、予想していた歴史の授業や語学や色々な計算のやり方だけでなく、上流階級が使うようなマナーの教室も用意されていた。他にも乗馬やスポーツとしての剣闘なんかもあってなかなか面白い。


記念すべき最初の授業は、簡単な魔導具を解体してその仕組みを解明するという楽しいものだった。

2人1組になってテーブルに座り、先生が配った懐中時計の蓋を開けてみて、中の歯車が規則正しく動いているのを見ながら解説を聞く。


先生の動向を注意深く観察していたファーシは素早くパルマを捕まえた。私もパルマが良かったのに。

幸いすぐ近くにいたおとなしそうな男の子にファーシを真似てにっこり笑いかけてみたらすぐに応じてくれた。教室にいる私をそれほど無遠慮にジロジロ見てこなかった、最低限の礼儀を心得た相手だ。

聞いた途端に名前を忘れてしまったけど、彼が今後もこの授業のパートナーになるらしい。私はこの結果にすっかり満足していた。隣に座った男の子は顔を真っ赤にさせて俯き、時折そっと視線を上げるだけで話しかけてくることはなかった。


手のひらサイズの懐中電灯は中に魔力のこもった魔石が入っていて、持ち主の魔力を吸って動くというタイプ。自動ではなくて、うまいこと適量の魔力をこめなくちゃならない。さっそく触れた途端に壊してしまった。おかしな動きをしはじめた私たちの懐中時計は速やかに修理に出されることになった。

先生も慣れてるようで特に怒ったりはしなかったけど、真っ二つに割れた小さな魔石を取り出してクラス中に回すという屈辱は与えた。


速やかに交換された新しい懐中時計は主に相棒の少年が扱ってくれることになり、私はその横で眺めているだけでよくなった。なかなか気のきく子だ。


次はそのまま同じ教室を使っての文字の読み書きのレベルを試す授業。

これは簡単。木の板に貼り付けられた羊皮紙の文字をただ読んでいくだけ。次に、配られた羊皮紙に指示された単語や数字を順番に書いていく。

教師は生徒の間を練り歩き、一人一人の出来を確認しては手元のボードに何やら書き込んでいた。


最初は原始的な羽ペンに戸惑ってインクをつけすぎてしまったけど、読み書きはマスターしていたから、今回は隣の男の子を戸惑わせずに済んだ。彼はなかなか綺麗な字を書く。もしかしたら貴族出身の子なのかも。


そんなふうに順調な滑り出しでスタートした学院生活はその後もごく簡単な授業しかなく、私を含めて生徒たちは明るい表情を取り戻していた。


ファーシは密かに連れてきたペットのコウモリを盛んに羨ましがり、実家の猫に会いたいと少しだけ涙ぐんだ。そんな彼女を慰めようと、パルマは森の中のエルフの集落の話をおもしろおかしくしく話して聞かせた。


ものすごく大きな木につくられたツリーハウスの村では、(大袈裟に言っているだけだと思うけど)四六時中誰かが歌っているらしくて、一人歌いはじめると村中でハミングするんだとか。

昼間ならまだいいけど、真夜中に唐突に発生することもあってそんな時は気が狂いそうになるらしい。その光景を思い浮かべて3人でひゃっくりが出るほど笑い転げた。


ファーシは私の実家(そんなものがあるとすれば)にも興味津々だった。話せないことが多すぎてどうしても曖昧になってしまう。結局人気のない砂漠で聖職者の父と暮らしていたとだけ話した。

二人は貴族の子だと思っていたみたいでかなり驚いていた。『神人』は古い立派な家系に現れるとされている。

だけどすぐになるほどね、と頷いた。いつも部屋が片付いているから。裕福な子なら自分で掃除しなきゃいけない環境になかなか馴染めなくて、数日おきに(突如として無断で入ってくる)寮母にものすごく叱られるのだそう。


そうして少しづつ学院生活にもなれ、初めての週末を迎えた。

せっかく寝坊できる日なのに、朝からファーシの調子っぱずれの歌声が薄い壁の向こうから響いてきて、結局早起きする羽目になってしまった。一週間ぶりに両親の元に帰れるのが嬉しいみたい。朝ごはんも食べずにいそいそと支度を済ませて学院が無料で貸し出している馬車の方に向かって走っていった。


街に家族がいる子ばかりじゃない。パルマは今日一日図書館で過ごすらしい。ガーレン大森林のどこかにある故郷の村には厳しい校則のせいで帰れないから。

それでも少しも悲しそうでなかった。詳細は教えてくれなかったけれど、何年も前に村中の反対を押し切ってこのヒューマンの街にやってきたらしい。


今日はヨアニスに会いにいく予定だった。午前中は部屋でゴロゴロして過ごし、正午の一つ前の鐘に合わせて寮を出た。友人二人に知られずに済んで心から安堵する。特にファーシは大騒ぎするはずだから。


待ち合わせ場所に選んだのは街にいくつかある公園の一つ。少し小さめの広場はどちらかといえば大人の空間になっていて、ベンチがいくつかあるだけで屋台は出ておらず、静かで落ち着いた雰囲気だった。


広場に到着した時にはすでにヨアニスが待っていた。

気怠げな雰囲気を発散させながら街灯の柱にゆったりと身を委ね、驚くほど長い足を緩く交差させている。黒っぽいブラウスとズボンに簡素な皮のベストという何気ない格好なのに、とてつもなく素敵に見えた。

その場にいる全員が彼に気付いていた。ベンチに恋人と一緒に座っている女性までがうっとりと彼を眺めている。


ちょっと優越感に浸りながら広場に入ったのに、ヨアニスはゆっくりと顔を上げて微笑み、そして笑い出した。体を折り曲げて周りに口元が見えないようにしながら爆笑している。

「何よ!」

「だってお前、その格好なんだよ。職人かよ!」

たちまち頬が熱くなった。「だって校則なんだもん。この格好以外しちゃいけないの。少なくとも小等部を卒業するまでは」

彼はまだ苦しげに頬を引き攣らせながら微笑んだ。「久しぶりに笑ったわ」

「ふんっ。それより今日はどうする?街を出ちゃいけないんだって」

「それも校則?」

「うん。先生は『掟』だって言ってた」

「ふぅん。じゃ俺の家に行こう」ヨアニスは当然のように私の肩に腕を回して歩きだした。


ただの若いカップルなら(たとえ友人の関係だとしても)女性を一人住まいの家に招待するなんて御法度なのだけど、私たちの間にそんな心配はいらない。

ヨアニスが借りている部屋はハンター協会の裏にあるハンター街よりも民家側に近い静かな一角にあって、割と広い敷地に二階建てのアパートメントが向かい合わせに二つ建っていた。


真ん中の広場にある井戸では泥だらけのブーツを洗っている逞しい男性がいた。

「ここはハンターを相手にしてるアパートなんだよ」

「結構綺麗ね」

「ああ。まぁ、所帯を持ってる奴もいるしな」なぜか追求して欲しくなさそうだった。話題を避けるようにぐいぐい引っ張って階段を上がっていく。


彼の部屋は二階で、入ってすぐにキッチンがついたリビングがあった。家具はほとんどなくて小さな丸テーブルと椅子が二脚あるだけ。

いくつかあるドアはすべて閉まっていて奥は見えなかったけれど、割と広いんじゃないだろうか。

つい心配になって訊いた。「ねぇ、家賃どうしてるの?」

「俺は腕のいいハンターなんだよ。ここの森には高い値のつく魔物がわんさかいるし、護衛の報酬だけでもしばらく暮らせるよ」

「そうなんだ。あ、お茶淹れようか?」

「ああ、いや座っててくれ。なんか出すよ」


ヨアニスの言う『なんか』とは古道具屋で買取を拒否されたひしゃげた金属のカップに入った薄い色の茶だった。礼儀正しく出されたカップに口をつける。味はどこにでもある普通の茶だけど、たぶん淹れ方が間違ってる。


私たちはこの一週間に経験したあれこれを話して互いの近況を確認しあった。ヨアニスの方も割と上手くやっているらしい。


ずいぶん遅れてナッツがポケットの中からもそもそと這い出てきた。寝ぼけ眼で周りを見回す。

ずっと寝ていたのかしら。久しぶりに再会したわりには主人にもそっけない態度をとって、テーブルの上やキッチンで食べられそうなものはないかと探し回ったあと、ふらりと窓から出ていった。


本当に使い魔なのかと疑いの目を向けたら、ヨアニスは肩をすくめて言った。

「あいつはよくこっちに帰ってくるんだよ。俺が追い出すまでベッドに潜り込んで寝てるんだ」

「あらまぁ。私の部屋でも同じよ。ずっと寝てる」

「砂漠のコウモリだからなぁ。必要以上に動かないんだろ。……もしかすると寒いのかもな」

「そっか。気をつけてあげた方が良さそうね。こっちはだいぶ冷え込むもの。そのうち秋が来るし」

だけどヨアニスはナッツ同様そっけない。「あいつは自分でなんとか出来るさ」

一言言ってやるべきかとも思ったけど、彼は魔物の専門家。私よりずっとナッツについて詳しい。彼が言うなら大丈夫なんだろう、たぶん。


羨ましいことに、この部屋にはバスタブが置いてあるちゃんとしたバスルームがあった。それも結構広い。

珍しくこのガーレンには上下水道が完備されていて、なんと魔物が住み着いているんだそう。

魔物の中にはなんでも食べる種類のものがいる。スライムとかネズミ系のやつ。だから掃除もハンターが請け負うことになっている。ガーレンでハンター業をはじめると最初に受付に提示されるのがこの下水掃除だという。

その様子を思い浮かべながら「あなたも受けたの?」と聞いたら、ものすごく嫌そうに「するわけないだろ」と言われてしまった。どうやらプライドに傷をつけちゃったみたい。


ヨアニスといると心からリラックスできる。ずっとこうして取り止めのない話をしていたい。息の詰まるような学院にいると過酷だった旅暮らしが猛烈に恋しくなる瞬間があって、そんな時はあのボロ馬車のうだるような熱気と乾燥した古い木材の匂いを思い出すのだ。


いつの間にか窓からオレンジの夕陽が差し込んでいた。私の悲しい気持ちを嗅ぎつけたみたいにナッツが散歩から戻ってきた。

楽しいおしゃべりの時間もあっというまに終わりがきてしまった。しょんぼりする私に、ヨアニスは何気ないふうを装って部屋の合鍵を渡してくれた。「学院の休みには好きに入ってくつろいでくれていいから」と微笑む。


嬉しいけれど、ちょっとやりすぎだと感じた。私たちは将来を誓い合った恋人同士ってわけじゃない。今は友達だし、十数年後には同業者になってチームを組んでいるかもしれないけど、そこまでの関係だもの。来てみて留守だったら諦めて帰ろうと思った。

無邪気に微笑む彼の気持ち傷つけたくなくて「ありがとう」とだけ言って鍵をポケットに突っ込んだ。ちょっと距離が近くなり過ぎている。この辺りの調整は私の方でしてあげたほうがいいみたい。


翌週、すっかりリラックスして教室に入ってきた新入生たちを試練が待ち受けていた。授業内容が格段に難しくなったのだ。初心者向けのイージーモードは早くも終了らしい。


教師たちの目つきも鋭くなり、教本があるならいい方で、教師の語った内容を暗記して即座に自分の考えをまとめなければならなかった。その場で質問に答えられないと厳しく叱責されてしまう。

幸い生徒の人数が多いので、出来るだけ教室の隅っこにいれば滅多に声をかけられることもない。


しかし現実は甘くなかった。程なくして生徒たちが競って教師の前の席に座るようになったのだ。

不思議に思っていたら、ファーシが泣きそうな顔で疑問に答えてくれた。

なんと、教師の質問にどれだけ正確に答えられたかによって成績が決まるという。つまり、一年の間ずっと隅っこに隠れていると成績がつかなくて留年する。この学院は単位制。落とせる授業の数は決まっている。


紙自体が高級品だから生徒全員が平等に実力を図れる筆記テストなんて、学期末でもない限り行われない。

もし留年なんかしたら高額な授業料を払わせられている親たちはきっと激怒するだろう。奨学金をもらっているファーシなんて退学になってしまう。

そう言うわけで、なんとしても熾烈な競争に勝ち残らなくてはならない学生たちは争って教師の目を引こうとするのだった。


授業は日を重ねるごとに厳しくなっていく。だんだん授業についていけなくなってきた私をパルマと天才ファーシがフォローしてくれた。友情ってありがたい。

時間があれば図書館に詰めて、教師が語った内容に近い本や巻物を見つけて読み耽る毎日。ついうとうとしてしまう私の肩を叩く役目はパルマが負ってくれた。


勉強は厳しかったけれど、それ以外は楽しかった。友人に恵まれたから。

ヨアニスに会いに行かない週末には三人で街に繰り出して買い物したり、ファーシの両親に招かれて昼食をご馳走になったりした。彼女の家は大きなパン屋を営んでいて父も母もふくよかだった。もちろん焼きたてのパンはとびっきり美味しい。


少し前まで暗い未来しか予想出来なかった学院生活は、友人に恵まれたことで意外に充実したものになっていった。

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