第28話 決意、覚悟、押し問答

「貴様! 女王に対して」

「お待ちなさい」

 隣に控えていた薬師の発言を手で遮って、彼女は悲しそうに目を伏せた。

「……ええ、そうよ。余裕がないの。勇者ロベルトがからは瘴気が濃くなったから。そしてエルフの中にも瘴気の影響で闇化した者がいるの」

「……………………は?」

 勇者ロベルトが、殺された?

 それは、どういう意味か。


 おとぎ話によるのなら、勇者は満足して死んだはずだ。その仇を討ち、子供たちに見守られながら安らかにその長くも苦しい生を終えたはず。


「……そう。あれは貴方たちにはなにも知らせなかったのね。相も変わらずの自分本意だわ。それに、人の世にも彼の訃報は……ならばいいわ。貴方が投げた、その役目を、私が引き受けましょう」

 その忘れな草の瞳が一瞬、透弥を見つめてから反らされた。彼女は咳払いをした。そして気高く、女王として君臨する。


「聞け! 人の子らよ! 汝らが希望の星、勇者ロベルト・レアントは既にひとの手により討たれた。これより南に希望の土地はなく、これより南に人類の居場所はない!」


 絶望が、喉元を焼き焦がす。せりあげる無の感情に飲み込まれるように抗うことすら出来なかった。

「そして、希望の星たる勇者は我々亜人族の希望であった! それを己らの手でかきけしたその罰を甘んじて受けるが良い! 我らは人の敵だ! 人を憎み、弾劾し、滅ぼす者だ! 故にここから先は通さぬ! 早急に立ち去るが良い!」


 すべての命の希望。

 それはもう既に、夜闇のなかに落ちたのだ。人がその事を知る間もなく。膝から崩れ落ちる。なんでそんなに絶望が押し寄せるのか、分からなかった。

 でもきっと。

(……彼が、勇者であったからだ)

 透弥の前を歩く人。

 それが突然姿を眩ました。

《いーやソイツは待つんだな、世界樹の女神!》

「……黒炎丸?」

《トーヤ、オレを掲げろ》

 のろのろとその言葉にしたがってシルフィーリアの元に剣を掲げる。黒い鞘に収まり、赤い魔力を迸らせる剣は啖呵を切った。

《道理が違うぜ、女神。確かに勇者ロベルトは人によって討たれた。だがな、だからといってトーヤを通さないのは道理が違う!》

「ほう。ずいぶんよく吠える剣だな」

《ああ、あたりめぇだ。オレサマは勇者の剣。今は暗く曇ってなまくらと呼ばれようとも、その輝きだけは打ち消せまい! オレサマは選らんだぞ、シルフィーリア!》

 シルフィーリアは冷たく剣を見ていた。その瞬間、理解する。彼女は知っていて、これをやってる。最初から通すつもりではあった。龍の呪い持ちだから。だけどそれ以上に。


「では問おう。その者は一体何者かを」

 厳格なる女王の命に逆らって、黒炎丸は叫んだ。

《良かろう! このオレが答える! 剣の銘を【煌々と燃えるものフレア】! 勇者ロベルトが後継者を透弥と認める!》

「こ、黒炎丸?」

 シルフィーリアの目が透弥の心の底まで射抜く。

「では、改めてそなたに問おう。そなたは――誰だ?」


 透弥は、放心していた。

 答えなんてどこにもなかった。

 ただしさなんてどこにもなかった。


 仲間たちも、今だけは見守っているだけだった。ただ、どう答えても付いてきてくれることだけは分かった。

「……俺、は……」

 声は震えていた。

 俺は誰だ。

 俺は誰だ。

 俺は誰だ。

 俺は。


 問い続ける疑問に答えを出せない。喉がまるで凍ってしまったかのようだった。そして、分かった。これが運命なんだ。


 これがターニングポイントなんだ。

 ここで透弥は選ばなければならない。

 何者になるのか。

 何故自分はここにいるのか。


 その決断は今までしてきた選択のどれよりも恐ろしい。それを口にすればたちまち世界が変わってしまう。それなのに、唐突に透弥に課せられた。

「俺は……」

 決断しろ。決断しなければ。

 自分は――何に、なりたい?


「……俺は……俺はっ」

 顔をあげる。精一杯の勇気を振り絞って。握りしめた拳と、見上げた顔と。決意は今、覚悟に変わる。

 もう誰も、この運命の災禍に巻き込まない。

 それは、透弥にとっての誓いだった。その誓いが今変化する。誓いは、決意に。決意は覚悟に。そして覚悟は勇気に。

「俺は……俺は! 勇者じゃない! だけどッ、それが役目なら、俺は敵を倒す! 魔王を倒して、勇者ロベルトの意思を継ぐ! だからシルフィーリア。ここを通せ!」

 シルフィーリアはその言葉に春の日差しのような笑みを、だけどなんだかどこまでも悲しそうな笑みを浮かべた。

「なるほど。なら、貴方にその資格はあるわね」

「……シルフィーリアは、知ってたんだろ」

「ええ、分かっていたわ。あなたがどう答えるか。だって、貴方は優しいもの。ここから先に苦難が待ち望んでいようと、誰かが困るならその歩みを止められない人。貴方はそう言う人間よ」

 シルフィーリアの言葉はほとんど正しかった。

 だからこそ、なにも言い返せなかった。

「森の端を通ることを許します」

「ありがとうございます」

「それから」

 森に入ろうとする一行をシルフィーリアが引き留めた。彼女の表情は厳しい表情を浮かべた。


「勇者様。何をどうするのか、決めるのはいつだって貴方です。その決断が如何なるモノであれど、時と世界樹の女神たるシルフィーリア・クラリスとその眷属は祝福いたします」


 彼女は見事なカーツィをしながら森のなかに隠れていく。だが最後までその勿忘草の瞳は透弥を捉えていた。


「ただ、その決断にこの世の命運と一人の命がかかっていることを努々お忘れなきよう。どうか、正しき決断を下されますよう、祈っております」


 枝が繁り、視界が閉ざされた。残るのは森の端、遥か南へと通じる獣道だけ。透弥はその道へとまっすぐと足を出した。


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