第9話 港町ダーナス2

ヨアニスと共に教会の外に出た。海の街らしい強い日差しがギラギラと照り付けているというのに、彼はまったく気にかける様子もなく堂々と太陽の下を歩いている。

本当に『ヴァンパイア』なのかしら。異常なほど美しいことを除けば、ただのごく若い青年に見える。


不躾だとは思いつつもついつい見つめてしまっていたら、彼と目があった。普段から異性の熱い視線を受けることには慣れっこなんだろう。咎めるふうでもなく、「早速だけど君、馬に乗れる?」と聞いてきた。


え?馬?「乗れるわけないわ」

彼とは仲良くしないといけないのに、考える前に口からぞんざいな言葉が出てしまう。この悪癖は子供の頃から直らない。たぶん一生直らないだろう。この人生でも。


ヨアニスは肩をすくめた。「そうだよな。ガーレンなんて俺でも行ったこと無いよ。かなり遠いから乗合馬車で乗り継ぐなんて事は出来ないし、徒歩じゃあ君、婆さんになっちまう」


実際どのぐらいかかるか、普段から危険な街の外を出歩いているハンターである彼にもわからないようだった。未熟なこの世界では大陸全土を記した地図なんて相当地位の高い人間しか持っていないから、距離感が掴めないのも無理はない。


「遠出する場合はどうしてるの?」と聞くと、彼は腕組みして「うーん」とうなり、「行商人は独自のルートを持ってるんだよ」といった。

「正直いうと何ヶ月かかるか俺にもわからない。北に向かいながら街から街を渡るしかないだろうな」


私は愕然として彼を見つめた。「それって……大冒険ね」

「そうさ」彼はニヤリと笑う。「君は俺に命を預けることになる。言っとくけど快適な旅ってわけにはいかないよ。はっきり言うとかなり過酷だ。この辺りの荒野を抜けるまでは町も少ないし、魔物もうようよいる。何が起こるかわからない旅だ。俺の言うことは黙って従うこと。いいな?」

「常識の範囲内でなら、いいわ」

彼は肩をすくめた。「君って理屈屋なんだな。しかし大司教のお嬢さんってのはほんとうか?」

「言っちゃうけど、嘘よ。一年だけ世話になったの」

「まぁそうだよな。ヘンレンスのジジィに君みたいな娘がいたら教会がとっくに奪ってる」

「……それどういうこと?あなただって教会に従ってる身でしょ」

「手先みたいに言うなよ。教会は信用できないってことだ。君を正教国じゃなくガーレンに送るってのも妙な話だぜ。奴らは魔術師を嫌ってるはずだ」

「そうなの?」

「俺もよく知らない。でもさ、孤児だろうとなんだろうと、才能の高い子供はみんな手元に置いて教育するんだよ、あいつらは」

「………洗脳?」

「そういうこと。で、話を戻すけど、馬には乗れないんだな?」

「スカートで乗馬は無理だと思うけど、この街の人は女でも馬に乗る習慣があるの?」

「いや、ない。悪いけどさ、その服、売っても良いよな?良いとこのお嬢さんって感じが丸見えなんだよ。ズボンを履けば馬にも乗れるだろ」


だんだん遠慮がなくなって素が出てきたヨアニスは、ちょっと意地悪な顔でヘンレンスさんが絶対にさせなかったこと、男性の服を着ることを要求した。

「もちろん構わないわ」私はニンマリと口の端を曲げた。この面倒なドレスセットを脱いでズボンを履けるなんて夢みたいよ。

彼は眉を顰めて言った。「変なやつだな」


ヨアニスは一度教会に戻ってビターナの部屋から私の荷物を取り出し、街の古着屋へ連れて行った。

裕福でもない一般ピープルが服を仕立てて買うなんてことは滅多になく、必要になった場合にはこうした古着屋で見繕うのが常識なんだそうな。


ヘンレンスさんに与えられた私の服はそれぞれ二着づつあって、下着以外のすべてを売り払い、代わりに実用一辺倒の男性用の服を買うことになった。


古着屋の店主はヨアニスの話を聞くなり驚いた顔をして私と彼を交互に見つめ、慌てた様子で奥に引っ込んでしまった。かわりに現れた奥さんっぽい恰幅のいい女性がきつい表情でヨアニスを睨み据える。なかなかの迫力。

「あんた、そのお嬢さんどうしたんだい?」

「いや、ちょっと待って。違うよ。事情があるがそれは言えない。疑うんならミドラ教会のビターナ司祭に聞いてくれ」

『司祭』と聞いて女性はやれやれと首を振った。「しょうがないね、あんたらの事情は知らないが、その上等なドレスを売ったら山ほど釣りが出るよ」

「いいんだよ。いう通りにしてくれ」


態度も体格も大きな女性はヨアニスを店の端に追いやると、私をカウンターの丸椅子に座らせた。なんとなく心配そうな目つき。もしかして駆け落ちを疑われてるの?私はやましいことはなんにもないと余裕を込めて微笑んで見せた。


女性は深ぶかとため息をついて説明をはじめた。

「女が男の服をただ着るわけにはいかないよ。まず胸をどうにかしなきゃいけないからね。男に見せたいわけじゃないんだろ?」

「え?どうかしら」

「女のハンターの服装でいいなら見繕ってあげられるが、それ以上はうちはお断りだよ」言外にトラブルはごめんだと言っている。

「いいわ。そのハンターの服装でいいと思う。馬に乗りたいのよ」

「わかった。来な」


私はさらに店の奥にある小部屋へ連れて行かれ、下着姿にされて、あれこれ試着がはじまった。

ヘンレンスさんは女性がズボンを履くことなんてありえないって態度だったけど、実際には結構いるみたい。女性用のズボンが売られてるぐらいなんだから。


それでも子供の背丈にあった服はなかったようで、裾を詰め直してくれることになった。料金は差し引くと念を押され、娘さんらしい女の子が決まった服を回収して手際よく作業をはじめた。

いつもの服に着替えてお茶を飲みながら出来上がりを待った。娘さんの手際は大したもので、ミシンもないのにスイスイ縫い合わせていく。本当に魔法のよう。


出来上がった服を差し出す時、彼女は真っ赤になっていた。そしてこっそり聞いてくる。

「あの、もしかして………」私は素早く黙らせた。「駆け落ちじゃないから」

彼女は「そうですか?」と引き下がりながらもしつこく意味ありげな視線を送ってきた。


きっとよっぽどのことがあったんだろうとロマンチックな想像をめぐらしているらしい。

それも仕方ないのかも。魔物がうろつくこんな世界では、生まれ育った街から一歩も出ずに一生を終える人がほとんどみたいだし、旅自体珍しいことのようだから。


ワンピースを脱いで新しい服に着替える。ズボンを履く女性がいるとはいえ、あんまり足を強調するのはよくないみたい。かなり分厚い綿の幅の広いズボンが選ばれた。

上半身にはシュミーズとブラウスを重ね着し、その上から飾り気のない皮のステイズを被って頑丈な編み上げの紐で縛り上げる。苦笑いが溢れた。下着として内側に身につけられるブラジャーが発明されていない以上、どうしてもこれをつける必要があった。


ハンター御用達の幅の広いベルトを腰に巻く。ここに小物を入れる袋とか武器なんかをぶら下げるんだそう。一番サイズの合う乗馬ブーツを履いて、最後に足首まで隠れるフード付きの外套を羽織る。


店の奥から出てくるとヨアニスは気だるげに顔を上げた。顔に『退屈で死にそうだ』と書いてある。それでも着替え終わった私を見ると「似合うじゃないか」と嬉しそうに笑った。


ドキッとする。初めて笑顔を見たかも。片方の口元を持ち上げる皮肉げな笑い方じゃなくて、本当の笑顔。だけどすぐに真顔に戻ってしまった。誤魔化すようにずかずかと店の奥に入っていって勘定を済ませる。

店を出ると、ぶっきらぼうに「次は馬だ」と言った。


急に不安が襲ってくる。昔から運動神経は壊滅的で、小学校での大縄跳びが恐怖だった。

ヨアニスは青くなる私を冷徹な眼差しで見下ろした。

「行商人について行くって手もあるよ。ただそうなると砂漠のバレンに向かうからな。かなり遠回りになるし、あそこは君みたいな子が行くには危険すぎる。商人だって碌なもんじゃない。金になるとなれば君も商品ごと売られちまうよ」

「バレンって?街?」

「ああ。南の砂漠に住むバレン族さ。闇の神々の僕だ。やばい連中だよ。大昔に魔大陸から避難民としてこっちに渡ってきたらしいが、結局はミドラ教徒に追い立てられて砂漠に落ち着いたのさ」


彼の話は大袈裟に言っているのではなくて、本当に治安が悪いらしい。

今でも魔大陸の文化を捨てていない彼らは盗賊となって砂漠を渡る行商人を無差別に襲っているんだそうな。ヨアニスは護衛として雇われて南の国に行くことがあるからよく知っているみたい。


「君みたいな子があんなとこに行けば無事には済まないだろうな。攫って妻の一人にしようとする輩が大勢いそうだ」

「はぁ?」

「そういう奴らなんだ」ヨアニスは肩をすくめた。

バレン族の文化において女性の地位は低く、男は何人もの妻を持つ事が許されており、市場では堂々と奴隷が売られているという。

「信じられない!絶対近寄りたくないわ!」

「じゃ、馬に乗れるようになってもらわないと」

「もちろん大丈夫よ。馬に乗って荒野を旅するなんてすごい体験になるわね」

『馬に乗る』か『女を家畜扱いする国を経由するか』の2択なら『馬』しかない。

ヨアニスは虚勢をはる私を見下ろして、何も言わず呆れた顔をした。すでに私の運動能力は見抜かれているみたい。


結論から言うと、私に乗馬の才能はなかった。

ヨアニスが笑っていたのは最初の方だけで、あまりの駄目さにすぐにうんざりした様子を隠しもしなくなった。


街外れにある大きな馬の専門店では試乗を兼ねてレンタルするシステムがあって、とにかくここの広場で練習をしてから街を出ようということになった。


なんだけど、まず馬に跨るのも一苦労だった。馬商人の人が気を利かせて持って来てくれた踏み台を使ってもなかなか乗れない。馬がこんなに大きい生き物だなんて聞いてない。不安定に動く生き物の背中に乗るのがこんなに難しいとは。


なんとか乗ることに成功した後も問題続きだった。

筋肉が足らなくて姿勢を保てず、しょっちゅうバランス崩しては落馬しかけた。それにお尻が痛い。とにかく痛い。鞍が硬いのもそうだけど、馬の動きが直に尻に伝わってきてとてもじゃないけどじっとしていられない。


ヨアニスの指導は容赦なく、稀に見るスパルタな先生だった。彼は馬が好きみたい。かつてない熱意を見せてはダメな私の指導にあたった。

「尻は鞍の中心に」「馬の好きにさせるな」「綱を引け」だんだん厳しくなる。私が初心者だと分かってない。

とっくの昔に心が折れている私にかまわず熱弁をふるい続けた。「馬は強い動物だ。迷うな。力を見せて従わせるんだ!」

私はついに我慢できなくなって悲鳴を上げた。「そんなこと言われても、こっちは今日初めて乗ったのよ!」

ヨアニスは大きなため息と共に悪態をついた。スラングで意味はわからなかったけど、絶対悪口だと思う。「しょうがないな。ったく、これじゃいつ出発できるかわからないぞ」


屈辱を感じながら彼を睨みつけた。ヨアニスはうんざりだという態度を隠そうともしない。

あからさまに仕方なくって態度で、身体中が痛む私を連れて馬屋を後にした。そのまま街を通って海側の原っぱに向かう。


ヨアニスは私を孤児院に送り届けると一人で教会に行ってしまった。

最初は美しいヨアニスと街を出ると聞いて嫉妬の炎を燃やしたマノだったけど、乗馬の練習をしたと聞いて途端に同情に変わった。本当に心配そうに「その格好、ハンターになるつもり?」と聞く。「ううん。とりあえず馬に乗るための服よ」というとほっと息を吐いた。


「ヨアニスさんはみんなの憧れだよ。子供たちはみんなハンターになりたがる」悲しそうだった。「そうやって荒野に出て、帰ってこないんだ。普通の人がハンターになんかなれるわけないじゃん。気をつけてよ、ヨアニスさんはあんたには別人みたいに優しいけど、あの人は……」

私は素早く言った。「知ってる」


私には優しいなんて、ちょっと誤解してるんじゃないかしら。彼は信じられないほど冷徹な性格をしている。翌日も朝から迎えにきて、身体中の筋肉痛とお尻のアザの痛みに苦しむ私を無理やり連れ出すと強引に馬に乗せて乗馬の練習を再開させた。


練習をはじめて5日がたってもまったく上達が見られない私に流石のヨアニスも諦めたみたい。打開策を持って来た。

「このままじゃ埒があかないな。ビターナが古い馬車を買ってくるっていうからさ、練習はとりあえずいいよ」

「馬車ですって!?そんな手があるなら先に言ってよ!」

「おい、馬車だぞ?気軽に買えるかよ」


そりゃ高価なんだろうけど、初心者を馬に乗せて荒野を渡るなんて元から無理な計画だったのよ。彼の言い訳としては、「俺は一日で乗りこなしたよ」だって。腹たつ。


翌日に業者が持ってきた馬車は、ちょっと想像だにしないぐらいボロだった。一応幌がついているんだけど、半分ちぎれて海風に靡いている。

それでも孤児院の子供たちは大喜び。マノも目を輝かせて「布を貼り直さなきゃ」とやる気を見せた。


馬を二頭と馬車を一台。保存食に水に毛布といった旅の必需品を購入し、その間に子供たちが総出で馬車の修理にとりかかる。孤児院は連日お祭り騒ぎだった。


新しく購入した幌馬車用の布はやっぱりどこかの使い古しで、穴が空きまくっていたからマノたちと街に出かけてはぎれを買ってきた。

孤児院の子供たちと同じつぎはぎだらけのオンボロ馬車。こうやって苦労して修繕すればだんだん愛着が湧いてくるんだから不思議だわ。


荷運び用のボロ馬車でも相当な出費なんだと思う。これもヘンレンスさんの財産から出ているんだろうか。ビターナは何も言わなかった。私も申し訳なさすぎて口に出せない。いつか自分で稼げる立派な大人になったら必ず返そうと心に誓った。


だんだん物資が揃って行くと、いよいよ壮大な旅がはじまるという実感が湧いてきて、ヨアニスも私もついでに孤児院の子供達も興奮気味だった。

ヨアニスはいつかダーナスを出ようと思っていたけれど、貧しい孤児院や問題続きの教会の運営を放っておけず、孤児院を出た後も10年以上にわたってダーナス周辺でハンターを続けていたと言う。


ちなみに彼は50歳を超えていた。『ハーフヴァンパイア』は長命種と言われる部類の種族で、成長後も血を飲みさえすればほぼ永遠に若いままでいられるらしい。

これには開いた口が塞がらない。百合子より年上だったなんて。その割には幼い。特に精神面が。

この旅は、そんな彼の遅い門出でもあるのだった。


ビターナが用意した馬は乗馬用と違って体格が大きく、足が太くて尻尾もふさふさしている。すごく丈夫そうだった。ハンター御用達の馬なんだそうで、嵐や突然の魔物の襲撃にも怯む事はないという。

二頭とも淡い赤毛だったから、名前をアプリとコットに決めた。


ついに出発の朝がやって来た。泣き出す子供もいる中、ビターナやマノと最後のお別れをした。

マノは「いつか私も街を出るわ」なんて強気な発言をする。それがどれほど難しいことか、彼女自身が一番よく知っているのに。

ビターナは何度も何度も「気をつけるように」と念を押し、驚くほど強く私を抱きしめた。


子供の群を押しやってあっさり御者台に乗り込んだヨアニスはほとんどなんの感情も示さなかった。長い付き合いのはずのビターナにさえ、馬を歩かせる直前に顎を上げるだけのそっけない挨拶をしただけ。


やれやれって感じの態度でさっさと町を出ようとするヨアニスに、本当は寂しいだろうと気を使ったら、「せいせいしたよ。こんな街は早く出て行きたいとずっと思ってたんだ」と吐き捨てた。

とはいえ10年も教会や孤児院に力を貸し続けた彼は、きっと自身で思う以上に人がいいんだろう。こんな心ないセリフも痩せ我慢に違いない。


今日はとても天気がいい。空は快晴で、白い雲がわずかに浮いているだけ。素晴らしい出発日和だわ。

常に太陽がギラギラと照りつける乾燥しきったこの砂漠地帯に雨が降る日があるなんてとても想像出来ないけど。

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