第37話 雛の羽ばたき5
ムイは平然としていた。謝ることもなく、怒ってもいなかった。
翌日、同じクラスで会った彼女は何事もなかったように無邪気に朝の挨拶をした。
気まずい空気さえなく、街でのことなんて綺麗さっぱり忘れてしまったかのようで、それは謝罪の意思表示にさえ見えなかった。
昨日のこと、一言謝ってもいいんじゃないの?私の部屋に気味の悪いプレゼントを置いたのは君だよね?
こっちを見てくれることを期待して平然と隣に座るムイの横顔をチラリと見やって、ギョッとした。三つ編みの先の真紅のリボン。窓から投げ捨てたはずの、あのバラに結ばれてたやつにそっくり。
確証はないけど、気持ち悪い。
あの男はムイを使って私を取り込みたいようだったけど、もうムイに対する信頼はとうに失墜している。私だってそこまで馬鹿じゃないし、優しくもない。
昨日の出来事を経て、私たちの間には目には見えない明確な一線が引かれたのだった。
ただ、その後は二人が何かしてくることはなく、私としても相変わらず可愛らしい笑顔で接してくるムイを無碍にもできなかった。
そのまま静かに中等部3年の生活は進んでいき、無事進級して4年生になった。
高等部に進学したパルマやファーシは勉強が出来ない私を心配しながらも高等部生に与えられる広くて立派な寮へ引っ越してしまい、賑やかだった寮は途端に寂しくなった。
それでもたまには様子を見に会いに来てくれた。
二人は黒ローブの上に最上級生の証であるパリッとしたケープを羽織っている。額の『ラーン』も無色透明の水晶から色石に変わっていて、心なしか背筋も伸びて貫禄さえ伺える。もうすっかり『ガーレンの魔術師』の一員といったふうだった。
中等部最終学年に入ると、クラスでは高等部への進学テストの話題で持ちきりになった。
おそらく今まで以上に厳しい審査基準が設けられているだろう。あと一年しかない。学生たちはテストの準備でおおわらわで、誰も彼もが必死な顔をしている。もちろん私も。もう留年は嫌だもの。
ヨアニスにはすべて話してある。
ヘライケルに会った日の翌週に彼のもとへ会いに行った。
正直なところ迷っていた。きっと不用意な行動をした私を怒るだろうから。だけど彼にとってもヘライケルは『敵』になる可能性が高いようだし、情報を出し惜しむわけにはいかなかった。
あの日、暗い気持ちでアパートへ向かい部屋の前に立つと、いつも通り足音を聞きつけたヨアニスがさっとドアを開けてくれた。何も知らない眩しい笑顔が私を出迎えた。
彼はものすごく機嫌が良かった。なぜか得意げな様子の彼に背中に腕を回されて部屋に入ると、奥から脂っこい肉の匂いが漂ってきた。
まさかヨアニスが料理を?と怪訝に思っていたら、いつものキッチン兼居間のテーブルの上に黒い塊がでんと乗っていた。
あまりの懐かしさに破顔する。
ハンターのヨアニスの作る鉄板料理といえばこれ。解体した魔物を焚き火で炙って焼いただけのワイルド料理。表面は固く焦げているけど、中は程よく焼けていてジューシーなのよね。
ヨアニスが用意してくれていた昼食の『骨付きのリブ肉の塊』はもうすっかり冷え固まっていたけど、肉に魔力を通して温め直した。
ヨアニスは「便利だな」と感心してくれたけど、私の方は先週のことをどう切り出せばいいのかということで頭がいっぱいになっていた。
何も言えないまま食器を用意して座り、テーブルを挟んで取り留めのない話をした。
普段はガーレンの大森林で狩をしているヨアニスだけど、最近ハンター仲間から古代遺跡の情報を集めてまわっているらしい。
目標の『高等部卒業』まではまだ何年もかかるのに。
焦る私に彼は「準備しているだけだ」と笑って私を安心させようとするのだけど、心はもう遺跡へと飛んでいるみたい。待ちきれないって顔に書いてある。
すでに学院御用達のハンターとして実績も名声も十分なヨアニスだもの。彼が一声掛ければ、ダンジョンには必須の存在だという『熟練の鍵師』も好きなだけ集まるんじゃないかと思う。
高等部生になれば遺跡調査の名目で中に入れる機会もあるかも知れない。
ガーレンのダンジョンはかなり摩訶不思議なところのようで、学院にもこの遺跡を専門に調べているハンターグループがいるらしいし、テンくんによると『鑑定学』の教師は有名な歴史家でもあって、ダンジョンで発見される魔導具を主な研究対象にしているらしい。
だんだんガーレンに来たばかりの頃に見た、遺跡ダンジョンに潜る夢が現実味を帯びてきた。
初めて遺跡に入るときはできればヨアニスと一緒がいい。森に行く時みたいになんとか許可が下りないものかと思ったけど、「危険すぎて学生では無理だろう」と彼は言う。
話を聞きながら骨と骨の間にナイフを差し込んで切り分け、齧りついた。
あの頃より調理の腕が上がったのかそもそも美味しい動物(あるいは魔物)なのか、焦げた表面をナイフで除くと中はしっとりしていて柔らかかった。塩をかけて食べるとすごく美味しい。
「ユリと言えば肉だよな」ヨアニスがポツリと言う。「しばらく忘れてたよ。ごめんな」
真剣な顔で言うものだから吹き出してしまった。「急に何よ、もう!そのイコールには抗議するわ」
「いやさ、学院に入ってからお前、変わったろ。いつも死にそうな顔してさ。俺がしてやれることは何かって、考えてたんだ」
「それが、肉?」
「ああ。元気でた?」
「……うん。でた」
「ほらまた。なぁ、何かあったんだろ?」心配そうに私の目を覗き込むヨアニス。思わぬ思いやりに言葉が詰まっただけだったんだけど、彼は続けて「どんなことでもいいよ。話してくれたら俺も安心するから」と微笑んだ。
たとえようもなく優しくて優雅な唇。だけど内面の美しさに比べればその美貌もほんの表面上のことのように思える。引き込まれそうな瞳の奥に見える綺麗な魂が、冷えた肉のように固くなっていた私の心をじんわりと暖めた。
「あの、実はね……」
ムイのこと。先週の街でのこと。ヘライケルのこと。またムイのこと。
一度話し出すと止まらなかった。喉につかえていた苦い何かを一気に吐き出すようにしてしゃべり続けた。気づくと涙が頬を伝っていた。ムイとの関係だけじゃない。今までずっと押し込めていたストレスが急に溶けて吹き出したみたいだった。
ヨアニスはとめどなく溢れ出る言葉の数々を神妙な面持ちで聞いていた。
こんな時、彼は決して無防備な私に触れてこない。私が何をしてほしくないかをよく知っている。その距離感が心地よかった。
少し泣くと元気が出た。泣き笑いしながら肉を食べた。ヨアニスも笑う。子供みたいだって。
「大丈夫だよ」彼は力強く頷いた。「もしその学院長とかいうのが負けてユリを奪われそうになったらさ、その時はさっさと逃げちまえばいいのさ。俺に任せろ。うまく攫ってやるから」と笑って片目をつむったのだった。
呆気に取られた。本当にその通りだと思った。嫌なことからは逃げてしまうのが一番。
改めて考えると、『友達』だって学院を卒業してしまえばもう会うかどうかわからない程度の関係なんだし、こんなに悩んで傷ついていたのが急に馬鹿らしくなってきた。
「ありがとう、ヨアニス。何だか軽くなったわ」
「いいさ。これからも俺を頼ってくれよ。肉、食べさせてやるから」
「もう。お肉は食べるけど、私そんなに単純じゃないのよ」
「そうかぁ?」彼は声を出して笑った。私も釣られて笑った。
ユリとなってからの短い人生を振り返るに、『幸せ』を感じていたのはヨアニスと旅をしていた時だった。過酷な旅だったけど充実していたし、些細な思い出の一つ一つが眩しいほど輝いて見える。
学生でいる今は新たなステップへの通過点にすぎない。たとえ中途半端に学院を去ることになったとしてももう大丈夫。
拙いけれど一応は魔術師になっているわけだし、簡単な魔術ならば十分に扱える自信がある。これから自分で開発していけばいい。もう昔ほど足手纏いじゃないはず。
何とかなる。学院に未練はない。
この街にいつまでいられるかわからないけど、それでも未来は明るかった。二人の冒険はまだはじまったばかりなんだわ。
その後もヨアニスは週末が来るたびに私を森へと連れ出してくれた。
勉強の合間の気分転換には最高だけど、パルマとファーシはデートと認識しているらしく、ニヤニヤしながら毎回『キスしたかどうか』を確認してくる。
「そんなんじゃない」と否定すれば「じゃあなんなの」と突っ込まれるのでなるべく黙っていた。私たちの精神的なつながりを茶化してほしくない。
そんな中、いよいよ進級試験のシーズンが間近に迫っていた。
なるべく暗記ものの授業は減らして魔術の実技に重きをおいたクラスばかり選択していたおかげで、今年の進学試験のテスト準備は滞りなく進んでいる。
たまにテン君がテスト勉強中の私の様子を見に来てくれたけど、ほとんど口出しはしなかった。
会っても特に会話をしようとはせず、学習室で並んで座って、図書館の本を静かに読み耽っている。
どうやら私が避けてきたようなクラスばかり取っているようで、積まれた本のタイトルも『旧時代魔術の異端呪文の構成とその変遷』や『脳内記憶における時間論』や『天地創造-不可知領域の始まり』などといったわけのわからない小難しいものばかりだった。
長い冬が来ると試験勉強も佳境に入る。
ファーシが最近ハマっているという趣味の棒編みでウールのマフラーを作ってくれた。4人色違いのお揃いだけど、テンくんだけは恥ずかしがって頑として身につけなかった。
この時期のガーレンは黒っぽい石造りの建物に薄っすらと雪が積もってとても美しい。普段は色合いに乏しいガーレンだけど、雪がかかると印象的なモノトーンの世界が出来上がる。
それに夕方には街にたくさんある魔導具の街灯が温かみのある灯りを灯すから、なおのこと額縁の中の一枚の絵のようになるのだった。
学院の学生は相変わらずホットストーンを持ち歩いて暖を取っている。私の部屋にもこれがたくさんあって、寒さが苦手なナッツはこの石をベッドの中に集めては潜ったままなかなか出てこない。それもまた可愛いけれど。
彼は本来温暖な気候の土地に生息する生き物らしいので、冷涼なガーレンの生活は辛いだろうと思う。
そんな冬も少しづつ幕をおろして、次の季節が顔を出した。
相変わらず風は冷たいけれど、晴れた日にはうっすらと輝く春の日差しが肌を温めてくれる。
学院の誰もが恐れ慄きつつも訪れる時を待っていた、年に一度の試験のシーズンの到来だ。
高等部へ上がるための進学試験は特別扱いで、三週間かけてじっくり行われる。
理由はたくさん魔力を使うから。私のようにほとんど無尽蔵に湧き上がる魔力持ちはそうはいないから、魔力を消費する試験が立て続くと体がもたないためだった。
試験会場にはありとあらゆる甘味(庶民は主に乾燥させたベリー類だけど、お金持ちの子はお砂糖たっぷりのお菓子をポケットに忍ばせている)を食べながら歩く受験生を見かける。
魔術を使うとお腹が減る。甘いものが大好きな魔術師は多いけれど、痩せている人ばかりなのは複雑な魔術制御に大量の糖分が必要なためだった。
ヨアニスは私のことを大変な食いしん坊だと思っているようだけど、それにだってちゃんとした理由があるのだ。
魔術を使う試験の会場にはパーソン先生がいた。
いつも壁際の目立たない位置にいるけれど、私の『魔力暴発事件』は思いっきり誇張されて学院中に広まっていたし、『初級魔術』の授業以外にもたびたび顔を出すようになっていたから、もはや彼の役割は周知の事実となっていた。
緊張マックスだったけど、パーソン先生の顰めっ面を見るとなんとなく落ち着く。これまで口を聞いたことさえないのに、お気楽な私は勝手に応援されていると確信しているのだった。
3年かけて『無詠唱魔術』の鍛錬を積んできた『初級魔術』のテストだけど、私にとっては拍子抜けするほど容易かった。
カップに水を発生させて飲み頃の温度のお湯に変える試験ともう一つ、小さな雷を発生させて木切れに火をつけ、それをサッと消してみせる試験。
中等部の4年生ならすでに日常で使っているような魔術ばかりだし、『戦闘術』のクラスで複合魔術を扱ってきた私にとっては落ちようもない楽な実技試験で、何かやらかすのではと緊張しながら見守っている先生たちが滑稽に見えるほどスムーズに進んだ。
苦手な暗記系座学の試験もなんとか乗り越えられたし、テスト自体は手応え十分だったんだけど、実はあんまり余裕はなかった。いまだに提出してない課題があるのだ。
それは『魔導具製作』。ここ1ヶ月はテスト勉強そっちのけで誰もいない教室の作業台に齧り付き、夜遅くまで作業にかかっていた。
なにしろ課題が『苦手とする属性を使った自由製作』だったのだ。そんなの誰だって難しい。
私は街の魔導具工房からオルゴールキットを購入してきて、音楽に合わせて『影』を踊らせる魔導具に挑戦したのだけど、いつも厳しいカミーユ先生は今回もやっぱり厳しく、メロディーと影の動きがあってないとしつこく難癖をつけてくるのだった。
だいぶ手こずったけれど、試験日程のギリギリまで粘って何とか終わらせることができた。
『魔導具製作』の単位は最終課題の合否にかかっている。しかし才能のない生徒にはことのほか容赦のないカミーユ先生から何度もやり直しを命じられてしまい、ついには提出期限を大幅に引き延ばすという温情を与えられてのやっとの提出だった。
かなり妥協しての合格だったようで、先生の眉間には怒りの深い皺ができていた。それも「まぁいいでしょう」のため息付き。
とはいえ中等部最大の壁であったカミーユ先生の試練を乗り越えてしまえばもう怖いものはない。最後の大トリを飾る『戦闘術』のテストは余裕綽々で挑むことができた。
試験会場のグラウンドの端には見たことのない人たち(たぶん高等部の教師だと思うけど、そうでもなさそうな人も混じっている)が何人も見学に来ていた。この謎の観客のせいで、私も含めて試験を受ける生徒たちは皆やりにくそうにしている。
この『戦闘術』の授業で教わる魔術は特に複雑な魔術を扱う。
大抵は複数の属性を組み合わせる『複合魔術』で、つくり出した炎や水塊を遠くにいる対象へ飛ばすとなると結構難しく、うまく風に乗せないと飛距離を稼げないから、風の属性が大得意な私には願ってもない授業だったけど、苦手な生徒たちはあっちこっちに飛んでいく火球やすごい速さで走る雷にてこずり、失敗した魔術から他の生徒を守るために走り回る教師とで毎回大変な騒ぎになるのだった。
それでも中等部の魔術程度ならほぼ完璧に教師の技を再現できる私。今日の試験もなんてことなく、与えられた課題もいつもの授業でやっているのとたいして変わらなかった。
緊張のあまり火球を花火のように上空に打ち上げて炸裂させてしまった生徒が悪態をつくのをぼんやり眺め、自分の番がくるのを静かに待った。
グラウンドは焦げ臭い土煙が巻き上がっていた。地面もところどころ抉れていて歩きにくい。
順番が来て前に進み出ると、遠巻きに見ている外野たちが一斉に厳しい視線を向けてきた。なんとか気にしないよう努力しながらラインが引いてある定位置につく。教師の一人が頷いて合図を送った。
私は自分の中に渦巻く魔力をほんの少し取り出すと、文句のつけようのない完璧な構成を編んでみせた。目の前でぼんやりと漂っていた魔力が急速に形作られていく。自分でも惚れ惚れする光景。
私は心の中で意地悪く笑った。「どう?満足でしょ?誰だか知らないけど、あなたたちが見たかったのはこれよね」
発生させた火球は尾を引いて先生の作り出した傀儡に命中し、時をおかず頭上に落ちた小さな雷が土の体全体を包み込んで容赦なく丸焦げにした。力を使い果たした土塊は粉々になって大地に還る。最後に水をたっぷり発生させて消火して終わり。
授業の最初の方では頭を抱えていた先生も、今では私を信じるようになっていた。『戦闘術』の腕前は教師陣からもお墨付きをもらっているのだ。
この日が進学試験の最終日。謎の観客からの熱い視線を受けながら退場し、最後にパーソン先生の前を通りかかった時、意を決して止って軽く会釈した。小さく囁くように「ありがとうございました」と日頃の感謝を伝える。
いつもは私を無視して目も合わせないパーソン先生だけど、この時ばかりは唇の端を釣り上げて笑顔らしきものをつくってくれた。
たぶん、この人が中等部で一番お世話になった先生だと思う。
進学試験はなんの問題もなく、当然のように合格していた。
100人以上いる小等部生と違って、『中等部卒業試験』兼『高等部進学試験』を受ける学生が少ないこともあるけれど、合格発表のリストに載った名前は20人もいなかった。今年は特に不作みたい。
ムイも受かっていた。だけど寮へ通じる小道ですれ違った彼女はなぜか浮かない顔をしていて声をかけづらかった。いつも暗いけど、今日はとりわけ落ち込んでいるみたい。難関試験に受かったというのに、どうしたんだろう。
なんとなく避けられているようにも感じるし、すごく気になって、寮の談話室で待ち伏せして捕まえた。
考え事をしながらぼんやり階段を降りてきたらしいムイは驚いて手に持ったカップを取り落としそうになったけれど、私の顔を見て愛想笑い程度には微笑んでくれた。
「あらユリ。合格おめでとう」ムイは貼り付けたような笑顔のまま言った。初めて見る表情。どこか距離を感じて戸惑いながらも、念の為「ムイも合格してたよ?」と伝えると、苦笑いで「知ってる」と返されてしまった。
例の『曽祖父』の件もあるし距離を置くべきだとはわかっていたけど、すごく落ち込んでるみたいだし、謎の正義感に駆られてファーシたちとの『合格祝いパーティー』に誘ってみた。しかしやはりと言うか、あっさり断られてしまった。
あの『曽祖父』に何か言われたのかも。しかし真相は、「お父さんが良く思わないから」というものだった。
毎年この時期に街に繰り出して馬鹿騒ぎする学生がいるのだけど、どうやらその醜態を見たらしい。まぁ、娘が心配なんだろうけど、学院の試験がどれほど難関かムイの父親は知ってるんだろうか。
私の表情を見てムイは自分を励ますように笑うと、「心配しないで。私も騒いだりするの、好きじゃないから。それにね、ヘライケル様が身内だけでお祝いをしてくれるの」と頬を染めてはにかんだ。
ドキッとした。あれをそんなふうに呼んでるんだ。
それにしても笑顔を作りながらもなんとなく悲しげなのが気になる。彼女の心の一部はまだ吸血鬼の支配から逃れようと抵抗しているのではないか、そう思わずにはいられない。
ムイはそれ以上会話が発展するのを嫌がるように視線をそらすと、早足で寮のミニキッチンの奥へ行ってしまった。
今回の『お祝い会』はファーシの家で行われた。
こちらの両親は可愛い娘を近所中で自慢しているらしく、庭でバーベキュー大会を開いたのだけど、ぜんぜん知らない大人や子供が大勢参加していて驚いた。親戚や近所の人らしい。
業者を呼んでの派手な飾り付けのせいか、中には結婚式が開かれていると勘違いして勝手に入り込む通りすがりの人もいて、そんなに広くない庭は参加者でひしめきあっていた。
家畜を飼っている農家は多いものの、肉は上流階級が買い占めてしまうから庶民にはなかなか回ってこない。
大きなパン屋を営むファーシパパは大奮発して、ガーレンの最終学年に受かった自慢の娘のために(本当は去年受かったんだけど)鶏4羽と豚一頭とダンジョンで取れるという祝いもののお肉、『当たりネズミ』1匹を購入していた。もちろん参加者は大喜び。
ただし、森のハンターであるヨアニスがすごく立派な鹿を一頭荷車に乗せて運んできたせいで話題はそちらに奪われてしまったけれど。
一度にいろんな肉を食べられる機会なんてそうない。焼かれた各種お肉を皿に並べてほうばっていると、テンくんが恐怖の眼差しで私をみていた。一歩下がって、「僕は食えないぞ」なんて言う。
彼はそもそもお肉が苦手なたちらしく、胃薬を持参しての参加だった。
ファーシがそっと寄ってきて、「ハンターの奥さんになれば毎日食べられるね」なんて余計なことを言いだした。いつも微妙に確信をついてくるの、何なの?
青くなる私と満更でもなさそうなヨアニス。この世界の結婚事情(仲の良い男女は年頃になると自動的に夫婦になる)もあって、どうやら勘違いされているみたい。
やめろと目で訴えてもニヤニヤ笑いをやめないファーシに手こずっていたら、気を効かせたパルマが「事情は人それぞれ」的な説教をして変に盛り上がっている二人を沈静化させてくれた。
お酒がまわって、酔っ払ったファーシパパがあたりかまわず参加者を捕まえては「うちの娘がどんなに素晴らしいか」を泣きながら説いてまわり出した頃に、ファーシママによって盛大なパーティーはお開きとなった。
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