第47話 再開

 部屋の中で軋む椅子。ゆっくりと体を揺らしながら老婦はその物語を締め括った。

「と言うわけで、英雄透弥は我が国の海岸に永遠に眠っているんだ」

「それでおしまい?」

「ああ、おしまいだ」

 そう言って老婦は微笑んだ。子供たちは互いに目を見合わせてそれからまた、顔をあげた。

「ばあば、それってほんとのはなし?」

「母上がばあばの話はおとぎ話よって言うの」

 そう言うと老婦は実に朗らかに笑った。

「ほんとの話だよ。誰が嘘と言ってもね、あの人は確かに世界を救ったんだ」

「こら! いつまで起きてるの!」

 響き渡る声に子供たちは慌てて動き出した。口々に就寝の挨拶を告げてから、まるで蜘蛛の子を散らすように去っていく。


「ごめんなさい、お義母様。御体に障るでしょう?」

「ふふ、良いのよ。浩然は元気かしら?」

「姉さん、僕はここにいるよ」

 現れた皇帝に目を丸くすると含み笑いを溢した。シワが刻まれた顔はそれでいて尚、損なわれぬ美しさがある。

「全く。老いぼれの部屋に皇帝夫婦がなんのようかしらね」

「老いぼれなんてどんな冗談ですか。貴方は今日も兵に混じって木刀ぶん回してたって報告が来てますよ」

「あら、ダメかしら?」

 そう言うと彼女は急に真面目な顔をした。

「……貴方達には先に話しておこうと思います。私の死後のことです」

「姉さん、死後なんてそんな大袈裟な」

「甘ったれるな。私の死期なんて私が一番分かってる」

「…………姉さん」

 彼女はそれから切なく笑った。その些細な感情の変化一つ一つが胸に訴えかける。


「人は不老不死ではない。どんなに嘆いてもいつかは死ぬものだ。だから涙なんかしまいなさい」

 その言葉に浩然は背筋を正した。


 五十年前。姉には内緒で父と母が演技をしたとき。自分は裏でみっちりと帝王学を叩き込まれた。いやだいやだと何度と喚いた。しかし、国政が傾く中、過剰徴収した税が姉によって還元されてると聞いたとき、驚いた。

 だって、姉はそんなもの齧ってもいない。家庭教師もいない。つまり姉は独学でそれを納めたのだ。


 あの時、本当はクーデター一歩手前だった。それを辛うじて抑えたのは姉だったのだ。そして、その地道な活動が功をなし、完全に国が傾くよりも前にあの勇者が国に辿り着いた。


 正しいか、正しくないかで言えば、あの状況下では正しかったと言えるだろう。その姉が死期を悟り何かを残そうとしているのだ。聞き届けなければ。

「……いいか? 私が、死ぬときにはあの人が迎えに来ます」

「あの人?」

「……私の夫です。事情があり外を出歩けない身ですが、数回。彼は外に出ることが叶います。それが私達仲間の死期です」

「迎えに来るって……あの人が? 姉さんの旦那さんが? どう言うこと? 姉さんの旦那さんは死んだんじゃ」

 彼女はクスクスと笑った。それはまるで在りし日の少女のようだ。

「いいえ。龍になりました。私達も死後は龍になります。龍と契約しているから。そしてあの人はその功績をもって龍となることを許されたのです」

「つまり、姉さんの死の間際にその人は龍になった姉さんを連れてくってこと?」

「そうだ」

 訳がわからない。それにもしその話が本当なのだとしたら、彼女の夫と言うのはこの世に一人しかいない、つまりあの人と言うことになるのではないだろうか。


「陛下! 失礼します」

 現れたのは衛兵だった。

「どうした」

「はっ。お客人をお連れいたしました」

 入ってきた男に老婦は目を見開いた。相変わらずのがたい。全く衰えぬ筋肉。無精髭に乱雑に結わえた髪。最後に別れてから四十五年。

「けど四十五年前と全く変わらないね、ロベルト」

「当たり前だろ。そう言うお前さんは老けたな――莉花」

「生意気な腕白小僧だ。どこでもいいから座りな。今朝足をやってね。もう立てないからお茶も出せないけど構わないよな」

「おうおう。すっかり婆さんじゃねぇか」

 莉花は減らず口だな、と返した。ロベルトは良いじゃねぇか、と莉花に返した。お互い気心の知れた仲だからこそできるやり取りだ。

「それで? 今さら何の用だ、ロベルト」

「んな言い方は」

「三十年、連絡ひとつ寄越さずにやってた奴がよく言うよ」

「……ねぇだろ」

 反抗期真っ只中の拗ねた子供のように顔を背けた。

「それで? 何してたんだ?」

「……あー、ちと、龍の里に行ったりとか……あと、あれ。島国に魔王が出たから討伐しに言ったりとか……と、とにかく……悪かったよ」

 首筋を掻くロベルトの情けない姿にひとつため息をついて、まっすぐと見た。

「アーノルドが死んだよ」

「――……」

「あの人が、召し上げた」

「そう、か……はは、いや、そうだよな。三十年、だもんだ。ははは……」

 顔をその大きな手で覆って嘆く様は何とも言い難かった。でもその手で彼は多くのものを守ってきたのだろう。それは、同じ仲間として実に誇らしい。

「なあ、アイツは最期まで幸せだったか?」

「ああ。最期まで仕事をしていたそうだ。全く馬鹿馬鹿しい」

 炎が揺れると、ロベルトの顔の陰影が浮かぶ。その顔は今にも泣きそうな顔をしていた。



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