第10話 皇女の悩み

「ありがとう、莉花」

「いいや、そんなことはない。役に立てて嬉しい」

 二人は夜道を歩いていた。周囲の道には白い灯籠が置かれている。それは全てジャスミンの花が刻まれているのだ。

「……珍しいか?」

「え?」

 透弥は莉花に聞き返す。

「あれはもうすぐ聖誕祭があるんだ……皇女様の」

 自分の、とは言わずに莉花は思わず身分を隠した。その長い亜麻色の髪を耳にかけながら自嘲気味に話す。

「城下町だけだ。皇女様の誕生をお祝いしてくれるのは。皇帝陛下も、后妃様も、全く娘に関心がないから……」

「…………莉花の家も、そうなのか?」

 莉花は困ったように笑った。

 それを、肯定と彼は受け取ったのだろう。

「じゃあ、誕生日が来たら教えてくれよ。なにかプレゼントするよ……その時に、俺がいればだけど」

「あ……じ、実は私の誕生日、皇女様と同じなんだ! だから、その……明日、なんだ。だから、先にもらっても良いか? 明日は、来られるか分からないから」

 自分でも何を言ってるのか全く分からなかった。

 ただ、ひとつ。相手を困らせるような願いがあった。それを、多分、叶えてほしいのだ。

「いいぞっつっても手持ちの金はあんまり無いけど……」

「金品はいらん。代わりに……」

 フードを目深く被った彼を莉花は見つめる。

 その黒い影のベールの下にある素顔を。


「貴方の顔が見たい」


 透弥はその言葉に咄嗟に後ろに身体を引いた。莉花の行き先を失った手が宙を彷徨う。

「すまない、無神経だったか」

「い、いや、違う!」

「違う?」

 透弥は頭を掻いた。

「……この顔は、呪われてるんだ。多分、おぞましいものだから……嫌われたら、嫌だなって」

「嫌うなんてそんな! む、むしろ……呪われてたとは知らなかったけど、顔を見せてくれなんて、不躾なこと訊いたな」

 呪われて醜い顔になると言うのはよくあることだ。

 当人ではなく腹いせに子や兄弟が呪われると言うのもよくあるし、なんなら神獣による呪いとかもある。

 そうとは知らずに、失礼なことを。


 莉花は胸の辺りを抑えた。

「……醜い顔だが、それでも」

「醜いかなんて、見ないと分からないだろ!」

 やや食い気味の答え。透弥は、多分笑ったと莉花は思った。

「それに、醜くてもそう言わない」

「別に言っても良いんだぜ、それは」

「……だから、お前の顔を見たいんだ」

「良いぞ」

 彼のことを思わず見た。

「え?」

「フード、取って良いぞ」

 莉花はその言葉に従う。白い細い指先は震えながら彼のフードの闇に滑り込んだ。それから、はらり、とフードが落ちる。


 息を飲んだ。

「……綺麗」


 顔の半分を覆う水晶の鱗は月明かりに照らされて七色に煌めいていた。黒い烏の濡れ羽のような髪は首の後ろでひとつに束ねられている。

 王族には彼よりも整った顔立ちの人間がいた。

 なのに、莉花の心を奪ったのはこの東洋人の顔だった。

「どうだ?」

「……綺麗だ、透弥。私が知るなかで、一番、綺麗だ」

 その言葉に照れたように伏せられた黒い瞳。莉花は彼の姿を網膜に焼き付けた。だってそうしておけば大丈夫だと思えたから。

「クリスタル・ドラゴンの鱗……本当に水晶なんだな。剥がして持って帰りたい」

「はは。剥がすのは痛いから勘弁してくれ。代わりに、これをやるよ」

 差し出せとジェスチャーされて莉花は訳も分からずに手を差し出した。その手に乗ったのは一枚の鱗だった。

「これ」

「右手の手首の。初めて抜けたやつだ。ああ、ちょっと貸せよ。穴開けてやるから」

 器用に穴を開けて紐を通してくれた。莉花はそれを首にかける。竜の鱗はそれ一枚でうん十万円の価値がある。だがこれにはそんな見せかけの価値以上の何倍もの価値があるように、感じた。

 指先でそっとなぞりながら微笑む。

「……ありがとう、透弥」

「ただの脱け殻だぞ」

「ううん。大切に、する」

 莉花はそれを額に当てた。それだけで胸が暖かくなっていく。それなのに、時刻は既に門限前だった。もっと話していたい。

 もっと触れていたい。

「……帰らなきゃ」

「おう。二、三週間はここにいると思うから。暇なときはこの時間に」

 莉花は頷いた。明日の祭典を見ると良いと言うと彼は笑った。それが、嬉しかった。



「莉花様。こちらの装飾品は?」

 式典の前。侍女にかけられた言葉に莉花の頬は桜のように赤くなった。それを見て侍女は何かを察してクスリと笑う。

「大切なものなのですね」

「う……よ、良ければその、今日、着けたいのだが……礼服は、あるか?」

「ええ。本日の服は白いものにございます。よく生えるでしょう」

 宮廷の中はとても窮屈だ。父も母も自分を見ない。めちゃくちゃになってる。今日の式典にも二人はでないだろう。

「……だから、バレないかな」

 透弥を思うと痛む胸を抑えて侍女に聞けば、勿論だという答えが返ってきた。あの人たちが分からないなら大丈夫だろう。


 ただの少女としての莉花を慕ってくれた青年の一部が、どうか皇女としての莉花を支えてくれれば良いのに。

 そんな願いと共に莉花は出窓に出た。

 そして目が合った。合ってしまった。

「ッ……!!」

 ――あの青年と。


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