第27話 憎悪するもの、憎悪できないもの

「……ロベルト。あんたは勘違いをしてるよ」

 焦燥しきったロベルトに声をかけた。彼は、恐る恐る透弥を見上げる。その青い瞳が怯えたように揺れていた。

「……俺はただ、そんな辛い目にあってないだけだ」

「違う。お前は、自分が貶され蔑まされたときは憎まない。だが、誰かが傷付いたときに烈火のごとくなにかを憎む。なんでなんだ? 人ってのは利己的な生き物のはずだ。自分のために生きてるはずだ」

「……それでも、なにも憎まない。俺の大事なものはもう決めたから」

 思ったよりもずっと落ち着いた声が出た。

 自分よりも価値のあるものを見付けたから、だから透弥は憎むのをやめた。止めることができたのだ。

「……両親に捨てられても、お前は憎しみではなく希望を持っていた。白国村を追われても、そこには憎悪はなく覚悟があった。流里で石を投げられたときも、お前はただ諦観していた。それで憎んだって良かった。それなのに、お前はそうしなかった。なあ、なんでだ? なんでなんだ??」

「……それは、憎くなかったから」

「そんなはず無いだろ!!」

 その瞬間、ロベルトの声に応えるように床が砕け散った。真冬の海のような水に落ちていく。その闇のなかで声が聞こえた。

《……………………………………憎い》

 それは反響する震え。水のなかを無数に駆け抜けるその音。水底はよく見えず、ただ奈落のような闇がどこまでも広がっていた。

 そして、声はその水底から響いてくる。

《憎い…………憎い………………憎い、憎い……くい、憎い、憎い……憎い憎い憎い憎い憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い……憎い、憎い……憎い》

 その言葉に透弥は慌てて冷水を蹴った。

 このままでは多分取り込まれる。陸に這い出した透弥の前にある机と椅子に、二人が座っていた。


「……母さん? 親父?」

 いつも通り透弥の声は届かない。

 二人は机の上になにかを広げていた。

「これで五宝のうち、四宝が集まったな」

「ええ、これで帰れるわ……あの子、大きくなったかしら」

「なってるよ。透弥は、おれと花の子だ。きっと賢くて強くて逞しい」

「ええそうね、嗣」

 背筋がヒヤリと冷えた。

 この光景がいつのものかは分からないけれど、だけど、四宝が集まった?  五宝の中で四つ?

 だとしたら――なんで――。

「……なんで、帰ってきてくれないんだ? 父さん、母さん」

 いやそもそも集まったのならば何故こんな風に散り散りになっているのだろうか。脳みそが拒絶した嫌な考えが頭のなかをエンドレスループで回り始める。

 もしかして。

 いや、もしかしたら。

 両親は、もう――。



「透弥、大丈夫かの?」

 寝袋の中で透弥は声をかけられて眼を瞬かせた。そこにいたのは、セオだった。

「……セオじい」

「魘されておったぞ? 何かあったのか?」

 答えにくくて黙った。


 アマル=ダガンで見た螺旋階段を思い出す。

 あれのように、透弥の考えはどんどん深みへと落ちていく。そして、どんなに堕ちても答えはでないことが分かっている。

「……透弥。眠りなさい」

「でもっ! 寝れないんだ! もしかしたら……もしかしたら……」


 セオの肩に頭を乗せられる。彼は慈しむように頭を撫でてくれる。

「〝イラクサを七度結び、芥子の実を一つ口にする。ラベンダーの煙は眠れぬ者を眠らせる。微睡むのは幼子。眠れぬ者には等しく砂の精霊の魔法をかけよ。瞼は今や鉛の如く。乳白色の海の底、暖かい母の腕。門よ開け、眠れぬ者よ〟」

 セオの声が深く脳の奥まで届く。それはまるで子守唄のようだった。再び微睡む透弥の肩にかけられた毛布を握りしめた。

「大丈夫。大丈夫じゃよ。目が覚めれば、どんな悪魔も怖くないからの」

 鼻腔を満たすラベンダーの香りに瞼が重くなった。


***


「……さて、ここが森の民の住む森なんだけど……セオじい。なんか歓迎されてないみたいだぜ」

 龍神の産道の麓の村の下にはあらあらしい砂漠が広がっていた。そしてそこで一泊し面倒だが迂回をしながら森に来たわけだが――。

 何故か、弓を向けられていた。

「近付いてきてみろ、呪い付き! 貴様のような穢れた存在を我らが聖域に迎え入れると思うたか!」

「今すぐ立ち去るがいい、愚かなものよ!」

「龍の気を纏う痴れ者が……」

 言ってる内容的に透弥が森を通るのは難しそうだ。

「……仕方ないです。迂回しましょう」

「そうするか、ハゲ丸」

 仕方なく迂回する道を考える。少々長旅になるが、まあ仕方がないだけだろう。それくらいはもう覚悟の上だ。

「……お待ちなさい、旅人よ」

 透き通る声に呼び止められて透弥は振り向いた。


 白銀の髪の美女が微笑む。長い耳と、勿忘草の色の瞳。控えめに言っても彼女は、絶世の美女だった。彼女は春の日差しのような笑みを浮かべている。

「初めまして、こんにちは。私の名前はシルフィーリア。シルフィーリア・クラリスと申します。まずは我が民がしたことをお詫びます」

「いや、その、それは別に」

「いいえ。失礼があれば頭を下げる。人として、当然のことだわ。ねぇ、セリューン」

 甘えるような言葉に、側に控える薬師のような男はボソボソとシルフィーリアに嫌味を伝えたようだった。

「ふふっ。セリューンはすぐにそう言うのだから。まあいいわ。それよりも……ごめんなさいね」

「え?」

 彼女は酷く悲しそうに話を始めた。

「……龍の呪いを受けたものを森の奥グリーン・パレスに招くわけにはいかないの。今はそうでもないけど龍の縁者と森の民……いわゆるエルフの縁者とはこの距離だし確執があってねぇ……龍の縁者はとにかく」

 彼女はブレイブを見る。縁者って種族ということか。

「……呪い持ちを招き入れられるほど、私たちは今裕福ではないわ。本当にごめんなさい。ふるくは呪い持ちをこそ招き入れ、その進行を緩めるのが私たちの役目だった」

「失礼ですが、何故それが出来ないのですか? 森の民は裕福だと王より聞き及んでおります」

 ブレイブの言葉にシルフィーリアの表情は厳しいものへと変わった。


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