第2話 偶然

 小夜は困惑して透弥を見た。

「な、だ。だって、あんなのが、たくさんいるかもしれないんだよ?」

「でも、広場にはイチヤがいる。それに、たくさん逃げられてない人もいると思う」

 小夜は俯いた。

 透弥は言い出すととても頑固で、小夜でも説得はできない。多分、透弥は今の一瞬で覚悟を決めたんだ、と分かってしまった。

「……大丈夫。無茶はしないよ」

「本当に?」

「うん。ダメになったらすぐに逃げる。だから小夜と貴女は茂みに隠れてるんだ。何があっても、絶対静かにしてるんだぞ」

 小夜と彼女は頷いた。透弥は覚悟を決めて林から出る。幸いにも、ケモノは近くにはいないらしい。透弥は広場に繋がる道を歩き始める。


 ――不意に、その鼻腔が腐臭のような臭いに満たされた。


 透弥は口元を手で覆って一本奥まった路地を覗き込んだ。

「……!!」

 手。

 手。手。

 手。手。手。

 手。手。手。手。

 滑らかで、白くて蝋人形のようなそれ。折り重なった人だったモノ。引き摺り、踏み潰し、嬲った痕跡だけが、その路地に満ちていた。


 これが。

 これが、動物の、やったこと?


 口をつけたような痕跡はない。ただ、悪戯に命を散らしただけのモノ。遊んだだけだ。弄んだのだ。

 透弥だって分かってる。

 自然の摂理、野生の獣に人間の倫理観だとか道徳だとかを押し付けるのがどれほど間違ってるか。だけど、それにしたって、こんなのはあんまりだ。

「とーやおにいちゃん」

「! ニチカ……!」

 村長の孫が震えながら現れた。その後ろをついて付いてきた人物に透弥は驚く。

村長むらおさ……」

「おお、生きておったか……」

 杖を付いた翁の額からは血が流れている。恐らくはアレから命からがら逃げ延びたのだろう。長が透弥を優しく抱き締める。

 それだけで、この地獄を回避できなかったと言う理由もない罪悪感から許される気がした。


「村長。あれは、林の中までは入ってきません。小夜ともう一人は、俺の家の入り口の茂みに流してあります」

「……すまなんだ。本当はワシがしなければならんことじゃ」

「いえ、たまたま俺は難を逃れました……ところで、その……」

 村長には息子がいたはずだ。だがそれを尋ねるよりも先に村長が首を横に振った。息を飲む。

「皆が殺されていくのを見てな。ワシらを逃した後、果敢にも斧で立ち向かい……そのままじゃ」

「……ああ……」

「透弥。気落ちするでない……ワシらは、八朔の分も前に進めばならん。ところでお主はなぜ」

「ッ!! そうです! イチヤ!」

 その言葉に日雅は顔を上げた。

「一夜おにいちゃんは広場にいる……」

「分かった。ありがとな」

 日雅の切り揃えた茶髪の髪を優しく撫でる。

 透弥の立ち位置はこの村では微妙だったが、村長とその息子夫婦、その娘の日雅にはよくしてもらった。他のいくつかの家とも細々とした交流があった。

「……行くのか、透弥」

「はい。イチヤは小夜の弟です」

「そうか……」

 村長はなにか言いかけて、口をつぐんだ。

 そのシワだらけの顔と、白髭を汚す赤が痛々しかった。

「……おじいちゃん」

「すまんの、透弥。わしはついていけなんだ」

「いえ。どうか村長、全てが終わるまで隠れててください。俺も一夜を連れて必ず向かいます」


 二人を林へ向かわせて、透弥は走り出した。

 だが、一向に件のケモノと鉢合わない。

 なんとなくいやな予感がして、透弥は走り出した。はやる呼吸も気にならずに走った先に『それ』はいた。


 まるで、絶望を体現したようだった。


 身体は冷静に見ると家よりも大きく、銀色のトゲのような毛が光の下でぬらぬらと揺れていた。大きな象牙色の牙は鋭く、まるで槍のようだ。

 その足元で震え上がる少年がいた。

「イチヤ!」

 迷うことなく走り出す。そしてそのまま飛び込むように一夜の身体を抱き締めて転がった。ケモノの牙が一夜の後ろにあった建物を破壊する。

「ッ……大丈夫か?」

「とうやおにいちゃんっ」

「……もう大丈夫だ」

 一撃の動きが緩慢だったから良かったが、そうでなければ透弥も即死していた。そう理解できないほど愚かではない。立ち上がった透弥の肌を汗が滑り落ちた。

「…………」


 どうすればこのケモノをどうにかできるのか。

 全く透弥には検討が付かなかった。


 既にケモノは、己の獲物を横から掻っ攫われて怒り狂っている。猪のような声で泣きわめきながら後ろ足で地面を蹴っていた。

「…………」

 どうすればいい。

 どうすれば一夜を助けられる。

 最悪、自分だけでも生き残れれば。


《おい》

 不意に、脳内で声が響いた。

《おい、そこのオマエ》

 醜いダミ声だ。風邪を引いたときのような声。とうとう幻聴が聞こえてきたか。

《誰が醜い声だ、ボケェ。イケボと呼べ。あと、幻聴じゃねぇ》

 幻聴じゃないならなんだというのか。

 どう見たって透弥の気がふれちゃってるとしか――透弥自身から見ても、思えない。

《あ、そーいうこというんですかぁ。人が? いや、オレサマが? 善意で助けてあげようとしてるのに?》

 そう思うならさっさと助けてほしい。

 自分には、なにもできないんだ。そのことは痛いほどに理解してる。

《でもオレサマ、自力で動けないし》

「…………は?」

《だって、オレサマ――剣だもん》


 それの言葉に透弥は弾かれたように視線の真っ直ぐ先、石でできた台座に突き刺さる剣を見た。


《グッヒッヒッヒ、そう! 大正解だぜ頭のゆっるーい透弥クーン。オレサマ、何を隠そうこの村の御神体様様サマ。邪聖魔天龍剣ダークフレイムエターナルバスタードサマだ!》


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