キーストンが帰った後。クリスは牢の壁に背を預け、天井を見上げた。そもそもこの『クリス』という名前も親がつけたモノではない。


 ――それ以前に、私は親の顔を知りませんし。


 ステファニーに至ってはラーナ伯爵が自身の親だと信じて疑っていない。物心ついた頃にはすでにスラム街でまだ小さい妹共に道の片隅で小さくしていた。


「君たち……こんなところでどうかしたのかな?」


 そう突然声をかけた身なりの良い男性が……先代が亡くなってすぐのラーナ伯爵だった。


「いっ、妹を助けて下さい!」


 伯爵がその時何を思ってそんな事をクリスたちに聞いたのか分からない。しかし、クリスはそれ以上に必死だった。


 当時、妹はよく風邪を引いていたのだが、その時は特に症状が重く、幼い俺では薬を買う事も医者に診てもらう事も出来ず、困り切っていたのだ。

 そんなタイミングで男性が声をかけてきたので、クリスはわらにも縋る思いで男性に訴えかけた。


 しかし、それがまさかこんな事になるなんて、当時のクリスは思いもしなかっただろう。


 ――ですが、言い方を変えるとこうなってしまったのも自分のせい……と言えるのでしょうね。


 今ではクリスもそう自分の中で割り切っていた。


 ちなみにラーナ家には男児はおらず……いや、そもそもラーナ伯爵は結婚していなかった。

 本来であれば、クリスがラーナ家の養子に入り将来的に現ラーナ伯爵から家業を引き継ぐのが従来の流れのはずなのだが……。


 結果的にそうはならず、養子になったのは病弱ではなくなり物心がついたステファニーだけだった。


 ――まぁ、今にして思以下絵してみると、あの方にとって私は邪魔な存在だった様ですし。


 大方、自分の言いなりになってくれそうな人間がステファニーの婿として家に入ってくれるか、地位の高い人間が婿になれば御の字……という思惑でもあったのだろう。


 そう考えれば、自分が養子にならず手切れ金の代わりにヴァーミリオン家に仕える様になったのも納得出来る……と、クリスは一人で頷いていた。


◆   ◆   ◆   ◆  ◆   ◆   ◆


 実はこの『インフィニティ・マジック』の中の『クリスのルート』ではバッドエンドではアリシアだけでなく主人公も亡くなり、最終的にクリスは世間を騒がす殺人鬼へと変貌してしまうのだ。


 そもそも「アリシアの殺害」は元々の『物語』に登場しており、その中でクリスはカイニス王子の婚約者であるアリシアのワガママに振り回されている優秀な執事という立場だ。


 そして、アリシアが幼少期。カイニス王子との初対面で毒を盛られた事に気がつかず、その責任を負う形で職を追われそうになったところをアリシアに助けられて忠誠を誓う。


 しかし、主人公のティアが現れた事によって状況は一変し、自分の使命とも言える「命令」と「忠誠」の間に揺れ動き、疲れ切っていたクリスにティアはアリシアの執事だという事を知らずに話かける……というところから『クリスのルート』は始まる。


 最終的にハッピーエンドではクリスは今までアリシアがティアに行った事を王子たちに報告し、国外追放になる。

 そして、アリシアを裏切ったクリスだったが、そのヴァーミリオン公爵から「今まで娘のワガママに付き合わせて悪かった」と頭を下げられ、王宮から伯爵の地位をもらい、ラーナ家が治めていた領地を任され、ティアと幸せに暮らす……というモノである。


 そして、バッドエンドでは……。


「っ!」


 クリスは突如走った激痛に顔をしかめる。


 ――ここ最近、痛みがひどいですね。


 元々、クリスの魔法量はステファニーやアリシアよりも多く、下手をすれば王子たちよりも多く。珍しい事に今も増えている。

 そのせいか、近頃は日常的にメガネをかけないと目元が痛くなる事も増えていた。


 ちなみにバッドエンデではこの魔法量に耐えられなくなり、暴走してしまう。そして、その暴走に巻き込まれる形でアリシアは亡くなり、クリスは捕らえられたのだが……。

 刑が執行される前にまたも暴走し、その現場からクリスは脱走し殺人鬼へと変貌を遂げ、最終的に主人公が殺されて『物語』は終わりを迎える――。


 つまり、大元を辿れば「アリシアがカイニス王子の婚約者にならなかった」という時点で、この『物語』は少しずつ変わっていたのだ


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「はぁ……」


 下を向き、呼吸を整えると……不思議と少しずつ痛みは癒える。


 ――お嬢様は……どうしているでしょうか。


 こんな事を思う資格は……殺そうとした自分が思うのは間違っているとは思う。

 しかし、ようやく立ち直り始めたところだったのに……と、クリスは申し訳ないと思いながら、天井を見上げ……ふと見えた月を眺めたのだった。


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