お嬢様いわく

黒い猫

第0章 いつもの日常

プロローグ


「イヤ! 絶対にイヤー!!」

「……はぁ、またですか」


 年端もいかない小さな少女の抗議の叫びに、自室にいた執事のクリスは作業していた手を止め、思わずため息をつく。


「……どうかされましたか? お嬢様」

「あ、クリス様」


 声をかけた上で部屋に入ると、そこには困り切った顔のメイドと駄々をこねてベッドの上で布団の中で籠城している……多分、お嬢様であろう固まり。

 コレが「たまに」なら、可愛らしいワガママで話は済むのだろうが……などと目の前に広げられている光景を目に、クリスは思わずため息をつきたくなる。


「……何よ」


 布団の隙間から聞こえる言葉と共にギロリと向けられた抗議の視線。

 それはなんとも威圧的で、初めてコレを見た相手はメイドだろうが貴族だろうが大抵は萎縮してしまうほどだ。

 先程から騒いでいる少女の名前は『アリシア・ヴァーミリオン』と言い、この国で絶大な力を持つヴァーリオン公爵の一人娘である。


「……」


 ただ、目の前にある服や靴。それに困り果てているメイドとお嬢様の状況を見た限り。どうやら着替えをしようとしていたところだったのだろう。


 ちなみにこのヴァーミリオン家の当主は絶大な力を有してはいるものの、一人娘のアリシアにはとことん甘い。

 それは、目の前に広がっている服や靴の量だけでなく、その装飾品や物自体の品質の良さからよく分かる。


 ――どれもこれも庶民には一生かかっても手に届かないモノばかりですね。


 そう思いながらも、クリスはふて腐れているおアリシアを前に恭しく頭を下げる。


「申し訳ありません、お嬢様。ですが、突然大きな声がしましたので、何事かと思い、駆けつけてしまいました」


 ニコリとした作り笑顔と悪びれもせず事実を嘘偽りなく言うと、アリシアは今更恥ずかしくなってきたのか、被っていた布団をバサッと放り出した。


「もう! この程度でわざわざ来なくていいって、いつも言っているでしょ! 早く出て行って! 着替えの邪魔よ!」


 そう言って彼女は近くにあった枕をクリスに投げつけ、部屋から退室する様に促した。


「はい、それでは何かございましたら……」


 幼いアリシアが投げた枕はクリスに当たる事なく目の前に落ちた。

 それを拾い上げると、クリスは定型文の様なお決まりの台詞と共に隣にいたメイドに枕を渡し、丁寧なお辞儀をしてその場を後にする。


「……」


 ――このメイドにはこの仕事は向かないかも知れませんね。


 部屋を出る前に、新しくお嬢様の専属メイドの申し訳なさそうな表情を見つつそう思った。

 先程のメイドはつい先日新しく令嬢の専属メイドになったらしいが、優しく小さな事にもすぐに気がつく気立て良いメイドではある。


 だが、少々気が弱い。


 ――それに『メイド』と言っても、令嬢の身の回りの世話だけが仕事ではありませんし、彼女の仕事ぶりを見る限り丁寧にやっている事は分かります。


「ふむ」


 出来ることなら、彼女が根を上げる前にメイド長に進言するのもありか……とあごに手を当てながら考え込んでいると……。


「ねぇ聞いた?」

「聞いた聞いた。今日もすごい声だったわよねぇ」


 ふとそんなメイドたちのおアリシアに関する陰口が聞こえてきた。


「ふむ」


 通常、大きな力を持つ家の令嬢の専属メイドとなれば、みんな最初はその話を喜んで引き受ける。

 しかし、アリシアの性格を知り無理難題の数々を前にすると、人は離れていった。


 そうして今まで彼女の専属メイドになって辞めていった人たちは片手では数えられないほどの人数だ。

 そして、その人のほとんどが「彼女のワガママ気ままな要求について行けない」という理由で辞めていった。

 本来はメイド長に自主申告をしたのち別の仕事に回るのだが、中には精神的に参ってしまい、屋敷を去ってしまう者も少なからずいた。


 ――それにしても、あのメイドを見る限り、彼女は辞めていった人たちの中では後者に入るでしょうね。


 ふて腐れているアリシアを前に、怒りを隠して笑顔を引きつらせている様な感じはない。あの反応はどちらかというと……。


「あっ、あのクリス様」

「はい?」


 考え込んでいたクリスを呼ぶ声。振り返ると、そこにいたのは先程のメイド。


「どうかされましたか?」

「さっ、先程はありがとうございました」


 そう言ってメイドは頭を下げる。


「……」


 しかし、クリスは頭を下げられる事も礼を言われる様な事をした覚えもない。


「先程、お嬢様のお着替えが無事に済みました。申し訳ありません。不慣れなばかりに」

「……」


 ――その事ですか。


 アリシアの性格は……まぁさっきも見たとおりの自分思い通りにならなければ大声で騒ぎ回る子供だ。

 その上、父親が自分に甘い事を理解しているのか、とにかくワガママで気ままでその上気分屋である。


「気にする必要はありませんよ。先程あなたが用意していた服も『いつも』であれば喜んで着ていましたから」


 そう、このメイドは何も間違った事はしていない。何せこのメイドは『いつも』アリシア自身が喜んで着ていた服とそれに合う靴を選んでいたのだから。


 ――しかし、彼女言うところの「今日はそんな気分じゃない」という突然の要求に、このメイドは困惑してしまったのでしょう。


 ただ、アリシアの持ち物はほとんど『いつも』のカワイイ系統で揃えられているのだから、突然そんな事を言われても対応する方はたまったモノではない。


 ――そもそも物がないのですから、対応しようにも最初は戸惑ってしまうでしょう。


「いえ、これからはそういった事にも対応出来る様にすればいいだけなので」


 そう言ってメイドは俺に一礼してその場を去る。


「……健気な方ですね」


 それでいて真面目な性格でもある。だからこそ、アリシアは腹が立ったのだろうか。


「……」


 今は『お茶会デビュー』もまだしていない事もあり、このワガママで気ままな性格も知られていない。


 ――しかし、今のままではとんでもない令嬢になってしまうのは目に見えていますね。


 ただ、それを咎める人間もいない。その辺りは「さすが大きな家の令嬢……」とも言うべきだろうか。


 そんなお嬢様であるアリシアはクリスと十二歳離れている。

 そのせいもあったのか、アリシアから見てクリスは執事でありながら『兄』の様な存在になっていた。


 ――お目付役という事なのでしょうか。さすがにまずいと思った伯爵は、自分では強く言う事が出来ない事も考慮し、そういったところの世話も俺にする様に言ってきましたからね。


「……全く」


 自室に戻ると、クリスはガラリと窓を開ける……と同時に入ってくる鳥の足元には『手紙』が巻かれていた。


「――はぁ」


 ため息混じりにその『手紙』の内容をすぐに確認し、自分で書いた別の『手紙』を鳥の足元に巻き付け、飛び立たせる。


「……」


 無言のまま見つめる自室の机の上には、今までの『手紙』と称した『報告書』の数々――そう、クリスには誰にも言えない『ある秘密』があった。

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