第14話 莉花 《咲き誇るジャスミンよ》
魔王ヌマーサの四天王が一人、『堕狐』は慌てていた。山に構えていた猿鬼が討伐され、それを祝し祭事が行われることになった。
その隙に、堕狐は逃げ延びることにした。
羅紅の精神を腐敗させ、この国を牛耳るつもりが湖李と名を変えて潜入したにも関わらず、既に尾が出ていたと気が付かされた。
(屈辱じゃ、屈辱じゃ、屈辱じゃ……!)
人間風情にこの狐狸・堕狐が尾を巻いて逃げさせられている。その事実が狐狸にとって屈辱に他ならない。
だが、命あっての憎悪。今はここより遠く離れるしか、生き延びる術は――。
砂と草履が擦れた。
狐狸の目の前に現れたのは黒髪の青年だった。
《何逃げようとしてるんだよ》
その懐かしい声に毛と言う毛が逆立つ。
「な、なぜ、どこにおる、どこにおるのだ……!」
あの忌々しい男の気配がした気がした。あの男のせいで狐狸は今、命辛々逃げ出した。魔王であるヌマーサも傷をおった。その男が、どこかにいる。
「……おい、誰を探してるんだ」
ひどく怒気を孕んだその声に狐狸は顔を上げた。そして、理解する。
この男から奴と同じ匂いがすることに。
「貴、様ァアア!!」
爪を伸ばして牙を向く。だが狐狸の指が男の――透弥の喉仏に付くよりも先に、透弥は狐狸の首を掴んだ。
「ひっ……な、にを」
「…………お前だろ」
透弥の声は低かった。
「お前が、あの猿鬼に指示を出してたんだろ」
その言葉に狐狸は心底安堵した。良かった。まだこの愚者はなにも分かっちゃいない。だったら泣き落としして、悔しいけどこの男を腐らせ切ってから。
透弥は、剣を抜いた。
「……え?」
「悪いけど、お前を殺す理由は無いけど、でも。生かしておく理由もないんだ」
その剣は昔見たことがあった。
あの男の剣だ。
自分達のような特別な存在を、使徒を、斬ることに特化した。特別な、呪われた剣。
「あ、や、だ……」
思わず溢れたのは命乞いの言葉だった。
狐狸は今、生まれて初めて、これまで弄んできた生き物の気持ちを理解した。猿鬼はとても良い遊び道具だったけど、きっとあの猿に睨まれた人間はこう思っていたんだ。
「やだやだやだ! やだぁああ! 死にたくないよぉお、殺さないでくださいぃ、わたし、なんでもするからぁ! だからぁ!!」
情けない嘆願。涙を溢しながら、粗相をしながら、実に惨めに狐狸は首を横に振る。
「いやだ、やだやだやだ、だって、わかってよぉ、貴方達だって動物をいじめるじゃん! ならなんで動物が人をいじめちゃだめなの? ねぇ、わたし、悪いことなんて何一つとしてしてないよ! やだぁ! 死にたくないよぉ!」
矛盾した言葉に透弥は剣を振り上げた。
慈悲はないと知っていた。言うならば、向こうとこちらは完全な平行線。交わりを望むことが愚かだから。
剣は、いつもよりずっと重たかった。
「いやあああ!!」
首が落ちる。
羅紅の赤く血に濡れた手がその首を掴んだ。行き場を失った剣を降ろすと羅紅は楽しそうに笑った。
「助かったよ、坊主。嫌なところ、引き受けようとしてくれたんだよなあ。お前さんは優しいから」
「そう言う訳じゃ……」
「はは、謙遜すんなよ。それとほれ、これ、銅鏡な」
手渡された銅鏡を風呂敷で包んで馬の背にくくりつけた。この馬は、あの時助けてくれた馬だ。
「ありがとうございます」
「俺たちは広嗣を見かけたら引き留めとく。だから、帰りもよってくれ」
羅紅はそれから、耐えられないと言うように笑った。その目から涙が落ちる。
「……死んだんだ。俺の、従者。騙すためとは言え、殺されたんだ。この女に」
「……」
その心中を、図ることはできない。
羅紅は自嘲した。心の底から。
「貧民窟で拾ってきた子供の一人だった。俺に忠誠を誓ってくれてた。俺はさぁ、王なのに、ソイツら一人も守れないんだ……不甲斐ない王で、役立たずの王なんだよなあ」
涙を溢しながらそう告げる羅紅に、頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
「あ?」
感謝をしたかった。
彼は、自分自身すらも見捨てた彼らの命を、全体を救うために切り捨てた僅かな命を、確かに覚えていてくれたのだ。
自分は、その人達と面識はない。だけど、それでも思う。
彼はだから、立派な王なのだ。
「……貴方が偉大な王である限り、彼らはきっと、貴方の傍にいます」
その言葉の意味が分かったのかは分からないが、羅紅は黙った。透弥は別れの言葉を告げて歩き出す。
《また、ひとり旅か。オレサマの相棒もずいぶん寂しい奴だな!》
「やかましいぞ」
津の国から出るルートは二つ。一つは海岸にそって歩いていくこと。そしてもう一つは、霊山の麓に沿って歩いていくことだ。
次の目的地である竜神の里は津の国より更に西にあるため、霊山の麓を東北に向けて歩いていくことになる。北西部は山の標高が低く、代わりに地面が沸騰している地域もあると言うので却下した。
迂回にはなるが、海岸を歩いていくよりも早いはずだ。
「矢翔馬もいるしな」
鬣を軽く撫でた時だった。
目の前に真っ白な花畑が広がる。それらは全て、ジャスミンの花だった。
「……綺麗」
「透弥!」
黒い馬に乗った莉花に声をかけられて、透弥は振り向いた。彼女は剣を背に背負っている。
「透弥。私も連れていけ」
「だめだ。これは、俺の事情だ」
「なら、私が付いていくのも私の都合だ。私は、お前の傍にいたい」
莉花は力強く告げた。それからなんとも不敵に笑う。
「弱い、なんて言わせないぞ。私はお前よりも強かっただろ」
「………確かに」
でも、この呪いを解く旅に彼女を連れていくのは躊躇われた。だってこれは、透弥の責任なのだから。それなのに彼女は優しく――ジャスミンの花のように優しく笑った。
「私は、お前と共に解呪の喜びを分かち合いたい。お前と共に戦いたい。お前の、傍にいたい。付いてくるなと言っても付いていくからな」
「…………なら、一緒に来てくれないか?」
答えは聞くまでもない。
つまるところ、これは、莉花の押しが勝ったと言うことだろう。
「さ、次は竜神の里だ!」
「おー!」
二人の一匹……時折一本の声が混ざりあって青空の下で響き渡った。
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