「……」


 ――思い返してみると、お嬢様は今日の朝から様子がおかしかった様ですね。


 クリスは執事の中でもアリシア専属の執事で、お屋敷の執事とは少し業務内容が異なっている。


 まずアリシアを起こしに行く事から始まり、その前に目覚めの紅茶をスタンバイしておく。


 アリシアは朝に飲む紅茶はスッキリとした味のモノを好むのだが、たまに「今日は甘い物を飲みたい気分なの!」と言われる事もある。

 しかも「カップが気に入らないやり直し!」と言われる事もあるため、クリスとしては、毎日朝から気が抜けない。


 ――まぁ、それは私が不甲斐ないというのもありますが。


 自分の主の好みはキチンと把握しておく事。コレはこの家に来たばかりの頃に年配の執事長に言われた事だ。


 しかし、今日はそんな事を言われる事はなく、それどころか「美味しい、ありがとう」とまで言ってくれた。


 ――そういえば、私がお部屋に行く前からお嬢様は起きていましたね。


 いつもであれば、アリシアはクリスに起こされて目を覚ます。だが、今日はクリスが部屋に入った時点ですでにアリシアは起きていた。


 ――しかも、なぜか部屋を右往左往していましたね。


 自分の部屋ならば、そんなに周囲を確認するような行動をする必要もないはずだ。

 その上、メイドである『カナ』が用意した服も文句一つ無く黙って用意されていたモノを着てくれたという。

 昨日散々文句を言われていたカナは「嬉しい」と言うよりは「大丈夫ですか?」という心配の方が勝ったらしく、ものすごくオロオロとしていた。


「あの、お嬢様」


 そうして着替えや身なりを整え終えた際に、カナは普段のアリシアとは全然違う様子に「お医者様をお呼び致しましょうか」と恐れ多いと思いながらもそう進言したらしい。


「こんな事で医者を呼ばなくていいわ」


 アリシアはカナの言葉に対し、そういつもの威圧的で冷ややかな視線と返事をした。


 ――その様子を見て「よかった。いつも通りのお嬢様だ」と思うカナもおかしな話ではありますけどね。


 しかし、残念ながらクリスはその時、ちょうど旦那様に呼ばれていたため、その様子をその目で見る事は出来ていない。


「……」


 それに、他にもいつも「暇だ」と言ってまるで暇つぶしとも言わんばかりにカナたちメイドに無理難題を振りかけるアリシアが『書斎』にいたのには驚いた。


 実は、アリシアは活字が苦手としていたのだ。


 それこそ、机の前で数刻もジッとしている事が出来ない。そんなアリシアが本しかない『書斎』にいた。普段の彼女を知っている人たちにとっては驚かない方が無理な話……というくらい驚きである。


「……」


 正直、クリスが旦那様に呼ばれる少し前から色々とメイドたちから「お嬢様の様子がおかしい」との報告は上がっていた。

 しかも、クリスが「王宮行きが急遽決まった事を伝えた際アリシアは何かを決心したような表情を見せた。


 その様子からクリスも「いつもお嬢様と違う」と思っていたのだ。


 実は、基本的にアリシアは自分の基準の『かわいい』だけでなく『限定品』や『高級品』にも目がない。その上、父のヴァーミリオン公爵は娘のアリシアに対しては財布のヒモが緩むのか金を惜しまない。


「だからこそ、お嬢様は『世界は自分を中心に回っている』とすら思っているほどのワガママに育ってしまった」


 それは周囲からはそう指摘されてしまうほどである。


 ――ですが、今回は急遽決まった事。突然の外出にお嬢様は確実に怒ったでしょう。しかし、急遽ではなく「王子との対面」という内容だけなら、いつものお嬢様であれば確実に喜んだはず。


 なぜなら『第一王子の王妃』というのはアリシアでなくとも貴族の女性が誰もが憧れる存在だからなのだ。

 しかし、この話は突然出て来た話。

それが分かっていたから、クリスはアリシアからの次の一言を身構えていたのだ。


「……そう、分かったわ。すぐに準備しましょう」


 しかし、クリスたち周囲の反応とは真逆と言っていいほど、アリシアはクリスの言葉に冷静に答えた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆  ◆


「……」


 そうして今に至っているのだが、せっかくの第一王子との初対面なのにも関わらずアリシアはピクリとも動かない。


「……お嬢様。どうかされましたか?」

「あ」


 俺が声をかけた事でようやく我に返ったようにアリシアは動いた。どうやら王子を見入っていたのだろう。


 確かに、第一王子である『カイニス様』はとても整った見た目をしている。


 ――幼少期でこの可愛さであれば、将来が楽しみですね。


 完全に他人事ではあるが、ただの公爵家に仕える執事のクリスですらそう思ってしまった。

 だからこそ、アリシアが固まってしまったのも無理は……いや、どちらかというと、今のアリシアの反応は「どうしよう」という感じだった。


「――失礼致しました。私、アリシア・ヴァーミリオンと申します。本日はお招き頂きありがとうございます」


 可愛らしくニコリと笑ったアリシアにカイニス様も笑顔でそれに応える。


「……」


 今の一連の動作を見た人は特に気にはしなかっただろう。

 現に、公爵も固まったアリシアを最初こそ心配したモノの、今はあまり気にしていない様子だ。


 しかし、クリスは「先程までお嬢様が固まっていたのは『緊張』からくるモノだと解釈していましたが、実際はそうではないかも知れませんね」と思っていた。


 なぜなら、第一王子を見たアリシアの表情は『恋する乙女』ではなく、むしろ『戦に出る戦士』と表現しても良さそうな……そんな勇ましいオーラの様なモノをまとっていたからだ。


「……」


 ――どうやら王子も私と似たような事を感じた様ですね。


 しかし、最初からアリシアの近くにいたクリスは先程からアリシアを見ては思わず首をひねりたくなっていた。それくらい、今のアリシアはいつもと違っていた。


 ――お嬢様に色々と聞きたいところではありますが……今はとりあえず。


 クリスは今すぐにアリシアに「お嬢様、いつもと様子が違い過ぎます」と言いたかった――。

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