第13話 謎のクリスタル

それを発見したのは、荒野の旅が中盤に差し掛かったある真夜中のことだった。

焚き火に入れた聖なる石のおかげか夜でも魔物はあんまり寄ってこないし、たとえ来たとしても熟練ハンターのヨアニスが速やかに排除してくれる。


安心し切って馬車の中で熟睡していた私を乱暴に揺り動かす者がいた。もちろんヨアニスだ。二人旅だもの。

なんなのよ?と瞼を無理やりこじ開けた。深刻な表情で私を見つめる彼の顔を見てようやく緊急事態が起こっているのだと察し、勢いよく起き上がった。


ヨアニスは緊張した面持ちのまま鋭い視線を幌の向こうに向け、「妙な気配がする。ここにいてくれ。……寝るなよ」とだけ言い残して滑るように馬車を出て行った。


さすがに寝れない。あのヨアニスが恐れるほどの何が襲ってきたのかと震えながら待つこと体感で30分、ようやく帰ってきたヨアニスは体を血で濡らしていた。

驚愕する私にどこか不穏な気配を纏いつつも、「返り血だよ」と優しげな笑顔をつくって安心させてくれる。彼は強い。たぶん。戦っているところはいまだに見たことがないけれど、いつも余裕そうだし、怪我をするようなこともない。


ほっとしたものの神経が昂ってとても寝直せそうになかった。ヨアニスが「もうすぐ夜明けだ」と言うのでそのまま起きていることにした。


彼が衣服についた血を石鹸水で洗い流している間に焚き火とランタンの明かりを頼りにあちこちに落ちている乾燥した枝を拾ってきては炎の中に投げ込んだ。新たな燃料を得て勢いを増した炎を二人で囲んで座る。


ヨアニスはくつろぎながらもなんとなく警戒を緩めていないように見えた。それでも「腹が減ったろ。ユリは食いしん坊だからな」なんて言いながら早めの朝食の支度をしてくれた。


よくわからないけど、彼は私にハンターでなくてもできるような仕事、洗い物や食事の準備といったことを頼んでこない。いつも私が寝ている夜中にすべてこなしてしまうのだ。

一度手伝うと言ってみたけど、馬に乗れなかった鈍臭い面を思い出したのか、めんどくさそうに「いや、いいから寝ててくれよ」と言うのだった。


もしかして出来ないと思ってる?それともこれも護衛のサービスの一環なんだろうか。上目遣いにそっとヨアニスの端正な顔を盗み見た。


すると彼の肩越しのはるか向こう、10メートルぐらいだろうか、闇が深くていまいち距離がわからないけど、淡くぼんやりと光っている場所があった。

「ヨアニス、あれ、何?」光の方向に指を差しながら聞いたけれど、彼には見えないようで、目を凝らして首を傾げる。


「うーん、さっきから感じる妙な気配はそれかもな。ちょっと見てくる。頼むから動くなよ」

「やだ」好奇心を抑えられず立ち上がると、彼はいつものそっけない態度で肩をすくめただけで、それ以上止めはしなかった。危険はないってことかな。


私の心を読んだように歩きながら言う。「たぶん『魔力だまり』だろ」

「何それ?」

「俺もよくは知らないけどさ、あるんだよ、なんかそういうのが。たまに魔術師の調査団が出張ってくることもあるけどさ、どうもただの自然現象らしいな」

「ふうん」


光の球は地面から湧き出ているようで、泡のように浮かび上がっては空中で溶けて消えていく。泡自体が白っぽく発光していて、無色透明だけど微かに虹色の輝きをやどしている。シャボン玉みたい。ふわふわして綺麗だった。

だけど目の前まできてもヨアニスにはその光が見えないらしい。それでも何かを感じ取って慎重にあたりを探っている。

「何だか妙な場所だよ。どうも嫌な感じがする。これ以上近付かない方がいい。多分光のエネルギーだろ。俺とは相性が悪いんだ。地下に何かあるのかもな」


ヨアニスは「次の街についたらハンター協会に報告する」と言って離れたがった。未知の現象を警戒しているというより、たんにこの光が苦手みたい。

ありえないほど美しくて強い上に、紳士的な一面を持つ完璧なヨアニスにも意外な弱点があるのだとわかってちょっと嬉しい。


光は闇の中でポワポワと浮かび上がり、誘うように輝いては消えていく。幻想的な光景だった。危険があるとは思えない。私はそっと手を差し伸べた。光の泡は私の手をなんなく通過してふわりと消える。

なんだろう、懐かしい気配がする。ビターナがくれた石から発せられる神聖な力にも似ている。なぜか胸が熱くなって、勝手に涙が込み上げてきた。


ヨアニスの静止する声が遠くで聞こえる。こうして触れているとなんとなく暖かいものに全身を包み込まれたよう気がして意識が遠くなった。


はっと気がつくと、私は荒野ではない、別の場所に立っていた。


そこは何もかもが真っ白な空間だった。

壁一面に四角く区切られた棚が並んでいて、出口は見当たらない。それぞれの棚に正体不明のオブジェが一つづつ飾られている。床はシンプルな白いマーブル模様の大理石のタイル。天井は木製だったけど、それも違和感を感じるほど美しく整っている。


私はあんぐり口を開けて固まった。全てが自然ではあり得ない直線で出来ているし、不気味に思えるほど白かった。ここはどう見ても地球っぽい。それもデザインと内装に莫大なお金を注ぎ込んだに違いないと思わせるような場所だった。

お金持ちのコレクションルームみたいだけど、お店のような感じもする。


夢を見ているんだろうか。それとも今までの一年間の方が夢だったのかも。

そのほうがしっくりくる。確か私、百合子だった時の最後に頭を強打したのよね。もしかしたら現実の体は病院にいて、鼻にチューブを入れられた状態で寝かされているんじゃない?

理性がそう結論づけようとした時、心の奥底にいるもう一人の私が冷ややかにせせら笑った。「よく言うわ。知ってるくせに!」

ドキリと心臓が跳ねた。そうよ、知ってる気がする。だけど、何を?


なんだか怖い。私は少しでも冷静になろうときつく目を閉じて視覚情報を遮断した。すると夜の荒野を吹き抜ける風の冷たさを肌で感じることができた。すごく遠くだけど、呼びかけるヨアニスの声も聞こえる。大丈夫、彼のいる世界の方が現実なんだわ。


もう一度目を開いた。相変わらず白い部屋の中にいたけれど、意識だけが別の場所にいるんだと理解していた。視覚以上体未満ってところ。かなり精密なバーチャルリアリティに近い感覚だった。


もう不思議と怖くなくなっていた。むしろ一度行ったことのあるお店に気まぐれに足を運んだような感覚で足を踏み出すと、それほど広くない部屋の中央に音もなく白い柱が迫り上がってきた。私が再び姿を現す時をずっと待っていたかのように。


その台には見たこともないほどシャープな機械が鎮座していた。上部には窪みがあって、親指サイズの透明な水晶が浮かんでいる。

さらに近づいて結晶の内部に目を凝らすと、複雑怪奇な青い模様が立体的に組まれて浮かび上がっているのが見えた。それは小さな生き物の鼓動のように微かに動いている。


これ、卵なんだわ。なぜかそう思った。すごく綺麗。誘われるように手に取ると、不思議としっくり手に馴染む。手のひらの中で模様が弾けた。


——— 何かがはじまった。そう感じた。


その時唐突に視界がぶれて、意識は遠く離れた地球の豪華な空間から別世界の荒野のど真ん中に立っている私の体へと帰還を果たした。

目の前に心配そうに覗き込むヨアニスの顔があって思わずのけぞってしまった。クラクラする。混乱しながら高速で目を瞬かせた。


「おい。大丈夫か?……ん、それなんなんだ?」ヨアニスは軽く握りしめている私の手を片手で掬い上げた。

ぱちぱち瞬きして懸命に目の焦点を合わせていた私は、自分の手のひらに冷たくて硬い何かが当たっていることに気が付いた。手を開くと、指と指の間で小さな水晶が煌めいていた。

私は驚いて思わずポロリと落としてしまった。それをヨアニスが素早くキャッチする。


いつの間にか地面から湧いていた光の玉も消えていた。真っ暗闇の中にランタンのオレンジのぼんやりとした明かりだけが頼りなく灯っている。

ヨアニスは水晶を摘み上げてまじまじと観察した。早口で今起きたばかりの体験を話すと、彼は穴が開くほど私を見つめた。戸惑いと驚きと、それに不信。端正な彼の顔の表面に様々な感情がよぎっていく。一瞬正気を疑われたかと思ったけれど、そうではなかった。


ヨアニスは声をうわずらせながら大声を上げた。

「待てよ、こいつは『アーティファクト』なんじゃないか!?すごい価値があるんだぞ!」

「何だかわかるの?」

「いや、専門家じゃないからはっきりとは言えないけどさ、ただの魔導具じゃないってことは俺にもわかるよ」

「『アーティファクト』って、古代の人工物のことよね?」

「あん?……ああ、まぁそうかな。古代神人の遺物さ。とんでもないお宝だよ!」


彼は瞳をキラキラさせていた。すべらかな浅黒い頬にも赤みが刺している。珍しく興奮して感情を表に出したヨアニスはクラクラするほど美しい。どうやら本当に珍しい出来事だったみたい。


「俺は長くこの荒野でハンターをしてきたけど、こんな事は初めてだよ。大発見かも知れないぞ!」

私もゾクゾクしてきた。「高価なものなの?」

彼はニヤリと笑う。「間違いなくね」

「あの部屋には他にも色々あったわ」

ヨアニスの瞳が期待に輝いた。私は慌てて情報を追加した。「だけどもう行けないんじゃないかしら。泡みたいな光が消えちゃったもの」

「泡ってなんだよ?」

「だからさっき言ったじゃない。光の泡に触れたら意識だけ移動していて、高級なお店みたいな部屋があって、そこで見つけたのよ。でも光は消えちゃったわ」

ヨアニスはますます困惑したように眉間に皺を寄せた。「それ重要か?」

「たぶん。もう行けない気がするの。光の泡が出入り口だったのよ」


彼は途方に暮れたような顔して私を眺めている。やがて小さく呻くと「とりあえず戻ろう」と提案した。私も賛成する。夜明けまじかとは言え吹き付ける荒野の夜風は凍えるほど寒い。


二人で焚き火のそばに座り直してしばらく経つけど、ヨアニスはまだ考え込んだまま俯いていた。ずいぶん深刻そうな顔つきだけど、何を考えているんだろう。

「ねぇ、何?」

彼は顔を上げた。「いやさ、冷静になってみると、ハンター協会には報告しない方がいいかもしれないな。こいつが本当に『アーティファクト』だとすると、あの下には『ダンジョン』がある可能性が高い」

「それ悪いこと?」

「いや、大発見さ。もしでかい『ダンジョン』だったら大事だ。めちゃくちゃ儲かるんだよ、『ダンジョン』ってのは。利益を求めて大勢が争うだろうな。この砂漠は他に金になるものもないし、相当荒れるぞ」

「なんだか怖いわ」

「そうだ。こいつをハンター協会が知ったら調査団を派遣するだろうし、俺たちも足止めされる。他にも『アーティファクト』があったんだろ?そうなると完全に巻き込まれるぞ」

私はごくりと喉を鳴らした。「どうなると思う?」

「わからん。金持ちになりたいなら旅はいったん中止して、権利をもぎ取れるよう金持ちどもと戦わなきゃならない。それも何年かかるかわからない。発掘するのにも大金がかかるし、命も狙われるかもしれない。うーむ」

「ううん、大変そうね」

「まぁな。ある程度大きなダンジョンだとそれ目当てに街ができるほどなんだよ。金の亡者が群がるのはわかるだろ?」

「そんなに!?」

「ああ。古代遺跡のダンジョンっていったら、珍しい魔物もいるし、他所じゃ手に入らないような貴重な薬草や財宝が手に入るんだ。それもどういうわけか取り尽くすってことがないんだよ」

「へぇ?」私は顔を顰めた。「なんだか欲望の化身みたいなシステムね。都合良すぎない?実は悪魔が運営してたりして」

彼は笑った。「悪魔って悪神のことか?まさか!でもま、そんなダンジョンは滅多に見つからないよ。ただユリが他にも『アーティファクト』を見たっていうから、報告すればかなりの時間を食うって話。ユリが望むならハンター協会と交渉してやってもいいけどさ」彼は深刻な顔をした。「ただな、俺はやめとけと忠告しておくぞ。一応、第一発見者に利益を得る権利があるはずなんだ。あるんだけど、さっき言った通り、一介のハンターなんか簡単に捻り潰されるだろう。やるとなれば相当慎重に動く必要がある」


話を聞いている間、私はヨアニスの端正な眉の間に沈む深い皺を見ていた。答えはもう決まってる。

「あのね、さっきのダンジョン、あれがダンジョンだとしても、もう入れないと思う。私が得られる『アーティファクト』はもう貰っちゃったから」

「それどういうこと?」

「わかんないけど、そう思うのよ」

「……ふぅん。ま、神人にはわかるのかもな」

「がっかりした?」

「そりゃ少しはな。人生に一度あるかないかのでかい当たりかもしれないし。でもさ、ああいうのはかなり専門的な知識を持ってないと結局は大損するはめになるんだよ。俺は関わらないほうがいいと思う」

「じゃあこの件は忘れましょ。二人だけの秘密!」

「二人の秘密か。そりゃいいな」

彼はふわりと笑った。白い牙がチラリと見える、私の大好きな笑顔。私も釣られて微笑んだ。


一瞬の出来事だったけど、今夜の不思議な冒険は一生の思い出になるだろう。いつかちゃんと魔術師になれたら、その時に改めて解明に動けばいい。

私は夜明けが迫っている明るい夜空を見上げた。薄い紺色の空には数え切れないほどの星々が瞬いていて、それぞれが散りばめられた宝石のようにキラキラと輝いていた。

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