第26話 勇者ロベルトの憎悪と

 焚き火の薪がはぜる。透弥は枝で燃え盛る枯れ葉を動かした。

 龍神の里を出て早五日。

 一行は砂漠で野宿の仕度をしていた。ブレイブとアーノルドが食事の仕度をしてくれて、セオが野宿のためのテントを作ってくれた。もうあとは寝るだけ、と思った時だった。

「そもそもなんで、主は旅に出たんだ?」

 ブレイブが口を開いたのは。


「……話してなかったか?」

「話してない! 私も聞いてないぞ!」

「マジか。莉花にも話してなかったか」

 布団を敷きつつ、話をする。と言うか、ブレイブはなんで透弥を主と呼ぶのか、目下の謎である。

「……俺の両親は、村の掟を破ったんだ。村から出てはならない、って言うな。俺はそのせいで、幼少の頃から村の外れに住んでた。別に、それについてどうこういうつもりはないぜ」

 ただ、捨てられたと言う言葉にできない屈辱のようなものを感じていた。掟を破る人間をとことん憎んだ。大嫌いだった。

「俺がこいつを抜いた日に、村はケモノに襲われた。幼馴染みのガキがさ、襲われてて……俺は、それをどうこうする力は持ってなかったんだ」


 だけど、目の前に剣があった。


「俺にはとても大きな選択だった。抜けば俺は両親と同じ人間だと思った。だけど、その時思ったんだ。俺が一番怖かったのは……人が、死ぬことだ」

 両親を村で待ち続けた透弥にとって怖かったのは、両親が死んでしまっていることだった。

「置いていったとしても、俺にとっては両親だ。帰りを待っていたい。だから、もう二度と帰らないことがなによりも怖かったんだ」

 だから剣を抜く覚悟がすぐにできた。

 いや、というよりも。


 それを選ぶしかなかった。


 その資格が偶然自分の手にあって、だから抜くことにした。抜いたことを何度も後悔した。あの村が結局、帰りたい場所で、だけど呪いを解くまでは帰れない。

 ケモノを殺すのもその延長だ。

 あれは人の命を奪うから。だから殺して、もう感謝されなくても。ただ、誰かのために戦おうと決意をした。


「まあ、それだけだ。だからちょっと……ほんのすこし、覚悟が足りてない。ごめんな、頼りなくて」

 弱々しく笑う彼に誰もが見守るような穏やかな表情を浮かべた。

「私が透弥と来たのは、お前が一人になるのが悲しいからだ。お前は優しいから、きっと多くを拒絶するだろうと思ってた。そして……お前のために、国を捨てても構わないと思ったんだ」

 莉花はそう言うと焚き火の薪を増やす。仄かな熱が透弥の冷えきった手に届いた。その熱に浮かされそうになる。

「ワタクシは村長に頼まれました。必ず、透弥様を白国村に連れて帰ります。誰がなんといおうと」

「……ありがとうな、ハゲ丸」

「ワタシも! ワタシもいます!」

「分かってるよ、アーノルド」


 仲間だと思えて淡く微笑んだ。ここにいるのは透弥の仲間だ。ここまでの旅、もっと楽しめば良かったかもしれない。だけど。

(……少しだけ、許してくれ)

 父と母に謝る。

 重くなってきた瞼をゆっくりと瞬かせながら、透弥は莉花に寄りかかっては悪いとブレイブの方に肩を寄せた。

「……眠いのですか、我が主」

「…………ああ、少し……少しだけ、な」

 駆け抜けてきた日々を、村で立ち止まっていた日々を。それら全てを犠牲にして、今は少しだけ、歩調を合わせていたい。

 ブレイブの手が透弥の頭を撫でる。そのリズムに身を任せて、初めて深い眠りに落ちた。




「……今日は、はっきりと見えるな」

 誰かの声がする。眼を開けば、あの忌まわしい男……勇者であるロベルトが真っ暗な空間に立っていた。

「よう。こうして話すのは初めてだな」

「……」

 透弥は答えたくなかった。だが相手はなんだか面白そうに笑う。


 まるでその態度が可笑しいと言うように。

「そんな風に斜に構えるなよ。男前が台無しだぜ、透弥クン」

「……斜に構えてる理由を考えろ」

 勇者ロベルトを憎んだことも、嫌ったこともない。ただ、彼にたいして抱く複雑な感情に折り合いを付けられないだけだ。

「それで? 現れたのはただ時間を潰すだけなのか? 勇者ロベルト」

 その言葉にロベルトの瞳がぐるんと落ちた。黒くて底なし沼のような眼をしたロベルトの手が肩を掴む。

「……お前に聞きたいんだ」

「な、なんだよ」

「……なあ、お前は……お前は何故、なにも、憎まないんだ」

「は?」

 ロベルトの声は震えている。でも、それは緊張ではない。怯えでもない。


 ただ、理解できずに怒りと悲しみが募っているから。

「お前は何故、憎まない。憎悪とは人間の根本的な感情じゃないか。最も人らしい感情じゃないか。あれだけのことをお前はされたのに。だとしたら当然に憎むべきだろ……オレの! ように!」

「なに言ってるかわかんねぇよ!」

 手を凪払い距離を取った。ロベルトは胸をかきむしる。その口からこぼれるのは、何故という問いだけだった。

「なんでだ……なんでなんだ、トーヤ。お前だけなんだ……あとはもう、オレサマはお前にすがるしかねぇんだ……」


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