第13話 猿鬼退治
七つの霊山と言うのは、その全てが活火山である。
津の国の皇族に加護を与えている火竜の領域であるがゆえに、大変暑いのだ。
「……くたくたになりそうだ」
「まだ先は長いぞ、透弥」
「なんで莉花は平気そうなんだよ……」
熱帯夜のような気温のなかで一人のりっのりな莉花にツッコミをいれた。さすがに人外じみた体力だ――透弥のが人外だが。
「私達は先祖代々、竜と契約しているんだ。竜は番の次に身近な他人になる。竜は人から魔力を吸い上げ、私達は竜から力を借りたりする。代わりに、皇族はその体が次第に竜に変わるのだ」
「……まりょく?」
「ああ。特別な力だ。人が生きていくのに必要な力とも言われている。或いは万能の力とも」
万能の力。
ただ、その力でも透弥の呪いは解けないのだろう。
だから、あの鏡が必要なのだ。
最も、嘘でなければ、と言う話だが。
「いえ、ワタクシもあの話は当たりかと」
「そうか」
ハゲ丸がそう言うのならそうだろう。だが莉花は口をポカンと空けたままこちらを見てた。
「どうかしたか、莉花。敵か?」
「な、な、な……」
「な?」
「何故鷹が喋ってるんだー!!」
莉花に隠しても仕方がないとこれまでのことを打ち明けた。
白国村で襲われたこと。そこで黒炎丸を抜いたこと。竜の呪いのせいで村を追い出されたこと。そして、呪いのせいで――いや、そうでなくても。誰かを助けて恨まれたこと。時雨との出会い。
「……そうか。ハゲ丸は村長から預けられた透弥の従者なのか」
「ええ……ところで若様。警戒してくださいませ。あの大猿の足音が聞こえます」
その瞬間、地面が揺れた。
その巨大な顔が、ゆっくりと透弥達を見下ろした。
「キキ」
「っ……莉花ァ!!」
振り下ろされる腕から莉花を守るように透弥は前へ転がり落ちた。人間の腕で彼女をしっかりと握ったまま転がる。
「っ……莉花! 怪我は無いか!?」
「あ、ああ……すまない、油断していた」
「いや、大丈夫だ。それよりも、無理そうなら逃げろ……黒炎丸! 行くぞ!」
《おうよ!》
引き抜いた剣をしっかりと握り締めて透弥は地面を蹴った。龍の身体のお陰で高く跳躍できる。だが、振りかぶった時には猿はそこにはいなかった。代わりに、手で叩き落とされた。
「ぐぶ……」
やはり、速さが足りない。
四つ足でかけていく猿鬼を恨めしそうに睨みながら身体を起こした。血が地面に点を作り、透弥はがくりとまた地面に伏してしまった。
「っくそ……」
怪我が治癒しきっていない。
体力の回復ができていない。
疲弊のせいか、それとも出血のせいか、体が上手く動かない。だがその割に意識がかなりしっかりしていた。――無論、それだって憎い。
「…………」
意識があるなら、動いてもいいはずじゃないか。
土を握り締めて立ち上がろうとする。だが、立ち上がったところで自分はあれに追い付けるのか?
不意に、地面に影が落ちた。
目だけ持ち上げれば、とても神々しい一匹の馬が己を見下ろしていた。
「……なんだ、笑ってるのか? 実にみすぼらしいだろ」
馬は答えなかった。話さない動物になんだか久しぶりにあったような気分になった。だが、こちらのその気を知ってか知らずか、馬はその脚を折って背を差し出してきた。
「……乗れってことか?」
馬は、答えない。
這いながら、なんとか乗る。その背は広く、暖かかった。
馬は、嘶く。
そして駆け始めた。
脚は矢よりも速く、体は美しい朱色の毛並みだ。透弥は理解した。これならば、あの猿に追い付ける。
「頼むぜ」
答えることはない。まるで職人のように。
大地を駆けていく馬。その地平線の先に見えたのは、炎でできた龍が猿の頚を加えて雁字搦めにしているところだった。
「貴様を、離さん! 私はぁ……透弥を、助けるからぁあああ!!」
莉花の腕から血が溢れていた。拘束をほどこうとした猿の指が龍に食い込むたびに莉花は苦しそうな声をあげる。
「……アイツに、言うんだ。一人じゃないって! あたしが、アイツに、言ってあげるんだ!」
「…………」
胸が熱くなる。
透弥は剣を鞘へ納めた。
《どうした? 相棒?》
「……なあ、黒炎丸。頼みがあるんだけど」
《ん?》
馬の腹を軽く蹴ると一気に加速し始めた。心の内を呼んだのか黒炎丸はカカカっと笑い声をあげた。
《良いぜ! 透弥! お前の身体の半分を寄越せ! そうすればオレサマが、この力の半分をお前に預けてやるからよぉおお!!》
全てを焼き焦がす憎悪が身体のなかに流れてくる。透弥の右目が紅く染まった。
「あ、があああああ!!」
体が燃えていく。
だけど、これでいい。龍の呪いに犯された右手で剣を握った。黒い炎が弾ける。これが黒炎丸の力なんだろう。
身体の半分なんて、いくらでもやる。
だから、力を貸してほしい。
「透弥!?」
力強く馬が翔んだ。その背から透弥は更に跳躍する。竜の腕の筋肉が一気に目を覚ました。身体の熱が剣に全部集中する。
莉花の龍の姿が消えた。
血が地面に飛び散る。
「死ねぇえええ!!」
「ギイイイイイイイイイ!!」
「逃すか!!」
猿の逃げようとした足が水晶によって固められた。透弥は回転しながら剣を一気に叩き付ける。炎が口から漏れた。
頸の半分までは切れた。だけど、骨が固すぎて刃がそれ以上進まない。猿はぶら下がっていた透弥を吹き飛ばした。
透弥はその手に必死でしがみつく。
振り落とされなければ、注意を透弥に向けていれば。
必ず、莉花が助けてくれるに決まってる。
それは妙な信頼だった。
そして、津の国の皇女たる劉・莉花は一瞬の隙を見逃すように武官に訓練を付けられてはない。
「霊山に住まいし炎の竜よ。我に力を貸したまえ」
透弥の黒い炎ではなく、赤い宝石のような炎が莉花の持つ大剣に宿った。莉花は剣を思いっきり投げる。回転しながら剣は莉花の狙いどおり、猿鬼に頸に刺さった。
「ギャイイイイイイイイイ!!」
「燃えよ!」
「ギィイイイイ!」
断末魔が響く。猿鬼の頸が焼け落ちていく。倒したのに、なんの感慨もなかった。莉花は急いで透弥に駆け寄る。
「透弥、しっかりしろ」
「……莉花」
肋がいってるのかもしれない。透弥は苦しそうに息を吐きながら――拳骨を、莉花の胸に当てた。それは今まで決して誰にも触れようとしなかった右手だった。
莉花の胸に下げた鱗と拳がぶつかる。
「…………信じてたぜ」
莉花は目元を袖で拭った。
さあ、帰ろう。
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