第24話 魔術師の試練

ガーレン魔術学院の初日、コウモリのナッツと共に学院を訪れた。

そこはまさに街の中心、一番高い場所に城のように威風堂々と聳え立つ大規模な学院は、この街の魔術師の権威を象徴する建築群だった。


校門を跨ぐとすぐに大声を張り上げて、不安げな表情をしている新入生たちを学院の敷地内にある事務所へ誘導している魔術師が何人もいた。

どうやら試験の期日は本当に数日しか残ってなかったみたい。今は新入生を迎入れる時期に変わっているようで、私も捕まって、まずは馬車留めの向こうにある建物に向かうよう指示を受けた。


学院の広大な敷地の中をとぼとぼと歩く。ここは何もかもが大きくて広い。なんの力も持たない小さな自分を威圧してるみたい。

きょろきょろしながら通りを渡って、なんとか目的の建物を見つけ出した。壁中に蔦植物が這いまわっている古めかしい建物。たぶんここだと思う。大勢の学生がひっきりなしに出入りしているから。


入り口付近まで歩いていくと、ここにも誘導している魔術師がいて、おかげで迷うことなく特設会場の部屋までまっすぐ歩いていくことができた。


そこでは数人の事務員が待ち構えていて、何十人もの新入生をテキパキと捌いていた。

開け放たれた広い部屋に一歩踏み込むなり、忙しそうにしている年配の女性に手招きされて慌てて駆け寄った。


彼女からマニュアル通りと思われる説明を受ける。

この後は寮住まいになること、制服はすでに寮の部屋に用意されているはずだけど、自分で使う文具はすべて規定のものがあるので購買で購入すること。ただし寮に入る前に小金貨5枚の入学金を支払わなくてはならないとも言われた。


いきなり金貨!それも5枚ですって!眩暈がした。この中には一年分の授業料と設備費、寮の家賃と食費も含まれているそうだけど、間違いなくどの学校より高額に違いない。なにしろ金貨だもの。

しかも来年からも小金貨4枚の納付が必要になり、それは卒業するまで続くという。


おばさんは励ますように続けた。順当に進めばだいたい13年で卒業できると。

聞き間違えかと思った。13年ですって?しかも年に小金貨4枚?

驚きのあまりあんぐり口を開けたままの私におばさんはわけ知り顔で頷いた。その表情は「かわいそうに。お金がないのね。毎年いるのよね、この学院に入るためにどれほどの大金が必要になるか知らずに試験を受けちゃう子が」と言っていた。

「そうねぇ、もっと年齢が下だったら奨学金を受けられるチャンスもあったんだけど」と悲しげに微笑む。


愕然とした。嘘でしょ。じゃあ街の子が受ける試験って奨学金付きの方だったんだ。だってそんな説明なかったじゃない?突然捕まえられて合格だって言われて、それだけだった。


おばさんは現実とは思えなくてぼんやり突っ立っている私を探るように見ながら容赦なく淡々と説明を続けた。

まず6年間は小等部で基礎を学ぶ。信じられないことにほとんどの授業が座学だという。そして進学試験に受かると中等部に上がって4年間の実習を加えた魔術の基礎講座を学び、以降は専門分野に分かれて3年。それが高等部。

最後に卒業試験に受かれば晴れて『ガーレンの魔術師』として認められるという。


ただしそれぞれの試験はかなりの難関で、生徒の多くがその時期に脱落していく。

ただ、高等部まで上がる生徒はほんの一握りで、元から小等部だけ通って魔術師にはならない生徒も多いんだそう。そういう子は学歴に箔をつけるためだけに通う貴族の子が大半なんだとか。

それじゃ意味がない。私は魔術師になりたいのよ。


卒業した生徒はよそで働くか、さらに研究院生となって残るかに別れる。

研究院生になる場合は師弟制度に移って本格的に研究の仕方を学ぶそうだけど、こちらも教授に認められないと研究室には入れないというから実力の他に運や社交性も必要になるみたい。


それから卒業まで大体13年という説明は飛び級があるかららしい。ほんのわずかな唯一の希望だけど実際にはその逆で、留年する学生も多く、卒業への道のりは長く険しい。


目眩がして倒れそうだった。ヘンレンスさんは知っていたのかな。どうだろう。砂漠での貧しい日々を思い出すに、そこまでの財力があるとはとても思えない。私の頭だって自慢できるほど優秀じゃない。絶望的だった。


がっくり肩を落としておばさんにお礼をいい、学院を出て広い坂道をトボトボと歩く。早くヨアニスの元に帰りたい。宿までは歩くとかなり時間がかかるけど、幸い帰りは下り坂だ。

帰ったら何も言わず慰めてほしい。子供みたいに背中を叩いてもらって温かいココアをもらえたら、今日は1日中ベッドの中で丸まってウジウジして過ごすの。

そこまで考えて思い出した。ここは地球じゃない。ココアなんてないんだわ。涙が出そうだった。


しかし宿の部屋に到着して事情を話すなり、ヨアニスは遠慮なく笑い出した。

「なんて顔してるんだよ。当たり前だろ、『ガーレン』だぞ」

彼の笑顔は好きだけどこれはいけすかない。ムッとして言い返した。「だって、13年間よ!毎年金貨が何枚もいるの!」

叫ぶ私を憐れみを含んだ微笑みで見下ろすヨアニスは、「金なら心配いらない。俺が教会に連絡したから、支払いは済ませてあるはずだ」と言った。

私は目を丸くした。「なんで教会が?」

「そりゃお前、父親は大司教だろ。あいつが一声かければ娘の入学手続きぐらいわけないさ」


私は疑いの眼差しを向けた。あのヘンレンスさんにそんな権力があるとはにわかには信じられない。しかしヨアニスは続けてすごく冷ややかなに言った。

「正教会が実質大陸を支配してるのは知ってるよな。どこの王だって奴らには逆らえない。唯一このガーレンだけは抵抗しているらしいが、それだって表向きの虚勢に過ぎないだろ。ま、そういうことだよ」


なんだかまだ納得しきれないけど、自信満々のヨアニスを見ていると絶望的だと思っていたお金の問題が本当に片付いてしまったのだとわかってきた。

後は私の頭の出来にかかっている。それに13年も学生生活をおくらなきゃならないなんて。退学になったらどうしよう。それってかなり恥ずかしいわ。


お金の問題が済んだとしても問題は山積みで残ってる。不安が拭いきれなくてベッドの端っこに座ったまま動かない私の前に、ヨアニスがそっと近づいてしゃがみ込んだ。私の顔を覗き込む。密度の濃い長いまつ毛の向こうから優しい瞳が見つめている。きっと具合悪そうに見えるるのね。

「何があっても大丈夫さ。途中で諦めたっていいよ。何もガーレンを卒業しないと魔術師になれないわけじゃない。ユリほどの魔力があれば弟子に迎えたいって奴は大勢いるだろ。向こうから頭を下げてくるかもしれないぞ」ポツリとこぼした。「なにしろ神人様だもんな」


『神人様』。私はその言葉の意味を何もわかっていなかった。

悩んでいてもしょうがないと思いなおし、とりあえず学校生活と寮住まいに必要なあれこれを買い求め、その二日後にはヨアニスに一旦のお別れを言って朝早く学院を目指した。


事務所に入ってすぐの部屋をのぞいたらこの前のおばさんが事務机に座っていて、私に気付くと優しく笑いかけてくれた。彼女は人差し指を入り口付近の廊下側に向けた。


そこには色褪せた絨毯と長いカウンターあって、奥には観葉植物と書類棚と事務机が5つ置かれていた。カウンターの前では黒ローブの若者に混ざって新入生らしき子供たちが礼儀正しく列を作っている。最後尾に並んだ。


ようやく私の番になって事務員の男性に自分の名前と父親の名前を告げると、突然顔を上げて目を輝かせた。息を大きく吸い込んで目の玉が飛び出そうなほど大きく見開く。

なんなのと思いながら「入学金は支払い済みだそうです」と呟くと、私を凝視したまま片手を動かし、後ろで同じように口を開けている事務員に指で合図した。手渡された黒っぽい木製のカードをカウンターに置き、無言のまま私の方に押しやった。


「あの!」と強めに声をかけると、ようやく我に帰ったらしいその事務員は「ああ!そうでしたね」と誤魔化し笑いをして学生寮棟への道順と部屋番号を教えてくれた。


背を向けて出口に向かうとき、事務員たちの騒ぐ声が後ろから聞こえてきた。「やっぱりそうだよ!」とか「あれがそうなんだ!」とか。すごく嫌な感じ。

学生寮が立ち並ぶ区域に続く小道を歩いている時も上級生っぽい学生とすれ違ったけど、その人も慌てた様子で振り返って、無遠慮にジロジロとこっちをみてきた。


それからも同じようなことが続いた。寮母に挨拶した時も寮の談話室でおしゃべりしていた子たちも、まるで巨大なドラゴンが空から降ってきたかのように目を丸くするのだった。そしてやっぱり私が背を向けた途端騒ぎ出す。聞こえてるってわかってるくせに。

最悪だった。とてもこの子たちと仲良くやっていけそうもない。


ここまでくるともう私にだって何が問題なのかがわかっていた。

試験会場にいた試験官か誰かが言いふらしたんだわ。『神人』の可能性のある女の子が入学してきたって。どうやら学院は今、その話題でもちきりになっているらしい。


がっかりしながら寮の階段を上がった。転んでまた変な注目を集めないように慎重に。今日が入寮日初日なんだろうか、あっちこっちで騒がしい悲鳴やら笑い声やらが聞こえてくるけど、その楽しそうな会話は私には無縁に聞こえた。


寮は三階建てで、今年入った小等部の女子はみんなこの寮に入ることになっている。

私の部屋は一番奥の一歩手前にある部屋。ゾッとするほどたくさんのドアが並んでいる通り、ドアを開けると信じられないくらい狭い個室が目の中に飛び込んできた。


入り口すぐに小さな棚と大きな棚があって、壁にコート掛けのフックが3つと全身を映せる細長い鏡が貼り付けてある。

あってほしかったバスルームはなくて、ただ陶器のタライが置いてあるだけ。トイレもない。部屋の半分をベッドが占領しているし、後は窓の下に置かれた簡素な机と椅子だけで部屋はぱんぱんだった。


ため息が漏れた。刑務所の独房みたい。個室なのは嬉しいけど、こんなに狭いなんて。ベッドに座り込んだら壁が目前に迫ってきて、喉からうめき声が漏れた。

ベッドは硬かった。シーツの下は藁か何かだろうか。ヘンレンスさんのところにいた時もこんな感じの部屋ではあったけど、敷布団の中にはちゃんと布が詰まっていたのに。


せめて外の空気を取り入れようと机に身を乗り出して木窓を開けると、ナッツが勢いよく外套のフードから飛び出して、晴れ渡った青空の中に吸い込まれていった。羨ましい。


げんなりしながら荷物を置いて部屋を出た。とりあえずトイレの位置を確認しておきたい。

ドアを閉めてはっとした。この部屋には鍵がないってことに気付く。たぶんどの部屋にも。頭を振って大きなため息をついた。


その時すぐ近くで涼やかな声がした。「あら、こんにちわ」

顔を上げると、奥のドアの前に童話の世界から飛び出してきたかのような美しい女性が微笑みを浮かべて立っていた。

真っ白なスラリとした体、癖のないストレートの淡い金髪と澄んだブルーの瞳。それに、斜め上に伸びた細長い耳。


珍しい事に、ガーレンでは時々エルフを見かける。この街は古くから彼らと交流があるんだそう。エルフといえば閉鎖的な性格で他種族を見下す高慢な種族と聞いていたけれど、目の前にいる彼女はとても知的で優し気に見えた。


「エルフだわ!」勝手に口が動いていた。あっと思ったけど、相手はそれほど気分を害した様子もなく「そういうあなたは神人よね」とクスリと笑った。

「おかげで目立たずにすんでるわ。私はパルマ。奥の部屋よ」

「あ……あの、よろしくお願いします」

「よろしくね」ちょこんと小さな頭をかしげた。すごく優雅な仕草。お姫様みたい。


女性は二十歳過ぎぐらいに見えるけど実年齢はわからない。なにしろエルフだもの。勇気を振り絞って誘ってみた。この人も寮に到着したばかりでありますようにと念じながら。

「今からトイレの場所を探しに行くの。一緒に行く?」

すると彼女が口を開く前に反対のドアが勢いよく開いた。危うくぶつかりそうになってちょっとよろけた。

女の子(本当にまだ幼いすごく小さな子)が飛び出してきた。「あ、あたしも行く!!」


ポカンと口を開けていたら、マロン色のふわふわの髪をした女の子も同じように口を開けた。さらに私を見つめながら後ずさった。エルフのお姉さんが「ええ、一緒に行きましょう」と優しく話しかけると、女の子の肺はようやく自分の仕事を思い出したみたい。私とエルフのお姉さんを交互に見て高速で首を縦に振った。


さすがまだ幼い子供なだけあって、神人疑惑のある噂の新入生と美人のエルフが相手でもすぐに打ち解けて自己紹介をしてくれた。

元々おしゃべりな性格なのか緊張しているだけなのか、かなりの早口だった。時々ちゃんと息をしているか確かめなきゃいけないぐらい。おかげでこっちはたまに相槌を打つだけでよかった。


名前はファーシ。ガーレンの街の生まれでなんとこの歳で奨学金をもぎ取った天才児だった。

利発な女の子のおしゃべりは止まらない。壊れたおもちゃのように話しまくっていた。

一階に降りて、玄関に通じる廊下の突き当たりにあるトイレの場所を突き止める前に、実家の家族構成だけでなく、いとこの家の間取りまで知ることになり、三階に戻る頃には彼女がわずか7年の人生の中でいけてると思った近所の男の子の名前6人とペット(猫3匹と小鳥1羽)の名前まで把握するに至った。


おしゃまな彼女は自分のネタが尽きてきたことに気付くと、今度は執拗にボーイフレンドの有無について私とパルマを問いただしはじめた。

パルマがうまいこと「私の部屋、角部屋なの。見てみる?」と注意を引いてくれたおかげで助かったけど、この子が私の隣に住むのだと思い出して気が重くなった。なにしろ部屋には鍵が付いていない。


角部屋はほんのわずかに私の部屋より広かったけどそれほど変わらなかった。二つある窓に羨望の眼差しを向けていたら、パルマが「ちょっとでも特徴のある新入生は最上階の端っこに押しこめる習慣があるみたいよ」と囁いた。


なるほどね。「じゃあ、同盟を組みましょうよ」と私が言うと、ファーシは嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねて手を叩いた。「嬉しい!あたし、友達ができるかどうかすごく心配だったの!」

これだけ物おじしない性格なら誰とだって仲良くなれると思うけど。それでもファーシはよほど心配だったのか、目の端に涙を浮かべて喜んでいた。


「また夕食の時間に」と挨拶して自分の狭苦しい部屋に戻った。とりあえず買ってきた日用品を棚に押し込めないと。

思いがけず気分が良かった。ハイになってると言ってもいいぐらい。友達ができたから?私、いつからこの程度のことで心が動くようになったんだろう。


百合子は学生の時ですら他の子たちとは距離を置いていた。仕方なく付き合わなきゃいけない時も、楽しいふりをして適当に話を合わすのは大の得意技だったから誰にも気づかれずに済んでいたけど、できれば『友達』などとは一切関わりたくないというのが本音だった。

一人の時間が好きだし、母親であろうと側に誰かがいるという状況は苦痛でしかなかった。なのに、今の私は明らかに気分が踊っている。どうしちゃったんだろう。


何気なく鏡の方を見た。ぎょっとするほど鮮明な姿が映り込んでいる。

今までも鏡はあったけれど、これはまったくの別物だった。魔導具なんだわ。それも相当な高級品。初めてはっきりと直視した今の私。食い入るように見つめた。


驚きの表情を浮かべて口をわずかに開けている少女は15歳ぐらい。艶やかなダークブロンドに生まれたてみたいなもちもちした白い肌。かなり整った顔立ちだけど、それは左右対称なだけであってヨアニスのような本物の美貌とは違う。


しかし何よりも目を引くのはその目だった。濃い色の瞳の中に鮮やかな緑が混じり合っている。あまりにも特徴的だった。

背筋にぞくりと冷たいものが走った。なぜか嫌な予感がする。何かがおかしい。でも、何が?私は違和感の正体を見極めようと懸命に鏡の中の少女の全身を観察した。


どこにもおかしなところはない。日本人だった百合子の面影が残る小さな鼻と卵形の顔、子供らしい痩せた手足。だけどふっくらした唇や人形のような瞳や髪の毛の金色の色素は私のものじゃない。

一気に血の気が引くのを感じた。これは、別物だわ。別人がいる。私の中に、百合子以外の人間が。私は後ずさった。この人、誰なの。


今まで『神人』は北欧系の人種なんだと思っていた。そうじゃないんだわ。明確に『ある人物』がいて、それが百合子と同化している。完全に混じり合っていない奇妙なマーブル模様のよう。見れば見るほどそうとしか思えなくなった。

気持ち悪くて吐きそう。何度か呼吸を繰り返してみたけれど、不快な感覚は強くなるばかりだった。私は荷物を棚に詰める作業を諦めてよろよろと固いベッドに倒れ込んだ。


陽が落ちて部屋の中が暗くなるまでじっと天井を見つめていた。何かが進行している。私の知らないところで。


パルマが夕食のお誘いに来きてくれた。当然のようにノックもせずドアを開けられたけど、その優しい声色には癒された。


夕食は別棟でとることになっていて、暗い夜道でも生徒たちが問題なく歩けるよう小道に沿って小さなライトが無数に埋め込まれていた。あっちこっちに街灯が設置されているし、これほど惜しげなく魔導具が使用されている環境というのも珍しい。


小等部だけが入れる食堂(というか他の食堂は立ち入り禁止)のものすごく長細いテーブルにはすでに夕食が一式づつ用意されていた。困惑しながら適当に座る。置かれている食事はひどく貧相なメニューだった。

痩せ細った焼き魚とじゃがいも半分と味のしない野菜スープに、硬い茶色のパンが半切れ。小金貨5枚も払ったのに。


全員一律の食事内容だから、当然年齢に関わらずみんな同じ量。パルマをチラリと見たけれど、元々少食だったようですまし顔で上品に木のスプーンを口に運んでいた。

どこからかファーシが仕入れてきた情報によると、中等部に上がればもっとマシな食事にありつけるようになるらしい。

「6年の刑期を無事終えたらの話よね」とため息混じりに呟くと、パルマは「これも修行の一環なのよ」と澄まし顔で言い切った。

「何それ。根性論?何にせよこんなんじゃ栄養がつかないわ」

ファーシも憤慨して援護してくれた。「この中で一番美味しい料理が蒸しただけのじゃがいもなんてありえないよ。ママのトマト煮込みが食べたい。鶏肉が入ってるの。せめて卵だけでもつけてくれたらいいのに!」ファーシの家庭は割と裕福みたい。

私たちがあんまりにも文句を言うものだから、ついにパルマも折れて悲しげに微笑んだ。「そうよね。あなたたちは育ち盛りなのに」

「そうだよ!こんなんじゃおっぱい育たないよ!」

スープを吹き出しそうになった。パルマも苦笑いだ。この年頃の女の子ときたら。

「ねぇ、知ってる?男の子ってみんな……」 素早くパルマが嗜めた。「やめなさい。低俗な連中に合わせることはないわ」


パルマはしばらくの間不貞腐れてじゃがいもをつついていたけれど、すぐに復活して新入生の男の子の順位を決めにかかった。これには子供に慣れている様子のパルマも天井を仰いでため息をついた。


実際に授業が行われたのはそれから4日後のことだった。

授業といってもレクリエーションらしくて、天井の低いジメジメした洞窟のような部屋に集められた私たちは、ざわめきながら真ん中に集まって事態の進行を待っていた。

全部で100人ぐらいいるだろうか。皆んな揃いの生成りの作務衣を着て手持ちぶたさに突っ立っている。それが部屋に用意されていた小等部の制服だった。


やがて私たちと違うかっちりした黒いローブを着た魔術師たちが入ってきた。

全員が教師のようだった。みんなそっくりで、厳かな雰囲気を持っていて、滑るように歩く。まるでゴシックホラーに出てくる幽霊みたい。それぞれが血の気のない額に色んな色の小さな宝石を一粒くっつけている。あれはなんだろう。


壁際にずらりと並んだ冷たい目つきの大人の魔術師たち。静寂の中で新入生を見下ろし、無言で品定めしている。

いいかげん耐えきれなくなった頃、ことさら冷たい目をした女性が前に進み出た。すっと目を細めるとよく通る高い声でいきなり話しはじめた。挨拶すら無しだった。

「不思議に思ったでしょう。こんなにも簡単にこのガーレンに入学できたことを」


簡単ですって?他の子たちもそう思ったみたい。隣同士でおずおずと目を合わせてから目立たないようにとそっと俯いた。

「この場に集まった皆さんは6年後にはこの半分になります。10年後にはさらに半分に。ガーレンには厳しい掟がある。守れない者は退学となり、知力の足りない者同様に永久にガーレン魔術学院から追放されるのです。そのつもりでいなさい」

地獄の門を潜る際に「すべての希望を捨てよ」と言われたみたいだった。


次に話しはじめた男性はもう少し血が通っていたようで、怯える新入生に向かってほんのわずかに口の端を曲げ、その『掟』とやらを大きな声で説明した。


しかし内容はひどいものだった。厳格を絵に描いたような校則。俄には信じられない、それは普段の生活を厳しく縛るものだった。

全寮制であることはもちろん、街に出られるのは定められた休日のみ。学院以外の人間との接触は極力控える必要があり、手紙も内容を改められるし、卒業するまで街の外への帰省は許されない。


この場に集められた多くの新入生同様私も青くなった。これって洗脳のやり口じゃない?厳しすぎるここの環境はわざとなんだ。それか選別しているのかも。目の前の教師たち同様の『ガーレンの魔術師』になれる人材を。


学術機関として名高い『ガーレン魔術学院』はただの魔術師養成学校ではなかった。

何かある。気が遠くなるほど長い間続けられてきた、極めて閉鎖的な伝統の根幹にあるもの。


平和になった今でもこの学院だけはいまだに誰かと戦い続けているように見えた。戦時中のような緊張感が漂っている。ここまで追い詰められなきゃいけない相手って誰?……教会?それもちょっと違う気がするけど。

馬鹿げているけど、そんな突拍子もない思いつきが真実であるような気がした。


3人目の教師によると、この学院で最も大事な才能は魔力量や扱いの巧みさではなく、強靭な精神だという。ストイックを追求するスタイル。吐きそう。


ここまでくると宗教みたい。それがピッタリくる。教師も修道士のようだし。思わずうめき声が漏れた。途端に最初に話をした女性がジロリと私を睨みつけた。その氷のように冷たく鋭い目は「一切の例外を認めない」と言っていた。

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