「おはようございます。お嬢様」


 そう言ってアリシアの部屋のカーテンを開け、あらかじめ用意していた紅茶セットを持ち込む。


「うぅ……」

「お嬢様。そろそろ起きて下さい」


 この間の朝とは違い、アリシア様は今も眠そうにしている。


「……」


 あの一件以降、アリシアは比較的元気に過ごされていた。


 その証拠に、クリスの方をジロッと見ているこの無言の圧もどちらかというと「もっと寝ていたい」という抗議のモノだ。


 ――そんな風に私を見られるのですから、随分回復された様ですね。


 一応医師からは「体調面などの心配はない」とお墨付きはもらっている。


 しかし、時間が経ちアリシアの体調が回復すると、旦那様は「娘の意思も聞かずに王子に会わせたからバチが当たったのだ」と今度は自分を責め始めた。


 だが、アリシアはそんな自身の父に対し「そんな事ありません。私は、カイニス王子とお話が出来て嬉しかったです」の一言で、公爵を元気づけた。


 そして、ついでに「ですがこれからは出来ればそういった話は前もって言って頂けると嬉しいです」という言葉もちゃっかり付け加えていた事に、クリスは思わず笑いそうになった。


 その上、見舞いに来たカイニス王子にも「今回お騒がせしてしまって……」と申し訳なさそうに謝罪の言葉を言っていた事には、クリスを含め、一緒にいたメイドも大層驚いた。


「!」


 そして、カイニス王子自身も驚いていたところを見ると、どうやらカイニス王子は風の噂でお嬢様のワガママ気ままという性格を知っていたのだろう。

 だからこそ、この対応には心底驚いたに違いない。

 しかし、当のアリシア本人は最初その事に気がついていなかったのか、周りの反応にキョトンとした表情だった。


 ――ですが、すぐに「しまった」という表情をしていましたね。


 その表情があまりにも面白かっ……いえ、とりあえず何事もなくて良かったと使用人一同ホッと胸をなで下ろした。


 お見舞いに来た王子は、今回の一件でしばらくは王宮の方もバタバタしているらしく、婚約者を決める話は先延ばしになった……という事をお嬢様に伝えていた。


――まぁ今回起きたのが『王子とお茶会をしている最中』という事もありますし。


 クリス自身はそう思っていたが、それを聞いたアリシアは「申し訳ありません、私のせいで……」と申し訳なさそうにしていた。

 だが、カイニス王子は首を左右に振って「それは違いますよ」と優しくしょんぼりとしているアリシア様に声をかけた。


「僕としては、まだ婚約者を決めるのは早いと思っていたんです。僕はまだ五歳ですから。だから、こういう言い方は決して褒められたモノではないとは思いますが、今回先延ばしになって良かったとすら思っていたのです。それに、あなたは被害者です。何も気に病むことはありません」


 サラリと説明され、アリシアは目を白黒とさせていたのだが……


「カイニス王子がそうおっしゃるのなら……分かりました。お心遣い、感謝いたします」


 最終的にアリシアはそれに対し軽くお辞儀をした後、ホッとしたのか笑顔を見せたのだが……。


「いっ、いえ……そんな。元はと言えばこちら側の責任ですので」


 ――そういえばあの時のカイニス王子。お嬢様の笑顔に少し顔を赤くされていましたね。


 アリシアは特に気にしてはいなかった様だが、クリスはその時のカイニス王子の反応に「もしや責任を取るなど言ってお嬢様に婚約を申し込むのでは?」と実は警戒していた。


 ――お嬢様がそれを望んでいるのであれば、私はその意向に沿いますが。


 しかし、このお茶会でアリシアが倒れたのも事実なので、クリスは内心複雑だったのだが、今のところは何も起きずいる。


 ちなみに、今。ヴァーミリオン家の使用人の間では「あの日以降お嬢様が変わられた」と噂になっている。


 ――本当は王宮に行った日の朝から……なのですが。


 しかし、わざわざ訂正する必要もない話である事はクリス自身がよく分かっていた。

 だから、アリシアの専属執事であるクリスはその噂に対し無言を貫き、またカナも同じように無言だった……いや、カナは本当に気がついていなかっただけかも知れないが。


「コホン……お嬢様」

「あ」


 ただ「アリシアが変わった」という事に関しては、クリスも同意見だ。


 あの日以降、使用人に対し無理難題を言う事もなくなり、ワガママを言う事も少なくなった。

 しかし、その代わり……という感じで今の様に「無言で圧をかける」といった行動が見られる様になった。


 ――別にこの位はどうって事はありません。それに、ここには私しかいませんし。


 だが、いつどこで見られているか分からないというのもまた事実……という事で旦那様に頼まれている事もあり、クリスは今まで以上にアリシアの行動に目を光らせる様になっていた。


「クリス」


 紅茶を一口飲んだアリシアは、クリスに声をかけた。


「はい」

「あの、この国の王子の婚約者って……」

「はい」

「絶対貴族じゃないといけないっていう決まりはあるのかしら?」

「……」


 アリシアの唐突な質問にクリスは戸惑ったが、その様子が「何気なく聞いた」という様子だったので「コホン」と咳払いを一つし。


「そう……ですね。王族に限らず『貴族』でも嫁いで来られる方の家柄を重んじるところがありますね」


 一部例外はある。しかし、それはほんの一握りのごく少数だ。


「そっか」

「どうかされましたか?」


「ううん。ちょっとした疑問」

「そうですか」

「うん。ちょっと……」

「……」

「それって幸せなのかなって思って」

「……」


 ついこの間カイニス王子に会い、アリシアもどことなく思うところがあったのだろう。


「お言葉ながら、幸せという事に関して私から言える事はありません。その人にとっての幸せが他人と同じモノとは限りませんから。ただ」

「ただ?」

「身分違いの結婚は『幸せ』に対して障害が多い様には感じます」

「……」


 クリスがそう言うと、アリシアは「続けて」と言わんばかりに視線を向ける。


「そもそも貴族と庶民では常識が全然違います。その中で貴族の世界に庶民の方が来るというのは……たとえその方たちに覚悟があったとしても、簡単な話ではありません」

「……そうね」


 アリシアはそう言って軽く「ふぅ」と息をついた。


「……」

「……」


 今のアリシアの行動と言葉は……普通に見ていれば何気ないモノだったかも知れない。

 しかし、コレが「五歳児によるモノ」と言う話になると、少し話は違う。

 それに、アリシアの専属執事になって二年ほどしか経っていないクリスから見ても、やはりここ最近のアリシアは……どことなくおかしい。


 今までのアリシアはこんな……憂いを帯びた雰囲気も言葉もない、それこそ「子供っぽい」という言葉がピッタリな子供だったはずだ。


 ――そもそもこんな事を私に聞いてくる事自体珍しい……いえ、初めてではありませんか?


「……」


 クリスはあごに手を当てながら考え込んだ。


 今までのアリシアがクリスに話しかけるとすれば、それは大抵が「要求」で「疑問や質問」といったモノは全くと言っていいほどなかった。


「どうかしたの? クリス」

「……いえ、なんでもありません。ところでお嬢様」

「何かしら?」

「ここ最近――」


「あの」


 クリスとアリシアのやり取りを遠目で見ていたらしいカナが申し訳なさそうに二人に声をかける。


「おや、随分長居してしまったようです。それでは私はこれで」

「えっ、ええ。ありがとう」

「……いえ、それでは失礼致します」


 そう言ってクリスはアリシアの部屋から出た――。


「――ありがとう……ですか」


 思えば、今までアリシアに仕えてそんなお礼を言われた事がなかった事を思い出す。しかし、ここ最近はよく言われる様になった様に感じる。


「……」


 明らかに変わった自分の主に対し、クリスは……小さく「フッ」と笑って部屋を後にしたのだった。

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