第48話 後悔、あるいはたられば

 彼は泣きそうな顔をしていた。

 ロベルトの胸を締め付けるのはいつだって後悔だ。彼が購いの旅に出たもの、ひとえに後悔があったからだ。


 もしもあの日、逃げなければ。或いは勇者のように憎しみひとつ残さずに逝けていれば……いつだってそう思わずにはいられない。

「ねえ、ロベルト。私ももう年だし、そりゃ色々あったよ。王位を継承してくれって嘆かれたこともあったし、盗賊に押し入られかけたこともあった。殺されそうになったこともあったし……息子も生まれたし、孫もいる。良いことも悪いこともたくさんあった……だが、あの旅がなければと思ったことだけは一度もない」

「莉花」

「人は大なり小なり後悔をする。どんなことにも後悔は付き物だ。だって人生は一度きりで何をするのも大概が初めてだ。それに、何度やったところで完璧にはならない。一ヶ所の綻びは常に生まれ続ける」

 常に綻び続けるのが人生だ。そして、だからこそ。綻んだものだって美しいと思えるのが人生だ。

「お前があの時勇者として魔王を討伐していれば、誰かの思惑に気がついていれば。どだいお前は逃げた訳じゃないだろうに」

「……でも、それでも、オレがしたことは」

「そうだね。もしそうであったら、まず私達は出会わなかったと思う。なあ、ロベルト。お前はきっとその時に戻れたらより良い未来を選ぶんだろうけど、もし私なら……私はズルいからさ。きっと、魔王を倒さないで逃げると思うな」

 ロベルトはうつむいたままだ。


 もしあの旅がなければ、透弥はあの村でただひっそりと静かに両親と暮らしていただろう。

 莉花は皇女として政略結婚をしていたかもしれないし、女帝として君臨していたかもしれない。

 アーノルドはいつまでも文官として生きていただろう。

 セオは早く龍に召し上げられたかもしれない。彼の目標は死後の思いで作りだった。或いは龍になるのをやめていたかもしれない。

 ブレイブは一人なんとなく納得できないまま余生を過ごしていただろう。近衛として、真面目だが命の賭け所も無く。


 世界はもう少し平和だったかもしれない。

 未来はもっと優しかったかもしれない。

 でも所詮はだ。歴史にたらればは付き物で、だとしたら嘆かなくても良いのだ。

「そりゃ多くを失った旅だった。得たものはあまりにも少なく、むしろ喪ったものは多すぎて、こぼれ落ちたものも多かっただろう。だけど、それでも、あの旅は美しかった」

 そうだ、美しかった。


 あの朝日に剣を掲げる勇者ロベルトは。

 日溜りに眠る透弥は。

 地平線へと消えていくクリスタル・ドラゴンは。

 それ以外も、あの旅に纏わるそのすべてが美しかった。だから、それでよかったのだ。


「莉――」

 顔をあげてロベルトは固まった。安楽椅子に腰を掛けていたのは年を経た老婦ではなかった。ジャスミンの花のようなかんばせを優しく綻ばせ、亜麻色の髪を優しく揺らし微笑む在りし日の少女だった。

 ロベルトは思わずその肩を抱いていた。

「? ロベルト?」

「…………あの旅は、綺麗だったのか?」

「ああ」

 この枯れ木のような肩。逢わない間に細く痩せてしまった。もっと会いに来ればよかった。

 見せる顔が無くて、一度も会いに行けなかった。その資格がないと思った。莉花に申し訳ないと思った。アーノルドに申し訳ないと思った。ブレイブに申し訳ないと思った。セオに申し訳ないと思った。


 なにより、透弥に謝りたかった。

 彼の人生を狂わせた。旅に出てすぐに自分について話すことだってできたはずなのに、それをしなかった。だと言うのに今際に彼は言ったのだ。


 ロベルトこそが、自分にとっての勇者だと。


 オオバカヤロウだ。

 透弥を騙していた自分を殴りたくなった。あいつはバカヤロウだが、それなら自分は、オオバカヤロウだ。誰も彼も救えると傲っていた頃の自分も……人を全部憎みたいと思っていた頃の自分も。

「……龍の里に行ってきた。けど、路は開いてなかったんだ」

「それは……」

「分かってる。ありゃタイミングだ。だけど、それを見て……まるで、オレは龍にあげられる価値なんざねぇって言われてるように感じた。いや、間違いじゃねぇよ。オレに、そんな価値はない」

 どっかでお門違いにも期待していたのだ。

 世界を救ったから赦されたんじゃないかと。


「……いや、赦されねぇよ。オレはだって、透弥の命と引き換えに世界を救ったんだ」

 よくわからない女神が参入しなければ透弥はあのまま死んでいた。たまたま、人間部分と龍の部分を乖離できたから彼は龍になったが。

 もしそれがなければ……そう考えるたびに指先がかじかむ。


 彼は思ってるのではないだろうか。

 あの剣を、抜くべきではなかったと。


「そんなわけないだろ!」

 莉花がロベルトの肩を掴んだ。年老いたとは思えぬ握力で掴まれる。彼女の表情は鬼気迫るものだった。驚いて動けない。

「後悔してたなら、あの日、命を賭けたりなんてしなかった! アイツは、お前を信じてたんだ! だからその思いを踏みにじるな」

「……でも」

「でももさってもあるか! お前は剣だったし騙してたけど、それでも仲間なんだよ! 分かってくれよこの馬鹿」

 そう言って莉花が泣き崩れた。ロベルトは驚いて虚空を見つめていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る