「お待たせ致しました。お嬢様」


 そう一声かけると、部屋の中から「入って」という短い返事が聞こえる。


「――失礼致します」


 クリスが部屋に入ると、少し体調が回復したのかアリシアがベッドに腰掛けた状態で出迎えた。


「大丈夫ですか。お嬢様」

「ええ、大丈夫よ。心配をかけてごめんなさいね」


 そう言って微笑むアリシアの表情は、どことなく暗い。


「いえ。お嬢様が大変な思いをしていた時、私はおそばにいられなかったので……むしろ謝るとしたら、私の方です」


 クリスがそう言うと、アリシアは首を小さく左右に振ってそれを否定する。


「そもそもクリスは生徒会室に入る事は勉強会以降特例で許可されていたけど、それもあくまで特例。だから、校内に入れないから仕方ないわよ」

「……」


 あっけらかんと答えるアリシアは、いつもと同じように一瞬見えたが、どことなく空元気の様にも見えた。


「そういえば、アインハルトはどうしたのかしら?」

「少し用事があるとの事で、夕方頃に戻られる予定です」


 アインハルトは、本人の言っていた通り。倒れた翌日にはヴァーミリオン家に戻っていた。


「そう。あの子にも心配をかけてしまったわね。いえ、生徒会の皆も……よね」


 アリシアはクリスに問いかける様に視線を向ける。


「はい。皆様とても心配されていました」

「本当に申し訳ないわ」

「それで……お嬢様」


 クリスは「早速本題に……」と言わんばかりにアリシアに声をかけた。


「ああ、そうね。クリスを呼んだ理由よね」

「はい。それに、カナは……」


 今の専属は彼女だ。それならば、彼女もいた方がいいのではないか……そうクリスは判断したのだが。


「カナは……いいわ」

「そう……ですか」


 ――むしろ、カナに聞かれては困る……という様子ですね。


 クリスには聞いて欲しくて、カナには聞いてほしくない類の話……という事なのだろう。


 ――なるほど、つまり『物語』もしくはお嬢様の『前世』絡みの話ですか。


 それならば、納得だ。


「それで……ね。さっきの話の事なんだけど」

「先程の話……ですか?」


 先程の話……というのは多分。クリスが「倒れる前に何を言われていたのか」というモノに対する事だろう。


「実は……ね。覚えているの。内容」

「……」

「でも、カナもクリスにも心配をかけたくなくて……その、咄嗟に」

「……そうでしたか」


 クリスが優しくそう言うと、アリシアは布団に顔を押しつける。どうやら、怒られるとでも思っていたのだろう。


 ――そして今は多分、泣いている顔を見られたくないのでしょう。


 しかし、クリスはそれを咎める様な事はしない。


 ――それにしても「私たちに心配をかけたくない」ですか。


 咄嗟とは言え、やはり自分が倒れてしまった事で周囲に心配をかけてしまったと思ったのだろう。


 ――それで、あの時に起きた事を話す事でさらに心配される事を避けた……と。


 つまり、アリシアが思わずそう思ってしまうほどの事を令嬢たちに言われた……という事なのだろう。


 ――しかし、本当に忘れてしまっていたら……それはそれで心配されていたと思いますが……。


 そうクリスはふと思ったが、もしかしたら「そんな事は忘れて良いんです」と言われていたかも知れない……と考えを改めた。


 ――旦那様を始め、アインハルトや生徒会の皆様はアリシア様にかなり甘いですからね。


 そんな彼らを令嬢たちは本気で怒らせた……という事実をアリシアは知らない。


「では、覚えていらっしゃるのですね。ステファニー様を始めとしたご令嬢たちに何を言われたのかを」


 クリスが再度問いかけると、アリシアは無言で頷き、そしてすぐにポツポツと話し始めた――。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「――なるほど。要するに令嬢たちはお嬢様がカイニス様たちと仲良くされているのが気にくわなかった……という事ですね?」


 アリシアからの話を一通り聞いたクリスは、確認するように尋ねた。


「ええ、そうみたい。ティアの事については他の令嬢は何も言っていなかったから、そちらはその場にいた庶民の方の私に対する評価を下げるためについでで言ったのでしょうね」

「……なるほど」


 確かに、ティアは庶民唯一のSクラスだ。庶民の人たちからすれば、ティアは希望の光の様なモノなのだろう。


 ――もちろん、嫉妬している人たちもいるでしょうが。どちらかというと期待しているという意見の方が多いでしょうね。


 それくらい、庶民の方たちのティアに対する評価は高い。


「アインハルトを始め、カイニス王子やルイス王子。キーストン様にも注意する様に言われていたのに……テストが終わって完全に油断していた気持ちが私の中にもあったと思う。でも、それ以上にあの状況が悲しくてね」

「それは……どうしてでしょうか」


 クリスはその場にいたワケではないが、驚きはしたとしても、悲しみという感情は起きないはずだ。そう思いつつ、アリシアの次の言葉を待つと……。


「私は結局――どの世界にいても、変わらないんだなって事を思い知らされたような気がして」


 アリシアはポツリと呟いた。


「……」


 ――どの世界にいても? それはつまり……? ひょっとして……。


 クリスはそのアリシアの言葉を聞き、ふとこれまでのアリシアの言動で引っかかっていた事を思い出した。


「お嬢様。それは……お嬢様自身に関する事でしょうか」


 唐突に発せられたクリスの質問に対し、アリシアは小さく頷く。


「うん。今までずっと私自身の事は話さなくても大丈夫と思っていたけど、こんな大事になって……それで、クリスにはこの話をしようと思って呼んだの」


 そう言って、アリシアは布団から顔を上げてクリスの方を向いた。その時のアリシアの顔は……何かを決心したような、そんな表情をしていた。

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