第49話 後悔はなく
ロベルトの肩に額を押し付けて泣き崩れる莉花に驚いてしまった。そうか。間違いではなかったのか。
「……まあ、なんつーかあれだな。オレや婆さんみたいなただの人間が生き残るなんてな」
「バカにするな……まあ、お前は神に愛された子だからな。置いていかれるわけだ」
「だ、だからまたお前バカにして……莉花?」
彼女の体が重くなる。莉花は汗を額に浮かべている。その体は炎のように熱かった。
「ッ……まさか!」
服をめくるとその肌は紅玉を削ったような美しい鱗に覆われている。火龍の鱗だ。ロベルトは顔を歪めた。
「はは、アイツは偉大だったよ……毎日焼けるように体が痛んだ。辛くて辛くて仕方がなかった。あの戦いの中、これを耐えていたと思うと恐ろしいよ」
そうだ。アイツは、自分の体が龍に置き換えられていく中、戦った。普通は苦痛と恐怖で正気を失っても仕方がないのに。
「……ロベルト。私がもしも、人生に後悔があるとしたらそれは……」
「莉花?」
莉花の手がロベルトの頬をそっと撫でた。その慈しむような表情に驚かされる。
「…………お前を、置いていかねばならないことだ」
「莉花。オレは」
不意に窓から一陣の風が吹き込んだ。そして、窓枠に誰かが座っていた。
「姉さん!」
「きゃああああ!」
絹を裂くような悲鳴が響く。暗闇の中に二つの赤い瞳が浮かんでいる。まるで嵐のように荒々しい男がそこに立っていた。
風に黒髪が靡く。赤い瞳は剣のように。そして、なにより特筆すべきはその肌だ。白い肌に埋め込まれた水晶はまるで水底に沈んだガラスの破片のように煌めいていた。
或いはある人物の剣の名のように絶望のそこで見上げる星屑の灯りのように。
彼は己の手を握った。その横顔が憂いで見える。
「……貴方、は」
「ロベルト!」
「分かってる!」
ロベルトは皇帝夫妻を庇うように立ち上がった。
衛兵達が男に向かっていく。彼は一つため息をつき――裏拳を食らわせた。周囲の数人が一斉に倒れる。彼は爬虫類のような赤い目を細めた。
それは捕食者の目だ。
「はっ。久しぶりだな……中々、骨がありそうだ」
実に嬉しそうな顔をした。槍持ちの兵が突っ込んでいく。男は槍を脇で掴むとそのままぶん回した。壺や壁が壊れる音がする。
弓が飛んできた。男はそれを己の体が傷付くのも構わずに受けた。血が飛び散り、傷ができる。されど男は嗤っていた。
そう、嗤っていた。
「……はは、アハハハ! 楽しい、愉しい、タノシイぞ、俺は!」
人の形をした暴風雨だった。
それは呪いの一つの形だ。
人を龍にする呪いの形の、在り方の一つ。精神を荒ぶる龍も同然とする。人間性を、損なわせる。悪意の形の種類の一つなのだ。
「と――」
「透弥っ! 落ち着け!」
その言葉に龍のような男は振り下ろしている拳を止めた。その瞳がゆっくりと黒く変わる。そして、落ち込んだようにしゃがんだ。
「っはぁ…………」
「……何やってんだよ、お前」
透弥だ。クリスタル・ドラゴンになったはずの彼は立ち上がると照れたように顔を背けた。首の後ろを掻きながら笑う。
「いや、悪かった。久しぶりに人里に降りたからちょっとのっちゃってな……うん、ごめん」
「ごめんじゃねぇよ……殺してないだろうな」
「多分大丈夫だろ。こう、龍だ、って感じで殴ってないし」
相変わらずの適当さに涙が出るかと思った。
さて、あれから彼は龍になり取り敢えず龍神の里に向かった。彼がその後何をしたかと言えば至ってシンプルに龍の王を拳でぶっ飛ばしたのである。
本人曰く『喧嘩は白国村でもしょっちゅう起こってたから。剣よりも拳のが楽だったし』とのこと。
結果、一夜で国家転覆。
龍神の王は最も強い龍がなると言う掟もありとくに文句もでなかった。
「……と言うか、なんでお前たち仲良さげなんだ」
莉花の言葉に透弥はロベルトを見た。ロベルトが目をそらしたことで全てを察したらしい。
一撃蹴り飛ばした。すねを。
「痛ぇ!」
「きちんと説明しろ。本当に。昔からそう言うところ配慮にかけてると思ってる」
「……昔って?」
「なあなあ、莉花。聞いてくれよ。こいつ昔、ダークフレイムエターナルバスタードって」
「ぎゃぃいい!! 頼むからその話はやめてくれよぉお!」
恥ずかしい黒歴史を暴露してやろうと意気揚々と話し始めた透弥にすがるロベルトは、恐らくだが剣と勇者だった頃と全く関係が変わってないと思った。
まあ、それはそうとそのテンポで話されると頭が痛くなるわけだが。
「……それで? なんで仲良しなんだ?」
「ん、ああ。そんな話だったか。いや、実はええと……昨日ぐらいの話なんだけどよ」
「正確に言うと二十七年前の話な?」
ロベルトの補佐がないと話せないのだろうか。莉花の質問に透弥が答える。
「数年前、ロベルトが国を尋ねてきたときがあったんだ。けど、俺はその頃とても忙しかった。正直記憶もない。なんというかそう、勢いでブレイブに唆されてワンパン国家転覆したわけだけど」
「ワンパン国家転覆とか言うパワーワード。後悔してくれ。つーかあのクソ騎士唆してんじゃねぇよ。そのせいでオレサマのガラスの心がどんだけ割れたと思ってんの?」
実に説明がやかましく莉花は眉間を抑えた。が、それに構わず――と言うか多分、久しぶりの人里とか言っていたし、話したりなくて堰を切ったように彼は話し始めた。
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