第50話 離別、そして新たな道

 数年前。拳一つで国家転覆したものの、前王の遺した負の遺産に透弥は苦しめられていた。それの処理に丸々三年ほどかかってしまったのだ。

「幸いにもセオじいさんとブレイブがいたから三年で終わったけど、俺一人なら今もやってた……あ、いや、俺一人ならそもそも国家転覆してないや」

 そしてそのゴタゴタの間、何かあってはいけないと路を閉めていたそうだ。その結果、ロベルトは門前払いを食らった。


「負の遺産を片した後は自由に開いてたんだけど、ロベルトは購いだと言ってどっかの島国に旅立ってた。俺は俺でまあちょっと別の場所で魔王について調べてたんだ」

「……なんで魔王?」

 莉花の質問に透弥は苦笑を浮かべた。

「性善説、性悪説って訳じゃないけど……魔王が最初から悪いやつだとは思えなかったんだよ。まあそんで、あちこちさ迷ってたら、なんか良くない噂が流れてたみたいで」

「山の上に邪龍がいるって言われたから殺しにいったらコイツだった」

 つまるところ、偶然ばったりと出逢ったのだ。


 ロベルトの方はすぐに透弥だと分かったが、透弥の方はもう数年戦いなんかしておらず血が滾っており、結果、剣を構えていたロベルトを敵と認定してタコ殴りにしたのである。

 勿論、喧嘩慣れしたとは言えど透弥はド素人。五秒くらい(ロベルトに言わせると二日と半日)で勝負はついたそうな。

「で、まあせっかく会えたしと思って契約を結んだ。まあ、生涯結ぶことも無いと思ったし。で、俺はコイツ専属の龍として晴れて偽フレア・ノヴァを呼べるようになった訳だ」

「そしてオレサマは晴れて剣に変身できるようになった訳だコンチクショー」

「それはずいぶん喧しい経緯だな」


 そしてその時にお互いの情報を交換し、何度か共闘している内に透弥としては聞き流せない情報を聞いた。それは。

「莉花やアーノルドに会いに行ってないと聞いた」

「……」

 ロベルトは視線をずらした。莉花は拳を握った。透弥は止めなかった。


 よくよく考えれば、今まで散々逢わせる顔がないとかほざいていたやつが突然現れるはずがなかった。町中でばったり会ったわけでもないのに。

「会いに行けと言ったわけだ。そしてコイツはここにいる」

「いやー、悪ィ悪ィ。ついついリファに甘えちまったぜ」

「あ?」

「……トーヤ、顔、怖い」

 ……もしかしたら旅の頃よりも力関係が少し透弥の方が押しているかもしれない。龍になったからなのかは知らないけれど。


「んで、俺の……」

「息子と孫。孫は奥の寝室で寝てるし、息子は王位継承第一候補だから頑張ってるよ」

「そかそか」

 透弥は立ち上がると莉花の目線に会わせた。そして、その龍の手で頭を撫でる。鱗に覆われてあの頃よりもずっと人でなくなってしまったけれど。

「ありがとな。そんで、お疲れさま。一人で苦しかったろ」

 優しさも、温もりも、なんも変わっていなかった。

 あの酒場で会ったときと何も変わらない。思わず惚れ直してしまいそうだ。いや、もしかしたらもう何度も惚れ直しているかもしれない。

「……きちんと育てた。見守ったよ」

「さすがは莉花。俺の信じる仲間だ」

「そこは妻と言ってくれ。それとも……こんな老いぼれは嫌か?」

 心の底にあったその言葉を口にすれば彼は驚いたように笑った。そして、頬を優しく包んでくれる。

「何バカなこと言ってるんだよ。今も昔も変わらず美しいぞ、お前は。むしろ歳を経てまた別の美しさを手に入れたみたいだ」

「……」


 気恥ずかしい。

 すこし会わない間に何やら女性の口説き方まで学んでしまったようだ。彼の手に触れようとすると、びく、と揺れた。

「透弥?」

「……莉花こそ、こんな怪物は嫌いじゃないのか?」

 それは、あの日の問いだろうか。


 醜いと彼が思う彼の姿は、莉花にとっては――昔も今も決して変わらず。

「……綺麗だ、透弥。私が知るなかで、一番、綺麗だ」

 彼は嬉しそうに笑った。その笑顔が莉花の支えだ。例え老いようとも、美しいと言ってくれるなんて彼は本当に。

「じゃあ、行こうか莉花。もう退屈はさせない」

「ああ。私の、勇者様」

 その手を取る。人としての生にもう未練はない。十分頑張った。子供達を最期まで見送れないのは残念だが、きっとそれは龍になってからだってできるだろう。


 だから今は、この人の手を取ることを許してほしい。


 体は軽やかに。莉花の体はあっという間に龍のものへと変わっていた。あの日彼が醜いと嘆いたのと同じ体。それが嬉しくてしかたのない。

 旅の最後、別れたときと同じ顔の莉花は透弥を抱き締めた。彼はその抱擁に答える。

「……んじゃ、行こうか」

「ああ、透弥。今度こそ、どこまでも共に行こう」

 彼はこちらを向く。そして、その手を差し出した。

「ロベルト、お前も来るか?」

「……いんや。オレはもう少しこっちで頑張るよ、トーヤ。でも、迎えには来てほしい」

「分かった。必ず行こう、我が剣」

 彼は窓枠に飛び乗る。そして部屋で唖然としている子供達を見渡して、いっそう優しく微笑んだ。

「ではさらばだ、人の子よ。俺は年を重ねるごとに人であったことを忘れるけれど。それでも、遺せるものがある。魔王ヌマーサの話を私は聞いた。だから、お前たちに遺そう」

 風が吹く。ジャスミンの花びらが風と共に部屋に入ってくる。はためく風に乗る声は深く、力強く。


「人よ、誰かを愛せ。善く生きろ。正しく生きろとは言わねぇ。それは難しいから。でも、善く生きることはできるはずだ。誰かを理由もなく害するな、誰かを理由もなく殴るな……いつかきっと、善く生きてきてよかったと思える日が来るから」


 ジャスミンの花と共に彼は去った。残った彼女の人の体と英雄は空を見上げていた。どこまでも飛ぶ二匹に、手を伸ばして。



 真っ白い空間で彼はせせら笑った。透弥はからからと楽しそうに笑う。聞いている時雨は正気じゃなかった。主に後半。

「だから、この話はここまで。な、分かっただろ」

「うん。きみが会いに来なくなったのは寂しかったけど……と言うか、こういう話って、普通死因まで含まない?」

「……それは情けないからカットしたいのが本音です」

「なるほど」

 親友に話してあげたのは彼女が纏めてくれた英雄譚だ。まあ、面白くもなんともないだろうし、と思っていたが存外楽しんでくれていたらしい。

「……そんで? 時雨はどうするんだ? それをして、後悔しないのか?」

「しないよ。これがぼくの決断だから……狂った世界を愛している女神をさ、少しでも救いたいでしょ?」

「ならいいんじゃねぇか?」

 彼はぴたりと動きを止めた。それから実に情けない声で尋ねる。

「……でもぼくに、できるだろうか」

 それは本当に答えを委ねる声だった。


 だからとびきりの声で答える。

「ああ、お前ならできる」

「……ありがとう、透弥」

 それが正しいのかは分からない。


 今は、世界を回す歯車に過ぎず、ただここにいるのも死後の影なのかもしれない。それでも、あの日見送ってくれた友の背を押せるのならば。

「ところでさ、最初の……津の国で、頑張ってる奥さんを見たときにどう思ったの?」

「……ああ、それか?」

 少し苦笑してから、そのろくでもない答えを思い出す。彼女に関することを何か一つでも忘れたことはないから。

 でも、あれはとてもろくでもない。

 だって――











「はは……私が、この国を変えねばならんからな」

 莉花の肩には透弥とは比べ物にならない程の責任が乗っているのが分かった。この国に政治的問題があるのは、聞き込みでも分かっていた。

 だが、改めて当事者がこんなにも辛そうだと。

《同情か? 透弥》

 違う。ただ――ただ、許せないなと。

 彼女のその細い肩にそれを乗せた人を、人々を、許せないと。


 思って、しまったのだ。



 

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